「分析化学の基本操作」:3つのポイントに絞った入門書
新刊のご恵贈をいただきました。上本道久さん「分析化学の基本操作: 器具選び・試料処理・データ整理」(丸善出版、2024年8月30日発行)です。(私のウェブサイトでは「先生」を使わない方針なので、「さん」で失礼します。)
詳しい紹介の前に、この本の内容からうんちくクイズを3問出しましょう。答えは記事の最後に書いておきます。
① 「時計皿」はなぜこの名前が付いたでしょうか?
② アスピレーターで圧力が低下するのは「○○効果」の働きです。○○とは?
③ LC/MSにも欠かせない窒素ガス発生機ですが、どんな原理で発生させている?
■ 3つのポイントに絞った入門書
この本は、わずか3章から成っています。3章とは副題のとおり「器具選び・試料処理・データ整理」です。
通常の分析化学の教科書にはこれらの他に個別の分析法の解説が書かれていて、ボリュームとしては個別分析法が7~9割といったところと思いますが、この本では個別の分析法をスッパリ抜いているところが特徴的です。
考えてみれば、教科書に書かれている滴定から蛍光X線からNMRまで全部必要という人は滅多にいないわけで、共通する3章だけに絞るのは良いアイデアです。使用する分析法が限られている場合は、この本+必要な個別分析法の本でまず勉強するのも良いように思います。
目次は版元サイトで確認できます。
「分析化学の基本操作」(丸善の紹介ページ)
■ 器具の図とうんちくが味わい深い
第1章「分析化学で使う器具」と第2章「分析化学における単位操作(基本操作)」では、図の充実ぶりがうれしいです。「化学図録」のようにカラー写真がふんだんに入っている本もありますが、「分析化学の基本操作」にはカラーページは無く、器具や操作法のモノクロの図が掲載されています。その図が簡素な線ながら正確で美しく、ピンチコック、試験管ばさみ、クランプ、ムッフ、洗瓶といった分析試験室にころがっているようなものまで、なんだかときめく絵柄です。また、それぞれの解説には冒頭でクイズにしたようなうんちくが含まれています。職人は道具にこだわると言われますが、誌面から器具へのこだわりを感じます。
類書に日本分析化学会(編)「分析化学実験の単位操作法」(朝倉書店、2004)がありますが、これは網羅的で分厚く高額な本です。「分析化学の基本操作」のカバー範囲は、一般的な器具や操作をほど良く選択していると思います。
■ 著者の主観が語られる
科学技術書ですから、もちろん文章のほとんどは文献に基づく事実なのですが、ところどころに著者の主観的な表現があって親しみやすいです。いくつか例を抜き出します。
分析化学の実験室に入っててんびん皿の清浄さを一目見るとその実験室の水準がわかるとはよくいったものである。(p.99)
あるあるですね。「天秤の水準器の泡が中央にあるかをまず見る」という話も聞いたことがあります。
(試料調達について)本項で気をつけるべきことを整理すると、試料の代表性、汚染、分量、変質、などであろうか。(p.93)
「であろうか」という散漫な印象の書きぶりが風流。
手袋の使用の是非は流儀もあるが、現在は常用の方向に傾いているようである。著者はフッ酸などの劇薬以外はあまり手袋を使わないほうで、素手の感覚を大事にしていた。(p.88)
「わかる~」と思いました。共著者が多いほど安全側に寄りがちですが、こんなことも書けるのが単著の醍醐味かも。
(白衣について)薄手半袖で、首でボタン留めする"ケーシー型"といわれる白上衣もあり、著者は(中略)この白衣を愛用していた。(p.87)
個人的なことですが、国立医薬品食品衛生研究所の上司だった故・伊藤誉志男部長が常にこの白上衣を着ておられたのを懐かしく思い出しました。
■ 注意点
知らずに買うと期待はずれが起こるかもしれない点についても、二つ書いておきます。
一つめは、第3章「分析値の信頼性確保」では他書を読むことを勧められるという点です。
この章は有効数字や不確かさなどを扱っていますが、詳しくは上本さんの既刊「分析化学における測定値の正しい取り扱い方」(日刊工業新聞社、2011)を参照するように書かれている箇所が多いです。この章を目当てに読むなら、「分析化学における測定値の正しい取り扱い方」を読む方が早いのではないかと思いました。
二つめは、前提となっている分析対象が主に無機物で、分析手法はICPや原子吸光だということです。そのため、特に前処理の章では環境分析や食品分析や医薬品分析などとは違いがあります。
■ まとめ
以上ご紹介したとおり、この本には、単なる解説でない、ベテランの先輩から経験談や雑談を聞きながら教えてもらう雰囲気があります。また、化学分析を長くやってきた人にも、楽しく情報の整理ができる本だと思います。
【うんちくクイズの答え】
① 懐中時計のガラス蓋に形状が似ているから
② ベンチュリー効果
③ 空気中の酸素と窒素の吸着速度の差を利用した分離精製
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