2018.01.21

pHをペーハーと読むのは誤り(JISでは)

Ph
個人的には「ペーハー」が好きです。
発音しやすい、響きが美しい、紛らわしい類似語がない、言うことありません。

しかし2012年の環境計量士(濃度関係)国家試験でこんな問題が出題されました[1]。

「JIS Z 8802 pH測定方法」に規定されているpH測定方法に関する以下の記述の中から、正しいものを一つ選べ。」

回答の選択肢は5つ挙げられていて、その一つが
「pHはピーエッチ又はペーハーと読む。」
でした。実はこの選択肢は間違いです。JIS Z 8802には
「pHはピーエッチ又はピーエイチと読む。」
と規定されています。

つまり2012年以降に環境計量士試験を受験した方たちは、過去問として「ペーハーは誤り」と勉強しているわけです。

MSをマスと読まないことについては、質量分析学会の用語集(最新版)[2]でもMS/MSの項目でエムエスエムエスの読みを付けるに留まっており、マスを直接否定する文言はありません。

しかしペーハーに関しては国家試験の選択肢で誤りになっているわけで、さすがに抵抗できない気がします。私が「ペーハー」の読みを使うことで、それに慣れた人が将来JIS関係の国家試験を受ける場合不利になる可能性だってあるからです。

そういうわけで、私は業務上はできるだけピーエッチと言うようにしています。

しかし分析の新人が「ペーハー」と聞いて理解できずに困る場面も考えられるので、入門書[3]の執筆ではJISの説明をした上で、
「ドイツ語読みのペーハーも一部で使われています。」
と書きました。表現に非常に気を使いました。

よく見ると冒頭の環境計量士試験の問題文でもJIS規定の範囲内と絞った書き方です。JISを離れればペーハーは間違いではありません。私の好みはペーハーの方ですから、他の人がペーハーと言うのは心地よく聞いています。

[1]日本計量振興協会 "環境計量士(濃度関係)国家試験問題 解答と解説 2.環化・環濃 平成24年~26年", コロナ社 (2014)
[2]日本質量分析学会 "マススペクトロメトリー関係用語集第3版(WWW版)"
http://www.mssj.jp/publications/books/glossary_01.html
[3]津村ゆかり "図解入門 よくわかる最新分析化学の基本と仕組み 第2版", 秀和システム (2016)

画像はPd4Pic Clipartより

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2018.01.10

質量分析(計)のことをマスと呼びたいっ!

「マス」という言葉。質量分析をやっている人なら聞いたことがあるはずです。普通に使っている人も多いでしょう。
質量分析(mass spectrometry)または質量分析計(mass spectrometer)を表すMSの読みとして使われます。
単独で使われるだけでなく、他の略語と組み合わせても使います。

GC/MS → ガスマス または ジーシーマス
LC/MS → 液マス または エルシーマス
MS/MS → マスマス
TOF-MS → トフマス

MSと関係が無い人も、これらの語で「エムエス」でなく「マス」と発音するとどんなに便利で聞き取りやすいか想像がつくのではないでしょうか?

こんなに有用なのですが、「マスという言葉を使ってはいけない」と言われたことがある人、聞いたことがある人もいるはずです。
私が知っている最も詳しく強力な主張は、2007年に日本質量分析学会の機関誌に掲載された文章[1]です。

確かに禁止論にも一理あるのですが、非常に便利な言葉ですし、分析の新人が聞いて理解できるほうが良いだろうと考え、2016年執筆の入門書[2]ではコラムとして「マス」を紹介しました。
しかし一抹の後ろめたさのようなものを抱いてきたのも事実です。

ところが昨年の記事(5/276/18)でも引用させていただいた津越さんが、非常に興味深い意見を日本分析化学会の機関誌に書かれました[3]。

日本質量分析学会用語集では,MSをマスと読まないようにとしているが,mass spectrometryの略がMSであるように,日本語でのペクトロメトリーの略であるから,マスは真っ当な略語である。

「マス」の語に市民権を与えようと主張されているのです!
この心意気に私は大いに共感しました。ご本人に確認したところ、この説は津越さんのオリジナルで今回が初出だそうです。

感動のあまり、このブログで紹介すると共に、私の意見も付け加えたいと思います。

率直なところ、日本語の略語の作られ方としてマとスの組み合わせでマスになるかといえば、ちょっと無理があるような気がします。

ナス型コルベン → ナスコル
メスフラスコ → メスフラ
パーソナルコンピュータ → パソコン

のように2音節を組み合わせて4音節にする略語が典型的であり、1音節を組み合わせた略語はかなり特殊ではないでしょうか。

一方で、日本語では頭文字の組み合わせでなく冒頭部分を抜き出す略語も一般的です。

スーパーマーケット → スーパー
携帯電話 → 携帯
コンビニエンスストア → コンビニ
リハビリテーション → リハビリ

ですから、「マス」は「マススペクトロメトリー」の冒頭を抜き出した語と考えるほうが自然な気がします。
分析化学に関連する語でも、あくまで口語ですが、

ラマン分光分析(装置) → ラマン
赤外分光分析(装置) → 赤外
エバポレーター → エバポ

といった使い方がされています。
どの程度公式な場面まで認められるかは議論の余地があるでしょうが、少なくとも日常語として「マス」を使うことに支障は無いのではないでしょうか。

津越さんの一文に大きな勇気をもらいました。さて、今日もガスマスを使って仕事してきます。

2018/1/12 追記
MSをマスと読まないとの記述が日本質量分析学会用語集のどこにあるか探しましたが、第3版のウェブ版[4]、冊子版[5]とも見つけられませんでした。第2版以前の記述かもしれません。

[1]吉野健一 "目から鱗のマススペクトロメトリー 第10回 「マス」と「MS」? 「マス」って何ですか??", Journal of the Mass Spectrometry Society of Japan, 55(4), 298-309 (2007).
https://www.jstage.jst.go.jp/article/massspec/55/4/55_4_298/_article/-char/ja/
[2]津村ゆかり "図解入門 よくわかる最新分析化学の基本と仕組み 第2版", 秀和システム (2016).
[3]津越敬寿 "入門講座 分析機器の正しい使い方 熱分析", ぶんせき, 2017(12), 568-574 (2017).
http://www.jsac.or.jp/bunseki/pdf/bunseki2017/201712nyuumon.pdf
[4]日本質量分析学会 "マススペクトロメトリー関係用語集第3版(WWW版)"
http://www.mssj.jp/publications/books/glossary_01.html
[5]日本質量分析学会 "マススペクトロメトリー関係用語集(第3版)", 日本質量分析学会 (2009)

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2017.10.09

もし「元素学校」があったら

Ice_skate_man

冬季オリンピックをひかえてフィギュアスケートのニュースが増えてきました。来月開催されるNHK杯に向けて羽生結弦選手のコメントが放映されていました。
「一つ一つのエレメンツを丁寧にやりながら優勝をめざしてがんばって行きます」

ここで"elements"の語にピクッとしてしまった化学系の人もいるのではないでしょうか?私だけでしょうか・・・

日本語では「元素」といえば元素という意味だけですが、英語のelementには様々な意味があって日常的に使われています。要素、成分、構成部分といった意味です。形容詞形で"elementary school"といえば「小学校」です。

もし化学英語だけを勉強した人が"elementary school"と聞いたら「元素学校」のことだと思うのだろうか?どんな学校だろう?国語とか算数とかでなく、ハロゲンとかアルカリ土類とかが科目だったりして・・・?
などと妄想しました。

西洋の科学知識が大量に導入された時代に「元素」という訳語も作られたのでしょう。明確に「元素」を意味する言葉を持っている私たちは幸運だな・・・と思い、でももしかしたら「元素」だけを意味する英単語があるかも?と考えてWikipediaの 元素 を開きました。この英語版は Chemical element です。なるほど。単語ではなく"chemical element"で「元素」のみを表すのですね。

羽生選手の一言から広がった知識でした。

余談ですが日本語版のWikipediaの 元素 の中で、「元素」の語の使い方に混同や説明不足がある例として某シリーズの元素本が挙げられています。私は同じシリーズから分析化学本を出版しているのでドキッとしました。本を出すというのは勇気がいるものです。

フィギュアスケートのイラストはフリー素材の いらすとや より。

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2017.09.02

「elements~メンデレーエフの奇妙な棚~」のマンガ化

科学技術振興機構の動画サイト サイエンス チャンネル に、実写動画 elements~メンデレーエフの奇妙な棚 があります。
古い動画ですが何とも言えない味わいがあって引き込まれます。このブログでも9年前に紹介しました(紹介記事)。

今年の3月にこの動画のマンガ版が刊行されました。

「元素に恋して マンガで出会う不思議なelementsの世界」
千代田ラフト[原作]、若林文高[監修]、きたがわかよこ[漫画]
創元社
Elements

原作の動画が素晴らしく良いので、果たしてマンガで再現できるのかなと思いました。書店で立ち読みしましたが、あの骨董品店の薄暗さがない白っぽい紙面で、ちょっと買う気が起こりませんでした。
図書館で予約したら3か月でやっと順番が回ってきました。
通読したら、立ち読みした時より少し印象が改善しました。

原作は骨董品店の主人(中高年男性?)が声だけで出演します。そこになんとも言えずミステリアスな雰囲気があります。主人の顔はメンデレーエフに似ているのかも・・・と想像します。

でもマンガでは主人が顔出しで登場。面長でカイゼルひげ、チェックのスーツに山高帽というスタイル。メンデレーエフには似ていません。

プロットはほぼ原作と同じようです。主人が女子高生に元素のすごさをわかりやすく面白く解説。女子高生との愉快なかけあいも原作の雰囲気が出ています。
原作はとてもミステリアスなのですが、マンガでは毎回いつの間にか主人が消えるという設定によってミステリアスさを出しています。

収録されているのは全9話。
第1話は周期表について、第2話は錬金術について。
第3話以降は個別の元素で、取り上げられているのは酸素、金、窒素、アルミニウム、水素、炭素、銀。

マンガをきっかけに久しぶりに動画を見返しました。やはり味わいがあります。最近の技術水準と比べたら画像の質はボロボロと言っていいですが、表現方法が巧みです。

冒頭で挙げた記事で書いた私のおすすめベスト3は、
1 (7)遅れてきた怠け者~希ガス~
2 (17)あやかしの元素たち~ランタノイド~
3 (18)金属の王~鉄~ または (6)永遠の元素~金~ (甲乙つけがたい。)
です。

それから動画のオープニングのナレーションがまたミステリアスなのです。本館サイトの「ふとした言葉」でも一部を引用しましたが(アーカイブ)、マンガ版の扉には全文が掲載されています。これが一番うれしかったりします。以下に引用しておきます。

昔、ある男が奇妙な棚を作り、予言をした。
私はこの棚に「世界のもと」を並べた。
そして棚には空きを残そう。
やがて棚の全てが「世界のもと」で埋まる日が来る。
男は、この世界の姿を解き明かす者。
すなわち、化学をなりわいとする者だった。
男の予言どおり、棚には世界のもとが放り込まれていった。
この棚には、世界の全てがある。
この棚の全てを知れば、
世界の全てを手に入れることが出来る……かもしれない。

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2017.07.17

マニアックな元素本「元素をめぐる美と驚き」

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文庫版の「元素をめぐる美と驚き──アステカの黄金からゴッホの絵具まで」(ヒュー・オールダシー=ウィリアムズ著、安部恵子ら訳、早川書房)を読みました。

実は2012年刊行の単行本も読んでいましたが、最後までしっかり読む気になれず後半は斜め読みでした。
今年4月に文庫版が出て、上下巻に分かれているため電車の中などでも読むことができ、きちんと読み終わりました。

化学、特に元素の読みものが好きな方のために、どんな本か紹介します。

まず、初心者向けではありません。既にかなり元素に対する思い入れを持っている人向けだと思います。
その上、本当に楽しむためにはかなり欧米、特にヨーロッパの芸術や文学や歴史に関する予備知識が必要です。

著者は1959年ロンドン生まれのジャーナリスト。学生時代から元素の実物を集めることを趣味とし、芸術や文学や日用品がいかに元素と関わっているかを探求し、元素発見にちなむ各地へ旅をします。

絵画、銅像、彫刻、建築物、ドラマ、映画、詩、小説、果ては化粧に至るまで、元素がどのように活躍しているか述べられます。さらに、元素の命名に神話が使われていることなども。文化と化学を結びつけた膨大なエッセイ集になっています。

Amazonの宣伝文句には「古今東西の逸話を満載した科学ノンフィクション」とありますが、「古今」はあるものの「東西」はどうでしょう。ほぼヨーロッパです。著者が言うには、自然界にある元素のほとんどはヨーロッパで発見されたそうなので仕方ないかもしれませんが。ヨーロッパの文化の素養が無い私にとっては、興味を持続させながら読むのは骨が折れました。

そういうわけで、あまり元素マニアでない方には、まず「スプーンと元素周期表」をお勧めします。元素の面白さがストレートに来ます。このブログでも紹介を書きました(読み応えのある元素本「スプーンと元素周期表」)。これも文庫版が出ています。

が、しかし、「元素をめぐる美と驚き」の元素への思い入れには学びたいと思います。「私たちは元素との必然的な関わりを大事にし、楽しむべきだ」がこの本のメインテーマです。

「へぇ~」と思った内容を箇条書きにしてみます。

  • 炭素が経済の中心に余裕で居座っていられるのは、燃やすとあとかたもなく消え失せる唯一の固体燃料だから

  • メンデレーエフが最初に発表した周期表には、リスク分散のためにさまざまなレイアウトが含められていた。最終形に収まったのは何十年もあとのこと。

  • ジョゼフ・ライトが描いた「リンの発見」の絵。暗い部屋の中でフラスコの中のリンが輝いて神秘的。(参考リンク:3分でわかるジョセフ・ライト

  • アルゼンチンは元素にちなんで名づけられた唯一の国(銀を意味するラテン語argentumから)

  • 硫化カドミウム顔料には青色を除いた虹のほぼすべての色があり、この発見によってゴッホの時代の画家たちは、様々な色を突然使えるようになった。

  • スウェーデンの化学者が使った携帯型の道具「吹管」。分光器に取って代わられるまで使われた。鉱物を熱し、変化する炎の色から金属元素、蒸気の臭いから硫黄などの非金属、音から水の存在などがわかる。

一番印象に残ったのは、最終章、著者がスウェーデンの島にあるイッテルビー鉱山へ旅した話です。この鉱山はイットリウムの語源で、さらに他の6つの元素の発見につながった鉱物の産地です。歴史的な場所であるにもかかわらず今ではひっそりとしていることがうかがえました。
著者が誰もいない道を分け入って小さな鉱山跡にたどり着き、夢中で鉱物のかけらを拾い集める様子は、元素の発見をたどるようでワクワクしました。

冒頭に掲げたのはウィキメディア・コモンズで提供されているイッテルビー鉱山の写真です。

File:Ytterby gruva 2769.jpg
Description
Deutsch: Die Grube Ytterby auf der Insel Resarö in der schwedischen Gemeinde Vaxholm
Svenska: Ytterby gruva på Resarö
Sevärd.svg
Date May 2004
Author Svens Welt

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«麦ごはんに変えた理由