匿名・実名

2009.10.15

「匿名のかたへの批判・反論はしません」宣言が役に立った例

このところネットでの匿名・実名論争がまた盛り上がっているらしい。きっかけはどうも「勝間和代のクロストーク」で「ネット上でも実名で表現を」(2009年10月04日)の提起があったかららしい。

それで私の 匿名のかたへの批判・反論はしません がスラッシュドット・ジャパンの ネットでも実名を使うべきか? のコメントからリンクされ、にわかにアクセスが増えた。

これだけなら新しい記事を立てるほどでないのだけど、思い出したことがある。
私は「匿名のかたへの批判・反論はしません」と書いたとき、現実に匿名の人から批判されたり批判したりする状況にあったわけではない。先回りしてこんな宣言をしたのは、要するに、匿名の人と議論をしていて途中から「アンタは匿名だから」という理由で態度を変えたりしてはいけないでしょ?ということだ。

世の中なにが起こるかわからないもので、大勢の(というほどでもないが)匿名の人がこのブログに批判コメントを付ける事態がその後実際に起こった。「ニセ科学」関連・本当の最終記事 に対してだ。このとき、私は「匿名のかたへの批判・反論はしません」宣言をしておいて良かったと心から思った。明らかに実名でない書き込みに対しては反論しないことによって、かなり負担を軽くできた。

もしこのとき「実名の人にだけ答えます」などと言い始めたら、本題とは違うところでひとしきりもめた可能性が大いにある。
(なお、apjさんは天羽優子さんの別名として広く知られているので実名と考えた。)

こういうこともあるので、実名ブロガーは「匿名による批判へのポリシー」を示しておいてはどうか の提案をもう一度くり返しておこう。これはニセ科学論争の一年半前のもので、天羽さんがトラックバックしてくれていた。(そういえばポリシーを示してなかったな [事象の地平線::---Event Horizon---])
ただ、元のブログが移転したので残念ながらトラックバック先はもう読めない。

それから、「ニセ科学」関連・本当の最終記事 の中で

これでニセ科学の話は終わるという意味ではなく、菊池さん・柘植さんからの書き込みをこれからもずっとお待ちします。
と書いたことを忘れてコメント受付を停止していました。どうもすみません。復活させました。
本への質問が多くて対応できないのではと考えての措置でしたが、大丈夫そうなので、他の記事のコメント欄も徐々に復活させていく予定です。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.03.02

「だから匿名ブログは」にもう釣られない

 今さら感が強く漂う匿名vs実名ネタ。それでも、ちょっとメジャーな実名ブロガーが「匿名ブログなど無価値」「批判するなら本名を名乗れ」とやれば、今でも30や40はコメントが付くらしい。(実例多数を 前記事 からリンク。)

 このパターンには辟易していて、口をはさむ気には全然ならない。ほぼ99%平行線をたどるのが最初から見えている。

 そういうわけで、新しい切り口が見つからない限り、もう匿名vs実名ネタを書くのはやめようと思う。
 最後に、前記事で紹介した「匿名者は石ころ」ポリシーの 三中信宏さん(自作HTML、掲示板なし、コメント欄なし、トラックバック先なしの日録を続けておられる)の 2006年3月1日付け から、そっくり引用。

“三中ポリシー”とは「匿名者は石ころと同じ」という見解です(→参照:日録2004年4月15日).「石ころ」が路傍にたくさん転がっているからといって,目くじらたてて怒る人はいないでしょう.ひょっとしたらすごく役に立つ「石ころ」があって,感謝の念を抱くことさえあるかもしれません.逆に,蹴つまずいたり,飛んできたりして害を及ぼす「石ころ」には,腹を立てることだってあるでしょう.でも,そういう感謝や文句を「石ころ」に言ったところでしかたがないとぼくは思います.「ひと」と「石ころ」の間にはもともと越えがたいギャップがあるのだから,「石ころ」相手に対話をしようとか議論をしようなどということを考えること自体,ぼくにはアンビリーバブルなのです.「匿名者」とはしょせんそういう存在にすぎないということです.誤解してほしくないのは,ぼくは匿名者とか匿名掲示板あるいは匿名ブログの存在を否定しようと考えているわけではないということです.それらは存在していてもまったく問題ないんじゃないですか.どうせぼくには関係ないんだし.

(三中さんも 本録 はブログでやっておられるそうなので、BlogPeople のリストに入れさせていただきました。)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.02.27

実名ブロガーは「匿名による批判へのポリシー」を示しておいてはどうか

 根強く続く匿名vs実名論争。時を経るごとに議論が深まっている部分もあるが、むなしく繰り返される対立の構図もある。むなしい部分を減らすための、シンプルな提案。

議論になりそうな内容を書く実名ブロガーは、目立つところに「匿名で行われる批判に対するポリシー」を示しておいてはどうか。

 設定するポリシーの類型は、主に3通りある。

1.黒木ポリシー
 実名を名乗っていない人であっても、固定的な仮名を名乗り、まとまったネット上の人格を表現している場合は、公開している情報量に応じて、実名の人や他の固定的な仮名の人を批判できる。「黒木ルール」として有名。(「匿名」による批判の禁止ルールについて

2.津村ポリシー
 実名を名乗っていない人を批判しない。実名を名乗っていない人から批判されても反論しない。(匿名のかたへの批判・反論はしません

3.三中ポリシー
 実名を名乗っていない者は石ころと同じ。〈石〉がそこにあっても、あるいは〈石〉が何かものを言っていても知ったことではない。(三中信宏さんの日録 2004年4月15日付

 ネットでのコミュニケーション経験が少ない実名ブロガーへの注意。大多数の匿名ブロガーのデフォルト設定は黒木ポリシーに沿っている。「匿名のくせに実名の自分を批判するのはけしからん」と主張しても、多くの場合、黒木ルールを盾に退けられる。それから、「非実名=匿名ではない」と考える非実名ブロガーが多い。黒木ルールでは、匿名とは「名無しさん」や「通りすがり」であり、内容のあるブログを開設している人は実名を明かさなくても匿名でない。だから、「匿名」という言葉の意味をめぐって混乱する場合がしばしばある。

 匿名vs実名論争で繰り返されるお決まりパターンには、次のようなものがある。
・実名側が「匿名発言は価値が低い」「匿名での発言はマナーの悪いものが多い」と一律に論じる。
・実名側が「批判するなら実名を名乗れ」と要求する。
・実名側が、相手が匿名であるからという理由で礼を尽くさない対応をする。
・実名側が自分の社会的立場や実績を誇示して優位に立とうとする。(実名の側はそこそこ有名人であったり著作物があったりすることが多いのに対し、匿名の側は容易に自分の存在証明をできないことが多い。)
2006/3/18 補足 実名側が社会的立場や実績を誇示するというより、匿名側が先取りして「俺が名乗っても実名かどうかわかならいだろ」と居直るパターンが多い。)

 実名の人に対して思う。こういうことは見苦しいし不毛だからやめるほうがよい。相手が匿名であっても、いったん議論を始めたなら尊重して、議論の内容だけで勝負すべきだと思う。
 非実名の人に対して思う。上記のような態度になる人に遭遇したら、「匿名批判へのポリシー」を示すように要求してはどうか。そのまま議論を続けても不愉快でしょう。実名以外ダメと言われれば、もう関わらなければよい。「匿名者の発言を批判するけれど、自分が匿名者によって批判されたり反論されたりするのは許さない、あるいは匿名者というだけで軽んじる」という条件ではアンフェアすぎる。

 ポリシーは、議論が白熱してから小出しにするよりは、あらかじめ提示して常に一貫させておくのがいいと思う。議論の内容や形勢によってポリシーが変わるようでは、誠実な態度と思えない。

 「匿名批判へのポリシー」の大筋の枠組みは上に挙げた3つになると思うが、規制の強さは運用しだいでけっこう多様になる。黒木ルールで行く場合、「どの程度自分について公開すれば『匿名』でなくなるか」を判断しなければならない。黒木さんは「恥をかけるだけ十分に詳しく」と述べている。最終的にはサイト主の判断による。
 津村ルール、三中ルールの場合は、「どうやって実名であることを確認するか」によって厳密さの違いが生じる。それぞれオリジナルは、三中さんの場合「所属を名乗ること」、私の場合、必ずしも所属を名乗らなくてもよい別法をあれこれ想定している。(匿名と実名を判別する基準 Ver.1

 以下、ここ一年ほどの間に「匿名vs実名」論議でにぎわったサイトのポリシーを示す記事を分類・列挙しておく。「三中流ポリシーを標榜しながら匿名の人(たち)を批判したり反論したりしたサイト」が台風の目になったケースが圧倒的。

黒木ポリシーに近いもの

 「匿名批判の禁止」黒木ルールメモ(ARTIFACT@ハテナ系 2005/12/28)
 人気サイト ARTIFACT 人工事実 のオーナー加野瀬未友さんの立場。
「このルール、基本的に、自分も同感なんだけど、ブログが普及して、ネット上の人格のリセットのコストが下がっているから、厳格な適用が難しい気はする。」
 私のポリシーの中からも部分的に引用されている。

 YomiuriWeeklyの波紋(小倉秀夫の「IT法のTop Front」 2005/4/23)
 ITに関わる法律問題に強い弁護士さん。「発信者の匿名性を制約する方向でシステムを改革していくことが、blog等での発言の自由を守るために必要だといえると思います。」と書かれているから、一見すると実名主義。しかし別のブログでは非実名の人への真剣な反論もしている。たとえば Which is Childish? (Annex de BENLI 2005/12/31)。これは上記の加野瀬さんのブログへのコメントから発生した議論。

 400万円の損害賠償をどう考えるべきか?(週刊!木村剛 2005/10/12)
 モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために 以来、ネットでの匿名について繰り返し取り上げている木村さん。これが一番最近の匿名関連エントリー。実名か非実名かはほとんど問わず、発言姿勢を重視する立場で一貫している。

 今後は更新しません(今井紀明の日常と考え事 2006/2/16)
 今井紀明さんら3名は2年前にイランで人質になった。そのとき、今井さんの自宅には多数の匿名の手紙が寄せられた。今井さんは最近それらの手紙をブログ(向き合いの中から生まれるもの、それは対話 )で公開した。
 これに対して匿名コメントが殺到したようだが、今井さんは基本的に携帯電話で対話する方針のようだ。「批判をされる方はそちらもリスクを背負っていただきたいです」とある。実名を要求してはいないが、ある程度「顔」が見える手段で対話するという姿勢。

 読売新聞「ヒゲ記者」事件で考える匿名と実名の功罪(すちゃらかな日常 松岡美樹 2005/5/16)
 主張内容は黒木ルールとほぼ一致。

津村ポリシーに近いもの

 匿名批判と質問についてのわたくしの考え(柳田充弘の休憩時間2005/4/14)
「もちろんわたくしは、そのような匿名批判に対応をする気はありません。ただ、そのようなコメントが反論もなく、コメント欄に放置されてるのを見てると、不愉快になることは正直あります。消すのはわたくしの感性では、マナー違反になりますので。」
 消すのは抵抗があるが放置も不愉快・・・この感覚は、非常によく理解できる。私の場合、放置の理由「匿名批判には反論しない」を明示しておくという解決策を取っている。

三中ポリシーに近いもの

 フェミニズム 方法論的思考と読解力の欠如 (「牧波」への反論 )(林道義のホームページ H18/1/7)
「仮名での批判は卑怯な精神を肯定し育てるという意味でも、禁止にすべきである。」としながらも、非実名の人のブログ記事に対して「この者の論は、本書で私が指摘したフェミニストの三大欠陥を典型的に示していて、格好の教材になるので、ここで取り上げてみようと思う。」と反論を展開。

 ブログ、実名か虚名か?(ドクター苫米地ブログ 2005/5/10)
 脳機能学者 苫米地英人さんのブログ。タイトルどおりの内容。「実名でブログを公開する勇気のない人は、ただの臆病者か、無責任な人間だと思う」と言い切った。この後、匿名ブログはやめてしまえそれでも、匿名ブログはやめてしまえ実名の意味が分からない子供たちへ と続いたから、反響は大きかったようだ。

 匿名でないと発言できないのは何故か(西正が贈るメディア情報 2006/2/1)
「匿名で日記を書いて、知らない他人に読んでもらいたいという気持ちは全く理解できない。何の意味があるかすら分からない。」

非実名・固定ハンドルネームの人が示しているポリシー
 固定ハンドルの人たちのデフォルトは、先に述べたとおりほぼ黒木ルールと考えてよいが、より詳しく条件設定して、固定(らしき)ハンドルネームの「質」を見極めようとするサイトもけっこうある。

 匿名であること、実名であること。(304 Not Modified 2005/5/17)
 「メルアドまたはサイトアドレスがない人の批判には答えなくても良いと思います」
 5年考えて解けなかった問題いち早く正解 を寄せてくれたまなめさんの立場。

ポリシーよりもブログの内容に着目
 炎上せずに実名ブログをやる3つの方法(元祖しゃちょう日記 2005/10/7)
 2ちゃんねるの管理人ひろゆきさんのブログ。「炎上するようなことを書かない」「炎上しても実生活で困らない」「つまらないので誰も読まないから炎上しない」のどれかに当てはまれば実名ブログを続けられるそうだ。

 (雑感)研究人がネットで実名を名乗るとき(江戸時代研究の休み時間 2005/1/7)
 歴史研究人 高尾善希さんのブログ。「実名か匿名かというよりも、書く内容による」というネット玄人の意見を引用。他人の実名・匿名にどう対応するかについては触れていない。

| | Comments (17) | TrackBack (3)

2004.07.17

不気味な匿名よりタチの悪いニセ実名

 オフラインでこちらを知っているという人から匿名でコンタクトされると気味が悪い。そんな体験を ただの匿名よりずっと不気味な匿名 で書いた。
 この事件の裏では、実在の団体の一員と称する実名っぽい名前の男がメールで匿名のAさんを脅していたことが明らかになった。身分詐称だから、その気になれば違法行為として告発することもできたのではないか。
 ここまで悪質なことをする人はまれだろうけど、ハンドルネームを使っている人たちに、私はひそかな要望を持っている。ニセ実名はやめてほしい。実名っぽいハンドルネームを名乗るなら、プロフィール欄などで、実名でないことを書いておいてほしい。
 ハンドルネームを名乗る人には、実名を名乗りたくない理由がある。そういう事情を自ら抱える人なら、ただの平凡な人が実名を名乗るのにどれだけ覚悟と勇気が必要かわかるでしょう。ニセ実名が増えると、そういう精一杯の覚悟が報われにくくなる。
 まあ、私の言うことに強制力はありませんけど。それに、実名っぽいハンドルの人の大部分は、私が書くまでもなく、実名でないことを自ら明らかにしておられます。

 前の記事に 山本洋三さんからコメント をいただきました。
 実在の団体や実名らしきものを名乗るところまで行かなくても、リアル社会をネットに持ち込んで偉そうにする人は掲示板でよく見かけるとか。私も何回も見てきました。自分がそういうことをしてしまうのがイヤというのも実名を名乗る理由の一つです。(私がネットで実名を名乗る理由1 の最後のほう。)
 酔うぞさんいわく

匿名はシリアスな論議にはリスクが高い、というのがわたしの結論です。

 これはわかります。ネットにはまっていない普通の人の感覚では、「どうせ匿名でやっている遊びなのに、リスクってなんやねん。大げさな」でしょう。でも、匿名だからこそ、ネットの世界に深く入り込んで自分の能力や時間を相当つぎ込んでしまう、その膨大な努力が軽視されるのは耐えられない、そういう感覚を、私も持ったことがあります。(ハンドルネーム時代に。)実名では世間体というものがあるので、かえってそんなに深く入り込んだり感情的になることを抑制しています。

 話がそれました。ニセ実名はやめてほしい。これがこの記事の主題です。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2004.07.15

ただの匿名よりずっと不気味な匿名

 ネットの暗がりに魔物を見たような気がした。そんな怖い体験を書いておく。私の15年ほどのネット歴の中で、あれほどゾッとしたことはない。

 私がネットで実名を名乗る理由2 で書いた事件の裏側で起こっていたことだ。読みに行ってもらう必要はありません。以下の文章だけで全貌がわかるよう、かいつまんで書きます。
 この一件は、私が所属していたある専門家団体でのできごと。会員Bさん(女性)が、ある医薬品に深刻な害があるという内容の小論を書き、団体がホームページで掲載した。その小論を問題視した匿名の女性Aさん(個人ページの開設者)が、団体の掲示板に、討論を申し入れる書き込みをしてきた。団体はメーリングリスト内で激しい議論をした末、掲示板を閉鎖し、「時間が経過した文章は削除する」という方針を急に作ってBさんの小論も削除した。結局、団体からAさんへの公式な回答は最後までなかった。Aさんが匿名だからという理由だった。

 発端から終息まで約1ヶ月半もかかったこの一件の間、団体のホームページ管理者がAさんにメールで応対した。その中でAさんは、団体の意思決定をする会議(オフライン)で話し合われた内容を知っていることをほのめかした。
 このことが、団体内でのAさんへの印象を決定的に悪くした。
 ただの見ず知らずの匿名と、オフラインでこちらを見ることができる立場の匿名とでは、まったく意味が違う。団体の会議は役員10名程度で構成されていて、そこでの内容がわかるということは、10名のうち誰かと直接、または家族や同僚を介して知り合いである、ということを意味する。そんな近いところにいる相手が、まったく名乗らずにメールをよこしてくる、これは非常に不気味なことだ。こちらからは相手の姿が見えないのに、どこからか見張られているような気分。

 リアル社会で近い場所(物理的な距離だけでなく人間関係も含む)にいる相手にネットで接触するとき、匿名はものすごい圧迫感を与える。こういう匿名はただの匿名ではない。何倍も不気味な匿名だ。

 これは憶えておくほうがよい。(圧迫感を与える目的で利用する人がいませんように・・・)

 ところでさて、ここで終わってしまったら普通のマナー論だ。怖いのはここから。

 私は団体のMLで発言する一方、Aさんへの個人的なメールも実名で書いた。団体が最初から「匿名の人と対話しない」方針だったらすっきりしたのだが、当初は団体側も討論を受けて立つ姿勢を示していたのだ。それなのに、Bさんの小論は団体として擁護できる内容でないことがだんだんわかるにつれて、「匿名」が問題視されていった。これはダブルスタンダードだ、と私には思えた。
 私はAさんの主張の正当性を評価し、団体の対応は不誠実だと思うと伝えるとともに、「オフラインでこちらを知っているようなことを書いたらマナー違反だ」という苦言をメールした。

 Aさん(メールでも匿名)からの返事には、奇怪で驚くことが書いてあった。
 団体掲示板へのAさんの書き込みは長らく放置されていて、管理者が気づいて対応が始まるまでに2週間以上かかっていた。その間に、Nと名乗る男性らしき人物からメールが来たという。
 メールは「忠告」というタイトルだった。Nはありふれた姓で、「団体関係者」を自称していた。NからAさんへ何度も届いたメールには、
・団体の力は大きく、提供している情報は確実な資料的裏付けを持っている。
・あなたのホームページの内容には問題がある。被害が出たらどのような責任をとるのか?
・名誉毀損で告発されることになる。
といったことが書き連ねられ、団体の力を誇示するとともにAさんを脅す内容だったらしい。

 Nという名は、団体の名簿にはないものだった。その他いろいろな状況から、Nは団体とは関係のない人物で、団体の一員を名乗ってAさんを陰で刺激していたという事実が浮かんできた。それだけではない。Nがハッタリで書いたらしきことが、たまたま団体の会議で話し合われた内容と符合する部分があったために、Aさんが団体へのメールで言及し、Aさんが会議の内容を知っていると誤解された。つまり、Nは、Aさんを「ただの匿名」から「不気味な匿名」へと変身させた。

 Aさんは、Nが本当に団体の会員だと固く信じていて、私が否定してもなかなか納得してくれなかった。しかし、各メールの日付けを丹念に照合したり推理する作業の結果、最後にはNが会員でないことを信じてくれたようだった。

 Nが誰だったのか?それは謎のままだ。
 推測できるのは、Aさんまたは団体に対して悪意を持つ人物であるということ。医薬品に関する知識を持っていたし執拗だったから、面白半分のいたずらでなく、おそらく標的はAさんのほうだったと思われる。(Aさんのホームページは影響力が大きく、敵も多いとのことだった。)だとすれば、Nは頻繁にAさんのハンドルネームや関係キーワードで検索してネット上での追跡を行っていたと推定される。
 ・・・と想像するだけでゾッとした。ネットの世界には、こんな悪意が入り込めるすき間があるらしい。

 この一件で私が得た別の教訓。
 ちゃんと管理できない掲示板は開かないほうがよい。
 文字列だけで対話する難しさ。何か重大な事実が隠されていないか?

 今ごろこの話を思い出して書く気になったのは、竹中明夫さんの 様子(7/13付け) を読んだからです。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

2004.06.27

実名公開・性別非公開

 私の性別は非公開。ネットで実名を名乗るための危機管理 で書いたとおり。
 でも、「津村ゆかり」と名乗って性別を非公開にしてもねえ・・・とあきれる人がいそうだなと思っていた。ところが、Narnian Cat@Doblog さんからのトラックバック記事 匿名と顕名:ネット上での危機管理:どこまで見せる?^-^? で、けっこう好意的に見てもらった感じなので(私の勝手な解釈かも)、気をよくして、もう少し書いてみる。

 悪意の人が誰かにネット上で嫌がらせしたい時、最もシンプルで手間のかからない(鋭い観察も個人情報入手もなしでできる)方法は、相手に対してやたら汚いイメージや劣ったイメージの言葉を浴びせることだ。(直接よりも、匿名掲示板利用が多い。)そんなことをする人たちを時々見かけてきたが、まあ7割がたはセクシャルハラスメント系の言葉が使われる、と私は思う。
 女性に対しては、第一に容姿、それから年齢、身体的なことや男性関係を連想させる言葉など。男性に対しては、女性関係の乏しさを連想させる言葉が一番で、あとは身体的なことや、社会的ステータスに関わることなど。
 何を書かれようと明らかにデタラメなんだから、別に気にする必要はない。でも、書かれたらやっぱり気分が悪いだろう。セクハラ系悪口は男性向けと女性向けがハッキリしており、対象者の性別が間違っていたらと想像が働くだけで、どぎつい言葉がユーモラスに変身してしまう。性別があいまいな相手には効果がない。

 それから、私がウェブで語りたいのは、自分の専門分野のことと、語るための方法論のみだから、性別を公開する意味はないし、むしろ公開しないほうが気楽だ。
 ネット上で起こる激論のパターンの一つとして、「双方の立場の違い」がある。感情的にもつれるような「立場の違い」には、性別がからむ場合が多い。職場での男女のあり方とか、未婚・既婚とか、妻が働いているか専業主婦かとか、子供の有無とか、家族的責任を果たしているかとか。
 性別を公開していない私は、そういう議論に加わることはないと意志表示しているとも言える。これまでもこれからも、男女どちらかの立場から書くことは多分ない。これは風変わりな態度のように見えるかもしれないけれど、やってみるととても自由な気持ちになれる。(ただし、多くの人に読まれたいなら、こんな態度でないほうがいいと思う。)

 オフラインで知り合いの 瀬戸秀紀さん瀬戸智子さん、こういうわけで私の性別は非公開ですからよろしく。智子さんの シャロット姫からノーラまで にトラックバックしておきます。ジェンダーの話に興味がある方は、智子さんの枕草子へどうぞ。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

2004.06.23

「表現の匿名性」と「消費生活の匿名性」

 このblogでは「アクセス解析」と「匿名・実名」の話題をかなりしつこく書いてきた。私は「アクセス解析」に関しては、個人の閲覧履歴が把握されるのはなんとなくイヤ、匿名性を確保したいという立場。一方、ネットでの発言における「匿名・実名」に関しては、匿名発言の自由も尊重されるべきだけど、個人的には実名での発言のほうをより評価(信頼)するという立場。

 このように「匿名性」に対する姿勢が逆方向になっているが、別に矛盾も感じずに、それぞれ話を進めてきた。
 昨日付けで掲載された高木浩光さんの日記 「消費生活の匿名性」論議を人質にして「表現の匿名性」を求める市民運動は「市民のため」か? を読んで、あ、そういうことかと思った。
 「アクセス解析」で私が求めてきた匿名性は、「消費生活の匿名性」だったらしい。生活の一部として何気なく行っているページ閲覧という行為を、他人に把握されたくない。
 一方、ネット発言の「匿名・実名」は「表現の匿名性」の問題。内容によっては他人に被害や不快感を与えるかもしれないネット発言に、無制限な匿名の自由を与えるべきかという問題。
 この両者で、匿名性を求める、あるいは許容するレベルを区別しようと考えるのは、しごく当然なことだ。
 私は無意識のうちに区別していたけど(多くの人がそうしていると思う)、高木さんは上記の日記で、この二つをごっちゃにして「匿名性」を要求する意見があることに注意を喚起しておられる。つまり、「消費生活の匿名性」に対して高い水準の匿名性が要求されるのに便乗して、「表現の匿名性」にまで高い水準を要求する、という論法があるそうだ。
 具体的には、著作権を侵害するとして開発者が逮捕されたソフトWinny。これは発信者(Upフォルダに入れてファイルを放流した人)を匿名にする、つまり「表現の匿名性」を確保することを主眼に置いているソフトだが、これを擁護しなければ、近い将来のユビキタス社会(商品にICタグが組み込まれる)における「消費生活の匿名性」まで脅かされてしまう・・・という論法だ。

 高木さんが危惧されるのは、「表現の匿名性」の世評の悪さから、「消費生活の匿名性」まで軽視されてしまうのではないか、ということらしい。それは、もっともな心配だ。私もこれからは意識して区別しよう。

 瀬戸秀紀さんの Winny開発者逮捕 にトラックバックしておきます。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2004.06.22

将来もしかしたら実名を名乗るかもしれないかたへ

 今回の話は、ハンドルネームと実名が結びつくことはないと決意して万全の対策をしている人には関係ない。将来、自分から実名を名乗る、あるいは不本意にも実名が知られてしまうことがあるかもしれないと考える人のための話。

 私自身は、ほんの一年余り前まで、自分がインターネットで実名を名乗るようになるとは考えてもいなかった。ちょっとしたきっかけ から、それまで勤務先のサイトで公開していた内容を個人で公開するようになり、実名を名乗った。
 このとき、あまり抵抗なく実名のサイトにできた理由として、過去にハンドルネームで発信した情報内容に、実名と結びついたら困るものがない、ことが大きい。

 私のネット歴は1988年頃から始まっている。その頃のネットと言えば、個人宅にサーバーを置いて電話回線で結ぶ「草の根ネット」が花盛りで、私は日記を書くように気軽に色々なことを書いていた。しばらくして、@Niftyの前身のニフティサーブのフォーラムでも、よく書くようになった。
 正直言って、あの頃に書いた内容が全部インターネットで検索できる状態だったら、今こうして実名を名乗ることはなかったと思う。

 「ハンドルネームで書いたものをたまたま知人が読んだとしても、自分だとわかる可能性はほぼゼロ」と言い切れる人はどのくらいいるだろうか。また、「自分がネットで発言していることは、家族にも友人にも完全に秘密にしている」「メールでも決して実名を名乗らない」を実践している人はどのくらいいるだろうか。
 何かのきっかけで、悪意を持つ人に、実名とハンドルネームの結びつきを知られてしまうことはないだろうか。そして、そのことをネット上のどこかで暴露されてしまう危険は皆無だろうか。

 インターネットの「検索」という機能は、本当に怖いものだと思う。特に日本語の氏名は他言語の氏名よりも多彩で、同姓同名があまり多くない。
 草の根ネットが消滅し、ニフティのフォーラムがパソコン通信からインターネットベースに移っていったのに応じて、私もネットでの発言は小規模なメーリングリスト等にシフトさせていった。

 今からネットを始める人たちは、草の根ネットからでなく、いきなりインターネットから始めることになるが、それって大丈夫なんだろうかと思ったりもする。
 悪意の人に晒される危険とは逆に、インターネットで思わぬ評価を受けてメジャーになっていく可能性もある。そんな場合も、リアルの自分との結びつきを完全に消しておけるのだろうか。(消すこともできるだろうが、そうすると、せっかくの評価を十全に活用できない残念さがきっと伴う。)
 また、ネット環境だって、今後どのように変化するかわからない。これまでは、最も多数派であるハンドルネームの書き手を排除していたら面白いコミュニティは成立しにくかった。ネット人口の増加とともに、実名限定の面白いコミュニティの数は増えていると思う。つまり、現時点で匿名を選んでいる人も、将来実名を名乗りたくなる可能性がある。

 たとえば、こんな方法も考えられる。ハンドルネームを2つ持って、一つは「将来実名と結びつくかもしれない自分 A」、もう一つは「実名とは決して結びつかない自分 B」を表現するとか。
 こういう場合、私だったらBよりもAのほうがたぶんネット上で評価されると思う。(専門知識をバックに書けるから。)だったら、労力を分割するよりも、Aの自分だけ表現するほうがラクだし、内容を充実させられる。
 Aの自分を表現していると自覚している人は、将来実名を名乗ることになったとしても困らないよう、今から気をつけるほうがいいと思う。(参考:ネットで実名を名乗るための危機管理)一方、Bで行くなら、訴訟にだけはならないよう、また、実名が割れることのないよう、細心の注意を払うということだろうか。

参考リンク
 ハンドルネーム・ペンネーム・本名
 短歌の創作をしておられる木村草弥さん(ネットと実生活で同じペンネーム使用)のblogより。ネットでの創作が評価されて「カミングアウト」する状況になったらどうするか?という話。

 PC通信以下 某所以上 の 匿名性
 上の記事からトラックバックをたどって。「ゲド戦記の世界。まことの名は隠し、本当に信頼できる相手以外にはもらしてはならない・・・似てるなぁ、といつも思ってました。」に共感。私も「ゲド戦記」が好きです。たしかに似ている。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2004.06.04

「小さい」って・・・そういう意味だったんですか

 前の記事でトラックバックした室井佑月さんblogの 匿名の功罪 は、こういう言葉で締めくくられていますが・・・

 本物の変態に遭遇してしまったときとおなじく、
「小さい」
 と小声でつぶやくしかないのか。今のとこ。

 えっ、これって、そういう意味だったんですか。「小さい」・・・(笑) (「心こそ大切なれ」さん)、小さい、と呟くかぁ(笑)(「アホが見ーるーブタのケーツー」さん)を読んで、やっと気が付きました。トラックバックしている皆さんのほとんどは素知らぬ顔っぽい。本当はわかっていて素知らぬ顔?
 私は何かを発見したらつい嬉しくなって書いてしまいますが、これ、発見でも何でもない、普通は瞬間的に笑えるギャグですか。今度からは、ひっそり一人でウケるようにします。真面目すぎるキャラですみません。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2004.06.03

捨てハンドルネームと固定ハンドルネーム

 掲示板への捨てハンドルネームでの書き込みがひどい内容になりがちなのは周知のことで、blogの普及は一つの解決策として期待されている。ほとんど異論をはさむ余地のないこういう話も、時おり話題になって、ブロガーたちの共感が確認されるのは、大事なことだと思う。
 室井佑月さんのblog記事 匿名の功罪 へのトラックバックが静かに増え続けていて、今の時点で45届いている。「見ず知らずの人間のこ汚い部分を見せられた側の立場はどうやって守られるのだろう。まるで覆面した変態のあそこを見せられたような気分だ。」といった直截な表現で、ストレートに共感できる。
 木村剛さんの モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために の視点も重要だが、「訴訟を起こされる危険」が論点なので、多くのネット市民にとって、身に迫って現実的というほどではないだろう。また、「なかなか訴訟を起こせない弱い相手」にネットでの暴力が向いてしまう恐れもある。(でも、ブロガーの心構えとして銘記しておくべきことだと思う。)
 室井さんの記事は短くてスッと読める。色々な場面でリンクして使えそうだ。私もトラックバック。
 このように、プロの書き手の個性ある表現をリアルタイムで味わって自分も少しだけ参加できる、blogという場は面白いと思う。

| | Comments (0) | TrackBack (0)