出版

2009.11.28

サラリーマンと商業出版(12)最終回:一番うれしかった話

間が空いてしまった。最終話を書きそびれていたら、日経ビジネスオンラインで 内藤忍の「執筆のすすめ」 読んで学び、書いて磨け という連載が始まった。(全文を読むには会員登録必要、無料。)

サラリーマンが会社にいながら自分の専門を生かして出版することを勧める内容だ。現在第2回まで掲載されている。本を出すことの意義、どうやって執筆時間を作るか、これからの会社と個人の関係・・・などなど。書かれている内容はおおむね当たっていると思う。

でも私はこの人のように他人に対して「執筆のすすめ」などできない。前回まで書いてきたような実態だった。とても人に勧められない。

自分自身の勉強になったのは確かだ。でもそれは結果の話で、商品として流通させる本を「勉強になるから」という理由で書いたりしてはいけない。

お金を出して買ってくださった皆さんの役に立っているだろうか?
それはもう、気になって気になって気になって仕方がない。

そんな私にとって一番うれしかった話。ある方が、急にESRの勉強をする必要に迫られ、あまりに難しいので「津村さんの本にはどう書いてある!?」と探したという。

いざというとき当てにしてもらえた!それが本当にうれしかった。
(でもESRについては書いていません。すみません。)

さらに私には、将来こうなってほしいという希望がある。
それは「図解入門 よくわかる最新分析化学の基本と仕組み」のような内容の本が一つの定番になって色々な出版社から発行されること。

この本の一番大きな意義は、こういう本を求める人が大勢いると明らかにしたことだと思う。少しずつ中身の違う入門書が刊行されて、様々な分析現場の事情に応じて選べるようになったら、自分の仕事が世の中を少し良くした気分になれてうれしいと思う。
そして、「元祖」としては後発本に負けないように改訂を重ねていくのか?そうなればさらにうれしい。

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2009.10.03

サラリーマンと商業出版(11)出版という業界

本は誰にとっても身近なもの。でも、自分が出版に関わってみたら、意外に知らないことがたくさんあった。そんなあれこれを思いつくままに書き留めておく。
ただし私が知らなかっただけで、実は周知のことかもしれない。また、話で聞いたこと、ニュースの聞きかじり、ネットで読んだものなので不確かかもしれない。そのつもりで読んでください。素人の感想文です。

出版不況だから膨大な数の新刊が発行される
書籍の年間新刊発行点数は約8万。すごい数だ。それは出版不況のせいで、かつては年間発行点数は1万点程度だったという。不況で売り上げ総額が減少しているのに発行点数が増えるなんて不思議な話だ。どうも、新刊でなければ売れないとか書店に置いてもらえないといった事情があるらしい。また、経営が苦しい出版社は取次からつなぎ資金を得るために出版点数を増やすそうだ。(相次ぐ出版社破たん、出版不況を抜け出す術はあるか

増刷される本は2割にすぎない
初刷分を売り切る見込みがあると増刷されるが、そうなる本はわずか2割という。また、本は初刷を売り切って収支トントン、売れ残れば赤字・・・というラインで初刷部数を決めるらしい。そして、どんな本が売れるかは、(当たり前だが)出してみないとわからない。出版は賭けのような側面があるんだなと思った。

書籍の返品率は約4割
これに一番驚いた。環境保全とか省資源と言われている時勢に、印刷・製本・流通の末、4割が返品され裁断されてしまうそうだ。

書店の本の大部分は書店のものでない
「本は委託販売」ということを頭では知っていた。でも出版社の人が自社にある本を「倉庫在庫」「社内在庫」と呼び、取次や書店にある本を「流通在庫」「社外在庫」と呼ぶのを聞いて、なるほど全部出版社のもの(在庫)なのだと感じた。
本は出版社・取次・書店の間をグルグル回っていて、出版社に返ってきたとき傷んでいればカバーをかけ直してまた出荷されるという。
私の本の第2刷が発行される直前には倉庫在庫がほとんどカラになっており、まとまった数の著者購入を依頼すると「確実とは言えませんが来週返本される予定ですから」などと待たされた。どこかへ出払っているものを在庫として当てにするのか?この業界は・・・と内心思った。
増刷部数を決めるにも、返本がどれだけ見込めるかを考慮しつつ、会議を開いて慎重に決定するようだ。印刷すれば何冊でも生産できるのに、「在庫」は他業界と同様にリスキーなものらしい。

編集者は熱心に企画を探している
出版社の人や設備を効率的に使うためには、常に出版企画がまわっていなければならない。だから、世の中が必要とするとか、作家が創作意欲を持つといった事情が無かったとしても、出版社が積極的に本のネタを探しているらしい。ただし、言うまでもないけれど、探しているのは「売れる企画」。

商業出版したい人を顧客にするビジネスがある
「自費出版」という言葉は誰でも知っているだろう。私はこれまで、個人で本を出したい人は自費出版するのだろうと思っていた。でも、「共同出版」という形態もあるらしい。それは、著者が出版社に数百万円のお金を支払って出版し、その本は一応全国の書店に並ぶというもの。
また、共同出版でなく、無名の著者の原稿を出版社の企画として通すことを目指すセミナーや個人指導(有料)もあるようだ。出版点数が膨大になっているから、出版への垣根は以前よりも低いらしい。

やっぱり本が好き
わずかな期間とはいえ接してみて、出版業界はなかなか厳しそうだと思った。書店に並ぶ華やかな新刊本の山を見ているだけではわからなかった。
それでも私は本が好きだ。ネットとどこが違うのだろう?突き詰めれば、一冊というまとまりが好きなのかもしれない。一ページ目を開いて最後のページを閉じるまで、著者が作った世界に浸れるのがいい。その世界をどこへでも持ち運べるところもいい。

出版業界の皆さんには、これからも良い本を作っていってほしい。

続き:サラリーマンと商業出版(12)最終回:一番うれしかった話

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2009.10.02

サラリーマンと商業出版(10)急ぎすぎた仕上げ

本文にも図解にも当初の思惑の倍以上の時間がかかり、私は焦っていた。今振り返れば、焦る必要などなかった。特に期限があったわけでないし、すぐに古くなるような内容の本でもないから。

ただ、編集者に対して私が約束した「期限」があった。それは何らかの必要性があって決まったものではなく、「いつまでにできますか?」と問われて「○○頃には・・・」と希望的観測を答えていたものだ。答える時点では最も順調に作業が進んだ場合の見通しを言うから、むしろ遅れて当然だ。

・・・と今では思えるけど、その時の私は自分が約束した期限に強く縛られた気分になった。最初「10月頃には」と言ったのが「年末には」になり、「1月中には」になっていた。

仕事でも私生活でも、普通の人は約束した期限を守るだろう。間に合わなくて少し延長してもらうにしても、それは一回までだろう。
・・・というのが私の道徳観だ。何度も先延ばししたことで、編集者に対する負い目が膨張していった。

そしてやっと図版のほぼすべてを入稿したのが2月中旬。
いったん原稿がそろうと、打って変わって作業は急ピッチになった。それまではどちらかというと放置されている感じだったが、にわかに編集者ペースになった。
期限の決め方も、「いつまでにできますか?」ではなく、「年度内に出版するためには○○日までに校了する必要がある。できますか?」になった。

本文の版組みは入稿のつど確認できていたのであまり不安はなかった。でも、図版のほうは手書きのキャプションや見出しが多い上、私が開けないプロ仕様のファイルで提供されたものもあり、誤植が起こる危険性が高かった。
冷静に考えれば年度内の出版は無理だった。「できますか?」に対して「できません」と答え、版組みとして整った形で査読の先生方や図版提供元の皆さんにも見てもらえばよかった。後で知ったが、校正というものは同じ人が何回も見てもダメで、違う目で見なければ間違いを発見しきれないらしい。

こうして、初刷はかなり誤字・ミスが多いものになってしまった。詳細はこのブログと本館サイトでお詫びし説明したとおり。
無理な作業期間を決めたのは私自身だ。必死に編集者の要望に応えたつもりだったが、結果的には編集者にも読者の皆さんにも申し訳ないことをしてしまった。最後の仕上げを急ぎすぎたことは悔やんでも悔やみきれない。

(地べたで咲くかと思えた彼岸花は日ごとに伸びて、他の花より少し低い程度になりました。つぼみもふくらみました。緑色のがくが早めに剥けたために目立っていたのでしょう。他にも次々と遅咲きの花が伸びてきています。これは昨日の様子。)

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2009.09.30

サラリーマンと商業出版(9)経費と印税

出版社の話では、原稿料は無く、印税のうち最低保証分が先払いされるとのことだった。つまり、出版後の早い時期に、本が売れても売れなくても一定の冊数分の印税が著者に支払われるということ。
この約束はありがたかった。執筆のために約60冊の参考書を購入した。中にはほとんど役に立たなかったものもあるけれど、そうとわかったのは読んだからこそだ。お金を惜しんでいては納得のいく仕事ができない。極端に専門的な本は購入していないが、それでも10,000円を超えているものがいくつかある。

分析機器の写真を撮るためのデジカメも買った。約4万円だった。あちこちのラボを見学させてもらって大量に撮影した。結局本に載せられるクォリティのものは撮れなかったが、取材メモの役割を果たした。
スキャナも買った。1万円程度の安いもの。書籍やパンフレットから画像を読み込んだり、手描きの図解原稿を出版社に送るためにフル稼働させた。

しかし、一番大きかったのは「時間」を買うための経費だった。
執筆には基本的に余暇時間を使ったが、もともと私にはそれほど多くの余暇時間があったわけではない。(6)で書いたとおり通勤時間(=英語の勉強時間)を使い、睡眠時間を削った。それでも足りなくて家事の時間を振り向けた。
家事に充当すべき時間は、ある程度お金で買える。具体的には、シルバー人材センターから人(「シルバーさん」と呼ばれる)を派遣してもらい、掃除や食事のしたくをしてもらった。また、惣菜を買ったり外食を増やしたりした。

私の職場の規定では、利害関係者からの依頼による場合、その報酬は講演で1時間当たり2万円、著述で400字当たり4千円を超えてはいけないことになっている。ちなみに私の本の「最低保証の印税」を計算してみたら、図表が多くて大ざっぱにしかわからないが、だいたい400字当たり千円程度になった。(利害関係者ならこういう依頼はしないだろう。)

本を書くには様々な作業が伴う。文章を書くだけでなく、全体の構成を考えたり、図版を選んで切り貼りしたり、図版掲載許可の手続きをしたり、査読の先生とやり取りしたり。それらを合わせたら、400字分の制作には1時間以上かかる。2時間以上かもしれない。すなわち私の仕事は時給千円以下だったことになる。いっぽう、シルバーさんには1時間当たり963円支払った。

これでは、仕事と考えるにはあまりに不合理だ。やはりサラリーマンは恵まれている。本を書くことを生業にしている人はたいへんだと思った。

それから、私のそもそもの目的は、現場向けの入門書を12冊入手することだった。著者はさぞかしたくさん本がもらえるのだろうと期待していたのに、提供されたのは5冊だけだった。足りない分は自分で購入した。


(今日は雨でした。)

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2009.09.29

サラリーマンと商業出版(8)職場への届け出

職場に対して届け出または許可をもらう必要があるか、どんな届け出をするか。それは当然職場によって違うだろう。会社勤めの人が執筆に当たって「兼業届」を出した例を聞いたことがある。

私の職場の場合、兼業届は必要ないとのことだった。また、「利害関係者からの依頼に応じて報酬を受けて講演・著述等をしようとする場合は、あらかじめ倫理監督官の承認を得なければならない」という規程があるが、私の依頼者は普通の出版社であり、「利害関係者」ではなかった。

つまり事前の届けは必要ないと考えられたが、無断でやるのは気が引けたので(サラリーマン根性?)、承認を得るための書式に記入して一応提出した。

はっきりした提出義務があるのは「贈与等報告書」。これは、「利害関係者」に該当しない事業者からのものであっても、「現在又は過去の職務に関係する事項に関する講演等の報酬」を受ければ提出しなければならない。一年に4回提出時期がある。印税が支払われた後の最初の提出時期にこの報告書を提出した。

ちなみに金額が2万円を超えるものについては公開されることになっているから、誰でも私の「贈与等報告書」を閲覧することができる。別に閲覧してほしくはないけど。


(彼岸花のつぼみは、もう少し伸びてから咲くつもりのようです。上から見ると他の花から遅れている様子がよくわかります。)

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2009.09.28

サラリーマンと商業出版(7)約60法人から図版

図解のページも本文と同時に作成しており、ほとんど原稿はできていた。ただ、書籍やデータ集やウェブサイトから勝手にコピーして貼り付けたものばかりだった。出版のための手続きは一つ一つこなしていかなければならなかった。

図版は大きく分けて3種類。私が下絵を描いたオリジナルなもの、書籍から転載させてもらうもの、企業や公的機関から提供を受けるもの。
オリジナルのイラストは編集者がプロに手配してくれた。書籍からの転載は出版社どうしで話すとのことだったので、書名・出版社名やページをリストにして渡した。従って、企業等から提供を受けるものについて自分で作業した。

やり始めたら予想外に手間がかかるとわかった。相手先は60ほどある。
まず、各社の広報担当者にコタンタクトを取らなければならない。ウェブサイトにメールアドレスが掲載されている場合は良いが、スパム対策のためかフォーム入力にしているところが多い。小さな枠にいちいち所属・所在地・郵便番号・電話番号・氏名・メールアドレス等々を入力していく。その程度ですめばいいが、氏名や所属のフリガナ、ファックス番号まで必須のフォームも多く、単調でいながら自動化できない作業にイライラした。

「お問い合わせ内容」の文字数を制限しているところも多い。その場合は概要のみ述べて「詳しくはメールでお話しますからご連絡を」と書いた。
文面はコンタクト法に応じて作成しなければならない。さらに、相手は会社だけでないので「貴社」を「貴機関」「先生」にし、何通りかの定型文を使い分けた。

こちらのメールに対して二つ返事で画像ファイルを送信してくださった企業もいくつかあった。それに対するお礼を含め一往復半で仕事がすんで、とても助かった。
一方、なかなか返事が来ない、担当者にたどり着くまでに何往復もする、こちらの意図が伝わらなくて説明しなおす・・・ことも多かった。
「データを他の目的に利用しない」等を規定の書式に記入して郵送しなければならないところも10近くあった。公的機関のほとんどと、一部の企業がそうだった。

本業としてやっているなら昼間に電話したりメールでリアルタイムにやり取りしたりできたろう。でも私の作業時間は夜間と週末。最大でも一日あたり一往復に限られる。まどろっこしかった。

それでもメールというものはありがたい。本業を持ちながら自宅で何十もの会社と連絡を取り合うなんて、メールが無ければまったく不可能だ。

このようにして集めた図版は貴重なものが多かったが、中には分析屋にとって身近すぎるほど身近なものもある。ロータリーエバポレーターやキャピラリカラムの写真とか、水と二酸化炭素のIRスペクトルとか。
機器の写真もデータも、自前で撮影または取得しようと思えば簡単にできる。でもそれらは所属先のものであって私物ではないので勝手に使うわけにはいかない。こういう制約はサラリーマンゆえだ。

しかし下手に自分で撮るよりもプロ中のプロたちから提供をいただいたお陰で質の高いものを載せられたと思う。
(とはいえ、最先端のアプリケーションデータがあるのに、よりによって水と二酸化炭素のIRスペクトルをお願いした某社様、すみません。)

(8)へ続く。勤務先への届出について。


(今日も彼岸花の写真です。このつぼみはこんな地べたで咲くの?それともこれからグンと茎が伸びていく?)

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2009.09.23

サラリーマンと商業出版(6)進まなかった執筆

執筆のためには広大な範囲の復習が必要だった。その勉強には通勤時間を利用した。電車内でまあだいたい座れるという時間が片道約30分間、往復で1時間ある。この時間を勉強にあてた。もともとは英語学習に使っていた時間だから、英語力を削って分析化学の勉強をしたと言ってよい。英語力は今でもあまり回復した気がせず、まだTOEICを受けていない。

通勤電車での勉強は寝てしまうこともしばしばだ。それでも耳から聴く英会話の勉強なら、睡眠学習とやらで何か頭に入ったかも?と期待できないこともない。しかし、1ページも進まない専門書を膝の鞄の上に広げたまま降車駅が来るたびに、またやってしまったと思った。

勉強がある程度進んだら、書けるところから執筆を始めた。その時間は休日や就寝前だった。これがまた何故か進まなかった。1項目の文章量は800字程度、内容は決まっているからネタに困るわけではない。1日に1項目は書けるはずだ。全体では約100項目。3ヶ月もあれば書き上げられるはずではないか。
このような単純計算による予測を裏切って、3行も進まない日が続いた。調子よく書けたと思っても通読したら項目間の関連や章の組み立てがうまく行っていない気がして、目次の構成を当初案からごっそり変えたりもした。

出版社というものはもっと原稿の督促をしてくるのかと思っていたが、意外に何の音沙汰もなく放置された感じで、一人で作業していると自分の気持ちの中で本を出すことへの現実味が薄らぐこともあった。
後で知ったが、出版の契約書はほとんど本の形が完成した時点で作成する場合が多く、それまでは口約束で進むものらしい。そんな事情を知らなかった私は、PCに向かっても考えがまとまらないままマウスが遊んでWindows付属ゲームの「ソリティア」を延々プレイすることもあり、履歴に残っている回数は471回だ。
また、執筆に関係ない方向へ興味が向いて精力をつぎこんだりもした。ノイズの話 は最も深入りした例で、ブログに10回も書いてまだ完成していないほどの分量調べたのに、本に反映されたのは

ノイズ幅はこの図のように振れ幅そのものとする場合と振れ幅の2分の1とする場合とがある。
だけ。

本の企画が通ったのが昨年の4月で、半年もあれば本文ができると考えていたのに、御縁のある先生方に査読していただいて全部を入稿したのは今年1月だった。しかし何しろ「図解入門」なので、本文だけでは完了しなかった。

(過去記事にさかのぼって小タイトルを付けました。)

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2009.09.21

サラリーマンと商業出版(5)対象読者は?

執筆を引き受けたものの、編集者と私とでは一つだけ大きな考えの相違があった。それは「どんな層を対象読者として想定するか」という点。編集者は学生も含めたいとしていたのに対し、私は社会人に絞りたいと考えた。

まず私の考えの根拠。大学の分析化学の授業の副読本として本を作るとなると、平衡や滴定のややこしい計算問題を丁寧に説明しなければならないが、それにページ数を取られすぎるのは困る。今どきの分析現場で平衡や滴定の計算問題が必要なシーンはあまり多くない。それに対して、前処理や信頼性保証について大学ではほとんど教えないが、これらをはずしては現場の分析の全体像は語れない。

いっぽう、編集者が学生も対象にしたいと考えた理由は明快だった。「学生は絶対数が多いから」だった。「分析化学の入門書を必要とする社会人はそんなにたくさんいるんですか?」という至極当然な疑問を編集者は口にした。

そこで私は、分析の現場では、必ずしも化学系の大学を出た人ばかりが従事しているわけではなく、部門の統廃合で全然関係ない部署から異動してきたり、理系というだけで配属されたり、ときには文系卒だったり、化学系を出たものの卒後10年以上も経っていたり、雇用形態も派遣やパートが増えてなかなか技術が継承蓄積されにくかったり・・・といった事情を説明した。
それから、計算問題が多い分析化学の本は既に山ほど出版されていて、それら以上にわかりやすい本を私が書けるとは思えないのに対し、前処理や信頼性保証までカバーした入門書は既刊書が見当たらない・・・とも述べた。

結局、対象読者は社会人とすることになり、著者名(私)を確定した新たな企画書が作成されて出版社の会議で了承された。

ただ、発刊後の評判を聞く限りでは学生にも読まれているようだ。授業の参考にすると言ってくださった大学教授もおられる。もしかしたら大学の側に、もっと現場を知りたいという潜在的なニーズがあるのかもしれないと思う。

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2009.09.20

サラリーマンと商業出版(4)私に書けるか

私は 津村ゆかりの分析化学のページ という個人サイトを開設している。このサイト名は「分析化学全般をカバーする」という意味ではなく、「あれこれ分析してきたのでこの言葉以外に自分の専門を表す言葉がない」という、いわば消極的な事情から付けている。(このサイトと作成者について

そんな自分に、入門書とはいえ分析化学全般についての本が書けるだろうか?
あらためて自分の分析歴を振り返ってみた。大学4回生時の分属先は薬品分析学講座で、HPLCを使った。大学院では有機合成が専攻で、毎日NMRを使いTLCをやっていた。IR、HPLC、旋光度計も使った。質量分析と元素分析は分析室に試料を提出するだけだったがデータは読んだ。国立衛研ではHPLC、GC、MS、IR、UV-VIS、原子吸光、ICP-AES、TOC計、イオンクロマト、カールフィッシャー水分計、液体シンチレーションカウンタ、ガイガーカウンタといった装置を使っていた。(全部自分自身が使ったわけでなく、同僚が使うのを見たり実験報告会でデータについてディスカッションしただけの装置もある。)
今の職場ではHPLC、GC、MS、IRを主に使う。TLCもやる。

こうしてみると結構いろいろな分析手法を使ってきたものだ。

それと、昨日書いたとおり今いるのは実に幅広い装置を使う分野で、前職で使ってきた装置に加え、NIR、テラヘルツ光、XRF、XRD、SEM-EDX、CE、IR-MSなどなど、自分では使わないが論文や学会発表で接している。ただし定量や信頼性保証に関してはあまり進んでいると言えない分野だ。でもそれは前職で取り組んできたことだし、今でも大きな課題だ。

考えてみれば、定性中心の分析と定量重視の分析の双方に身を置いた経験がある分析屋は意外に少ないかもしれない。私の知識は決して深くはないが、幅広いとは言えるのではないか。

こうして私は執筆を引き受けることにした。

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2009.09.19

サラリーマンと商業出版(3)欲しかった本

私は自分のサイトでは所属先を書いていない。それは、秘匿するためではなく、完全に個人の立場で作成していることを明確にするため。(運用方針
現在の職務内容についても極力触れない方針なので、以下、かなり大まかに述べてみる。

出版社から執筆依頼があったちょうどその頃、私は分析化学の全体像が親しみやすく書かれている本を12冊ほしいと思っていた。(冊数だけやたら具体的。)
(追記:12種類の本という意味でなく、同じ本を12冊)

近年、たとえば「液クロ虎の巻」シリーズや「ガスクロ自由自在」などが出版され、個別機器ユーザー向けの手引書はますます充実してきている。でも、それらの機器をどう選択するか、また、試料採取・前処理やデータ処理まで含むトータルな分析はどう組み立てられるのか、初学者向けに解説した書籍がなかった。

そんな本を必要とする層があまり存在しないから・・・とも考えられた。ひとことで分析と言っても、主に利用される機器は分野ごとに限られており、初学者が網羅的に学習する必要はまずない。

ところが私が属するのは幅広い機器を扱う分野で、「分析化学の基本と仕組み」に載せたものの中でほぼ無関係と言えるのは表面分析関係の機器(XPS、AES)のみ。ほとんどの機器は、自分は使わなくても同業者の分析で使われるから、論文や学会発表の概要がわかる程度には知っておく必要がある。
そういう目的にかなう機器分析の教科書は多数出版されているが、だいたい字が細かく堅苦しい。業務の空き時間にパラパラと眺める気になる本はないものかと思っていた。

このような事情だったので、出版社が持ちかけてきた書籍を私としては買いたいと思った。しかし、依頼内容は「買ってほしい」でなく「書いてほしい」だった。

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