匿名・実名

2009.10.15

「匿名のかたへの批判・反論はしません」宣言が役に立った例

このところネットでの匿名・実名論争がまた盛り上がっているらしい。きっかけはどうも「勝間和代のクロストーク」で「ネット上でも実名で表現を」(2009年10月04日)の提起があったかららしい。

それで私の 匿名のかたへの批判・反論はしません がスラッシュドット・ジャパンの ネットでも実名を使うべきか? のコメントからリンクされ、にわかにアクセスが増えた。

これだけなら新しい記事を立てるほどでないのだけど、思い出したことがある。
私は「匿名のかたへの批判・反論はしません」と書いたとき、現実に匿名の人から批判されたり批判したりする状況にあったわけではない。先回りしてこんな宣言をしたのは、要するに、匿名の人と議論をしていて途中から「アンタは匿名だから」という理由で態度を変えたりしてはいけないでしょ?ということだ。

世の中なにが起こるかわからないもので、大勢の(というほどでもないが)匿名の人がこのブログに批判コメントを付ける事態がその後実際に起こった。「ニセ科学」関連・本当の最終記事 に対してだ。このとき、私は「匿名のかたへの批判・反論はしません」宣言をしておいて良かったと心から思った。明らかに実名でない書き込みに対しては反論しないことによって、かなり負担を軽くできた。

もしこのとき「実名の人にだけ答えます」などと言い始めたら、本題とは違うところでひとしきりもめた可能性が大いにある。
(なお、apjさんは天羽優子さんの別名として広く知られているので実名と考えた。)

こういうこともあるので、実名ブロガーは「匿名による批判へのポリシー」を示しておいてはどうか の提案をもう一度くり返しておこう。これはニセ科学論争の一年半前のもので、天羽さんがトラックバックしてくれていた。(そういえばポリシーを示してなかったな [事象の地平線::---Event Horizon---])
ただ、元のブログが移転したので残念ながらトラックバック先はもう読めない。

それから、「ニセ科学」関連・本当の最終記事 の中で

これでニセ科学の話は終わるという意味ではなく、菊池さん・柘植さんからの書き込みをこれからもずっとお待ちします。
と書いたことを忘れてコメント受付を停止していました。どうもすみません。復活させました。
本への質問が多くて対応できないのではと考えての措置でしたが、大丈夫そうなので、他の記事のコメント欄も徐々に復活させていく予定です。

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2006.03.02

「だから匿名ブログは」にもう釣られない

 今さら感が強く漂う匿名vs実名ネタ。それでも、ちょっとメジャーな実名ブロガーが「匿名ブログなど無価値」「批判するなら本名を名乗れ」とやれば、今でも30や40はコメントが付くらしい。(実例多数を 前記事 からリンク。)

 このパターンには辟易していて、口をはさむ気には全然ならない。ほぼ99%平行線をたどるのが最初から見えている。

 そういうわけで、新しい切り口が見つからない限り、もう匿名vs実名ネタを書くのはやめようと思う。
 最後に、前記事で紹介した「匿名者は石ころ」ポリシーの 三中信宏さん(自作HTML、掲示板なし、コメント欄なし、トラックバック先なしの日録を続けておられる)の 2006年3月1日付け から、そっくり引用。

“三中ポリシー”とは「匿名者は石ころと同じ」という見解です(→参照:日録2004年4月15日).「石ころ」が路傍にたくさん転がっているからといって,目くじらたてて怒る人はいないでしょう.ひょっとしたらすごく役に立つ「石ころ」があって,感謝の念を抱くことさえあるかもしれません.逆に,蹴つまずいたり,飛んできたりして害を及ぼす「石ころ」には,腹を立てることだってあるでしょう.でも,そういう感謝や文句を「石ころ」に言ったところでしかたがないとぼくは思います.「ひと」と「石ころ」の間にはもともと越えがたいギャップがあるのだから,「石ころ」相手に対話をしようとか議論をしようなどということを考えること自体,ぼくにはアンビリーバブルなのです.「匿名者」とはしょせんそういう存在にすぎないということです.誤解してほしくないのは,ぼくは匿名者とか匿名掲示板あるいは匿名ブログの存在を否定しようと考えているわけではないということです.それらは存在していてもまったく問題ないんじゃないですか.どうせぼくには関係ないんだし.

(三中さんも 本録 はブログでやっておられるそうなので、BlogPeople のリストに入れさせていただきました。)

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2006.02.27

実名ブロガーは「匿名による批判へのポリシー」を示しておいてはどうか

 根強く続く匿名vs実名論争。時を経るごとに議論が深まっている部分もあるが、むなしく繰り返される対立の構図もある。むなしい部分を減らすための、シンプルな提案。

議論になりそうな内容を書く実名ブロガーは、目立つところに「匿名で行われる批判に対するポリシー」を示しておいてはどうか。

 設定するポリシーの類型は、主に3通りある。

1.黒木ポリシー
 実名を名乗っていない人であっても、固定的な仮名を名乗り、まとまったネット上の人格を表現している場合は、公開している情報量に応じて、実名の人や他の固定的な仮名の人を批判できる。「黒木ルール」として有名。(「匿名」による批判の禁止ルールについて

2.津村ポリシー
 実名を名乗っていない人を批判しない。実名を名乗っていない人から批判されても反論しない。(匿名のかたへの批判・反論はしません

3.三中ポリシー
 実名を名乗っていない者は石ころと同じ。〈石〉がそこにあっても、あるいは〈石〉が何かものを言っていても知ったことではない。(三中信宏さんの日録 2004年4月15日付

 ネットでのコミュニケーション経験が少ない実名ブロガーへの注意。大多数の匿名ブロガーのデフォルト設定は黒木ポリシーに沿っている。「匿名のくせに実名の自分を批判するのはけしからん」と主張しても、多くの場合、黒木ルールを盾に退けられる。それから、「非実名=匿名ではない」と考える非実名ブロガーが多い。黒木ルールでは、匿名とは「名無しさん」や「通りすがり」であり、内容のあるブログを開設している人は実名を明かさなくても匿名でない。だから、「匿名」という言葉の意味をめぐって混乱する場合がしばしばある。

 匿名vs実名論争で繰り返されるお決まりパターンには、次のようなものがある。
・実名側が「匿名発言は価値が低い」「匿名での発言はマナーの悪いものが多い」と一律に論じる。
・実名側が「批判するなら実名を名乗れ」と要求する。
・実名側が、相手が匿名であるからという理由で礼を尽くさない対応をする。
・実名側が自分の社会的立場や実績を誇示して優位に立とうとする。(実名の側はそこそこ有名人であったり著作物があったりすることが多いのに対し、匿名の側は容易に自分の存在証明をできないことが多い。)
2006/3/18 補足 実名側が社会的立場や実績を誇示するというより、匿名側が先取りして「俺が名乗っても実名かどうかわかならいだろ」と居直るパターンが多い。)

 実名の人に対して思う。こういうことは見苦しいし不毛だからやめるほうがよい。相手が匿名であっても、いったん議論を始めたなら尊重して、議論の内容だけで勝負すべきだと思う。
 非実名の人に対して思う。上記のような態度になる人に遭遇したら、「匿名批判へのポリシー」を示すように要求してはどうか。そのまま議論を続けても不愉快でしょう。実名以外ダメと言われれば、もう関わらなければよい。「匿名者の発言を批判するけれど、自分が匿名者によって批判されたり反論されたりするのは許さない、あるいは匿名者というだけで軽んじる」という条件ではアンフェアすぎる。

 ポリシーは、議論が白熱してから小出しにするよりは、あらかじめ提示して常に一貫させておくのがいいと思う。議論の内容や形勢によってポリシーが変わるようでは、誠実な態度と思えない。

 「匿名批判へのポリシー」の大筋の枠組みは上に挙げた3つになると思うが、規制の強さは運用しだいでけっこう多様になる。黒木ルールで行く場合、「どの程度自分について公開すれば『匿名』でなくなるか」を判断しなければならない。黒木さんは「恥をかけるだけ十分に詳しく」と述べている。最終的にはサイト主の判断による。
 津村ルール、三中ルールの場合は、「どうやって実名であることを確認するか」によって厳密さの違いが生じる。それぞれオリジナルは、三中さんの場合「所属を名乗ること」、私の場合、必ずしも所属を名乗らなくてもよい別法をあれこれ想定している。(匿名と実名を判別する基準 Ver.1

 以下、ここ一年ほどの間に「匿名vs実名」論議でにぎわったサイトのポリシーを示す記事を分類・列挙しておく。「三中流ポリシーを標榜しながら匿名の人(たち)を批判したり反論したりしたサイト」が台風の目になったケースが圧倒的。

黒木ポリシーに近いもの

 「匿名批判の禁止」黒木ルールメモ(ARTIFACT@ハテナ系 2005/12/28)
 人気サイト ARTIFACT 人工事実 のオーナー加野瀬未友さんの立場。
「このルール、基本的に、自分も同感なんだけど、ブログが普及して、ネット上の人格のリセットのコストが下がっているから、厳格な適用が難しい気はする。」
 私のポリシーの中からも部分的に引用されている。

 YomiuriWeeklyの波紋(小倉秀夫の「IT法のTop Front」 2005/4/23)
 ITに関わる法律問題に強い弁護士さん。「発信者の匿名性を制約する方向でシステムを改革していくことが、blog等での発言の自由を守るために必要だといえると思います。」と書かれているから、一見すると実名主義。しかし別のブログでは非実名の人への真剣な反論もしている。たとえば Which is Childish? (Annex de BENLI 2005/12/31)。これは上記の加野瀬さんのブログへのコメントから発生した議論。

 400万円の損害賠償をどう考えるべきか?(週刊!木村剛 2005/10/12)
 モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために 以来、ネットでの匿名について繰り返し取り上げている木村さん。これが一番最近の匿名関連エントリー。実名か非実名かはほとんど問わず、発言姿勢を重視する立場で一貫している。

 今後は更新しません(今井紀明の日常と考え事 2006/2/16)
 今井紀明さんら3名は2年前にイランで人質になった。そのとき、今井さんの自宅には多数の匿名の手紙が寄せられた。今井さんは最近それらの手紙をブログ(向き合いの中から生まれるもの、それは対話 )で公開した。
 これに対して匿名コメントが殺到したようだが、今井さんは基本的に携帯電話で対話する方針のようだ。「批判をされる方はそちらもリスクを背負っていただきたいです」とある。実名を要求してはいないが、ある程度「顔」が見える手段で対話するという姿勢。

 読売新聞「ヒゲ記者」事件で考える匿名と実名の功罪(すちゃらかな日常 松岡美樹 2005/5/16)
 主張内容は黒木ルールとほぼ一致。

津村ポリシーに近いもの

 匿名批判と質問についてのわたくしの考え(柳田充弘の休憩時間2005/4/14)
「もちろんわたくしは、そのような匿名批判に対応をする気はありません。ただ、そのようなコメントが反論もなく、コメント欄に放置されてるのを見てると、不愉快になることは正直あります。消すのはわたくしの感性では、マナー違反になりますので。」
 消すのは抵抗があるが放置も不愉快・・・この感覚は、非常によく理解できる。私の場合、放置の理由「匿名批判には反論しない」を明示しておくという解決策を取っている。

三中ポリシーに近いもの

 フェミニズム 方法論的思考と読解力の欠如 (「牧波」への反論 )(林道義のホームページ H18/1/7)
「仮名での批判は卑怯な精神を肯定し育てるという意味でも、禁止にすべきである。」としながらも、非実名の人のブログ記事に対して「この者の論は、本書で私が指摘したフェミニストの三大欠陥を典型的に示していて、格好の教材になるので、ここで取り上げてみようと思う。」と反論を展開。

 ブログ、実名か虚名か?(ドクター苫米地ブログ 2005/5/10)
 脳機能学者 苫米地英人さんのブログ。タイトルどおりの内容。「実名でブログを公開する勇気のない人は、ただの臆病者か、無責任な人間だと思う」と言い切った。この後、匿名ブログはやめてしまえそれでも、匿名ブログはやめてしまえ実名の意味が分からない子供たちへ と続いたから、反響は大きかったようだ。

 匿名でないと発言できないのは何故か(西正が贈るメディア情報 2006/2/1)
「匿名で日記を書いて、知らない他人に読んでもらいたいという気持ちは全く理解できない。何の意味があるかすら分からない。」

非実名・固定ハンドルネームの人が示しているポリシー
 固定ハンドルの人たちのデフォルトは、先に述べたとおりほぼ黒木ルールと考えてよいが、より詳しく条件設定して、固定(らしき)ハンドルネームの「質」を見極めようとするサイトもけっこうある。

 匿名であること、実名であること。(304 Not Modified 2005/5/17)
 「メルアドまたはサイトアドレスがない人の批判には答えなくても良いと思います」
 5年考えて解けなかった問題いち早く正解 を寄せてくれたまなめさんの立場。

ポリシーよりもブログの内容に着目
 炎上せずに実名ブログをやる3つの方法(元祖しゃちょう日記 2005/10/7)
 2ちゃんねるの管理人ひろゆきさんのブログ。「炎上するようなことを書かない」「炎上しても実生活で困らない」「つまらないので誰も読まないから炎上しない」のどれかに当てはまれば実名ブログを続けられるそうだ。

 (雑感)研究人がネットで実名を名乗るとき(江戸時代研究の休み時間 2005/1/7)
 歴史研究人 高尾善希さんのブログ。「実名か匿名かというよりも、書く内容による」というネット玄人の意見を引用。他人の実名・匿名にどう対応するかについては触れていない。

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2004.07.17

不気味な匿名よりタチの悪いニセ実名

 オフラインでこちらを知っているという人から匿名でコンタクトされると気味が悪い。そんな体験を ただの匿名よりずっと不気味な匿名 で書いた。
 この事件の裏では、実在の団体の一員と称する実名っぽい名前の男がメールで匿名のAさんを脅していたことが明らかになった。身分詐称だから、その気になれば違法行為として告発することもできたのではないか。
 ここまで悪質なことをする人はまれだろうけど、ハンドルネームを使っている人たちに、私はひそかな要望を持っている。ニセ実名はやめてほしい。実名っぽいハンドルネームを名乗るなら、プロフィール欄などで、実名でないことを書いておいてほしい。
 ハンドルネームを名乗る人には、実名を名乗りたくない理由がある。そういう事情を自ら抱える人なら、ただの平凡な人が実名を名乗るのにどれだけ覚悟と勇気が必要かわかるでしょう。ニセ実名が増えると、そういう精一杯の覚悟が報われにくくなる。
 まあ、私の言うことに強制力はありませんけど。それに、実名っぽいハンドルの人の大部分は、私が書くまでもなく、実名でないことを自ら明らかにしておられます。

 前の記事に 山本洋三さんからコメント をいただきました。
 実在の団体や実名らしきものを名乗るところまで行かなくても、リアル社会をネットに持ち込んで偉そうにする人は掲示板でよく見かけるとか。私も何回も見てきました。自分がそういうことをしてしまうのがイヤというのも実名を名乗る理由の一つです。(私がネットで実名を名乗る理由1 の最後のほう。)
 酔うぞさんいわく

匿名はシリアスな論議にはリスクが高い、というのがわたしの結論です。

 これはわかります。ネットにはまっていない普通の人の感覚では、「どうせ匿名でやっている遊びなのに、リスクってなんやねん。大げさな」でしょう。でも、匿名だからこそ、ネットの世界に深く入り込んで自分の能力や時間を相当つぎ込んでしまう、その膨大な努力が軽視されるのは耐えられない、そういう感覚を、私も持ったことがあります。(ハンドルネーム時代に。)実名では世間体というものがあるので、かえってそんなに深く入り込んだり感情的になることを抑制しています。

 話がそれました。ニセ実名はやめてほしい。これがこの記事の主題です。

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2004.07.15

ただの匿名よりずっと不気味な匿名

 ネットの暗がりに魔物を見たような気がした。そんな怖い体験を書いておく。私の15年ほどのネット歴の中で、あれほどゾッとしたことはない。

 私がネットで実名を名乗る理由2 で書いた事件の裏側で起こっていたことだ。読みに行ってもらう必要はありません。以下の文章だけで全貌がわかるよう、かいつまんで書きます。
 この一件は、私が所属していたある専門家団体でのできごと。会員Bさん(女性)が、ある医薬品に深刻な害があるという内容の小論を書き、団体がホームページで掲載した。その小論を問題視した匿名の女性Aさん(個人ページの開設者)が、団体の掲示板に、討論を申し入れる書き込みをしてきた。団体はメーリングリスト内で激しい議論をした末、掲示板を閉鎖し、「時間が経過した文章は削除する」という方針を急に作ってBさんの小論も削除した。結局、団体からAさんへの公式な回答は最後までなかった。Aさんが匿名だからという理由だった。

 発端から終息まで約1ヶ月半もかかったこの一件の間、団体のホームページ管理者がAさんにメールで応対した。その中でAさんは、団体の意思決定をする会議(オフライン)で話し合われた内容を知っていることをほのめかした。
 このことが、団体内でのAさんへの印象を決定的に悪くした。
 ただの見ず知らずの匿名と、オフラインでこちらを見ることができる立場の匿名とでは、まったく意味が違う。団体の会議は役員10名程度で構成されていて、そこでの内容がわかるということは、10名のうち誰かと直接、または家族や同僚を介して知り合いである、ということを意味する。そんな近いところにいる相手が、まったく名乗らずにメールをよこしてくる、これは非常に不気味なことだ。こちらからは相手の姿が見えないのに、どこからか見張られているような気分。

 リアル社会で近い場所(物理的な距離だけでなく人間関係も含む)にいる相手にネットで接触するとき、匿名はものすごい圧迫感を与える。こういう匿名はただの匿名ではない。何倍も不気味な匿名だ。

 これは憶えておくほうがよい。(圧迫感を与える目的で利用する人がいませんように・・・)

 ところでさて、ここで終わってしまったら普通のマナー論だ。怖いのはここから。

 私は団体のMLで発言する一方、Aさんへの個人的なメールも実名で書いた。団体が最初から「匿名の人と対話しない」方針だったらすっきりしたのだが、当初は団体側も討論を受けて立つ姿勢を示していたのだ。それなのに、Bさんの小論は団体として擁護できる内容でないことがだんだんわかるにつれて、「匿名」が問題視されていった。これはダブルスタンダードだ、と私には思えた。
 私はAさんの主張の正当性を評価し、団体の対応は不誠実だと思うと伝えるとともに、「オフラインでこちらを知っているようなことを書いたらマナー違反だ」という苦言をメールした。

 Aさん(メールでも匿名)からの返事には、奇怪で驚くことが書いてあった。
 団体掲示板へのAさんの書き込みは長らく放置されていて、管理者が気づいて対応が始まるまでに2週間以上かかっていた。その間に、Nと名乗る男性らしき人物からメールが来たという。
 メールは「忠告」というタイトルだった。Nはありふれた姓で、「団体関係者」を自称していた。NからAさんへ何度も届いたメールには、
・団体の力は大きく、提供している情報は確実な資料的裏付けを持っている。
・あなたのホームページの内容には問題がある。被害が出たらどのような責任をとるのか?
・名誉毀損で告発されることになる。
といったことが書き連ねられ、団体の力を誇示するとともにAさんを脅す内容だったらしい。

 Nという名は、団体の名簿にはないものだった。その他いろいろな状況から、Nは団体とは関係のない人物で、団体の一員を名乗ってAさんを陰で刺激していたという事実が浮かんできた。それだけではない。Nがハッタリで書いたらしきことが、たまたま団体の会議で話し合われた内容と符合する部分があったために、Aさんが団体へのメールで言及し、Aさんが会議の内容を知っていると誤解された。つまり、Nは、Aさんを「ただの匿名」から「不気味な匿名」へと変身させた。

 Aさんは、Nが本当に団体の会員だと固く信じていて、私が否定してもなかなか納得してくれなかった。しかし、各メールの日付けを丹念に照合したり推理する作業の結果、最後にはNが会員でないことを信じてくれたようだった。

 Nが誰だったのか?それは謎のままだ。
 推測できるのは、Aさんまたは団体に対して悪意を持つ人物であるということ。医薬品に関する知識を持っていたし執拗だったから、面白半分のいたずらでなく、おそらく標的はAさんのほうだったと思われる。(Aさんのホームページは影響力が大きく、敵も多いとのことだった。)だとすれば、Nは頻繁にAさんのハンドルネームや関係キーワードで検索してネット上での追跡を行っていたと推定される。
 ・・・と想像するだけでゾッとした。ネットの世界には、こんな悪意が入り込めるすき間があるらしい。

 この一件で私が得た別の教訓。
 ちゃんと管理できない掲示板は開かないほうがよい。
 文字列だけで対話する難しさ。何か重大な事実が隠されていないか?

 今ごろこの話を思い出して書く気になったのは、竹中明夫さんの 様子(7/13付け) を読んだからです。

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2004.06.27

実名公開・性別非公開

 私の性別は非公開。ネットで実名を名乗るための危機管理 で書いたとおり。
 でも、「津村ゆかり」と名乗って性別を非公開にしてもねえ・・・とあきれる人がいそうだなと思っていた。ところが、Narnian Cat@Doblog さんからのトラックバック記事 匿名と顕名:ネット上での危機管理:どこまで見せる?^-^? で、けっこう好意的に見てもらった感じなので(私の勝手な解釈かも)、気をよくして、もう少し書いてみる。

 悪意の人が誰かにネット上で嫌がらせしたい時、最もシンプルで手間のかからない(鋭い観察も個人情報入手もなしでできる)方法は、相手に対してやたら汚いイメージや劣ったイメージの言葉を浴びせることだ。(直接よりも、匿名掲示板利用が多い。)そんなことをする人たちを時々見かけてきたが、まあ7割がたはセクシャルハラスメント系の言葉が使われる、と私は思う。
 女性に対しては、第一に容姿、それから年齢、身体的なことや男性関係を連想させる言葉など。男性に対しては、女性関係の乏しさを連想させる言葉が一番で、あとは身体的なことや、社会的ステータスに関わることなど。
 何を書かれようと明らかにデタラメなんだから、別に気にする必要はない。でも、書かれたらやっぱり気分が悪いだろう。セクハラ系悪口は男性向けと女性向けがハッキリしており、対象者の性別が間違っていたらと想像が働くだけで、どぎつい言葉がユーモラスに変身してしまう。性別があいまいな相手には効果がない。

 それから、私がウェブで語りたいのは、自分の専門分野のことと、語るための方法論のみだから、性別を公開する意味はないし、むしろ公開しないほうが気楽だ。
 ネット上で起こる激論のパターンの一つとして、「双方の立場の違い」がある。感情的にもつれるような「立場の違い」には、性別がからむ場合が多い。職場での男女のあり方とか、未婚・既婚とか、妻が働いているか専業主婦かとか、子供の有無とか、家族的責任を果たしているかとか。
 性別を公開していない私は、そういう議論に加わることはないと意志表示しているとも言える。これまでもこれからも、男女どちらかの立場から書くことは多分ない。これは風変わりな態度のように見えるかもしれないけれど、やってみるととても自由な気持ちになれる。(ただし、多くの人に読まれたいなら、こんな態度でないほうがいいと思う。)

 オフラインで知り合いの 瀬戸秀紀さん瀬戸智子さん、こういうわけで私の性別は非公開ですからよろしく。智子さんの シャロット姫からノーラまで にトラックバックしておきます。ジェンダーの話に興味がある方は、智子さんの枕草子へどうぞ。

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2004.06.23

「表現の匿名性」と「消費生活の匿名性」

 このblogでは「アクセス解析」と「匿名・実名」の話題をかなりしつこく書いてきた。私は「アクセス解析」に関しては、個人の閲覧履歴が把握されるのはなんとなくイヤ、匿名性を確保したいという立場。一方、ネットでの発言における「匿名・実名」に関しては、匿名発言の自由も尊重されるべきだけど、個人的には実名での発言のほうをより評価(信頼)するという立場。

 このように「匿名性」に対する姿勢が逆方向になっているが、別に矛盾も感じずに、それぞれ話を進めてきた。
 昨日付けで掲載された高木浩光さんの日記 「消費生活の匿名性」論議を人質にして「表現の匿名性」を求める市民運動は「市民のため」か? を読んで、あ、そういうことかと思った。
 「アクセス解析」で私が求めてきた匿名性は、「消費生活の匿名性」だったらしい。生活の一部として何気なく行っているページ閲覧という行為を、他人に把握されたくない。
 一方、ネット発言の「匿名・実名」は「表現の匿名性」の問題。内容によっては他人に被害や不快感を与えるかもしれないネット発言に、無制限な匿名の自由を与えるべきかという問題。
 この両者で、匿名性を求める、あるいは許容するレベルを区別しようと考えるのは、しごく当然なことだ。
 私は無意識のうちに区別していたけど(多くの人がそうしていると思う)、高木さんは上記の日記で、この二つをごっちゃにして「匿名性」を要求する意見があることに注意を喚起しておられる。つまり、「消費生活の匿名性」に対して高い水準の匿名性が要求されるのに便乗して、「表現の匿名性」にまで高い水準を要求する、という論法があるそうだ。
 具体的には、著作権を侵害するとして開発者が逮捕されたソフトWinny。これは発信者(Upフォルダに入れてファイルを放流した人)を匿名にする、つまり「表現の匿名性」を確保することを主眼に置いているソフトだが、これを擁護しなければ、近い将来のユビキタス社会(商品にICタグが組み込まれる)における「消費生活の匿名性」まで脅かされてしまう・・・という論法だ。

 高木さんが危惧されるのは、「表現の匿名性」の世評の悪さから、「消費生活の匿名性」まで軽視されてしまうのではないか、ということらしい。それは、もっともな心配だ。私もこれからは意識して区別しよう。

 瀬戸秀紀さんの Winny開発者逮捕 にトラックバックしておきます。

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2004.06.22

将来もしかしたら実名を名乗るかもしれないかたへ

 今回の話は、ハンドルネームと実名が結びつくことはないと決意して万全の対策をしている人には関係ない。将来、自分から実名を名乗る、あるいは不本意にも実名が知られてしまうことがあるかもしれないと考える人のための話。

 私自身は、ほんの一年余り前まで、自分がインターネットで実名を名乗るようになるとは考えてもいなかった。ちょっとしたきっかけ から、それまで勤務先のサイトで公開していた内容を個人で公開するようになり、実名を名乗った。
 このとき、あまり抵抗なく実名のサイトにできた理由として、過去にハンドルネームで発信した情報内容に、実名と結びついたら困るものがない、ことが大きい。

 私のネット歴は1988年頃から始まっている。その頃のネットと言えば、個人宅にサーバーを置いて電話回線で結ぶ「草の根ネット」が花盛りで、私は日記を書くように気軽に色々なことを書いていた。しばらくして、@Niftyの前身のニフティサーブのフォーラムでも、よく書くようになった。
 正直言って、あの頃に書いた内容が全部インターネットで検索できる状態だったら、今こうして実名を名乗ることはなかったと思う。

 「ハンドルネームで書いたものをたまたま知人が読んだとしても、自分だとわかる可能性はほぼゼロ」と言い切れる人はどのくらいいるだろうか。また、「自分がネットで発言していることは、家族にも友人にも完全に秘密にしている」「メールでも決して実名を名乗らない」を実践している人はどのくらいいるだろうか。
 何かのきっかけで、悪意を持つ人に、実名とハンドルネームの結びつきを知られてしまうことはないだろうか。そして、そのことをネット上のどこかで暴露されてしまう危険は皆無だろうか。

 インターネットの「検索」という機能は、本当に怖いものだと思う。特に日本語の氏名は他言語の氏名よりも多彩で、同姓同名があまり多くない。
 草の根ネットが消滅し、ニフティのフォーラムがパソコン通信からインターネットベースに移っていったのに応じて、私もネットでの発言は小規模なメーリングリスト等にシフトさせていった。

 今からネットを始める人たちは、草の根ネットからでなく、いきなりインターネットから始めることになるが、それって大丈夫なんだろうかと思ったりもする。
 悪意の人に晒される危険とは逆に、インターネットで思わぬ評価を受けてメジャーになっていく可能性もある。そんな場合も、リアルの自分との結びつきを完全に消しておけるのだろうか。(消すこともできるだろうが、そうすると、せっかくの評価を十全に活用できない残念さがきっと伴う。)
 また、ネット環境だって、今後どのように変化するかわからない。これまでは、最も多数派であるハンドルネームの書き手を排除していたら面白いコミュニティは成立しにくかった。ネット人口の増加とともに、実名限定の面白いコミュニティの数は増えていると思う。つまり、現時点で匿名を選んでいる人も、将来実名を名乗りたくなる可能性がある。

 たとえば、こんな方法も考えられる。ハンドルネームを2つ持って、一つは「将来実名と結びつくかもしれない自分 A」、もう一つは「実名とは決して結びつかない自分 B」を表現するとか。
 こういう場合、私だったらBよりもAのほうがたぶんネット上で評価されると思う。(専門知識をバックに書けるから。)だったら、労力を分割するよりも、Aの自分だけ表現するほうがラクだし、内容を充実させられる。
 Aの自分を表現していると自覚している人は、将来実名を名乗ることになったとしても困らないよう、今から気をつけるほうがいいと思う。(参考:ネットで実名を名乗るための危機管理)一方、Bで行くなら、訴訟にだけはならないよう、また、実名が割れることのないよう、細心の注意を払うということだろうか。

参考リンク
 ハンドルネーム・ペンネーム・本名
 短歌の創作をしておられる木村草弥さん(ネットと実生活で同じペンネーム使用)のblogより。ネットでの創作が評価されて「カミングアウト」する状況になったらどうするか?という話。

 PC通信以下 某所以上 の 匿名性
 上の記事からトラックバックをたどって。「ゲド戦記の世界。まことの名は隠し、本当に信頼できる相手以外にはもらしてはならない・・・似てるなぁ、といつも思ってました。」に共感。私も「ゲド戦記」が好きです。たしかに似ている。

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2004.06.04

「小さい」って・・・そういう意味だったんですか

 前の記事でトラックバックした室井佑月さんblogの 匿名の功罪 は、こういう言葉で締めくくられていますが・・・

 本物の変態に遭遇してしまったときとおなじく、
「小さい」
 と小声でつぶやくしかないのか。今のとこ。

 えっ、これって、そういう意味だったんですか。「小さい」・・・(笑) (「心こそ大切なれ」さん)、小さい、と呟くかぁ(笑)(「アホが見ーるーブタのケーツー」さん)を読んで、やっと気が付きました。トラックバックしている皆さんのほとんどは素知らぬ顔っぽい。本当はわかっていて素知らぬ顔?
 私は何かを発見したらつい嬉しくなって書いてしまいますが、これ、発見でも何でもない、普通は瞬間的に笑えるギャグですか。今度からは、ひっそり一人でウケるようにします。真面目すぎるキャラですみません。

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2004.06.03

捨てハンドルネームと固定ハンドルネーム

 掲示板への捨てハンドルネームでの書き込みがひどい内容になりがちなのは周知のことで、blogの普及は一つの解決策として期待されている。ほとんど異論をはさむ余地のないこういう話も、時おり話題になって、ブロガーたちの共感が確認されるのは、大事なことだと思う。
 室井佑月さんのblog記事 匿名の功罪 へのトラックバックが静かに増え続けていて、今の時点で45届いている。「見ず知らずの人間のこ汚い部分を見せられた側の立場はどうやって守られるのだろう。まるで覆面した変態のあそこを見せられたような気分だ。」といった直截な表現で、ストレートに共感できる。
 木村剛さんの モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために の視点も重要だが、「訴訟を起こされる危険」が論点なので、多くのネット市民にとって、身に迫って現実的というほどではないだろう。また、「なかなか訴訟を起こせない弱い相手」にネットでの暴力が向いてしまう恐れもある。(でも、ブロガーの心構えとして銘記しておくべきことだと思う。)
 室井さんの記事は短くてスッと読める。色々な場面でリンクして使えそうだ。私もトラックバック。
 このように、プロの書き手の個性ある表現をリアルタイムで味わって自分も少しだけ参加できる、blogという場は面白いと思う。

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2004.05.31

実名の人たちのゆるいコミュニティがある

 三中信宏さんの日録(5/29付け) に、珍しい姓で実名を名乗る状況を「given として生活をつくっている」とある。日本の姓は計30万もあり、「三中」は多い順の10,000位以内には入っていないそうだ。第10,000位の「広上」姓で、人口約700とのこと。「珍しい姓」という少数派も、合計すればかなりの人口になるのかもしれない。

 blog を始めてからだんだんと、三中さん荒木圭典さん鈴木クニエさん鈴木聡さん のような皆さんが、トラックバックもコメントも介さずに会話してらっしゃるみたいだとわかってきた。専攻分野が近いわけでもないし、ウェブリングのような仕組みを使っているわけでもない。共通の関心や感性で、流れによって自然に繋がるみたい。

 私の blog ではアクセス解析をしていないので、どこかからリンクされていてもわからない。だから気楽に書ける、という一面がある。本館は主要ページで解析をしているから、アクセスが多いところからリンクされるとプレッシャーを感じる。「ログ取ってんだろ?何か反応しろよ」みたいな。
 トラックバックは、送られた瞬間に「相互リンクを受け入れる」という相手の最低限の要求を満たすから、気が楽だ。削除するか残しておくかさえ判断すればいい。(と私は思っているが、トラックバックにも反応するのが礼儀、という考えもある。)
 解析は掛けずに、コメントには必ず反応、トラックバックは基本的に無反応、という今のペースが、私には一番合っている感じがする。

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2004.05.28

ネットで実名を名乗るための危機管理

 ネットで実名を名乗るのはなんとなく怖い・・・と感じる人は多いと思う。
 では、実際、どんな怖いことが起こるのか?私も実名を名乗っているから、この点には興味がある。しかし、意外に「こんな怖いことがあった」の例は、あまり見つからないし、自分自身も経験がない。時おりニュースになる「匿名の中傷メールが多数届いた」等の被害は、ネットで実名を名乗ったからというよりは、リアル社会で実名が知られている人の話ばかりだ。

たとえばこんな危険
 現実に起こったということでなく、頭の中で想像を働かせたらこんなことが思い浮かぶという例をまず。たとえば、Java House メーリングリスト での「匿名かハンドルか」の議論の中で、ハンドルネームの人によって こんな懸念 が書かれている。

・勤務先等に「この人物には問題がある」という趣旨のメールが送られる。
・メールのFrom欄に私のアドレスを記述し、勤務先や個人的に関わりのある人に対して誹謗中傷するメールを送ったり猥褻な画像を送ったりされる。
・同様のメールを送りさらに「意見があればいつもで聞いてやる」というような文言とともに住所や電話番号を併記される。
・同様のメールが個人的に関わりのある人の縁談相手に送られ破談になる。

 この懸念に対する他の参加者(実名)の発言は、
勤務先等に「この人物には問題がある」という趣旨のメールが送られるような投稿は、そもそもすべきでない
住所や電話番号まで晒したらさすがに危険だと思うが、実名を出すだけのことにどれほどの危険があるか
例示のようなリスクを享受してでも本名で堂々とポストしていない発言など、信じるほうがリスクがある
といったものだった。

検索の怖さ
 また、実名をキーとした検索によって自分のネット上の言動がトレースされてしまう危険もある。麻弥さん が、 ネット上で実名を使うことの危険性について で詳しく書いておられる。今後は、Googleでヒットしないような過去のページまでアーカイブされて日本語で検索できるようになる可能性があるとのこと。
 検索に関しては私もかなり注意を払っている。本館のサイト名に氏名を入れているせいか(今では入れなければよかったと思っている)、氏名で検索してくる訪問者が毎日数名はいる。
 週に2回程度自分の氏名で検索を掛けて最初の3ページくらいをチェックしているし、時々は全ページのチェックもする。私の氏名は、平凡なようでいてネット上で同姓同名があまり見つからない。
 こういうチェックの結果、個人情報が掲載されているのを見つけて削除依頼を出したことが2回ある。前の職場の組合のホームページと、以前所属していた音楽サークルのホームページだ。(情報内容はたいしたものでなかったが。)
 麻弥さんは、氏名での検索によって「自分が書いた内容が、あまり知られたくない人に知られてしまう」危険を挙げている。私は、そもそも読まれたくない相手が存在することは書かないようにしている。私の本館サイトを見てメールをくれたり、会ったときに話題にしてくれた同業者は50人以上になる。これだけの人たちが、少なくとも一度は訪問してくれたと意識していると、学会会場で名札を付けているとき程度に自己の言動をコントロールできる。

貴重な体験談
 実名でたいへんな目にあった貴重な体験談が、Artaneさんのコメント で書かれている。ネットストーカーが「勤務先のネットワークを荒してネット上にぶちまけた」「詰腹を切る形で会社を辞めさせられた」「ストーカー対策で周囲から数年間沈黙を強いられた」とのこと。たいへん参考になるお話だ。そういうことまで起こりうる、と知っておくほうがいい。
(「勤務先のネットワークを荒らす」の意味が不明なのはちょっと残念。ハッキングのことか、勤務先の公開掲示板を荒らしたということか。あまり詳しくきいてはいけないような気がするのでききませんでした。)

私が実践している危機管理
 単に「自分の名前がインターネット上にある」という人の数は、激しい勢いで日々増えている。仕事関係ばかりでなく、何かの賞を取ったとか、任意団体の役員をしたとか、寄付をしたとか、果ては懸賞で当選した場合まで、実名が出る機会は今後も限りなく増えるだろう。
 実名がネットに出ること自体が危ないわけでなく、その実名に伴う情報や感情が問題なのだと思う。私自身が注意していることを挙げてみる。

 まず、匿名が主流のコミュニティには参加しない。今や、ほとんどの公開掲示板はハンドルネーム主流になっているから、掲示板には滅多に書き込んでいない。
 それから、批判をしない。特に匿名の人には 反論もしない。これらは、主な理由は別のところにあるのだが(詳しくはそれぞれの記事で書いている)、危機管理の意味もある。
 「特別な執念を持たれる」きっかけは主に「感情的な応酬」にあると思われるから、そういう応酬に至る可能性をできるだけ減らすようにしている。

 何の応酬もしていなくても「偏執的な興味の対象になってしまう」場合があり得る。これは、いったいどんなことがきっかけになるやら、見当もつかない。常識の範囲外の心理から起こることだから。
 まず実践していることとして、性別は非公開。と言ったら笑われてしまいそうな名前だとは思うが、とにかく私の性別は非公開。プロフィール欄には全く書いていない。(どこかで、語るに落ちることは書いているかもしれない。)私の性別を知っている気でいる皆さんは、思い込みでそう考えているだけですから、そのおつもりで。
 それから、身体的なことを連想させる文章は書かない。健康状態すら書いていない。生身の人間というより、情報提供者としてのみ認識されたい。
 家族関係は書かない。女性の場合、一人暮らしとわかるのは少し危ないかもしれないし、家族に女性や子供がいる場合も、描写することによって変な興味を持たれてしまうかもしれない。全然色気のない描写であっても、説明できないのが嗜好というものだから。
 リアルな生活に結びつかないようにする。自宅や職場がどのあたりにあるか推定できることは書かないし、生活時間帯がわかるようなことも書かない。(例えば「一人暮らし女性&帰宅時間が遅い」という情報は、危険を招く可能性がある。)アクセス解析に抵抗を感じるのも、このあたりに一因がある。

危険を避けることにより逃すメリット
 こういう用心を重ねると、ネットで発信できる情報は、あまり面白味のない固いものに限られてしまう。「批判しない」と最初から宣言している書き手なんかに興味が湧くだろうか。また、ある程度の個人情報の開示は、人間味のある自分を表現するために必要だろう。
 私は名前が売れても全然トクにならない(しかも小心な)サラリーマン的立場だから、きわめて用心深い。極端な話、クロマトグラフィーや精度管理に興味のある人しか読まないサイトでもかまわないと思っている。
 上記のことは、幅広い読者を集める人気サイトをめざす書き手にとっては、まったく参考にならない話だったかもしれない。

参考リンク
 Tokyo Forumの blogが全て、はマズイだろ にトラックバックしています。実名・匿名に関係なく、blogで何もかも書いてしまっていいの?という話。

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2004.05.19

ハンドルネームの人は実名の人を批判してはダメなのか

 麻弥さんメモ(5/11付け) で、私の記事 「匿名か実名か」が意味を持つ条件 に対する質問をいただきました。

たしかに、専門情報のやりとりについては、実名でないと混乱を招くことはあるだろうなあと思います。
ただ、「他人を批判する場合」において、「筆名」ではダメなのでしょうか。私は「筆名」を長年使用していますが、私には批判を行う権利はないでしょうか。

 ご存じない人のために紹介させていただきますと、麻弥さんはネットワークでのセキュリティに関して初心者にもわかりやすい解説を数多く書いておられて、私もいつも参考にさせてもらっています。特に メモ には幅広い最新情報が集積されています。また、最近の 日記 では、【「実名」と「筆名」と「匿名」と。】のタイトルで何回か書いておられます。

 本題ですが、「権利」という言葉でくくれば、言論の自由として許されている範囲は非常に広いと思います。極端な話、民事・刑事での訴訟で違法とされない限りすべて「権利」と考えられるかもしれません。
 でもたぶん、普通のネット市民が関心を持つのはそんな極端な事態ではなく、「マナーや道徳として非難されるような行為かどうか」あたりでしょう。この観点から考えてみます。

 結論から言えば、ハンドルネームの人が、特に権力や名声を持たない実名の人をあまり激しく批判していたら、ちょっとどうかと思います。
 まず、批判されること自体のダメージ。内容をよく読まずに文章の雰囲気だけから悪印象を抱かれる場合も多いでしょう。実名だと友人や仕事の関係者にも批判を読まれる可能性があるのに対して、ハンドルネームの人は安全圏に隠れています。
 また、日本社会では、批判自体がどんなに正しくても、「批判する」という行為自体に何やらマイナスイメージがあります。ネットでは「批判」は人気を博しますが、実生活ではそうじゃないでしょう。実名を出さないということは、実生活においてこのマイナスイメージから逃れていることを意味します。
 さらに、何回か書きましたが、正体のわからない相手から批判されるのは、非常に気持ちの悪いものです。身近に起こらないと実感できないかもしれませんが・・・。

 一方、批判対象が権力者や著名人や大きな組織の場合は、発言主が実名でもハンドルネームでもあまり関係ないと思います。
 また、実名の人が先にハンドルネームの人を批判した場合は、ハンドルネームの人だって反論や反撃をして当然だろうと思います。それができなければフェアじゃありません。それと、いったん議論を始めたなら、途中で「相手が匿名だから」と言い出すのは卑怯だと思います。

 というわけで、何の手も出していない実名の人に対してハンドルネームの人が批判をした場合、実名の人が「相手が実名を明かしていない」ことを理由に無視したとしても正当だと私は考えます。
 ただし、匿名での批判であっても、内容自体は理にかなっている、という場合は少なくありません。批判を無視するとしても、自分の発言内容に問題があったと認識したら自発的に修正するのがよいと思います。
 以上はあくまで私個人の考えで、これが世間一般の常識だとは思っていませんし、他の人に勧めるつもりもありません。

2004/5/20 追記
 匿名の功罪(室井佑月blogより)。-タイのまいにち にトラックバックしました。

2004/7/3 追記
 木村剛さんの 匿名から特名の時代へ にトラックバックしました。「実名 vs ハンドルネーム」の差について、現在の私の考えはこの記事に集約されています。

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2004.05.14

木村さんの訴え方のうまさ2

 木村さんが新しく書かれた記事は、迫力と読み応えがある。(モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために)。15年間文筆家として活動してこられた経験の重みを感じる。
 木村さんに対して「コミュニティを壊すような行為が許されないことは、実名・匿名とは関係ない」との意見が多数寄せられたわけだが、この記事では匿名の人こそが自重しなければならない特別な理由があることを述べておられる。その理由とは、匿名での発言は、訴訟という究極の事態になった場合の責任を他人に負ってもらっているところにある。(2ちゃんねるのひろゆき氏のように。)匿名の人たちが、このことを忘れた振る舞いを続けると、匿名発言という自由は社会的に抹殺されかねない。
 見事な切り返し方だ。こういう深い背景があって「匿名性というセーフティネットの中で許される言論の自由とは如何なるものであるべきなのか」の問いかけをされたとは、私には思い至らなかった。

 ところで、今回の記事を単独で読めばすこぶる感動的なのだが、これは話の起点とどう結びつくのか。

 もともと、木村さんファンの女性のblogに匿名書き込みがあって場が荒れたという一件だった。(リンクをすべきでないとか議論があったがご本人のHINAさんは名前を隠されるほうがむしろ「ムズ痒い」と書いておられるからリンク:お騒がせしております。
 この一件を木村さんの匿名論で解釈すると、こうなる。(匿名の人をXさんとしておく。)Xさんが捨てハンドルだったとすれば、XさんはHINAさんが100%発言の責任を負う状況下で木村さんを批判または中傷したことになり、そのせいでHINAさんが困られた。HINAさんは木村さんにとって大切なファンだ。自分の周囲の人が自分を原因とすることで困るのは見過ごせず、木村さんは ご批判はできれば直接私に対してお願いしたい と書かれた。

 木村さんは「訴訟を起こされるリスク」があるかないかで「匿名」を区別しておられる。つまり、木村さんの言う「匿名」には、固定ハンドルでblogを開設しているような人は含まれていない。

 ネットでの匿名・実名論に慣れている人なら、ネット上の人格は主に「実名/固定ハンドルネーム/捨てハンドルネーム」の3段階で認識されることをよく知っている。そして、「固定ハンドル/捨てハンドル」の議論は良識的な意見の合唱で収まるが、「実名/固定ハンドル」はしばしば扇情的な激論になることを知っている。
 なぜなら、捨てハンドルの人はどう言われようと自分のアイデンティティーなんかにこだわりがないのに対して、固定ハンドルの人はその名での人格に愛着があるからだ。

 私がここで展開しているのは、「実名/固定ハンドル」の議論だが、木村さんが念頭に置いておられるのは、実は「固定ハンドル/捨てハンドル」のほうだった。となると、匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているのか? の記事は、やはり若干トリッキーだったと考えざるを得ない。固定ハンドルネームの人たちの感情を刺激しやすい「実名/固定ハンドル」論を前置きとして、「固定ハンドル/捨てハンドル」の問題を語られたわけだから。最初にトラックバックを寄せた50人以上のブロガーの多くは、自分も「匿名」の中に入れられたと考えて反応したと思うが、今では木村さんの「匿名」に自分が該当していないと理解して気持ちが和らいだことだろう。

 ただし、木村さんのネット歴を考えると、このような3段階の認識がなく、単に匿名と実名の2つしかないと思っておられる可能性もある。また、木村さんの訴え方のうまさ でも述べたとおり、ネット社会のありかたを多くの人が考え直す機会として有益だったとも思う。今回書かれたような名文も生まれたことだし。

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2004.05.10

木村さんの訴え方のうまさ

 今の時点で、木村さんの記事 へのトラックバックは49届いている。これが50個目になるかも。
 ふだんでもトラックバック30個はざらというすごい人みたいだが、50超というのは、今回の記事がとりわけ注目を集めたということだろう。
 「匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているのか?」という問いかけの形になっているので、「匿名でも実名でもそんな権利があるはずない」と答える人が多いようだ。「過剰反応だ」「有名税だ」「ネットでは耳たこの議論」といった意見も多い。
 そもそもの発端は、木村さんファンの女性のblogへの匿名書き込みを木村さんが不快に感じられたことだ。その被害を訴えて、「こういうことはやめてくれ」と主張するために最も効果的な方法を取られたのだろうと私は思う。単に「コミュニティを壊す行為は慎みましょう」では、50もトラックバックが付くはずない。「コミュニティを壊す行為」と「匿名」を結びつけることで、大勢の善意の匿名の人がムカッとして、「自分はそんなことはしない」と決意表明する。「あんな行為はカッコわるい」という世論を再確認する機会として利用なさったのではないか。
 もちろん、こういう問題の立て方は最初から結論が決まっているので、当たり前のことの再確認にしかならない。でも、ネットコミュニティにおいて時おり再確認されるのも、大事なことだと思う。そして、どんな有名な人でも、不快なことは不快だと訴えるのは正当なことだし、同じブロガーとして水平な関係で対話するならば、その気持ちを真剣に受けとめたいと思う。
 今まで知らなかったのだが、木村さんには大勢の匿名のファンがいらっしゃるようだ。5月6日からファンによる「ゴーログweek」という企画が組まれている。少なくとも私とは「匿名・実名」への態度は全く異なるものにならざるを得ないかただと理解した。専門家というよりもむしろタレントの立場に近いのでは・・・との印象も強くなったのだが、引き続き、専門家としての木村さんに着目していきたいと思う。

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2004.05.08

匿名のかたへの批判と反論、そして匿名情報への依拠はしません

 既に書いたことだが、もう一度短い記事にしておく。というのは、極めて影響力の大きいサイトからリンクされたので、そちらから来られる方に私の現在の立場を簡単に説明しておきたいからだ。

 リンク元は 週刊!木村剛 の5月8日付け記事 匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているのか? だ。木村さんは、このほど毎週土曜日に「BLOG of the Week」を選ぶことになさったそうで、なんと、栄えある第1回にこのblogを選んでくださったらしい。たいへん光栄に思います。ありがとうございます。

 私は一技術者として、自分の楽しみや勉強のために、専門情報を文章にして公開している。余暇活動とはいえ、情報内容には責任を持ちたいので、匿名サイトの情報に依拠して何かを述べたり、そのまま引用することはしないようにしている。このことを 匿名のかたと実名のかたへ で断っている。
 それから、匿名のかたとは真剣に議論しないことにしている。その理由は 匿名のかたへの批判・反論はしません に書いている。
 けれども、匿名のかたたちがインターネット上で表現している人格を尊重したいとも考えている。興味深い匿名サイトを見つけて紹介することもあるし、匿名サイトからヒントを得て何か書いた場合は、敬意を表してリンクしている。

 木村さんの リスク戦略の発想法日経BizPlus)は、特に銀行問題が盛んに論じられていた頃に熟読させていただいた。ときおり「某銀行勤務の銀行員」や「銀行に泣かされる某企業の経営者」など、さまざまな匿名のかたからのメールを転載することで、リアルさを感じさせる文章になっていたと思う。
 自然科学と違って、社会問題においては匿名情報の扱い方も違うようだなと感じる。それゆえに、難しさも多々あるのだろう。
 木村さんは、匿名の人たちとの関わり方について今後どんな姿勢を固めていかれるのだろうか。分野は異なるとはいえ、実名の専門家としてネット上で匿名の人とも関わっている私にとっては、たいへん興味深い。

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2004.05.02

匿名のかたへの批判・反論はしません

 やや急ごしらえで 匿名のかたと実名のかたへ を公開しましたが、自分自身あまり噛み砕けていなかった部分がありました。あらためて深く考えてみた結果、「私は匿名のかたへの批判・反論はしない」とお断りしておくことにしました。
 わざわざこのようなことを宣言するのは奇妙なことに見えるかもしれません。現在匿名の人と批判や反論を交わす状況にあるとか、過去にあったというわけでないからです。
 しかし、私にはそのような判断が必要な状況になってから判断したくない理由があること、また、このblogはウェブで語る方法論をテーマにしていることから、普通は思っていても口に出さないこのような姿勢を、あえて明らかにしておきます。

匿名・実名をめぐるネット環境の変化
 従来、ネットでのコミュニケーションは、掲示板やメーリングリストなど区切られた場で管理者のもとに行われるのが通例でした。そのような場では、匿名者と実名者は比較的容易に棲み分けたり、一定のルールのもとに共存したりしてきました。
 ところが最近、個人が簡単にサイトを開設できるようになると共に、アクセスログから被リンクに気付く機会が多くなり、また、日記やblogの流行もあって、「場」などまったく関係なく個人サイトどうしで直に対話が進行する場面が増えてきています。つまり、匿名者と実名者を仕切っていた囲いが取り払われてきました。
 また、インターネットにおいて名乗られた氏名が実名か匿名かを判別することは非常に難しいとされてきましたが、ネット人口の増加と多様な主体によるサイト提供によって、特別な立場の人でなくとも実名の証明(厳密ではないにしろ)ができる機会は増えてきています。

実名・匿名は形式的な問題か
 冒頭に述べた「噛み砕けていなかった部分」とは、私が掲げている「固定した仮名を用いて継続的に発言している人を人格として尊重する」という方針のことです。自分で書いておいて何ですが、これは具体的にどういうことなのでしょうか。

 私の考えとして、相手を尊重するからには対等であるべきだと思います。親子・師弟・上司部下のような関係では別ですが、インターネットで知り合った個人どうしの間に上下はないはずです。
 ということは、匿名のかたと実名の私との対話であっても対等に批判し批判される、枠は本人の良識に基づく自己規制だけ、そういう姿が一つの理想として考えられます。
 実際、ネットでの匿名と実名 で集めた色々なかたの意見も、匿名での発言にありがちな無責任さや無礼さを挙げ、匿名者に対して「実名だったらしないような発言はしない」ことを求める立場にほぼ集約されていました。
 つまり、匿名vs実名での議論で問題になるのは、もっぱら匿名側の発言姿勢であり、現に実名を名乗っているかいないかは形式的なことだ、とも言えます。
 果たして本当にそうなのでしょうか?匿名の側が十分に良識的でさえあれば、匿名と実名の間の壁は存在しないのでしょうか?

「匿名者は石ころ」という立場
 そのとき私をはっとさせたのは、三中信宏さん からの「少なくともぼくの場合,〈匿名者は石ころと同じ〉という認識をしています」「〈石〉には〈人〉に対して発言する資格はまったくありません」という御意見でした。(三中さんの言葉を引用した記事
 考えてみれば、これもまた普遍性を持つ立場です。インターネットでのコミュニケーションにあまりなじみのない人たち(人口比で圧倒的多数派)にとっては、名なしさんも固定ハンドルネームも同類でしょう。リアルな社会の誰々さんと特定できない限り、得体が知れないことに変わりはありません。「ネット上での存在感」「継続性」などは、コンテンツを詳細に読む暇がある人にしか判断できないことです。

私はどんな立場を取るか
 匿名の人とも(発言姿勢に問題がなければ)対等に議論をするという立場と、最初からまったく発言を聞かないという立場、どちらもすっきり徹底しています。
 では、私自身はどんなスタンスを取ればいいのでしょうか。
 私は、サラリーマンの立場にある専門家がネット上で専門知識の公開を通じて自己表現することに興味を持っています。サラリーマンが実名を明かしにくいことは理解しますし、一方で、そのようなかたの活動内容にも非常に豊かなものがあります。私は匿名の人のサイトであっても内容を紹介したり、利用したときには謝意を示して来ました。
 また、専門性と関係なく、ネットコミュニケーションやコンピュータ技術に関して意見をお持ちのかた・詳しいかたのコメント・トラックバックから、多くのことを教えていただいています。

 つまり私は匿名のかたたちとも関わっていきたいと思っているのですが、では、関わりを持つ以上、完全に対等に関わっていくのか。この点を深く突き詰めて考えた結果、私にはどうしてもそんな覚悟はできないという結論に達しました。

匿名側の心がけによって解決に近づく問題
 実名の側から見て匿名のかたとの対話に抵抗を感じる点として、一般に下記のようなことが挙げられます。

  • こちらが実社会での位置を示しているのに相手の位置は見えないことによる気味の悪さ

  • 明日には消滅するかもしれないハンドルネームの人格と真剣に相対することへの徒労感

  • 自分に関してはネットでの発言内容以外も批判対象になる可能性があるが、相手にはその可能性がない不公平さ

  • 議論の結果失うかもしれないものの重みの圧倒的な違い

  • 失うものが少ない分、匿名者は過激な発言に走りがちではないかという懸念

 これらは確かに心の負担ですが、いずれも相互の信頼関係があれば解決しそうに思えます。「信頼関係」醸成の鍵を握るのはもっぱら匿名の側です。議論相手にはメールで実名を明かすとか、明日消えるような自分ではないことを態度で示すとか、ネットでの行動以外には言及しないとか、心がけることができます。

実名の側に起因する問題
 ところで、仮に匿名側に軽率さがあって上記のような懸念が現実化したとしても、とことん深刻な事態ではないと私は思います。というのは、いずれも「匿名側が実名側に与える害」だからです。
 掲示板やML内では、こういう害に対処すること自体が大きなコストを生み、迷惑を感じる人も多いでしょうが、私のように特に「場」を提供しているわけでない者なら、自分の不快感だけで済みます。

 私はむしろ、自分が原因となって、自分が招いてしまう事態を恐れます。
 それはどんなことかといえば、自分自身の弱さから、匿名の人と対等に議論を続けられなくなることです。端的に言えば、自分に非があって匿名の人に追い詰められたような場合です。そんな時にも「石ころ扱い」という道に逃げ込まず、「匿名のくせに」という態度にならず、対等の立場を維持できるのか。残念ながら、自分にそれほどの度量があるとは思いません。
 いったん関わりを持って議論を始めた相手に対して、議論の形勢によって違う態度を取るとすれば、それはダブルスタンダードです。ダブルスタンダードは人間どうしの信義としても問題ですが、それ以上に、何らかの事実に対して忠実でない行為です。そういうことを一度でもしてしまったら、私には科学者として消えない悔いが残るでしょう。

匿名の人への批判も反論もしないという方針
 上記のとおり、私の場合、「匿名の人でも人格として尊重する」をすなわち「匿名の人とでも常に対等に議論する」と解釈されてしまうと、実現不可能なきれいごとをお約束したことになってしまうことに考え至りました。
 いえ、何も入り口で拒否しなくても、上記のような最悪の事態に陥る確率は極めて低いことはわかっています。しかし、最悪になりそうかどうかは、議論が進んだ末に見えてくることですし、見えてからでは後戻りできません。これは、匿名の人にまったく非がない場合にも起こりうる、私の資質の問題です。

 ですから、私にとって「匿名の人でも人格として尊重する」は「匿名の人の作り出す豊かなものを評価するが、真剣な議論はしない」という姿勢になります。
 具体的には、匿名の人に対しては批判をしません。また、匿名の人が私を批判した場合、その内容が即座に受け入れられないものであっても、反論はしないこととします。
 なお、「批判」のように見える御意見も、立場の相違等が十分にすり合わされていないために出てきた一時的なネガティブな評価である場合が少なくありません。これまでに書き込まれたコメントはすべてこの範囲内であったと私は考えていますので、「反論しない」対象ではありません。(反論の必要がなかったということです。)

「批判しない」という方針との関係
 ところで、津村のサイトはそもそも 他人を批判しない方針 ではないか、相手が匿名でも実名でも関係なく、批判はしないのでは?と疑問に感じるかたがおられるかもしれません。
 私が「批判しない」方針を掲げているのは、暇がないからです。ですから、暇になれば(あるいは、必要性が高まれば)明日からでもこの方針を放棄する可能性があります。その場合批判対象にするのは実名のかただけで、匿名のかたを批判することは永久にない、そういうことです。

 臆病で煮え切らない態度だとは思いますが、これが匿名のかたに対して私が示せる精一杯の誠実さです。よく言われるような、匿名での発言の責任のなさやマナーの欠如といったものを懸念してのことではなく、私自身の資質に基づくものです。
 今後も、匿名のかたのサイト紹介などは(勝手に)続けていきたいと思っています。

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2004.04.30

匿名と実名を判別する基準 Ver.1

 本館の 匿名のかたと実名のかたへ の補足です。私のサイト内では、私がネットで関わりを持つ個人について、次のような基準で匿名・実名を判断します。とりあえず思いついたことを挙げているので、今後修正する可能性があります。

初期値
 誰でも漠然とやっていることでしょうが、インターネット上で継続的に表現されている人格に対して、私が最初に一応の匿名・実名の判別をする基準は、「人名として不自然でない氏名かどうか」です。ただし、自分は外国籍ですとか、珍しい名だけど本名ですとか断りが付いていれば、この限りではありません。

 実名を名乗りたくない人の大部分は、実名でないことが一目瞭然なハンドルネームを使っています。人名として不自然でない氏名をハンドルネームにするかたもおられますが、そういうかたは、自分のサイト内の目立つ場所に明記したり、新しい場に入っていくときには実名ではない旨をまず述べる場合が多いように思います。

 実名らしきハンドルネームを名乗る人たちは自分からその旨を申し出るであろうという性善説に基づいて、人名として不自然でない氏名のかたを、本人による否定がない限り、まずは実名と考えます。
 なお、芸能人や作家が使用する芸名・筆名も実名の範疇ですが、自称芸能人や自称作家のかたが有名でない芸名・筆名を名乗られても、私は実名とみなしません。

専門情報の提供者を実名と認めて引用する基準
 上に書いたのはほとんど手間をかけない方法です。たいていの場合はこれで十分でしょう。
 しかし、信頼できる専門情報として私が 本館 で個人ページを引用したり紹介したりする場合は、次のような方法でサイト開設者が実名であることを確認します。

  1. オフラインで本人を知っている。(知り合いである。または、知り合いの知り合いである。)

  2. サイト内で所属先を明らかにしている。(ただし、実在することが容易に確認できる所属先であること。)

  3. サイト内から「自分の氏名+所属先」が記載されている別サイトにリンクして「これは私です」などと書いている。(所属先名で検索されたくない場合に使える方法です。)

  4. マスメディアに取り上げられている。

  5. サイト内に自著論文、学会発表、著書(出版社から刊行のもの)のリストがある。

  6. サイト内に所属学会名が明記されていて、その学会の名簿に氏名が掲載されている。

  7. (名簿を頻繁に発行しない学会の場合)サイト内に所属学会名及び自分が入会者氏名欄に掲載された学会誌の巻数・号数が明記されている。

  8. 上記いずれかの方法で実名と確認できる別の人のサイト内で、実名であることが述べられている。

 つまり、刊行物で著者名として公開されている氏名は(旧姓使用などの事情で戸籍上の氏名と異なっても)実名と見なします。刊行物での情報発信を行っていない方については、「オフラインで連絡を取ろうと思えば取れるだけの情報が提供されているか否か」を要件とします。
 これは一般的に考えれば厳しすぎる条件のように思われるかもしれませんが、分析化学という特定の分野に関わる専門家どうしの間に限れば、それほど非現実的な条件ではないと考えます。また、当人がサイト内で公開している専門的な情報内容は、存在確認を補強します。
 ただし、上記に該当していても、ネット上で実名を名乗っていないかたは匿名と見なします。これは、当人が実名者として扱われたくないとの意志を表明しているものと考えられるからです。

「批判」に関連して実名と認める基準
 私が匿名・実名を初期値よりも厳格に判断するもう一つの可能性として、blogに批判が書き込まれた場合があります。blogには専門性と関係なく誰でも書き込めますから、上に書いた確認法が一つも役に立たないケースもありえます。
 書き込み者のサイト内に「出身学校名と卒業(または入学)年次」が書かれているかどうかは、かなり重要な判断材料になります。また、「勤務先でも出身校でもない公式団体への所属」も判断材料になります。
 これらが下記のような方法で客観的に証明されている場合に、書き込み者を実名と考えます。

  1. 出身校の同窓会やOB会のHPに氏名が掲載されていて、自サイト内からそこへのリンクを張っている。

  2. スポーツ関係、芸術関係等の公式な団体や大会のHPに氏名が掲載されていて、自サイト内からそこへのリンクを張っている。

 これらは「そういう氏名の人が実在することは確認できる」方法です。しかし、「いまネットで○○と名乗っている人」と「某同窓会のHPに書かれている○○という人」が本当に同一人物であるかどうかまで確認することはできません。
 従って、こういう自己紹介がネットで掲載されていた期間がどのくらい長いかが、けっこう重要になります。期間が長ければ長いほど、もし○○さんが「なりすまし」であった場合には、当人や知人が気付いて抗議する確率が高くなるからです。
 別法として、次のようなことも考えられます。
  1. 同窓会やOB会の掲示板で、「xx年卒の○○です」と自己紹介した上で、自サイトへのリンクを張っている。

  2. 同窓会の掲示板がない場合は、例えば ウェブ同窓会「この指とまれ!」 のようなサイトの出身校別掲示板も利用できる。

 これらの方法が信頼性を持つためには、書き込まれている掲示板がどれほど多くの人の目に触れているかが重要になります。
 なお、最近さかんになってきたソーシャルネットワークによる認証も、これから利用可能になるかもしれません。

ネットでの個人認証の限界
 ここに述べた方法の裏をかく方法はいくらでもあると考えられます。しかし、そういう細工をするためにはそれなりの手間がかかるわけで、そんな手間をかけてまで虚偽の実名を名乗る動機があるかといえば、たいていの場合は、あまり考えられません。
 個人を完璧に認証するのは、実生活でも難しいものです。私のサイト内で「匿名・実名」を識別する基準は上記の程度であり、私が追求している厳密さもこういう範囲内であるということをお断りしておきます。
 また、真に難しい判断が必要になる場合(現実にはあまり起こらないと思います)に私が根拠とするのは、確認できる事実のみです。「ネットで表現されている本人の誠実さ」「真実味」「存在感」などは、いっさい関係ありません。人間どうしの信頼関係を大切にするからこそ、厳密な判断においては、信頼関係に影響するようなことは材料にしません。

参考リンク
 上記で例に挙げた「この指とまれ!」のblogの記事 なぜ実名主義なのか にトラックバックしています。

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2004.04.25

「匿名か実名か」が意味を持つ条件

 言うまでもなく、ネットでの発言すべてをいちいち「匿名と実名」に分けて考えるのは効率的でない。書き手が匿名でも実名でも別に関係ないと感じられる状況は非常に多い。
 私のここまでの話も、「匿名か実名かが意味を持つ条件下」を想定した上での自説を述べている。個々のネット参加者によって、そういう条件が多かったり少なかったりして、その上で各自が匿名か実名かを選んでいる。
 では、「匿名か実名かが意味を持つ条件」とはどんなものなのか、私なりの考えを整理してみる。番号は、私が重視している順。

1.単純に人間としての誠実さが問われる場合
 匿名で他人を中傷することは人間として誠実でないと、一般に考えられていると思う。(たまたま現在世間的に関心を集めている問題があるが、私の匿名・実名の話は4月3日から始まっていて、この事件とは関係ない。事件以前から、「ネットの匿名性」で一番問題になるのはこの観点だ。)

2.情報内容の正確さが問われる場合
 趣味的な情報なら、あまり厳密さは求められないだろう。
 正確さが問われるのは、専門的な情報や、社会的混乱を引き起こしそうな情報の場合。人命に関わったり経済的損失が生じるかもしれない情報については特に。信頼性を判断する材料として、情報の提供者に関する情報は重要。

3.他人を批判する場合
 これは1の「中傷」とは違って、「批判」。たとえば、相手と正常な対話が成立していて、批判することによって何かが生み出されそうな場合とか。対話する状況でないにしても、個人攻撃ではなく問題提起として価値がありそうな場合とか。
 と言っても、本当に生産的な議論になるか、相手やその他の読み手がどう受け取るか、たいていは予測できない。1との境界があいまいなケースもありそうだ。どちらにしても、他者への否定的な評価を書く場合には、実名か匿名かが問われると思う。

4.本人の行動や責任が問われる場合
 政治問題、各種市民運動、宗教や思想、倫理観、マナーなどに関わる議論の中では、しばしば「発言と行動の一致」「自分の発言に対する責任」が問われる。これらは匿名では証明のしようがない。

5.当事者であるか否かが問われる場合
 たとえば、自治体の行政に対する意見を交換する掲示板などは、発言者がその自治体内の住民であるかどうかで発言の重みが違ってくる。特定の共通した立場で集まる場でも、本当にその立場なのかが問題視されることがあるだろう。匿名では自分の立場を証明できない。

6.自分が特別な立場にあることを前提に何かを主張する場合
 高級官僚だとか弁護士だとか悪評高い組織の構成員だとか・・・つまり、社会的に注目を集めやすい立場であることを述べて、それによって自分の主張に説得力を持たせようとする場合。本当にその立場にあることが証明できなければ、砂上の楼閣みたいに思える。(でも、こういうタイプの個人サイトや掲示板内キャラクターもけっこう存在する。信じる気になれれば面白いのかも。)
 主張をせず、単に職業にまつわる雑感をつづるサイトの場合は、実名・匿名はあまり気にならない。(ただし、自分の会社や業界の恥をさらすような内容となると別。こういう話は 前にも出ました ね。)

7.自分に能力や実績があることを前提に何かを主張する場合
 たとえば、「ベストセラー本を書く方法」とか「莫大な資産を築く方法」とか・・・本当に当人がベストセラー作家や大金持ちであることが確認できなければ振り向かれないだろう。
 でも、インターネット上で表現できる才能の場合は別。「しゃれたデザインのサイト」や「ページランクの高いサイト」などは、匿名でも十分に能力の証明ができる。このごろは公開できる情報量が飛躍的に増えているから、絵や写真にとどまらず、楽器の演奏やダンスなどの能力もネットで表現できる。

8.実名コミュニティ(非公開)へのフロントページ
 というケースもあるだろう。非公開のコミュニティに実名のメンバーを集めたい場合には、誰かが実名で表へ出なければなかなか人が集まらないと思う。コミュニティに限らず、寄付や支援を求める内容のサイトの場合も、匿名では支持を得にくい。

番外:存在証明のしやすさ
 実名を名乗っても、本当に実名だと証明するのが簡単な人も難しい人もいる。難しい人ほど、どうせ証明できない実名をわざわざ名乗っても仕方ないという考えに傾くだろう。
 また、証明がしやすい状況というのもある。参加者が地域的に限定されていたり、特殊な層が集まっている掲示板などだ。このblogのテーマのように専門性の高い仕事内容を語る場合も、実名の確認はしやすい。
 存在証明のしやすさは、実名を名乗る動機付けの強さに影響すると思う。

番外:法律に抵触する行為
 誰かから訴訟まで視野に入れた抗議を受けた場合は、プロバイダが相手に実名を明かすだろう。本人が名乗りたいかどうかとは関係なく。そこまでの事態は、ここで考える範囲を越えている。

 以上、たくさん並べたけれど、私がまず念頭に置いているのは2番の「情報内容の正確さが問われる場合」だ。本館の内容については、実名を名乗りながら書いていることを強く意識している。
 ただしコンピュータ関連の知識については、自分は素人だと随所で断りながら書いている。匿名のかたのコメント・トラックバック・ホームページの情報も、ありがたく引用させてもらっている。私が書くコンピュータ関連の情報は、実名とか匿名とかうんぬんするレベルでないから。(素人なりに情報の正確さに気をつけてはいますが。)
 次に身近に考えている観点は、3番の「他人を批判する場合」だ。blogをする人(主に固定ハンドル)にとっては、おそらくこれが最も意識されることだろうし、ネットでの匿名と実名 で集めたリンク先で述べられている意見も、ほとんどがこの観点だった。私のblogで問題になる状況もあり得ると思う。

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2004.04.22

「実名ウザい。」

 180度見方を変えて、匿名に肩入れした意見を書いてみる。
「名なしさん」だらけの掲示板では、なまじコテハン(固定ハンドルネーム)を名乗ると「ウザい」と言われる場合がある。同様に、ハンドルネームが多数派の場にいる実名は「ウザい」ものかもしれない。特に、実名vs匿名が話題になる場合には。
 だいたい実名vs匿名の話題は実名の人から出るものだし、一方、固定ハンドルの人は、本来の意味での「実名と匿名」の間ではなく「固定ハンドルと捨てハンドル」の間に線を引きたがるものだ。

 名なしさんどうし、あるいは固定ハンドルどうしで盛り上がっている場は、みんなが対等だ。社会的立場とか実績とは無関係に、発言内容だけで評価される。議論に勝っても負けても、得るもの・失うものはそれぞれに限定されている。
 そこへ入ってくる実名者は、最初から有利な条件を備えている不公平な存在だ。自分のバックグラウンドを示すことができるし、「発言と行動の一致」を論拠付けることもできるし、自分の発言に将来的な責任を取ることもできる。
 そういう有利な条件を持ちながら「匿名の人が実名の人を批判するのはよくない」などと言うなら、都合が良すぎる。

 私がネットで実名を名乗る理由3 で書いたのは、匿名で発言していた私がキレてしまった話だが、裏を返せばキレてしまうようなことをされた話でもある。あのとき、私は匿名での発言の軽さをひしひしと感じていた。(議論相手からも、他の参加者からも。)

 議論を、勝ち負けを決めるゲームのようにとらえるならば、実名vs匿名での議論はアンフェアな戦いだ。私はそう思うから、実名と匿名が入り混じって真剣に議論する場には、たぶんもう二度と参加しない。(そもそも議論する余裕がないので 他人を批判しない ことにしている。)

 だいたい、私が実名を名乗っているのは、社会的な責任感とか、何がしかの立派な心がけからではなく、そのほうが自分がさっぱりするから。要は自分のためだ。(三中さん流キーワード。)

 匿名の人のblogにもコメント・トラックバックを付けることがある実名の私は、たぶん多かれ少なかれ「ウザい」存在だと思う。それは自覚しておこうと思っている。具体的には、匿名の人が真剣に反論したくなるようなことは書かないということ。それから、匿名の人に「ウザい奴」として扱われても仕方ないと割り切ること。

 下記の記事にトラックバックしています。

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2004.04.18

「医薬品ができるまで」復活

 医薬品ができるまで が復活しました。ホーライさんから長いメールでご連絡いただいて行ってみると、

先日の金曜日深夜に、このあたりで大規模な地震(M8.7 推定震源地「ホーライ製薬」地下12Km、なお、この地震による津波の心配はありません)が発生したため、一部、サイトの破損が見られます。

だそうです。

 まずは、よかった、よかった。大勢の支持者のみなさんがいらっしゃるのですから、どんな理由があったのかはわかりませんが、いきなりサイト閉鎖はないでしょう。

 しかし・・・昨日からこのblogで騒いで、本館に こういうページ まで作った私は、なんだったんでしょう。
 匿名・実名の問題とは関係ないとはうかがいましたが、この話題たけなわのタイミングでの閉鎖で、本当は少しは関係あるんじゃないかとか、ホーライさん的には関係なくても、他の専門情報サイトを開設している匿名のかたたちはどう感じるだろうかとか・・・いろいろ考えてしまいました。
 本館のほう、この週末こそは「クロマトグラフィー101年」のテーマで書こうと思っていたんですが、来週まわしになりました。

 私は、こういうのを使うキャラクターではないんですが、
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な気分です。一つじゃ足りないから

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      (^^;
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 これくらいですかね。

 これからまた、気持ちを新たに、充実したサイトを続けていってください。

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「匿名のかたと実名のかたへ」公開

 匿名での発言に、「情報内容の正確さ」や「発言と行動の一致」といった責任を問うことはできません。匿名で発言する人は、そういう責任を負うことができない自分というものを自覚しておく必要があると思います。
 一方、匿名の人が一連の発言で表現する人格には真実が含まれるし(上記責任を負わないことに対する自覚も含む)、匿名の人が提供するアイデアに大きな価値がある場合も少なくありません。

 私は、「情報内容の正確さ」「発言と行動の一致」に対する責任とは切り離して、匿名のかたたちの人格を尊重する立場を取りたいと思います。これらの責任がないことを指摘されたからといって、匿名の人たちが人格を否定されたと考えてしまうとしたら、悲しいことです。現時点での考えを整理して、本館に 匿名のかたと実名のかたへ というページを作りました。

三中さんの日録4月16日付け
 「ぼくにとっては,〈匿名〉で何かを言ったりしたりするというのは精神的に緊張してしまって,窮屈なことこの上ない.〈実名〉の方がはるかにラクでいいでしょう.」
 その感覚は、私にもわかります。今では、匿名で何か言いたいという気持ちになりません。

あらきけいすけさんの研究日誌(4月16日付け)
 今話題になっている「自己責任」の話ですね。私は小心者で、こういう話題には関わらないようにしていますが、瀬戸智子さんは、あらきさんと似た立場から コメント を付けてくださいました。

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2004.04.17

「医薬品ができるまで」突然の閉鎖

 製薬会社に勤務するホーライさんによる「治験」に関するサイト 医薬品ができるまで が突然閉鎖された。ほぼ日刊ベースで更新され、記事の量も多い精力的なサイトで、昨日まで何も変わった様子は感じられなかったのに、いったいなぜ?

 閉鎖の挨拶に「僕が4年間、ここで発言し続けたことが全て無意味だったということを痛感させてくれたできごとがあったためです」とある。
 もしかして、私がこのblogで 2週間ほど前から書いてきたこと(実名と匿名に関すること)が原因では・・・そうならばたいへん残念なことだ。私は、匿名での発言がすべて無意味だなどとは考えていない。それどころか、ホーライさんのサイトは非常に有意義だ。閉鎖は思いとどまってほしい・・・という内容のメールをホーライさんに送信した。

 ホーライさんからのお返事には
> サイトを閉じたのは、津村さんとは全然、全く関係の無い理由ですので、ご安心のほどを!
と書かれていた。何かわからないが、よほどのことがあったのだろう。あまりに突然すぎる。

 「医薬品ができるまで」は、治験(新薬が世に出るために必要な臨床試験)に関わる製薬会社の社員向けで、専門的なことの解説や業界情報が主な内容だった。また、交流を重視しており、架空の会社「ホーライ製薬」にはハンドルネームの「社員」が多数登録し、「支店」まである。患者さんや家族による手記も掲載し、交流の幅は広かった。
 匿名ならではの本音トークが多く、語り口はくだけていたが、よりよい薬や医療を作り出したいという願い、患者さんへの思いやりが常に感じられた。他者への批判を展開するようなサイトではなく、同じ分野の人たちが仕事にまつわる喜びや悩みを共有することが目的だったと私は思っている。

「匿名による専門情報サイト」に関する私見
 ホーライさんは、私が書いたことはサイト閉鎖と関係ないと言っておられるので、「医薬品ができるまで」とは切り離して、一つの機会として、ここで「匿名による専門情報サイト」について私見を述べておく。

 匿名では、情報内容の信頼性という点では、確かに評価は低くなる。責任を持って文章を公表したいと考えたとき、「匿名のサイトXでこう書かれている」と引用することはできない。
 しかし、「考えるヒント」や「必要な情報を発見する手がかり」として匿名サイトが役立つことは大いにある。そういう場合、私は、引用自体は発信者が明示されているサイトからしかしないけれども、手がかりを与えてくれた匿名の方への敬意も表明したいと思っている。
 たとえば、キャピラリー電気泳動に関するメモ では、 KITORAさんのblogの記事 がきっかけで書いたことを明らかにしている。

 また、ネット上で表現されている個人の人格・人柄は、たとえ匿名であっても真実のものだ。だから、農薬分析への熱意を表している人として私は グレガリナさん を紹介したこともある。

 このように、匿名による専門情報の提供であっても価値はあるのだ。特に、交流や共感が主目的ならば、匿名はほとんど障害にはならないだろうし、むしろ匿名だからこそできることもあるのではないか。

名残惜しいですが・・・
 私のblogの一番の願いは、技術系のサラリーマンが誇りを持って働くために、ネットでの情報発信が役に立つのではないか、そのための方法論を提案していこう、ということだ。ホーライさんの活動は一つのユニークなスタイルであり、いずれここで紹介したいと思っていた。まさか閉鎖と同時に紹介することになるとは。たいへん残念だ。
 でも、ホーライさん自身が、深く考えた末に決められたことだろうと思います。今までありがとうございました。お疲れさま。

 私は他業界の人間だが、製薬業界内のみなさんも、突然のことに驚き、惜しんでいるようだ。見つけた範囲内のblogにリンクしてトラックバックさせていただきます。

僕を支え続けてくれていたいもの
 今週のモニタリング報告書 より(4/17)

「医薬品ができるまで」と「ホーライ製薬」の終焉
 今週の監査 より(4/17)

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2004.04.16

実名を名乗っていてうれしいこと

 三中信宏さんの日録4月15日分 で、私がネットで実名を名乗る理由3 へのコメントをいただきました。

 実名で書いている私としては、これだけさっぱり言い切る意見を読むと、とてもうれしいです。私自身にはとても言えませんけど・・・。ココログで書いていて、コメントもトラックバックも受け付けてますから、怖いです。それに実際、友好的に情報交換するぶんには、相手が匿名のかたでも私はあまり気になりません。

 でも、個人サイトを立ち上げて以来、実名でネットに現れている自分を認めてもらえてうれしい、と感じたことは何度もあります。最初にそう感じさせてくださったのは 竹中明夫さん でした。(実名だからまともに相手していただいたと考えたのは私の勝手な解釈で、竹中さんは区別しておられないかもしれませんが。)

 あまり大きな声で言う人・言う場合は少ないですが、実名の人は、相手が実名か匿名かで違う付き合い方をするものではないでしょうか。少なくとも私はそうです。気にしていないとは言っても、少しは(場合によっては大いに)付き合い方が変わります。
 議論していて理性をなくしたり、自分の発言に責任を取らないという態度は、実名か匿名かよりも当人のパーソナリティによる部分のほうが大きい、ということには私も同意します。ところが、そのパーソナリティというのが、自分自身は知っているつもりでも、周囲には簡単にわからない、すなわち情報の非対称性が存在します。
 こういう場合、「自分の行為によって自分が失うかもしれないもの」を明示的に示すことは、コミュニケーションに要するコストを下げる働きがあると思います。

 理屈は置いておいて、実名でネット上に現れるのは思ったほど怖いことではなく、それに対して、うれしいことはたくさんあります。これは実名を名乗るようになって初めて知りました。

 三中さんの言葉を、以下に引用します。ココログでここまで書くと抵抗がありそうなのは予測しますが、私以外への批判コメント禁止 のルールに基づいて、私のblog内での批判コメントは御遠慮ください。「引用した私」への批判も、まぎらわしいですから御遠慮ください。

◇津村ゆかりさんの〈私がネットで実名を名乗る理由3〉(4月14日付)を読む――同意できる点が多々ある.「匿名の人は,実名の人にまともに相手にしてもらえない場合がある」というのは控えめな表現ですね.少なくともぼくの場合,〈匿名者は石ころと同じ〉という認識をしています.〈石〉がそこにあってもあるいは〈石〉が何かものを言っていてもぼくの知ったことではないということです.まともに対面する以前に,相手として認識していないと言った方がいいのかな.以前,ニフティーのあるフォーラムで「ハンドルネームな人たち」と議論した経験がありますが(ぼくは実名で),基本的にフェアではないですね.そういう「場」というのは.

―― ですから,私がいま運営しているメーリングリストでは,発言に際しては必ず「実名と所属」を名乗ってもらうことを義務づけています.あえて匿名またはハンドルネームで参加したいという希望者はときどき出現します.その際には,「投稿を読んだり過去ログを検索したりするのはかまいませんが,議論には参加しないでください」とクギを刺しています.匿名であったとしてもリード・オンリーの会員としてその「場」にいることそれ自体はとくに問題ないですね.道端に〈石〉が転がっていても誰も気に留めないのと同じことです.しかし,〈石〉には〈人〉に対して発言する資格はまったくありません.ですから,〈人〉どうしの議論に〈石〉が混ざるのは御法度なのです.

―― メーリングリストでの〈匿名会員〉に関する上のような方針を公開したところ,とある別メーリングリストの管理者氏から,参考にしたいので転載を許可してもらいたいという依頼を受けたこともあります.場合によっては,こういう指針が有効であるケースもあるのかもしれません.

―― もうひとつ,「匿名の人は,実名の人にまともに相手にしてもらえなくなるような行為をしてしまいがちである」という津村さんのコメントについては,どれくらい一般的に成り立つのかな.〈実名の人〉であってもそういう行為をしてしまう例は少なくないので,最終的にはパーソナリティ(あるいはエキセントリシティ)の問題かとも思えます.もちろん,匿名であるがために心理的ハードルが低くなっているということは十分にあり得ますがね.

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2004.04.15

ネットでの匿名と実名

 実名のほうに少々肩入れした自説を書いてみる。
 私は、匿名で書かれていることは信用できないとか、匿名だと理性をなくしがちなどと一律に考えてはいない。現時点で、インターネットの世界で優勢な見解は「実名を名乗っていない人であっても、まとまった人格を継続的に表現していれば完全な匿名とは異なる。そういう人格は尊重されるべきである」だと思うし、これに私も同意する。実際、大勢の匿名の人たちが作り出したコンテンツを役立てたり交流を楽しんだりしてきた。自分自身が匿名だったこともある。

 では、匿名の人は実名の人と完全に対等に話ができるのか。「できる」と言う人もいるかもしれない。でも、私は「できない」と思う。といっても、匿名の人は実名の人を絶対批判してはいけないとか、そこまでではないはずだ。
 どこらへんまでなら許されて、どこから先は踏み込んではならない領域なのか。こういうことについて整理された議論は少ない。私が拾ったものをリンク集として下にまとめてみた。
 どの意見も「ネット上でのマナーとして」実名と匿名の違いをわきまえるべきだ、あるいは、実名でしないようなことは匿名でもするな、という話になっている。私も、それぞれの人たちが示している線におおむね賛成する。

 ただ、私が 前回の記事 で書いたように、「匿名で発言すると問題のある行為をしてしまいがちな人は、実名で発言することで自制できる」という観点から実名を勧めた意見は見つからなかった。
 考えてみれば当たり前のことで、「自分は匿名で発言していたときにキレてしまったことがあるので実名を名乗るようになった」とわざわざ告白する必要性は、たいていの人にはない。匿名の恥はかき捨てだ。黙って実名を名乗ればいい。
 このblogの場合は、普通のサラリーマンが自分の専門分野についてウェブで語るとき心理面で負担になりそうなことを検討して方法論を提案するのが目的なので、「世間体を気にかけながら書く」とか「小心なサラリーマン専門家に何が書けるか」とか、普通は話題にならないような楽屋裏のせこい話が多い。私が昔の体験を書いたのも、テーマに添ったものだ。

実名と匿名の違いに着目したリンク集
匿名サイトの気軽さと、はかなさ
 岡山大学文学部心理学講座 長谷川芳典さんのじぶん更新日記、98/10/20付け。この文章で、ほぼ集約されていると思う。

匿名でも情報的価値があればそれでいいじゃないかという人もいるだろう。しかし議論を求めるサイトとなるとまるで違う。
  • 匿名で批判を続ける人は、HPの存続に当たって自分を守る必要がない。イヤになったらヤメしまえばよい。いつヤメても私生活では何の不都合も生じない。気が向けば別のサーバーから別のHP立ち上げればよいだけ。いっぽう、実名で批判を受けた人は、枝葉末節な点に至るまで反論や追加の説明を加えなければ、実生活全般にわたって信用を失うおそれがある。極端に言えば自分のクビをかけて、発言の内容の社会的責任を負わなければならない。この点、匿名サイトはまことに気軽なものだ。

  • 匿名のサイトの主宰者は、そこに記されているコンテンツの範囲でしか批判されない。これに対して、実名のサイトは、HP以外のあらゆる著作物や発言を引用して批判される。

  • 匿名で批判する人は、じぶんの主張内容には何の体系性、何の一貫性がなくても、相手の主張をローカルな(つまり断片的な)理屈だけで反論することができる。違う基準(スタンダード)で反論する時には、別のハンドルを名乗ることだってできる。
 ざっと言えばこんなことになるだろう。

高木浩光@茨城県つくば市 の日記(2003年5月29日)
 下記の引用中、強調は津村による。的確なルールだと思う。

かれこれ2年半前になるが、Java Houseにおける匿名発言をめぐって議論になったことがあった。私の立場は「匿名発言をするな」というものであったが、一部でこれに対する反発があった。最終的に私の立場は「実名だったら投稿しないような内容の投稿は禁止」という表現で整理されることとなった。つまり、実際に実名を使っているか仮名を使っているかは重要ではなく、内容を書く際のスタンスを問うものであった。

ハンドルネームと匿名。ネットではどちら
  イー・ウーマン のサーベイリポートデータベース、2000/10/9 - 2000/10/13の話題。一読者の投稿だが、ごく常識的な意見が素直に述べられていて、端的にまとまっている。

「善意での匿名発言なのか、悪意での匿名発言なのか」によって全然議論の本質が違いますよね。楽しいおしゃべりを匿名でするのは全然かまわないですけれど、他人の誹謗中傷や、告発といったトーンの投稿を匿名で行うのは問題だと思います。以前、とあるメーリングリストで、実名で発言している人の本業での仕事ぶりや人間関係などの誹謗中傷を、匿名で発言し続けた人がいました。そんなとき、実名発言している人がどんなに理路整然とやりとりしても、絶対に負ける。匿名の人は、自分が誰かも明かさず一方的に実名の人の実際の人間関係を傷つけるのですから……。当たり前ですが「悪意の匿名だけは絶対に止めて」と強く強く願います。

99/01/07 02:23 RE: 青酸カリを提供したネット・コミュニティ
 HotWired Japan のNews Watchers' Talk バックナンバーより。船田戦闘機(メディア技術者)さんの発言。「・・・風潮はあっていい」という言い回しが、私の感覚にもぴったり来る。

まとめると、ぼく的には、
・匿名で発言する自由は認められるべき
・でも実名でのコミュニケーションのほうが信頼される風潮はあっていい
といったところです。

blogの未来は参加者が創る[ゴーログ]
 週刊!木村剛 2004.03.16 付け記事。ココログ内で3月に匿名vs実名が話題になった発端記事。木村剛さんの社会的な御主張は、新聞、雑誌、インターネットでよく読み、著書も1冊は買っていますので、ひととおり知っているつもりです。しかしここでは実名のブロガーどうしという立場でトラックバック。

 個人的には、匿名性というセーフティネットに護られたネットにおける言論活動であったとしても、「殴られるかもしれない至近距離においても、面と向かって言うことができる内容、もしくは言わなければならないという覚悟を持った内容であることを望みたい」と思っています。目の前ではとても言えないような誹謗中傷を赤の他人にぶつければ、コミュニケーションが途絶えるのは当然の帰結です。それを「アイツは逃げて行った」などと嘲笑の対象として仲間内だけで盛り上がるというのは、あまり生産的な活動とは言えないように思います。
  気に食わないのであれば、そのBlogを読まなければよい――それだけの話です。わざわざアラシにくる必要はどこにもないはずです。実生活でも、嫌いな人とは付き合わないでしょう。でも、よほどの変人でない限り、嫌いな人であってもその人が大事にしているプライベートな人間関係を壊しにはいかないはずです。でもネットでは、それが簡単にできてしまうし、やってしまう人たちがいます。

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2004.04.14

私がネットで実名を名乗る理由3

 今回の話は、私が匿名だったときのこと。
 匿名といっても、「名なしさん」や「通りすがり」ではない。固定したハンドルネームを名乗っていた。
 blogをする人はたいていハンドルネームを使うから、説明するまでもなくわかってもらえるだろう。リアル世界で口にしたら気恥ずかしくなるような名前であっても、書いたものが増えるほどに、本人にとってはその架空の自称への愛着が深まっていく。
 ハンドルネームどうしで火花の散るような応酬をしている人たちを見かけると、経験のない人には、オンラインであんな遊びみたいな名前を呼び合ってどうしてそこまで真剣になれるのかと不思議かもしれない。でもそういうものなのだ。2ちゃんねるのような固定ハンドルの少ない掲示板でさえ、「発言番号5番」とかで名指し批判されて熱くなっている人を見かける。

洗練された議論相手(実名)との出会い
 私がハンドルネームを使って何をしていたかというと、ある社会問題に関して、二つの完全にメンバーの異なる掲示板で議論をしていた。匿名を選んだのは、立場上、社会問題に関して実名で発言するのははばかられたからだ。
 私が参加していた片方の掲示板で頻繁に書いていた人(実名の男性)は、議論相手として非常に魅力的だった。ネットでありがちな議論パターンに、本筋と関係ないちょっとした表現にこだわって長々反論するとか、相手の発言を逐一引用してコメントしなければ気がすまないとかいうのがあるが、彼は違っていた。基本的に相手への反論でなく完結した自説を述べるスタイルで、それぞれの発言を単独で読んでも読者に有益さを感じさせた。(これは私のblogにもできるだけ取り入れている。)
 それから、相手の真意を読み取れずにポイントをはずした応酬をするというのもよく見かけることだが、彼には全くそういうところがなかった。掲示板の中で、私の発言に対して枝葉末節にとらわれた答えを返す人もおり、同じ文章を読んでも人によってこんなに読解力が違うのかと感じた。後にも先にも、この人ほど洗練された議論相手と話したことはない。
 前回書いた事件 をきっかけに、実名の人が匿名の相手と真剣に議論する気持ち悪さを私はわかっているつもりでいたから、彼に対してはメールで職場サイト内の自分のURLを示して自己紹介した。

ハンドルネームでの人格を蓄積した一年間
 そういうわけで、私は約一年間ほど、その社会問題に関して議論しながら色々と勉強した。二つの掲示板に出入りした理由は、議論相手として面白い彼がいるほうの掲示板はかなりレベルが高くて、私のような初心者は、ひととおり疑問が解決するともうあまり意味のある発言をできなくなったからだ。途中から私は、一般的な話題の多い掲示板に発言の場を移した。
 一年経って、一応自分としてはまとまった知識を得られたし、個人的な事情で忙しくなりそうだったので、このテーマでの発言に区切りをつけようと考えた。そこで、レベルの高いほうの掲示板で締めくくりの挨拶をした。色々教えてもらった御礼を述べてきれいに終わるつもりだった。

思いがけない批判の応酬
 ところが。
 ずっと有意義な議論を続けてこられたと(私としては)思っていた彼が、いきなり厳しい口調で私を批判した。わけがわからなかった。
 ここで私が実名であれば、「どうしてそんなことを言うのですか?」と冷静に返していたと思う。しかし、匿名であるという甘えと虚勢から、思い切りこじれる反撃をしてしまった。つまり、「そんなことを言うあなたはおかしい」という人格攻撃をしたのだ。しかも単純に「おかしい」と言うのでなく、レトリックを凝らして何回かの応酬をするという形で。

 はたから見ると何のことやらわからないやり取りの末、どうやら、私がもう一つの掲示板でしていた発言に関して彼が単純な読み違いをしていたことが根本原因みたいだとわかった。(私の筆力も乏しかったとは思うが。)
 こんなことだったのか、アッハッハ。と普通の会話なら笑って終わるところだが・・・甘いことに、私は一瞬そう期待した。

予想しなかった結末

 そうはならなかった。

 彼は、今度はもっと根本的な読み間違いをして、自分の主張を貫いた。この読み間違いは、きっかけとなった読み間違いとは異なり、確信的で芝居じみてさえいたと私は思う。
 先に書いたとおり、この人は常に議論の的をはずさない洗練された論者だったから、こういう挙に出たのは私には驚きだったし、実名と匿名の間の壁を再び思い知ることになった。
 もとは小さな読み違いであっても、私は過ぎた言葉で人格攻撃をしてしまっている。実名も所属も明らかにしている彼が今さら間違いを認めることは、確かにできないだろうと思われた。私も一年間まじめに勉強したり議論したりして、ネット上の人格として十分確立していたつもりでいたが、前回も書いたとおりそれは過去のことでしかなく、ハンドルネームの私はいつでも消えることができた。
 結局、私は彼の話に合わせて自分の誤りを認めて最後の発言をし、議論はさっぱりわからない終わり方をした。

こうして私は実名を名乗るようになった
 今回の話と前回の話、共通して導かれる教訓は、
 匿名の人は、実名の人にまともに相手にしてもらえない場合がある。
 あるいは
 匿名の人は、実名の人にまともに相手にしてもらえなくなるような行為をしてしまいがちである。

 ニワトリと卵のようなもので、どちらが先かはわからない。
 どちらが主因であろうと、自分がこういう事態に陥るような性格で、かつ陥るのがいやなら、実名を名乗るのは、最もシンプルな対策だ。
 そういうわけで、実名の今、私は発言できる範囲を自らかなり限定しているけれども、気持ちは匿名のときよりもずっと自由でいる。

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2004.04.10

私がネットで実名を名乗る理由2

 私が加入していたある専門家団体でのできごと。その団体は大きめのサークルという感じの任意団体で、啓蒙や社会的提言を目的として、会員の書いた文章を集めた機関誌を発行したり講演会を開くのが主な活動内容だった。機関誌の内容の一部はホームページでも公開していた。
 あるとき、「匿名(ニックネーム)の一市民」を名乗る女性---仮にAさんと呼んでおく---が団体の掲示板に書き込みをしてきた。団体のホームページ内で掲載されている解説記事の内容に非常に問題がある、どういうつもりでこういう文章を掲載しているのか説明してくれ、といった文意だった。

実名の個人と団体に、匿名の人が議論を挑んできた
 問題の解説記事とは、ある医薬品に関していくつかの資料を引用しながら述べたものだった。文章全体としても結論としても、「この医薬品は、使用する人に深刻な健康被害を与える」という主張になっていた。
 Aさんは、その医薬品を推進する立場のホームページを開設している人だった。Aさんのサイトでは、その医薬品を使用するメリットとデメリットがわかりやすく詳細に解説されていた。普通の一市民ではなく医療関係の専門家に違いないと思われる知識の深さ、また、本当に医薬品を使う人の立場に立った思慮の深さがうかがわれた。

 私はそれまで特段その医薬品に関心があったわけではなく、問題の解説記事も読んでいなかった。記事を書いたのは、Bさんという実名の専門家だった。Aさんのサイトと比べながら読んでみると、バックグラウンドの違いは歴然としていた。Bさんの記事は、別の団体が集めた資料をもとに、その団体の主張をそのまま紹介したものに過ぎなかったから。

団体はAさんの申し入れを無視した
 Aさんの書き込みに対してBさんが掲示板で返信したが、Aさんは納得せず、個人でなく掲載した団体としての見解を示せと要求してきた。しかし団体としては反応しなかったので、Aさんは自分のホームページ(1日1000ヒット)で、団体とBさんを名指しする批判を掲載し始めた。そして団体内部のメーリングリストでは、ある程度ネット歴がある人なら誰でも想像がつくようなすったもんだが起こった。

 途中は省略するけれど、結果としては、団体は掲示板を過去の発言も含めすべて削除した。そして、機関誌の記事をホームページに掲載する期間を限定することにして、Bさんの記事はその期間を過ぎているという理由で(つまり、Bさんの記事が妥当かどうかという議論は抜きで)、他の古い記事とともに削除した。
 表向きは全く無視された形のAさんは、自分のホームページでしばらく批判文の続きを書いていたが、完結せずに止まってしまった。

有意義な議論になったはずなのに
 私が今でも残念に思うのは、ちゃんと議論が行われれば、その医薬品について一般の人がより深く理解できる機会になったはずなのに、そうならなかったことだ。
 なぜ団体は、Aさんに対して全く反応しなかったのか。内部には、Aさんが匿名だからだと説明された。ちゃんと名乗っている相手であれば、たとえ普通の一市民であっても、ネットでの問いかけに対しては団体としてネットで何らかの反応をするのが礼儀だったと思う。記事を書いたのはBさん個人だが、機関誌やホームページで掲載したのは団体だったのだから。

匿名と実名の間の大きな隔たり
 この事件をきっかけに、私は、匿名と実名の間の厚い壁を意識するようになった。匿名どうしまたは実名どうしで話すときにはほとんど意識しなくてもいいことが、いざ匿名vs実名での激しい議論になったときには、強烈に効いてくる。
 たとえ一日1000ヒットのサイトのオーナーであろうと、Aさんは匿名だった。充実したサイトという実績は、Aさんの過去を映すものではあるけれど、未来のことは全く保証しない。明日にはAさんはサイトを閉じてしまうかもしれない。
 それに対して、Bさんは別に有名人ではないけれど実名だった。医療関係の専門職として、所属する病院の職員や患者さんには名前が知られている。Bさんの氏名は、Bさんの一生と共にある。
 つまり、議論によって優劣がつく場合、Aさんの失うものに対してBさんの失うものはかなり大きいのだ。これは対等に議論するには不公平な条件だ。

実名で行くか匿名で行くか
 こういう経験から私は、これからネット上でまとまった人格を表現しようという人は、実名で行くか匿名で行くか、早い段階で自分の中ではっきりと決めておくほうがよいと思う。
 「実名」というのは、いきなり本名を書くという意味ではなく、ゆくゆく、実名を出すことになったとしても困らないように心構えしておくということ。こういう意味では、けっこう多くの人が「実名」ではないかと思う。Aさんのように徹底して匿名を貫く人のほうがむしろ珍しいかもしれない。(彼女は個人的なメールでも全く名乗らなかった。)

 ところで、完全に匿名の人から激しく批判されるというのは、ものすごく気持ち悪いものだ。これは、実際に経験した人でないとなかなか分からないと思う。団体の中では、Aさんの正体に関して、実は製薬会社の男性社員だとか、複数の人物が作り上げている架空の人格だとか、元過激派だとか、ありとあらゆる憶測が飛び交った。
 また、匿名で発言すると、リアルな人間関係では使わないような激しい言葉を使ってしまいがちだ。Aさんは最初はまあ礼儀正しかったが、だんだん挑発的な言葉づかいになった。相手にされないことへの苛立ちがあったためとも思うが、挑発的になるほど、実名の側では無視が妥当という意見が優勢になった。

おまけ
 なお、この一件は私に「専門家が組織の名を借りて発言することの危うさ」を痛切に感じさせた事件でもあった。Aさんのやり方はともかく、主張の内容は傾聴に値するものだったから、私はBさんには自ら記事の内容を検証しなおした記事を書いてもらいたいと思った。また、団体に対しても、Bさんがそうするように促すか、あるいは他の会員が書くかしてほしいと期待した。
 しかしそうはならなかったし、私も医薬品が専門ではないのでできなかった。つまり、一般の人から見れば、専門家団体が発行する機関誌の記事は、一人の専門家の発表したものより信頼できそうに思われるにもかかわらず、実態としては内部でのチェックが働いていないどころか、発表することへの覚悟も十分でなかったのだ。Bさんが一人でやっていたなら、もっと覚悟が必要だから、ホームページでの発表はしなかったと思う。
 先月、「専門家は個人の責任で情報発信するな」をめぐる一連の議論 が起こったとき、自然と私はこの一件を思い出していた。
 チェック機能が十分働いていない組織の名のもとで専門的な発言をするのは危うい。専門外の人に過度の間違った信頼感を持たせてしまう。水面下で他者の力を借りて自己点検するのは有意義だけど、組織の裏付けがあるかのような物言いをするのは慎むほうがいいと私は思っている。(繰り返しになるが。)

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2004.04.03

私がネットで実名を名乗る理由1

 気の小さい雇われ専門家の私がなぜ実名を名乗るようになったのか。ほとんどの人にはどうでもいい身の上話をしてみる。これは3記事にまたがる予定の、長い話。

単純な成り行き上の理由
 一番単純には、私が個人ページを公開した経緯 で書いているとおり、もともと前の職場のページ内で公開していたコンテンツがあって、それをインターネット上に残したくてサイトを開設したからだ。ちょっと前まで実名で公開していたものを、急に匿名になって公開し続けるのも不自然かと思った。
 二番目に単純な理由は、私が論文を書いているから。それらの論文について書くとき、もし匿名だったら、自分の仕事なのに他人の仕事であるかのように引用することになってしまう。それは、ウソとまで言えないかもしれないけれど、ウソに似た行為だと思う。

情報の質向上のため
 私は、誰かに利用してもらえることを励みにしてサイトを作成している。そして、各ページの内容は一般向けではなく同業の専門家向けだ。最初は仕事上の必要から検索で見つけてもらい、役に立ちそうであれば、学会誌や業界紙を読む感覚でときどき再訪してもらえればうれしい。
 こんな感じで利用されることを想定したとき最も重要なのは、私の提供する情報の利用価値が高いかどうかだ。
 情報内容そのものの質を高めることは、そう簡単でない。でも、情報の提供者についてできるだけ詳細に明らかにすることは、最も簡単に実行できる利用価値向上の方法だ。そういうわけで、実名と共に、略歴など、差し支えない範囲で明らかにしている。

最高の個人情報流出対策として
 実名を名乗るのは、個人情報の流出を防ぎたいからでもある。それは変だと思われるかもしれない。個人情報を流したくなければ匿名でと考えるのが普通かもしれない。
 でも、実名を名乗ることによって、流出してもかまわない情報しか流さないよう強く自己規制できる。私の経験では、匿名(ニックネーム)で書いていると、実名では書けないことまでつい書いてしまう。そのニックネームがある日もし、不本意にもいきなり実名と結びついてしまったらどうなるか。そういう事態に備える方法の一つは、絶対に実名がわからないように防御することであり、もう一つは、いつ実名と結びついても困らない情報しか流さないことだ。
 実名と結びついても困らない情報だけを流すなら、いっそ実名を出してもあまり差し支えないと思う。

身の丈に合った自分を表現する
 主に他人と議論になってしまった場合にありがちなことだが、自分のバックグラウンドを示して自分の主張に説得力を持たせたいと考える人がいる。周囲から高く評価されているとか、こんな成果を上げたとか、有力者と知り合いだとか、学歴があるとか。
 でも、匿名でそんなことを書いても確かめようがない。そんなことを持ち出して相手を説得しようとするのは、見苦しい態度だと思う。
 では、ネット上で表現できるだけの材料で自分のバックグラウンドを示すならどうか。議論になっている分野に関して深い知識があることを掲示板やホームページで日頃から示している人は、その周辺の常連から篤い信頼を得ているものだ。そういう人たちは貴重な存在で、大勢の匿名の人格者がネットを豊かなものにしている。ただ、そこまでの信頼を形成するためには、分野にもよるけれど、だいたい年単位、少なくとも月単位の時間がかかる。
 そんな時間をかけずに、ネット上で急速に存在感を出すことも可能だ。単純に、ネットにつぎ込む時間と手間を増やせばいい。でもそうすると、ある矛盾が生じる。それは、ネット上に高密度に現れることは、リアル社会では必要とされていない(ヒマな)人物であることをうかがわせるということだ。
 熱い議論の中で、前述の「確かめようがないバックグラウンド」と「ヒマさがうかがえる高密度な書き込み」をセットでやっている人を見かけるたび、私は何ともいえない見苦しさを感じてきた。正直に言うと自分自身、匿名で発言しているときに、ついこれに類することをしてしまったことがある。
 大多数の人は、そんな見苦しいことはしない。でも、私はしてしまう性格だと思う。実名で時間をかけて作成したネット上のコンテンツがあれば、そういうことを避けられる。

一番根本的な理由
 最後に、私の名前は私のものという気持ちがある。自前で分析機器が買えるわけでもないし、給料がもらえなくなったらたちまち困窮するような身分ではあるけれど、自分の名前は自由に使いたい。論文その他の文書用として貸すことがあるにしても、だからといって名前が組織のものになってしまうことはないだろう。・・・という単純で根本的な理由。

 以上が私が実名で書くようになった理由だが、転機となった重要なエピソードが二つある。それについてはまた。

(ココログ内では1月末ごろ ネットで実名を名乗らない危険性について へのコメントとして実名・匿名の議論がありましたので、トラックバックさせていただきます。)

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