分析化学/化学分析

2023.12.03

TICかTICCか(GC/MSやLC/MSの用語)

この文章は長くなる見込みです。しかもくどくどしています。そこで、最初に結論を書きます。
「TICでもTICCでも良い。でもTICの方が短いから私は好き。」
結論だけ必要な方は、ここで読むのをやめてください。
なお、それぞれの語は次の語の略語です。
 TIC : total ion chromatogram
 (全イオンクロマトグラム)
 TICC : total ion current chromatogram
 (全イオン電流クロマトグラム)

1.TICとTICC 推奨状況の現状
国際純正・応用化学連合(IUPAC)は 2013年の勧告 でTICを非推奨、TICCを推奨としています。日本質量分析学会の「マススペクトロメトリー関係用語集(第4版)」はTIC、TICCとも認めていますが、後で述べるようにTICCの意味を限定していますので、一般的なユーザーにとっては実質的にTICが推奨語と思われます。
日本産業規格(JIS)の3つの規格
 JIS K 0214:2013 分析化学用語(クロマトグラフィー部門)
 JIS K 0123:2018 ガスクロマトグラフィー質量分析通則
 JIS K 0136:2015 高速液体クロマトグラフィー質量分析通則
はいずれもTICCのみを使用しており、TICの語を使っていません。
装置メーカーの対応は分かれており、分析画面やプリントアウトで表示される名称はTICの場合もTICCの場合もあります。

2.TICでなくTICCが推奨される根拠
日本質量分析学会の学会誌に2007年に掲載された解説「目から鱗のマススペクトロメトリー 第12回「Total Ion Chromatogram」と「TIC」∼「TIC」はトータルイオンクロマトグラムではありません∼」の内容を要約して紹介します。既にこの文章を読んだことがある方は3へ進んでください。

もともとTICの語はクロマトグラムを表すものでなく、「total ion current(全イオン電流)」の略語であったとのことです。そして、全イオン電流を保持時間に対してプロットしたクロマトグラムは「TIC chromatogram」と呼ばれます。「TIC chromatogram」を略さずに書けば
 total ion current chromatogram
すなわち「TICC」となります。それがなぜ「TIC」とも呼ばれるようになったのか。この解説では2つの説を述べています。
 説1 total ion current chromatogramからcurrentが欠落した。
 説2 TICのCがchromatogramのCであると誤解された。
いずれにしても、TICではイオンの何の数値を合わせたものか不明(電流値、質量などがあり得る)という理由から、TICCが正しく、TICは誤っていると書かれています。

3.IUPAC勧告の定義
TICCの項目はこのようになっています。

531. total ion current chromatogram (TICC)
   reconstructed total ion current chromatogram

Deprecated: total ion chromatogram.
Chromatogram created by plotting the total ion current in a series of mass spectra recorded as a function of retention time.
total ion chromatogramの略語としての「TIC」については明確に非推奨です。また、「reconstructed」つまり再構築されたものであることを示す語を並列で置いています。これがあることで、次に述べる日本質量分析学会の定義との違いが際立ちます。
なお、全イオン電流の意味での「TIC」は次の定義です。
530. total ion current (TIC)
Obsolete: after mass analysis, before mass analysis
Sum of all the separate ion currents carried by the ions of different m/z contributing to a complete mass spectrum or in a specified m/z range of a mass spectrum.
「質量分析前のTIC、質量分析後のTICといった表現は使われなくなった」と書かれています。この説明もまた、日本質量分析学会の定義との違いを際立たせます。

4.日本質量分析学会の定義
「マススペクトロメトリー関係用語集(第4版)」のTICとTICCの項目はこのようになっています。TICには2通りの意味があるとの立場です。

total ion chromatogram (TIC)
全イオンクロマトグラムまたはトータルイオンクロマトグラム:ガスクロマトグラフィー質量分析や液体クロマトグラフィー質量分析などにおいて,取得したマススペクトルの全体もしくは特定の広い m/z の範囲におけるイオンの検出器応答値の合計値をクロマトグラフィーの保持時間に対してプロットしたクロマトグラム.
注:略語 TIC を用いる場合は同じ略語が使用される全イオン電流 (total ion current: TIC) と混同されないよう留意する必要がある.

total ion current (TIC)
全イオン電流:ガスクロマトグラフィー質量分析などにおいて,質量分析装置に全イオンモニター(total ion monitor),あるいはビームモニター (beam monitor) と呼ばれる特別な電極を設けて測定した m/z 分離が行われる直前のイオン電流値.
注:略語 TIC を用いる場合は同じ略語が使用される全イオンクロマトグラムまたはトータルイオンクロマトグラム (total ion chromatogram: TIC) と混同されないよう留意する必要がある.

total ion current chromatogram (TICC)
全イオン電流クロマトグラム:ガスクロマトグラフィー質量分析などにおいて,全イオン電流値を保持時間に対してプロットしたクロマトグラム.

この定義にはびっくりするポイントが2つあります。
一つは、IUPAC勧告で非推奨とされているクロマトグラムの意味の「TIC」が非推奨でないこと。この用語集はIUPAC勧告準拠が基本方針なのに、異例です。もう一つは、「TICC」の意味が極めて限定的で、通常のGC/MSやLC/MSで出力されるクロマトグラムには使えず、実質的に「TIC」を推奨していると解釈できることです。

日本質量分析学会の「TICC」の意味が限定的とはどういうことか説明すると、電流のほうの「TIC」を「全イオンモニターあるいはビームモニターと呼ばれる特別な電極を設けて測定した m/z 分離が行われる直前のイオン電流値」と定義しているからです。
普通のGC/MSやLC/MSのユーザーにとっては、全イオンのクロマトグラムと言えば、マススペクトルに表れている各m/zのイオンの信号を総和してプロットしたものでしょう。「m/z 分離が行われる直前のイオン電流値」をプロットしているとは考えないし、私の知る限り、装置はそのような仕様になっていないと思います。
また、3で書いたとおりIUPAC勧告では「質量分析前のTIC、質量分析後のTICといった表現は使われなくなった」と述べているのですから、第4版で新たにこのように定義した理由がまったくわかりません。(用語集第3版では、TICは質量分離後に合計したものという意味になっていました。)

第4版が出た2020年以降、私はこの転換にモヤモヤしていましたが、一会員には情報が入りません。学会誌では追補版が出ていますが、そこでも説明されていません。
ところが最近、
「質量分析学会が翻訳しているGrossの教科書と関係があるかもしれない」
と聞きました。そこでその教科書を確認してみました。

5.Grossの教科書
その教科書とは J.H. Gross「マススペクトロメトリー 原書3版(日本版)」です。この教科書ではTICについてどのように書かれているのでしょうか。
冒頭に略語集があり、次のとおり3つが並んでいます。

TIC total ion chromatogram;  全イオンクロマトグラム;
   total ion current  全イオン電流
TICC total ion current chromatogram 全イオン電流クロマトグラム
いずれも非推奨でありません。一見、質量分析学会の定義に似ているように思われます。しかし、total ion currentの意味が異なっています。p.672にこのように書かれています。
 数十年前は全イオン電流(total ion current : TIC)が,質量分析に先立ってハードウェアTICモニター(hardware TIC monitor)で測定されていた(nA~µAの範囲).今日では,それに相当するものが質量分析後に再構成(reconstructed)または抽出(extracted)される.
これを素直に読めば、質量分析学会は数十年前に使われていたTIC(全イオン電流)の意味をわざわざ復活させて2020年発行の用語集に載せたことになります。Grossの解説は、IUPACの勧告にある「質量分析前のTIC、質量分析後のTICといった表現は使われなくなった」とも整合します。

ところで、Grossはクロマトグラムの意味ではTICとTICC、どちらの略語を推奨しているのでしょうか?その答えは実に明解で合理的です。p.673の表には、TICとTICCの他にRTIC(再構成全イオンクロマトグラム)とRTICC(再構成全イオン電流クロマトグラム)も挙げた上で、コメントとして次のように書かれています。

測定時間,保持時間,またはスキャン数に対して,マススペクトルあたりのピーク強度の総和をプロットしたもの.実際にはこれらはほとんど同じ意味で使用される.ここでは最も単純な語であるTICが推奨される.

6.結局どちらを使えばいいのか?
以上、各資料の記述をまとめると下の表のようになります。質量分析学会用語集第3版はIUPAC勧告と同じ定義でした。日本産業規格は1に挙げた3つの規格の状況ですが、いずれも学会用語集第3版に準拠しており、TICCの語だけを使用しています。

Ticticc

私は用語で迷った時にはできるだけ「最大公約数」を採用するようにしています。どの定義にも反しないように語を選ぶのです。学会用語集第3版までは、「TICC」を使っておけば「非推奨」に引っかかることはありませんでした。
しかし用語集第4版では、「TICC」の定義は極めて特殊な内容になりました。現在のGC/MSやLC/MSではほとんど使われない測定技術によるクロマトグラムが「TICC」であるとの定義になりました。

これはフルネームtotal ion current chromatogramを書けば解決するという問題ではありません。total ion current chromatogramの定義自体が変わってしまったからです。普通のクロマトグラムをTICCと呼びたければ、「質量分離後に再構成されたクロマトグラム」といった説明が必要になります。

いったいどうすればいいのか頭を抱えてしまいますが、Grossに習うのがストレスが少なそうだと思います。Grossの「マススペクトロメトリー」は、商品名だとして非推奨にされがちなDARTやOrbitrapの語も商品名とことわった上で使っています。TICもTICCもRTICもRTICCも紹介した上で、一番単純なTICがいいんじゃないのと言っています。実用性重視だと思います。
「TIC」の語はIUPAC勧告では非推奨、JISでは不掲載ですが、total ion chromatogramの略であることをちゃんと書いておけば、少なくとも誤解は生じません。逆に「TICC」を使った場合、学会用語集第4版に基づいて解釈されたら変な意味になってしまいます。

というわけで、冒頭に書いたとおり
「TICでもTICCでも良い。でもTICの方が短いから私は好き。」
というのが私の立場です。どちらの使用例を見てもいちゃもんはつけません。自分自身は好みで選びます。

2023/12/5 追記
J.H.Grossの教科書「マススペクトロメトリー」は税込み21,560円と高額ですが、TIC推奨部分を含むサンプルページのPDFが無料で公開されています。(p.673の表)
第14章サンプルページ

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2023.08.07

「ゼロから学ぶ 分析法バリデーション」

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分析法バリデーションに特化した学習用書籍、20年ぶりの刊行です。20年前に出た本は試薬会社による発行でしたから、出版社によるものとしては初めてではないでしょうか。価格が高めなので、購入判断のための情報が欲しいと思っている方がいるかもしれません。そのような方にも役立つように内容を紹介したいと思います。

 本の概要
「ゼロから学ぶ 分析法バリデーション」
香取 典子/著
2023年7月25日 発行
B5判 136ページ
6,600円(税込)

じほう社による書籍紹介 (概要、目次、序文を掲載)

42ページまでが本文で、ICH Q2に沿った分析法バリデーションの解説です。次にAppendixとして統計的な解析の解説が16ページ、用語解説が9ページ、資料編(ICH Q2(R2)分析法バリデーションガイドライン案、第十八改正日本薬局方第一追補よりクロマトグラフィー総論とシステム適合性)が56ページという構成です。

 ICHって何?
私のブログの読者で医薬品分析をしている人は少ないと思うので簡単に説明します。
ICHとは「医薬品規制調和国際会議」の略称です。医薬品の承認申請のルールを日米欧の3極間で調和させる活動をしています。詳しくは下記を参照してください。

ICH 医薬品規制調和国際会議 (独立行政法人医薬品医療機器総合機構)

ICHでは色々なガイドラインを合意していますが、それぞれのガイドラインには記号が付けられています。例えば品質に関するものにはQ、安全性に関するものにはS、有効性に関するものにはEといった具合です。
Q2は分析法バリデーションに関するガイドラインです。これは1990年代に合意されたものですが、30年近くぶりの改正という大きな節目に差しかかっています。また、新たにICH-Q14が合意されようとしており これは分析法の開発に関するものです。このように分析法バリデーションに関わるICHのガイドラインが大きく変わる時期であるために、「ゼロから学ぶ 分析法バリデーション」が刊行されたと思われます。
現時点で2つのガイドライン案は、各極におけるパブコメや寄せられた意見に基づく修正段階のようです。案(原文、和訳)や最新の進捗状況は下記を参照してください。

ICH-Q2 分析法バリデーション (独立行政法人医薬品医療機器総合機構)
ICH-Q14 分析法の開発 (同上)

 何が変わるの?
というわけで、「ゼロから学ぶ 分析法バリデーション」には、ICH-Q2の変更点と新設されるICH-Q14の内容が解説されています。主なポイントを紹介します。

・「分析法のライフサイクル」という概念の追加
・多変量分析法(近赤外分析など)に対応
・「特異性」は「特異性/選択性」に
・「直線性」「検出限界」「定量限界」は「稼働範囲」に
・「範囲」は「報告値範囲」に
・「頑強性」「システム適合性試験」はICH-Q14に

個人的には「報告値」という概念が新しいと感じました。これは、「測定値」が必ずしもそのまま報告されるわけではないからだそうです。言われてみれば確かに…と思います。

 食品分析や環境分析への影響は?
では、ICHにおける分析法バリデーションの変更は、食品分析や環境分析の分野にはどのように影響するのでしょうか?
ひとことで言えば、そんなにすぐに影響するわけではないと思います。ICHは医薬品の承認申請のためのガイドラインなので、直接関係があるのは製薬会社とその分析委託先です。いずれ日本薬局方に反映されるはずなので、そうなれば薬剤師の国家試験を受験する人も直接影響を受けるでしょう。
食品分析のGLPは厚労省の管轄ですし、薬品分析との技術的共通点も多い(ガスクロ・液クロが多用される、有機化合物の分析が多いなど)ので、日本薬局方が変わればそれに呼応した変更はあり得ると思います。環境分析はJISになっているものが多いので、薬局方は無関係と私は考えています。なお、私が知る限りJISに分析法バリデーションの規格はありません。(真度、併行精度、再現精度等の定義や求め方の規格はあります。)

 基本の解説もあり
ICHの変更点だけが解説されているなら読者対象はICHを熟知している人に限られそうですが、この本には「ゼロから学ぶ」と書名にある通り、変更点理解の前提となる基礎事項の説明があります。真度や精度の意味、統計の基礎(平均、標準偏差、母集団と標本、分散など)が書かれています。

 本を買うべき?読むべき?
それでは、この本を買うかどうか迷っている方のために、判断材料になりそうなことを書きます。書店で手に取ってみるのが一番ですが、それができない方は参考にしてください。なお、医薬品分析関係の方は職場で購入されるでしょうから、それ以外の分野を念頭に置いています。あくまで個人の見解です。

【買う価値がありそうな人】
〇分析法のバリデーションをする立場の人
〇分析法の論文を書く人
〇検量線の点数や精度評価の試行数をどうするか根拠がほしい人
〇分析法バリデーションに関する知識を整理したい人

【買うまでもないと思われる人】
ICH Q2(R2)案ICH-Q14案 を解説無しで理解できる人
△分析法のバリデーションをしない人
△自分の分野に波及してから対応すれば良いと思われる人

なお、ページ数のおよそ4割は「資料編」で、ここにはネットで無料公開されている文書が掲載されています。
ICH Q2(R2)分析法バリデーションガイドライン案(e-Govパブリック・コメント)
第十八改正日本薬局方第一追補

個人的には色々な情報を整理できて得るところが多かったです。このブログに書きたいトピックもあるので、おいおい記事にしていきます。

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2023.07.10

「ぶんせき」誌無料公開記事のPDFがある場所

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日本分析化学会の機関誌「ぶんせき」は、なかなか優れものの雑誌です。分析化学の基礎(サンプリングや各分析手法やデータの信頼性etc)から応用(環境や食品やバイオetc)まで、数ページから十数ページ程度の解説が毎月5報ほど掲載されています。ネットで検索しても得られない詳しい情報がまとめられ、しかも公式な文書に引用可能な文献の形で掲載されています。

私は10年ほど前に2年間「ぶんせき」の編集委員を務めさせていただきましたが、執筆依頼のたびに、各分野の専門家の方が実に快く引き受けてくださることに感心しました。分析化学会の歴史や信頼のなせるわざと思っています。

そういう「ぶんせき」ですが、過去分をまとめ読みしようとしたら、かなり参照しにくくなっていることに気づきました。再び探すのはちょっとたいへんなので、自分のメモのためにもどうなっているか書いておきます。

(1)2021年3号-現在の「ぶんせき」のウェブサイトはこちらです。
日本分析化学会機関誌「ぶんせき」
各号の目次が掲載され、伝統的に毎月一部の記事は無料公開されています。今後刊行される号もここに追加されていくと思われます。

(2)2019年1号-2021年3号の「ぶんせき」のウェブサイトはこちらです。
機関誌「ぶんせき」(アーカイブ)
残念ながら無料公開分の記事のみのリンク集です。目次が無いのでその他の記事のタイトルや著者はわかりません。
2023/11/4追記 このリンクは残念ながら無効になりました。(1)の範囲は増えていませんので、非会員は2019年1号-2021年3号の記事内容を参照できません。

(3)1996年1号-2019年12号の「ぶんせき」のウェブサイトはこちらです。
「ぶんせき」目次
全記事の目次と無料公開分の記事へのリンクがあります。現時点ではバックナンバーのほとんどはこのサイトにあります。

利用者の立場からは、3か所に分かれているよりは、全期間分を(1)のウェブサイトで閲覧できる方が便利だと思います。現状では(1)には(2)と(3)の存在について全く書かれていないので、事情を知らなければ、2021年2号以前の「ぶんせき」のサイトに行きつけません。

ところで驚いたのが広告ページの多さ。(1)で無料公開されている解説記事のPDF冒頭には約15ページも広告が付いています。従量課金の環境下ではダウンロードしないように注意した方が良いと思います。ただ、このような広告は(1)の中の解説記事だけのようです。(1)の中の技術紹介やリレーエッセイ等、また、(2)(3)からリンクしている全てのPDFには広告は無いようです。

なお、分析化学会の会員は会員マイページから2001年1号以降の全てのPDFをダウンロードできます。(1)の期間の解説記事についても広告なしのPDFとなっています。

冒頭の写真は会員に配布された最後の冊子版の「ぶんせき」です。表紙左下には次号から電子版に移行する旨のお知らせが書かれています。ちょっと寂しい記念写真です。

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2023.06.25

分析化学会近畿支部 創設70周年記念式典

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日本分析化学会の設立は1952年ですが、近畿支部はその翌年、1953年に創設されたそうです。昨日70周年記念式典が開催されました。 現時点で 近畿支部のウェブサイト に掲載されているのは3月2日付けの案内のみで、ここには記念講演の演者名があるものの、詳細なプログラムは書かれていません。いずれ「ぶんきんニュース」等で詳しい内容が掲載されると思いますが、一足早くレポートします。

日本分析化学会近畿支部創設70周年記念式典
―未来につながる分析化学―

2023年6月24日(土)
大阪工業大学梅田キャンパスOIT梅田タワーにて

10:30-11:30 【プレ企画】常翔ホール前
 学生ポスター発表 27題

13:00-17:00 【記念式典】常翔ホール

1.開会式

2.記念講演
「異分野融合による分析化学の価値向上と国際社会への貢献」
 島津製作所 代表取締役会長 上田 輝久
「科楽のすすめ ―知ることとはかること―」
 紀本電子工業 代表取締役社長 紀本 岳志

3.パネルディスカッション
「分析化学の将来をどう切り開くか」
 進行役 辻 幸一 (大阪公立大学工学研究科)
 支部長 山本 雅博(甲南大学理工学部)
 パネラー
  森 良弘 (同志社大学ビジネス研究科)
  吉田 裕美 (京都工芸繊維大学工芸科学研究科)
  永井 秀典 (産業技術総合研究所)
  鈴木 雅登 (兵庫県立大学理学研究科)

4.学生ポスター優秀賞表彰式
 審査委員長 白井 理 (京都大学農学研究科)

5.閉会式

17:30-19:30 【懇親会】リストランテ翔21

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学会の支部の講演会に島津製作所の会長が!?
これにまず驚きました。上田会長のお話は、自身の経験から得てきた教訓、現在の島津の取り組み、パンデミックが社会を変えた世界史を振り返りつつ未来への展望、という流れでした。分析計測機器の世界市場規模は年間10兆円、島津のシェアは世界第8位だそうです。2026年に市場規模は14兆円になると予測されており、大きな市場というわけではないが確実に伸びているとのことです。世界企業らしい雄大なビジネスの話でした。

紀本社長は近畿支部の個性を表象しているような方で、「はかってなんぼ」のタイトルを考案された方です。100万年前に人類が道具を使い始めて以来の人類史を10万年前、1万年前、1000年前、100年前と対数目盛で俯瞰し、ギリシャ哲学者から現代の理論物理学者までの言葉を引きつつ、観測の重要性や基礎科学衰退への警鐘を語る内容でした。なかなか普段触れることのない教養です。ラファエロなどの絵に青いはっぴ姿の酔っぱらいが隠れている趣向でした。

パネルディスカッションは、最初に山本支部長から、支部会員の年齢層のピークが55~65歳にあり、若手を増やさなければ近い将来支部が衰退しかねない現状が報告されました。それを受けて、学会だけでなく分析化学そのものをどう発展させていくかについて話し合われました。
パネラーの皆さんの意見で共通していたのは、日頃自分が接する範囲の外の専門家と接する機会が欲しいということでした。その際、企業の専門家は対外発表のハードルが高いので、可能な範囲でしゃべれるような工夫が欲しいとか、くじ引きや席の近さでランダムに少人数で話せる場も良いとか、業務で参加すると情報収集が目的になるのでもっと自由に「妄想」を話せればとか、色々なアイデアが出ました。

懇親会で幅広い方々とお話ししました。私は2019年に東京へ転勤しましたが(東京へ転勤&国立衛研旧庁舎)、この春に近畿へ戻ってきました。近畿支部の行事に出席したのも久しぶりでした。しかし話を聞くと、私だけでなく近畿にずっとおられた皆さんもお互い結構久しぶりだったようです。新型コロナウイルス感染症の流行で対面の行事が制約された3年間、その制約が無くなって最初の大きな行事だったようです。
懇親会の締めくくりは恒例の紀本社長による「大阪じめ」でした。

森内実行委員長の発表によれば記念式典は143人、懇親会は104人の参加で、たいへん盛況だったようです。私がこれまでに参加した支部行事の中で一番大きかったと思います。

会場がまた素晴らしかったです。大阪工業大学の梅田キャンパスで、よくあるサテライトキャンパスではなく、高層ビルが丸ごとキャンパスだそうです。冒頭の画像は最上階のレストラン(懇親会場)から見下ろしたHEP FIVEの赤い観覧車です。梅田には高層ビルがいくつもありますが、観覧車を見下ろす眺めにははっとしました。
阪急ターミナルビルとヨドバシカメラとJR大阪駅がどんな位置関係にあるか、地上ではよくわかっていませんでしたが、俯瞰すると理解できました。写真を付けておきます。

この会場、一度は9月に記念式典の日程が決まって確保したのに、分析化学会年会と重なってしまったため急きょ6月に取り直したとのことでした。一等地の大人気の会場で、演者のスケジュール調整も含め、並々ならぬご苦労があったようです。これだけの企画を3カ月も前倒しとは、どんなに大変だったでしょう。タイミングとしては、先月新型コロナウイルス感染症が5類に移行したばかりで、解放感と祝賀ムードが一層盛り上がったように思います。

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2023.06.06

分けないのもまたクロマト

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先月島津本社で開催された「水道水質分析セミナー」を聴講しました。私自身は水道水の分析に携わったことはないのですが、おやっと思うことがありました。 今年度から水道水中の陰イオン界面活性剤の検査方法としてLC/MSが追加されたのですが、そのカラムの例としてはC18(1種類)以外にC8(2種類)が挙げられているとのことです。クロマトグラムを見ると、C18では分析対象である5種類の直鎖アルキルベンゼンスルホン酸(LAS)のピークが2本ずつ現れているのに対して、C8では1本になっています。LASの各同族体は異性体の混合物なのですが、分析目的に照らせばこれらの異性体を分離する必要はなく、C18で分けてしまうよりもC8で単ピークとして検出する方が解析処理が楽、分析時間も短い、とのことでした。 なるほど。分けるのがクロマトですが、あえて分けないのもまたクロマトだな…と思いました。

この検査法(厚生労働省の告示法)は2023年4月1日から適用されているそうです。

水質基準に関する省令の規定に基づき厚生労働大臣が定める方法等の一部改正について(施行通知)

国立医薬品食品衛生研究所生活衛生化学部のサイトにQ&Aが掲載されています。

水質基準に関する省令の規定に基づき厚生労働大臣が定める方法 質疑応答集 (Q&A)

冒頭の写真は島津本社の建物の一つです。学生の頃、当時はまだ珍しかったLC-PDAを使わせてもらうため、教授に連れられて島津本社の工場を訪ねたことがありました。天井がとても高い、いかにも「工場」という感じの建物でした。あの建物とこの写真の建物が同じものかどうかはわかりませんが、懐かしく思い出しました。エントランスやホール付近には竹藪や庭園がしつらえられており、学生の頃とは全然違う世界企業の風格になっています。

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2020.07.21

化学分析員の10年(8)三つの視点から

この文章は、
・化学分析員として就職または転職することを考えている人
・化学分析員として働いている人
に向けて書きます。

かなり以前から「化学分析員」でGoogle検索すると、私が10年前に書いた記事 化学分析員という仕事 がトップに出ます。その記事からこちらへご案内していますから、検索経由でこの文章を読んでいる方も多いことでしょう。
10年前のデータを最新版に差し替えた記事は 化学分析員という仕事 2020 に書きました。でもこれは政府の賃金統計を解説しただけなので、多数の職業紹介サイトが公開している給与比較ページとあまり違いません。
化学分析員の給与が2001年以降どのように変化してきたか、今後どうなると予想されるか、化学分析員の10年(1) から(7)までのシリーズ記事で詳しく書きました。興味がある方はお読みください。
ただし、変化の内容は化学分析員として働く人にとってあまり快いものでありませんでした。ここでは締めくくりとして、
「それでも化学分析員、けっこう良くね?」
と思ってもらえることを書きたいと思います。
内容は①キャリア・ドリフト、②仕事のネガティブな側面、③仕事の魅力、の三つの視点からの情報提供です。

 ①キャリア・ドリフトという視点から考える

10年前の私は、
「学校を卒業して就いた職業をずっと続けて管理職になって定年を迎える」
というコースをなんとなくイメージしていました。
しかしこれ、だんだん困難になってきました。年金がもらえるようになる年齢が上がっていますから、働かなければならない期間はだいたい20歳くらいから70歳くらいまで、50年間もあります。こんなに長い時間が経てば、20歳の頃に選んだ職業は仕事内容も社会的位置づけも変化していき、自分に合わないものになるかもしれません。下手すると職業そのものが消滅するかもしれません。

現実に、化学分析員の世界では変化が起こりました。具体的には2008年頃から、経験年数が長い人中心の職種だったはずが、卒後数年以内の人が多く働く職種になりました。これに連動するように、40歳を過ぎたら給与があまり上がらなくなりました。

変化する社会において、私たちはどのように生きていけばいいのでしょうか。「キャリア・ドリフト」という考え方を紹介し、この視点から化学分析員という仕事を見てみたいと思います。

「キャリア・ドリフト」とは、就職や転職などの節目の時にはしっかり考えて「キャリア・デザイン」をし、それ以外の時期には毎日あれこれ悩むようなことはせず、流れに身を任せ(ドリフト)、選んだ仕事をがんばる、その中で出会う偶然も楽しんでしまう、次の節目の時には一皮むけた自分になれるようにする、そういう考え方です。金井壽宏「働くひとのためのキャリア・デザイン」(PHP新書、2001)に詳しく書かれています。鈴木祐「科学的な適職」(クロスメディア・パブリッシング、2019)でも紹介されています。

キャリア・ドリフトの視点から化学分析員という職種を考えると、キャリアの入り口として選びやすいということをまず挙げたいと思います。環境・食品・労働衛生などの分野ではいろいろな基準値が法律で決められており、基準値をクリアしているかどうか分析する仕事が日本中にあります。そして上にも書いたとおり、経験年数が短い世代も採用されています。

それから、実務経験を明確に表現できて汎用性があるという特徴があります。今どきの化学分析はほぼほぼ機器分析です。自分が使ってきた機器・使える機器の名前を列挙すれば端的に経験を表すことができます。あるいは「食品中の残留農薬」のように分析対象として表すこともできます。外から見えにくい社内業務で経験を積む職種よりも、わかりやすい経験値を蓄積していけるメリットがあります。

さらに関連資格が多いという特徴もあります。日本分析化学会は学会誌「ぶんせき」で2012年に「ミニファイル 分析がかかわる資格」という連載を行いました。そこで挙げられた資格は臭気判定士、一般計量士、環境計量士、公害防止管理者、作業環境測定士・・・さらに知りたければ 「ぶんせき」誌目次 からどうぞ。
これらの資格が就職・転職に当たってどの程度評価されるのかは個別に調べるしかありませんが、職能を見えやすくするツール「資格」が多いのは確かです。

そして化学分析のスキルを使う仕事は幅広いことも知っておいてください。「化学分析員」は厚生労働省の統計上の分類であり、同じ化学分析を行う仕事でも研究や鑑定は「自然科学系研究者」に分類されています。つまり「科捜研の女」は化学分析員ではありません。(そもそも公務員なので賃金統計の対象外ですが。)
化学分析を使って仕事している人たちには「自然科学系研究者」や「技術士」に分類される人も相当数いると思われます。統計では明確に分類されているように見えますが、実社会の仕事はグラデーションです。自分に合う仕事かどうか、求人内容を詳しく調べましょう。

ところでキャリア・ドリフトの「節目」とは、金井氏によれば転職だけではありません。昇進や転勤や結婚や大台(例えば40歳)なども節目であり、そのような機会には「キャリア・デザイン」を行うよう勧めています。
デザインした結果、化学分析員の仕事を続けるという選択ももちろん大いにありです。今の仕事を続けると決めて、収益の上がりそうな新しい分析項目を会社側に提案したっていいはずです。仕事に注ぐエネルギーはそこそこにして趣味に生きる人生もあります。

 ②ネガティブな側面を知っておく

化学分析を仕事の選択肢として考えている皆さんに、ネガティブな情報も提供したいと思います。
「働くひとのためのキャリア・デザイン」には、「採用時のリアリズム」が大事だと書かれています。これは米国の産業心理学者ワナウスが提唱したことで、リアルな情報を提供することを「RJP」(リアリズムに基づく事前の職務情報)と呼ぶのだそうです。

ネガティブ情報を知ることで、
「そういう仕事はやめておこう」
という流れになるかもしれませんが、もっと重要なのは仕事に就いた後です。
「こんなはずではなかった」
を防ぐことで、結果的に仕事に速やかに順応して離職率も抑えられるのだそうです。

しかしネガティブ情報はなかなか表に出るものではありません。たまたまtwitterで今年の6/9から一か月ほど分析現場の生の声が多くつぶやかれたので、まとめておきます。当然これは全部の化学分析現場に当てはまるものではなく、こういう声があったということです。(主な情報源は 私のアカウント(リツイート中心)

<分析業務の特性と周囲の無理解>
・ミスが重大な結果を招く場合があるので常に緊張する。
・分析項目の増加や高度化への対応は「できて当たり前」で評価されない。
・正確な分析を行うことは見かけほど簡単でないのに理解されない。
・職員の教育機会を確保することが軽視されている。
・技能を習得する前に配置転換される。
・素人が配置されることがある。
・知識もないパート従業員が主力という場合がある。

<検査機関が増加・競争激化>
・ダンピングがひどい。
・納期を短く設定される。
・休日出勤前提の受注がある。
・残業が多い。
・サービス残業がある。
・現地へ出向いてのサンプリングがサービス(無料)ということがある。
・もう少し検討して確認したくてもできないので不安。

<製造業などの社内分析部門>
・基幹業務との比較で軽んじられている。
・むしろ厄介者扱いされる。
・外注化が進んでいる。

<顧客とのコミュニケーション>
・間に営業が入るので必要な情報が伝わらない。
・分析対象についてもっと知って有用な提案をしたいのに教えてもらえない。
・基準値だけ満たしていれば良いという姿勢を感じる。
・「早い」「安い」「出ない」検査機関が選ばれる。

<技術の進歩>
・分析機器が高額になり維持費もかさんで人件費を圧迫。
・機器メーカーが前処理や解析手法まで付けるようになりユーザー側の創造的な仕事が減った。

これらの他に、倫理や法律に反しているかもしれない事例もありました。噂話程度で真偽を確認できず、ブログに書くのは躊躇されるのでリンクだけにします。
twitterより (6/30-7/1):

なお、給与についての不満もありましたが、給与についてはシリーズ記事で客観的なデータを載せているので省きました。
また、有機溶媒を扱うことなどによる健康面への影響が気になる方もいるかもしれませんが、この点については、少なくともtwitterの議論では出ませんでした。個人的には、近年の職場環境は防護具の装着や局所排気装置の使用などが徹底していてそれほど心配ないと感じています。どちらかというと半年に1回業務検診(普通の健康診断とは別)があって採血されるのが嫌です。

 ③仕事の魅力はそれぞれ

上で書いた「リアルな職務情報」には、ネガティブな情報だけでなくポジティブな情報も含まれます。資格の勉強が楽しい、クロマトできれいに分離できたとき気持ちいい、分析操作そのものが好き、などがあります。ただ、これは人によってそれぞれなんですね。好きなもの、向いているもの、幸福を感じる状況、価値観・・・個人差があります。

その点twitterは便利なツールです。個人のつぶやきをリアルタイムで追えます。その職業ならではの特徴的な考え方や目の付けどころがあるかもしれません。仕事への向き合い方が垣間見える場合もあります。

化学分析についてつぶやくことがあるアカウントのリストを作りました。
Chemical Analysts
それぞれの方の明確な職務内容はなかなかわかりません。賃金統計の「化学分析員」に分類される人ばかりではないと思います。分析とは無関係なつぶやきが圧倒的に多いです。でも仕事で化学分析をしている(したことがある)らしき皆さんですので参考にしてください。

 未来の予測は難しいから
以上①~③の視点からの情報は、化学分析員に限らず、あらゆる職種を志望する人にとって重要だと思います。いろいろな職種の情報を集めてください。

「働くひとのためのキャリア・デザイン」はあまり読みやすいとは言えない本で、出版も約20年前なので、お薦めはしませんが、一時流行したserendipityの語を「掘り出し物」と訳しているところが気に入りました。節目で自分のキャリアについて考え抜いて身の振り方を決めたら、節目と節目の間はドリフトして「掘り出し物」との出会いを楽しみます。それが次の節目で思わぬ縁をつなぐかもしれません。未来予測はむずかしく、デザインしきるなんて無理なのですから。

化学分析員、そして化学分析を行うさまざまな職業への興味を持っていただけたら幸いです。

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2020.07.03

化学分析員の10年(7)給与低下より気になること

このシリーズは明るい話で締めくくることにしていますが、今回は(1)~(6)を踏まえて40代の給与低下の原因考察です。暗い話です。

ネット検索したら、賃金構造基本統計調査の職種別統計から平均年収や生涯賃金を算出して職種別ランキングまで公開しているサイトがいくつもあることに気づきました。(例1 例2

「生涯賃金」は、年齢階級別の賃金を元に、今後も同じように支払われると仮定して算出します。最新(2019年)の統計で年齢階級別賃金はこのようになっています。

2019_20200703210301

40代と50代では相当大きな差があることが見て取れます。これまでの解析でわかったのは、2008年頃から化学分析員の給与に変化が起こったらしいということです。具体的には、それまでは40歳を過ぎても給与は上昇していたのに、2008年頃からあまり上がらなくなったようです。このグラフの50代は変化の前の世代で、40代は変化の後の世代。つまり、年齢階級別賃金から「生涯賃金」を割り出すのは大間違いだと推定できます。

2008年に起こった変化とは、(5)で書いたとおり、30歳以上の化学分析員の人数の減少と29歳以下の増加です。2007年まで男性化学分析員は、29歳以下は5%程度しかいないベテラン中心の職種だったのですが、2008年からいきなり29歳以下が25%前後を占めるようになりました。これは一時的な傾向ではなく、2008年以後最新調査に至るまで続いています。

おそらく2007年頃まではある程度助手や下働きを経験しなければなれなかった化学分析員、それが2008年からは19歳以下ですら就ける職業になった。給与の額よりこのことの方が私には衝撃です。

なぜ2008年にそのようなことが起こったかですが、「団塊の世代の大量退職」が一つの要因かもしれません。ただ、団塊の世代は複数年にわたっているはずなので、ピンポイントで2008年に変化が起こった理由は説明しきれません。
それに、ベテランが退職したからといっていきなり29歳以下が5倍に増えて仕事が回るでしょうか。仕事の質そのものが変化したのではないでしょうか。

法規制についても調べました。
環境、食品、水、労働衛生など、法規制が整備されると有害物質の分析が義務付けられる場合があります。どこで分析したデータでも良いわけではなく、国や地方自治体に登録された分析機関での結果が求められます。

分析業界にとっては市場が拡大してありがたいことのように思えますが、それまで専門的だった分析業務が定型的な業務になり、安定需要が見込まれ、新規参入が容易になるとも言えます。いわゆるコモディティ化です。そのような変化が起こった時期は次のとおりです。

<各法律に基づく検査機関登録制度の開始時期>

 計量法 特定計量証明事業 2002年4月
 温泉法 登録分析機関 2002年4月
 土壌汚染対策法 指定調査機関 2003年1月
 食品衛生法 登録検査機関 2004年2月
 水道法 登録検査機関 2004年3月

ゼロ年代前半に集中して開始されたようです。

なお、分析に関わる資格の歴史はもっと古いです。
環境計量士制度は1974年に新設され、1992年に濃度関係が区分されるなど専門性が高まったとのことです。(杉田和俊「分析がかかわる資格 環境計量士」ぶんせき, 2012, 96 (2012))作業環境測定士制度は1983年から現行と同様の方法で行われるようになったそうです。(保利 一「労働安全衛生法に基づく有害作業の作業環境管理の現状と課題」産業医科大学雑誌, 35, 73 (2013)

法規制に関わる分析で起こった変化のプロセスを私なりに推定してみます。

  • 2002~2004年頃、法規制に基づく分析をする機関の登録制度が相次いで新設された。
  • 事業の立ち上げ時には各社で分析のベテランたちが試験法整備、機器調達、GLP対応などを担った。
  • 業界の事例が積み上がり、採算性も見えやすくなり、新規参入が容易になった。
  • 競争が激しくなり始めた一方で定型的な業務が増え、ベテランでなくてもこなせるようになった。
  • 団塊の世代の大量退職の時期になった(2007年問題)。
  • 退職者の穴を埋めるため中堅が係長以上に昇進し、化学分析員としてカウントされる人員は減少。
  • 2008年から経験が浅い人員が大量採用されるように。
  • 化学分析員の業務に対する評価が変化。長い経験が必要 → 新卒でも可能。
  • 40歳以上が持つ経験は以前ほど評価されなくなった。(給与という形では)

正確でないと思いますが、ある程度説明になっているのではないでしょうか。

法規制に関わらない分析ではどうでしょうか。
製造業では自社内で化学分析部門を持つところがありますが、アウトソーシングが進んでいると聞きます。整理される分析部門と分析を引き受ける受託分析会社でも変化は起こっていると思います。法規制のように明確な時期はわかりませんが、上に描いたプロセスと似たことが起こっているかもしれません。

分析機関の間の競争は激しく、働く環境は厳しくなっているようです。現場の声を 私のtwitter でリツイートして紹介しています。

次回は展望のある話を書いてシリーズを終わろうと思います。その手がかりにしようと、twitterでは私がこれまでに読んだ働き方についての本のメモもつぶやいています。

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2020.06.22

化学分析員の10年(6)男女別の統計

お待たせしました。女性についてのデータです。
賃金構造基本統計調査 の職種別統計表には、男女のどちらかしか年齢階級別統計が公表されていない職種があります。化学分析員は男性のみ、自然科学系研究者も男性のみ、栄養士は逆に女性のみです。

そういうわけで残念ながら女性化学分析員については年齢ごとの解析ができません。総数だけの統計になりますがご紹介します。

まず人数から。男女別の推移をグラフにしました。

Photo_20200622070501

人数は調査期間を通して男性の方が多く、女性も男性も増加傾向にあることがわかります。女性の方がやや増加率が大きいように見えるので、比率の推移もグラフにしてみました。
Photo_20200622070601

やはり女性の比率が少しずつ高まっているようです。直近では男性6に対して女性4程度の構成になっているようです。

年齢はどうでしょうか。平均年齢はこのようになっています。

Photo_20200622070602
女性化学分析員の平均年齢は明らかに上昇しています。男性についてはよくわかりませんが、若干上昇傾向かもしれません。
2001年には男性の方が平均年齢が6歳ほど高かったのですが、最新の統計では男女差はほとんど無く、ここ5年ほどは男女とも約37~39歳が化学分析員の平均年齢です。

「実感としては男性の方がベテランが多いけど?」
と思う方もおられるかもしれません。
賃金構造基本統計調査では係長以上は管理職として集計され、化学分析員の集計に入りません。実感として化学分析員のように見えても係長以上はカウントされないことに注意が必要です。

女性の職業選択にとっては「結婚・出産後も働きやすいかどうか」も重要な要素ですが、平均年齢を類似した他職種と比較したらどうでしょう。2019年調査では次のようになっています。

平均年齢
 自然科学系研究者(女) 37.2歳
 化学分析員(女) 37.8歳
 技術士(女) 39.8歳
 一級建築士(女) 42.4歳
 医師(女) 38.2歳
 歯科医師(女) 35.1歳
 獣医師(女) 33.2歳
 薬剤師(女) 39.5歳
 看護師(女) 39.9歳
 臨床検査技師(女) 38.5歳
 栄養士(女) 35.5歳

理系の各種専門職(女性)の平均年齢はおおむね35~40歳の範囲内のようですから、化学分析員は続けやすさとしては中程度ということでしょうか。(ただし平均年齢は「管理職になりにくさ」を反映している可能性もあります。)

ところで前回記事で解説した通り、2007年と2008年の間には、30歳以上の化学分析員の人数の大きな減少と29歳以下の大きな増加という大変動がありました。平均年齢でもこの年は男女とも減少しています。

最後に平均給与の推移です。

Photo_20200622070603
女性は若干上昇傾向、男性は若干減少傾向のように見えます。
ただし同じ期間内に女性化学分析員の平均年齢は大きく上昇したのですから、給与が上昇するのは当然で、むしろ年齢の上昇に見合う大きさかどうか疑問な感じです。

また、近年の平均年齢は男女同程度なのに、平均給与は男性の方が7万円ほど高くなっています。
「きまって支給する現金給与額」には「基本給、職務手当、精皆勤手当、通勤手当、家族手当などが含まれるほか、超過労働給与額も含まれる」とされています。
2019年の場合、男性の超過実労働時間数は平均13時間、女性は8時間でしたから、男女差には5時間分の超勤手当てが含まれます。また、家族手当も男性が給付される場合が多いでしょう。

ただ、これらだけで7万円の差は説明しきれないかもしれません。企業規模別の男女比など調べたら差があるのかもしれませんが、今回の私の調査目的の範囲外です。

男女別のデータ紹介は以上です。
40代男性化学分析員の給与が減った原因を探っているわけですが、今回の解析からは特に関連は読み取れませんでした。
これでデータ読みは終わりましたので、次回は総合的な原因考察、次々回は「それでも化学分析員は魅力的な職業」というオチ、で締めくくりたいと思います。どちらも難しい課題なので、いつ書けるかちょっと自信がありません。

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2020.06.20

化学分析員の10年(5)2007年と2008年の間に「断層」

驚くような事実がわかりました。2008年、化学分析業界に大事件が起こっていたのかもしれません。

前回まで40代前半男性化学分析員の給与に着目して解析してきましたが、今回は全年代を対象に年代別の人数の推移をグラフにしてみました。賃金構造基本統計調査の年齢別階級数は12ですが、それではわかりにくいので、7階級に統合しました。

Photo_20200620195301
え・・・っ?これは・・・?
おわかりでしょうか。2007年と2008年の間に特異な形が現れています。
化学分析員(男性)の総数は増えたり減ったりしていますが、各年齢階級の比率はほとんどの期間において前年からあまり変わっていません。しかし2007年と2008年の間だけはベテラン世代が減少して29歳以下の世代がぐっと増えています。

実数でなく比率のグラフも作ってみました。

Photo_20200620195302
明瞭です。2007年と2008年の間には断層と言ってよいほどの変化があったのです。
2008年に、30歳以上の全年代で労働者数は前年より減りました。(正確には70歳以上だけ10人から20人に増加。)そして29歳以下が激増しました。

2007年まで1000人前後だった29歳以下の男性化学分析員は、2008年に一挙に4000人を超え、2009年には6000人に迫り、以後増減を繰り返しながらも5000人前後で推移しています。

24歳以下は2007年まではほとんど見えていませんが、2008年に1280人になりました。

さらに驚くことに、2008年から「19歳以下の化学分析員」が統計に表れてきています。(グラフでは24歳未満に含めています。)表れた人数は年によって違いますが2008年以降毎年数字があり、90~420人です。2007年まではずっと数字なしでした。

賃金構造基本統計調査では「その職種の仕事を行うのに必要な技能を見習修得中の労働者で、その都度指図を受けなければ普通の仕事のできないものは、その職種に分類しない。」とされています。
つまり、2008年から登場した未成年の化学分析員たちは、いちいち指図をされなくても自分で動くことができる、一人前の化学分析員なのです。

ティーンエージャーの化学分析員・・・かわいかっこいいかも・・・?私の知り合いにはいませんが、会ってみたい気がします。

それにしても、2008年から大量に誕生した24歳以下の化学分析員は、おそらく高校・専門学校・大学を卒業したばかりではないかと思います。
少なくとも採用・配属する側は、その程度の経験で十分と考えて化学分析員にしたのでしょう。2007年までは24歳以下がほとんどいない職種だったのに。

2008年、いったい何があったのでしょうか。
このころ「団塊の世代の大量退職」が社会問題になっていました。再びWikipediaからの引用ですが、団塊の世代とは1947~1949年生まれだそうです。ど真ん中の1948年生まれの人たちが60歳で定年を迎えたとしたら、2008年はまさにその年に当たります。

しかし大量退職問題は化学分析業界だけでなく日本社会に一般的な問題でした。他の職種でもこれほど劇的な変化があったのでしょうか?
また、2008年は40代前半男性化学分析員の給与が下がり始めた年でもありますが、この「断層」と関係があるのでしょうか?

2008年、皆さんの職場ではどんなことが起こっていましたか?
どうもこの年から、化学分析業務(とそれを行う人たち)の扱われ方はかなり変わったようです。

ところで「なぜ男性ばかり?」と不満を持つ方がおられるかもしれませんが、化学分析員については男性しか年齢階級別統計が無いのです。女性についても(総数だけですが)取り上げますので待っていてください。

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2020.06.19

化学分析員の10年(4)大企業に勤務する人の比率

賃金構造基本統計調査(厚生労働省) を読み込んで、40代男性化学分析員の給与が下がった原因を究明しています。

ところでこの統計ですが、注意しておかなければならないことがあります。
それは、全数調査ではなく抽出調査だということです。まず調査対象の事業所を抽出します。それらの事業所から調査対象の労働者を抽出しています。

調査の概要(令和元年) によれば、この調査の母集団は、16大産業の常用労働者5人以上の事業所で、全国で約148万事業所、労働者数は約4,200万人だそうです。抽出した事業所数は約7万8千事業所、抽出した労働者数は約163万人だそうです。
単純に計算すると、実際に調査した事業所数は全体の約5.3 %、労働者数は約3.9 %ということです。

ただし抽出された事業所が全部回答してくれるわけではなく、回答しないところもあります。 産業、事業所規模別母集団数、標本数、有効回答率 には残念ながら令和元年の有効回答率は未掲載ですが、平成30年は72.4 %だったそうです。令和元年も同程度だったとすると、事業所数の4%弱、労働者数の3%弱からデータが取れたと考えられます。

十分に母集団が大きければ3~4%の抽出率でも問題になりませんが、化学分析員というあまり多くない職種で、しかも年齢階層別・企業規模別などと細分化したら、どんな事業所や労働者が調査対象になったかによって結果が大きく変動するでしょう。この点を念頭に置きながらデータを読んでいきましょう。

前回の解析 で、40代後半の男性化学分析員の給与は、どの企業規模でも2015年前後から下がり始め、開始時期は大企業→中企業→小企業の順だったとわかりました。しかし40代前半の給与は、平均給与は2008年から下がったのに、企業規模別統計では明確な傾向がありませんでした。「もしかしたら40代前半では大企業の労働者数が減って中小企業の労働者数が増えたのではないか」と考察しました。

これを確かめるため、40代前半男性化学分析員の勤務する事業所規模をグラフ化してみました。いかがでしょう。

40
このグラフで、大企業の労働者数の比率が2008年から下がり始めたと言えるでしょうか?
2006年から2013年にかけて減ったようにも見えますが、2014年には最高値になるなど、同じ傾向とは言えないと思います。つまり、考察は当たっていなかったようです。

ついでに40代後半男性化学分析員についても同じグラフを作ってみました。

40_20200619064201
驚きました。平均給与の傾向と同期するように、大企業の労働者比率は、2014年をピークに2015年から明確に減少しています。つまり、40代後半男性化学分析員にとっては、この期間、企業規模別の平均給与も下がったうえ、大企業に勤務する比率も下がったという、極めて厳しい事態になったと言えます。

40代後半男性化学分析員が実数として何人くらいいるかですが、2019年では1690人と推定されています。この方たちから3%弱が抽出されているので、調査人数としては50人以下、さらに企業規模別ではもっと少人数です。こんな少ない人数の調査でも、大企業・中企業・小企業のすべてではっきり給与低下の傾向がつかめるのですから、相当深刻だと思います。

以上、40代後半についてはさらに原因究明が進んだのに対して、40代前半についてはよくわからないまま、これが今回の結果です。

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