「よくわかる分析化学」

2025.08.03

「秀和システム新社」へ出版権移転

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「よくわかる分析化学の基本と仕組み」の出版権移転に関する書類が「秀和システム新社」から届きました。
雇用が維持されるか心配していましたが、少なくとも私の担当編集者は引き続き新社のほうで編集業務をされるとのことです。ほっとしました。

出版契約書は数ページあってけっこう物々しいので、これの結び直しは面倒だなと思っていましたが、提出を求められたのは
「出版権移転および継続利用に関する合意書」
という1枚紙で、旧会社との契約からの変更点だけ書かれているあっさりしたものです。これに住所・氏名・メールアドレスを書いて押印して返送すれば手続き完了のようです。

契約の変更点で気になるのは、増刷分の印税支払いが実売ベースから増刷部数ベースになる点です。
これまでは売れた分だけ支払われていたので、増刷の決定は割とすんなり行われていたと思います。しかし印刷分が一度に支払われるとなると、出版社側は増刷に慎重になるのではないでしょうか。本が必要な人のところへ在庫切れなく届いてほしいので、この点は気になります。
と言っても、印刷・流通・在庫抱えのコストに比べたら印税の占める比率は大きくなくて、増刷の判断にそれほど影響するものでないのかもしれません。(出版に詳しいわけではないのでわかりません。)

秀和システム破産の連絡から一か月、どうなることかと思いましたが、「合意書」の提出で一区切りとなります。あらためて、私は紙の本が好きだなと思います。(旧)秀和システムから発行されていた多くの本が引き続き流通する体制が整ってうれしいです。

本の写真:Image by fernando zhiminaicela from Pixabay

2025/8/6 追記
秀和システム新社が「よくある質問」を公開し、その中で、「今後も同じ編集者と仕事ができますか?」「可能な限り従来の担当者が継続して担当しておりますが、一部人員変更がある場合もございます。」と回答しています。
よくあるご質問(FAQ)

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2025.07.12

版元は「秀和システム新社」に

秀和システム破産について、前回記事で一著者として知る限りのことを書きました。その後ある程度状況が進展したので追加報告です。

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 書籍の販売は継続中
一番心配したのは「よくわかる分析化学の基本と仕組み[第3版]」が必要な人のもとへ届かなくなってしまうかもということでしたが、幸い主要ネット書店で在庫切れは発生していないようです。店舗についても、丸善ジュンク堂書店の在庫を見る限り、平常どおりです。
 丸善ジュンク堂書店在庫状況
後述のとおり販売を継続する会社が決まりましたから、今後も心配はしなくてよさそうです。

 秀和システムウェブサイトも継続中
次に心配だったのは、正誤表の公開が継続されるかどうかです。
図解入門 よくわかる最新分析化学の基本と仕組み[第3版]サポートページ(秀和システム)
こちらの方も、事業譲渡を受けた会社がサイトの更新を始めたので、継続されそうです。

 「秀和システム新社」が出版事業引き継ぎ
どんな会社に出版事業が譲渡されるのか気になっていましたが、「トゥーヴァージンズグループ」の「秀和システム新社」と命名された会社が引き継ぐようです。

【お知らせ】株式会社秀和システムの出版事業譲受について(秀和システムサイトでトゥーヴァージンズグループが告知)
株式会社秀和システムの出版事業譲受について(トゥーヴァージンズグループ)

第2版は10か月ほどで増刷が決まりました。第3版はもう少し時間がかかるかもしれませんが、増刷はすることになると思います。その時、出版社名やシリーズ名が維持されていなかったら、カバーデザインなどの版組修正が必要になり、やっかいだと思っていました。社名から、秀和システムの出版事業の形をかなり維持したまま引き継ぐのではないかと期待されます。実際にどうなるかはわかりませんが…
雇用が継続される社員のかたがおられるかも気になります。

 東京地裁からの連絡
以下は本の供給とは関係ない経験談です。
東京地裁から「破産手続開始通知書」を受け取りました。「破産債権届出書」の用紙が同封されていました。これに記入して、6月30日に振り込まれるはずだった第2版の印税通知書のコピーとともに破産管財人の法律事務所へ送付するそうです。
めったに経験できないことなので、隅から隅までよく読みました。

① 破産者に対して債務を負担している者は,破産者に弁済してはならない。
② 破産者の財産を所持している者は,破産者にその財産を交付してはならない。

と書かれています。これが破産ということなのか…と感慨を抱きました。

冒頭の写真は東京地裁からと秀和システムから、2通の封書です。最初の出版から16年、紙質の良い秀和システムの封筒はいろいろな用途に再利用してずっと親しんできました。法的整理のお知らせが入っていたこの封筒が最後と思うと寂しいです。

2025/7/15 追記
こまかいことですが、秀和システムのサイトに掲載されていた「お知らせ」が7/14に更新されました。「ウォームアンドビューティフル」という会社の商号を「株式会社秀和システム新社」に変更するという内容で、元の会社の名前が入っているという違いです。本文中のリンクを付け直しました。

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2025.07.02

秀和システムが出版事業譲渡:著者視点での話

私の本の版元、秀和システムの担当者から、昨日(7月1日)17時頃に突然メールをもらいました。秀和システムは債務超過に陥り、裁判所を介して出版事業を他の出版社に引き継いでもらう手続きに入ったとのことです。

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出版不況と言われて久しいですが、秀和システムに関しては別の事情があるようです。このところ、出版とは無縁な別業界との関係が経済ニュースになっていました。詳しいことは私にはわかりません。

メールには
「書籍の販売も印税のお支払いもできない状況」
と書かれています。

書籍の販売ができない!
それはめちゃくちゃ困る。「図解入門よくわかる最新分析化学の基本と仕組み 第3版」は今年3月に刊行したばかりです。現時点ではAmazonなど主要なネット書店で販売が続いていますが、書店の在庫が無くなっても補充されないということでしょうか。
社会から必要とされている本と思っているので、読者に届けられなくなったら絶望しそうです。

いっぽう印税については、私はかなり幸運でした。
出版契約で最低保証の印税が決まっています。それは出版後まもなく受け取りました。いわば、今は印税を前払いしてもらっている状態。おかげで、第3版のために購入した多数の専門書、学会の会費や参加費、JASIS見学や宮崎県への取材旅行、酷使して壊れたプリンタの買い替えやインク代など、かかった費用はちゃんと回収できました。

しかし、6月30日に振り込まれるはずだった第2版の印税は振り込まれませんでした。第3版が出る直前に売れた分だけなのでたいした金額ではありませんが。

秀和システムの印税は3か月ごとの月末に振り込まれる契約で、おそらく6月30日には多くの著者への不履行が発生したのでしょう。著者全員が3の倍数月末の支払いなのか、それとも7月末や8月末のサイクルの人もいてばらけているのか、私にはわかりません。しかし、7月末や8月末の予定の著者も、受け取れる見込みは無いでしょう。

倒産した会社に債権者が詰めかける・・・漫画やドラマで時々見る「債権を回収できない債権者」に自分がなるとは。
人生いろんなことがあるものですね。

担当者からのメールには
「改めて新しい出版社と出版契約を結ぶことで書籍の販売をできないかご相談をさせていただきたく」
「状況が進展いたしましたら、改めてご相談させていただければ」
と書かれています。

できるだけ早く、安定した販売方法が固まれば良いなと思います。また、出版業務をまわしてきた方たちは経済ニュースになるようなゴタゴタとは無関係で、むしろ被害者だと思います。どうか事業譲渡後も仕事を続けられますように。

メールの返事には
「社員の皆様が一番たいへんでしょうが、良い状態で落ち着きますよう願っております。
 後日のご連絡をお待ちしております。」
と書きました。

今日のところはまだ情報が少なく、とりあえず一人の著者目線からの報告でした。

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2025.05.14

「よくわかる分析化学の基本と仕組み[第3版]」正誤表

「図解入門 よくわかる最新分析化学の基本と仕組み[第3版]」の正誤表が出版社サイトに掲載されました。6か所の間違いがありました。申し訳ありません。

図解入門 よくわかる最新分析化学の基本と仕組み[第3版]サポートページ(秀和システム)

一つは「X線回」を「X線回」とした誤植です。これは自分で入力する本文では起こりえない間違いですが、図版の中で発生しました。専門外の人が作業するとよくあることなので、もっと注意して見ておくべきだったと思います。

二つ目は表の注釈で、『アイソトープ等流通統計 2024』からの引用なのに『アイソトープ等流通統計 2015』となっていました。第2版からの注釈を流用したために発生した修正漏れです。

あとの4か所はすべて書籍の中の他の節を参照した番号の誤りです。「DNA分析と抗原検査」の章を新たに加えたことで章番号や項番号が第2版から変わったところがありますが、修正漏れです。

書籍の制作作業中、諸文献から引用した数値や用語にミスが無いか何回もチェックしましたが、注意が回らない部分で間違いが発生しました。本1冊を完璧に仕上げるのは難しいと今回も感じました。読者の皆様に深くお詫び申し上げます。

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2025.04.02

DNA分析と私

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2016年に「よくわかる分析化学の基本と仕組み」を改訂したときに「放射性物質の分析」の章を新設しましたが、私自身の専門性としては、第1種放射線取扱主任者資格を持っています。この資格取得の勉強と取得後の実務が、本を書く基盤となりました。

今回の改訂では「DNA分析と抗原検査」の章を新設しました。私は薬学部を卒業したので生命科学の素養は一応あるつもりですが、それだけでは本を執筆するほどの専門性とは言えないと思います。

実は、書籍末尾の著者経歴の中に、DNA型鑑定部門のある職場が含まれます。そこで管理職をしていた時期には、DNA型鑑定試験室の維持管理、機材・機器の調達、内部研修資料の作成などを管掌する立場にありました。全検体のエレクトロフェログラムを確認し、日本DNA多型学会の要旨集にも目を通していました。管理職なので、技術的な細部までわかっていたわけではありませんが…。
書籍p.213にDNA型鑑定のエレクトロフェログラム例(DNA情報がわからないようぼかしたもの)を載せましたが、試薬の製品名を知っているからメーカーにリクエストできた画像です。

抗原検査に関しては、ユーザーとしてですが、イムノクロマトグラフィーを20年以上使ってきました。以上が「DNA分析と抗原検査」の章に関する私のバックボーンです。

DNA型鑑定で印象に残っていることがあります。
私がDNA型鑑定に関わっていた時期は試薬が切り替わった時期で、「同じDNA型の出現頻度が『4兆7千億人に1人』から『565京人に1人』に」などと報道されていました。それと共にエレクトロフェログラムの枚数が増え、縮小して印字されるようになったため、読書用のめがねが無いと読めなくなりました。DNA型鑑定の個人識別能力の向上は、私にとっては目がつらい変化でした。

冒頭の画像はChatGPTに描いてもらったDNA型鑑定のイメージです。データがゲル電気泳動になっていたので、キャピラリーゲル電気泳動のエレクトロフェログラムに描き直してもらったのがこの絵です。

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2025/4/5追記
「この絵のDNAはらせんの向きが逆」とのご指摘をエックスでいただきました。そのとおりです。よく見たら塩基の色も最低5色あります。4種類しかないはずなのに。しかも、組合せはAとT、CとGの2通りしかないはずなのにバラバラ。ChatGPTに間違いのない仕事を期待するのはまだ早いようです。

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2025.03.22

絵へのこだわりはない本

「よくわかる分析化学の基本と仕組み」は絵にはあまりこだわっていない、という話をします。これは私の気持ちを言っているだけで、歴代の編集者さんやイラストレーターさんはプロとしてちゃんと仕事をしてくださっています。そしてまずお知らせ。書店で第3版を見かけたらぜひp.2-3の「分析手法マップ」とp.99の「パルスオキシメーターについて語るビーカーさんとフラスコくん」をご覧ください!

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 いまどきの書籍は絵が大事
中身は難しい用語や数式が並んでいるのに、表紙や本文各所に萌えキャラが描かれている本が増えました。最近の化学書では、近畿大学の現役学生さんが出版した「元素楽章」が、ニュースと言ってよいほどの大ヒットです。これは化学の本に絵が配されているというよりは絵自体がメインの本です。絵が特徴の本は、当然ですが絵に力が入っています。本全体が(たぶん)同じイラストレーターによる統一した画風、コンセプトで制作されています。

 描き手は3人?
それに対して「よくわかる分析化学の基本と仕組み」のイラストレーターさんは3人いるようです。初版から第3版まで同じ3人の名前が奥付にあります。イラストは出版社が手配しており、私はどの絵をどなたが描かれたか全く知りません。この機会に検索してみました。リンクは私が勝手にこの人だろうと判断しただけなので、間違っているかもしれません。
 えだ雀さん(エックス)
 神北恵太さん(エックス)
 前田達彦さん(紹介されているサイト)
担当の編集さんは今3人目ですが、イラストレーターさんたちには初版から16年間お世話になっています。
それは良いのですが、本全体としては違う絵柄が混在しています。

 ゆるキャラの絵にもこだわらない
とはいえ、一貫して登場するキャラクター「ビーカーさんとフラスコくん」がなんとか統一感を演出しています。これはワンポイント解説を対話するだけの使いまわしキャラなのですが、ときには特殊な動きや持ち物があって、使いまわしでないカットがあります。
第3版では、新型コロナ流行で家庭用品としても普及したパルスオキシメーター(近赤外光を利用)を指に付けたキャラクターのイラストを出版社に依頼しました。そのイラストができてきてびっくり!明らかに今までとは別の画家さんが描いたものです。他の絵に合わせようとした気配すらない、オリジナルのキャラと言ってよい絵です。ここまで絵にこだわらない本も珍しいのではないかと思います。その珍しさを見ていただけるのはp.99です。これもまたこの本の味というものでしょう。

なお、この記事冒頭のビーカーさんとフラスコくんの画像は私が手帳に描いた原案で、初版制作中に出版社に送ったものです。このキャラクターの誕生秘話は過去に書きました。(分析化学を語る幻のキャラクターたち

 技術的な正確さにはこだわる
かようにイラストにこだわらない本ではありますが、技術的な正確さにはこだわっています。2024年4月1日に労働安全衛生法が大幅改正されたことを受けて、実験操作の絵は手袋着用に描き直してもらいました。その際、液体をろ過する絵で、液体がガラス棒に沿わずに直接流れる絵に変わってしまったことに2稿めのゲラで気づき、もう一度描き直してもらいました。化学を専門とする方が描くわけではないので、こういう技術的なことで思いがけない間違いが起こるんだなと思いました。

科学書・技術書でも、今後ますます絵のニーズは高まっていくでしょう。絵に着目して専門書を読むのも面白いかなと思います。

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2025.03.19

全イオン検出(TIM)という言葉(GC/MS, LC/MS)

全イオン検出または全イオンモニタリング(TIM, total ion monitoring)という言葉があります。私は選択イオンモニタリング(SIM)の対語として「スキャン測定」と同じ意味で使ってきました。ところが日本質量分析学会の「マススペクトロメトリー関係用語集第4版」には意外な意味が書かれていて驚いた、という話を書きます。

 MS学会用語集の「TIM」はスペクトルを取得しない
気づいたきっかけは、本の原稿を査読してくれた方からの
「TIMはスペクトル測定を意味しない」
という指摘でした。
「え?そうなんですか?」
あわてて質量分析学会の用語集を開くと次のように書かれていました。

total ion monitoring (TIM)
全イオンモニタリング:選択イオンモニタリング (selected ion monitoring) に対比される語で,液体クロマトグラフィー質量分析やガスクロマトグラフィー質量分析などにおいて,マススペクトルを取得する代わりに,検出されたすべてのイオン,もしくは特定の広い m/z の範囲のイオンの検出器応答値の総和を連続的に記録するように質量分析計を動作させること.

正直なところ戸惑いました。「マススペクトルを取得する代わりに」ということは、マススペクトルを取得しないということで、毎秒何枚ものマススペクトルを取得するスキャン測定とは別物です。
では何をモニターするかといえばイオンの検出器応答値の「総和」です。このような測定法があるのでしょうか? 私は、m/zで分離したイオンごとに測定する方法しかやったことがありません。
いやいや、実は、m/zで分離したイオンごとに測定したうえで、画面上の表示だけを総和で示すということなのでは?と思ってよく読んでも、はっきり「質量分析計を動作させること」とありますから、画面だけの話ではないようです。

 そういえば「TICC」の語も
これと似た話は、TICかTICCか でも書きました。IUPAC勧告も関連JISもTICCを「データから再構成したクロマトグラム」としているところ、MS学会用語集第4版だけ「全イオンモニター(total ion monitor),あるいはビームモニター (beam monitor) と呼ばれる特別な電極を設けて測定したm/z分離が行われる直前のイオン電流値」と定義しています。そして、このような測定は数十年前に行われていたことが J.H. Gross「マススペクトロメトリー 原書3版(日本版)」に書かれています。(無料サンプルページ p.672)

MS学会用語集の特殊な「TIM」の定義づけは、TICCの定義に出てくるtotal ion monitorという古い測定装置と整合性を持たせているのかもしれません。

 他の文献はどうなっている?
MS学会用語集に書かれている意味は現代では実用性がないと思いますが、査読者の指摘は重みがありますから、他の文献でどうなっているか調べました。

まず、この用語集が主に準拠している IUPAC勧告(2013) にTIMの語はありません。学会独自に立項したと考えられます。

JISはどうなのか。
「JIS K 0123:2018 GC/MS通則」の附属書Eでは、SIMに対する語として全イオンモニタリング(TIM)の語を使い、これはスペクトルを採取する測定を意味しています。

「JIS K 0136:2015 LC/MS通則」にも「全イオンモニタリング」の語があり、スペクトルを採取する測定を意味しています。こちらの方にはTIMの略語はありません。

「JIS K 0214:2013 分析化学用語(クロマトグラフィー部門)」には「全イオンモニタリング, 全イオン検出」の項があり、「GC/MS, LC/MSなどでイオン源で生じた全イオン,又は特定範囲のm/zのイオンを積算して連続的にモニタリングする方法」と書かれています。マススペクトルを取得するということか、MS学会用語集のようにマススペクトルを取らないということか、あいまいです。

日本分析化学会(編)「分析化学用語辞典」(2011)にも「全イオン検出」の項があり、JIS K 0214とほぼ同じ文言です。

「ガスクロ自由自在」も併せて表にするとこうなります。

Tim

 「スキャン」はTOFやFTでは非推奨
ところで、GC/MSやLC/MSのユーザーなら
「わざわざTIMなんて言葉を使わなくても、スキャンでいいのでは?」
と考えるかもしれません。

再びMS学会用語集から引用しますが、「スキャン」の項はこうなっています。

scan
走査またはスキャン:マススペクトルなどを測定するため磁場や電場の強さなどを一方向へ連続的に変化させること.
注:マススペクトルを取得する際このような操作を行わない飛行時間型質量分析計やフーリエ変換質量分析計を用いる場合もスキャン (scan) と表現されることがあるが,推奨されない.

つまり、TOFやフーリエ変換型(オービトラップなど)については「スキャン」の語が推奨されないのです。解説書では全部の質量分離方式に通用する語を使ってデータ処理法を説明する必要があるため、TOFやオービトラップにも使える「スキャン」相当の語が必要になるわけです。
とはいえ、MSユーザーの間で「TIM」の語はあまり使われておらず、「スキャン」の方が一般的ではあります。J.H.Gross "Mass Spectrometry ― A Textbook, 3rd ed"(無料PDF, 25 MB)では普通にscanning mode の語を使用しており、TIMの語はありません。(p.848-849)

 私の本にはどう書いたか
上記の調査を踏まえて、「図解入門 よくわかる最新分析化学の基本と仕組み 第3版」では第2版の記述と同様、JISのGC/MS通則及びLC/MS通則と同じ用法のままにしました。また、脚注でスキャンの語はTOFなどには「用いない」としていたところ、「非推奨」に表現をゆるめました。

「TIM」の語については以上の長い説明を 第2版から第3版への変更点(PDF, 452kB)に書ききれず、このようにブログ記事にしました。

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2025.03.13

「整数質量」という言葉、どう使う?

質量分析ユーザーの間で「整数質量」の語は普通に使われていると思いますが、実はあまり認められていなくて使いにくい、という話をします。しかし最後にすばらしい文献をご紹介しますから、時間がない方は最後だけ読んでください。もっと時間がない方はこの表だけどうぞ。

Seisu

分子の例として、いま分析業界が対応に大わらわの物質PFASの一つPFOAを考えてみましょう。化学式はC8HF15O2で、天然存在度が最大の同位体ばかりの組合せの分子なら精密質量は413.9737 Da(小数点以下4桁まで表す場合)、これに対して整数質量は414 Da。つまり「精密質量」の対句のように使われるのが「整数質量」というのが私の認識です。

 IUPACと質量分析学会の用語集には無い
「整数質量」の語は、日本質量分析学会の「マススペクトロメトリー関係用語集第4版」には収載されていません。第3版にも収載されていませんでした。
「精密質量」の方は収載されています。「測定精密質量」と「計算精密質量」が定義されています。

この用語集が主に依拠している IUPACの用語集 にも「整数質量」に相当する語は見当たりません。

それではPFOAの414 Daという質量を、この用語集ではどう表現すればよいのでしょうか?
別途「質量数」の語が「原子,分子,またはイオンを構成する陽子と中性子の数の合計」と定義されていますから、「PFOAの質量数は414」と表現できます。「414」であって「414 Da」でないことに注意が必要です。質量数は無次元量です。
しかし、質量数は原子に対して使う言葉ではないでしょうか。私は「整数質量」と似た意味で分子やイオンについて「〇〇の質量数は400」などと表現された実例を見たことがありません。

 「ノミナル質量」という言葉
「マススペクトロメトリー関係用語集第4版」には「ノミナル質量」も定義されています。「各元素の天然存在度が最大の同位体の質量に最も近い整数値を用いて計算したイオンまたは分子の質量」です。「PFOAのノミナル質量は414 Da」と表現できます。

それなら「ノミナル質量」の語さえあれば良くて「整数質量」は不要ではないか、と考えてしまいそうですが、PFOAの分析でサロゲートとして使われる13C8-PFOAはどうでしょうか?
この物質は8個のCがすべて13Cなので、整数で表した質量は422 Daです。しかし13Cは「天然存在度が最大の同位体」でありませんから、「ノミナル質量」の定義に当てはまりません。「13C8-PFOAの整数質量は422 Da」と表現するしかないのではないでしょうか?

サロゲートの場合だけでなく、PFOAの炭素原子の一つまたは二つが13Cになっている415 Daや416 Daの分子由来のイオンは質量分析で常時観測されますが、これらも「ノミナル質量」ではないわけで、「整数質量」の語が必要ではないでしょうか?

さらに、極めて大きな分子ではノミナル質量でなくノミナル質量より1大きいイオンが最大ピークになりますが、これも「整数質量」と呼べなければ不便ではないでしょうか?

 JISではどうなっている?
「JIS K 0214:2013 分析化学用語(クロマトグラフィー部門)」には「整数質量」の語があります。しかしなんと、「ノミナル質量=整数質量」という定義です。これはJIS K 0214だけが採用している独特の定義ではないかと思います。

「JIS K 0136:2015 LC/MS通則」には定義はありませんが、分解能の説明をしているところに
「分析種イオンと整数質量が同じで精密質量が異なるイオンを」
と書かれています。これは天然存在度最大の同位体のみで構成されたイオンに限った記述ではないので、シンプルに整数で表した質量を意味していると解釈できます。

「JIS K 0123:2018 GC/MS通則」と「JIS K 0215:2016 分析化学用語(分析機器部門)」には「整数質量」の語はありません。

 書籍では?
「これならわかるマススペクトロメトリー」(2001)のp.51には次のように書かれています。
「整数質量:分子を構成する原子の質量数の総和.精密質量などの小数点以下を四捨五入や切り捨てした値ではないことに注意する.」
これは質量分析学会用語集の「質量数」と同じ意味で、無次元なので、「質量」と呼んで良いのか疑問です。

「ガスクロ自由自在Q&A GC/MS編」(2024)のp.11、質量分析計によるスペクトルの違いを説明したところに
「観測できるイオンの質量が整数質量か小数点以下を有する精密質量か」
とあります。天然存在度最大の同位体か否かは関係なく、シンプルに整数で表した質量を意味していると解釈できます。

「LC/MS、LC/MS/MSにおけるスペクトル解析」(2020)も確認しましたが、「整数質量」の語はありませんでした。

ここまでの調査で、私が考える「整数質量」の意味と同じ使いかたをしているのはJIS K 0136と「ガスクロ自由自在Q&A GC/MS編」だけでした。しかしどちらも用例であって、定義が書かれているわけではありません。
最後にたどり着いたのが日本分析化学会(編)「分析化学用語辞典」(2011)。実は私はこの辞典をあまり参照したことがなくて、一応持っているという感じだったのですが、これにすばらしい定義が書かれていました。全文を引用します。

整数質量 セイスウシツリョウ integer mass〔電磁気分析〕質量の計算値もしくは測定値の小数点以下を四捨五入して表記したもの.日本語の整数質量は「ノミナル質量(nominal mass)」を指すこともあるが,ある程度の高分子化合物ではinteger massとnominal massの値が異なることもあるので,整数質量をノミナル質量の同義語として使用することは好ましくない.

我が意を得たりです!JIS K 0214がおかしいことまできちんと指摘している。これが載っているだけで、8500円(税別)の本代を払ってよかったと思ったくらいです。

 私の本ではどう書いたか
「図解入門 よくわかる最新分析化学の基本と仕組み」の第2版では、「これならわかるマススペクトロメトリー」の定義に基づき、本文では「分子を構成する原子の質量数を合計したものを整数質量と呼びます。」と書くいっぽうで、図解ページでは「単位 Da」としていて矛盾がありました。
第3版では「分析化学用語辞典」に基づいて本文に
「分子やイオンの質量をDaで表して整数で近似したものを整数質量と呼びます。」
と書き、図解ページも記述を一致させました。

ちょっと自慢を書くと、「Daで表して」と書いたところが「分析化学用語辞典」よりも厳密になっています。質量の単位としてはグラムの方が普通だからです。第2版執筆時(2016)には「分析化学用語辞典」に行き着いていなかったので自慢できませんが…。

以上、「整数質量」の語についてはこのように長い説明があるので、第2版から第3版への変更点(PDF, 452kB)には書ききれませんでした。それでブログ記事にしました。

(注)この記事ではPFOAの分子について書きましたが、LC/MSで通常検出されるのはH+がはずれた陰イオンです。また、精密質量については電子の質量を考慮する必要があります。

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2025.03.11

分析化学の世界を絵にしたら

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分析業界の皆さんの中には、LC/MSひとすじとかSEM-EDXのみといった方もおられるでしょうが、複数の分析手法を使う人も多いのではないでしょうか。自身が使う手法が一つだとしても、他の分析手法による結果も踏まえてデータを解釈することがあるのでは。

各分析手法はバラバラなようにも見えますが、何かの秩序で整理できそうにも思えます。
「世の中に数ある分析手法を一枚の絵にまとめたい!」
と私はずっと考えてきました。

たとえば電磁波を使う分析法は、波長が短いγ線・X線から長波長のマイクロ波まで、つまりGe半導体検出器からNMRまでを一本の線の上に並べるとか。クロマトグラフィーと質量分析はすごく相性が良いから太い線で結ぶとか。ICPとXRFとボルタンメトリーはそれぞれ全く違う原理の手法だけど、無機元素の分析に使われる点では共通してるねとか。

そんな断片的なアイデアを温めつつ、出張の新幹線の車内などで手帳を広げて何回も落書きのような図を描いてきました。液クロの川、ガスクロの風、ICP-OESの星…という感じのイメージ的なものやら、原子・低分子・高分子・生体分子…などサイズを縦軸に、波長を横軸にしたマトリックス方式のものやら。

似た構想を持った人はこれまでたくさんいたろうと思いますが、私が知っているのは「なっとくする分析化学」と「マススペクトロメトリー」の絵だけです。

斎藤恭一(著)、武曽宏幸(絵)「なっとくする分析化学」(講談社、2010)
この本は分析化学の計算問題の解説書で、巻頭に2枚の図があります。
「図1 分析化学の海中絵」は、分析という概念のプレートの上に活量や濃度の海底があり、沈殿生成や酸化還元などの海域が広がり、滴定船が浮かび、機器分析の飛行船が飛ぶという図です。
「図2 分析化学の山脈絵」は各章の数学レベルを表すもので、溶液調製は低く、酸化還元は高く、酸塩基や錯形成は中くらいの高さに描かれています。

J.H.Gross(著)、日本質量分析学会出版委員会他(訳)「マススペクトロメトリー 原書3版」(丸善、2020)
この本の原書はなぜか無料で読むことができるので、ぜひp.152の絵(1987)とp.154の絵(2014)を見比べてみてください。とても楽しい。質量分析の世界が約30年でどれほど華やかになったか、海に浮かぶ群島として描かれています。
Mass Spectrometry ― A Textbook, 3rd ed.

ただしこれらはそれぞれ分析化学計算と質量分析の絵であって、分析手法全体の絵ではありません。全体像はどうなるんだろう?と私は考えてきました。

そしてこのほど、「図解入門 よくわかる最新分析化学の基本と仕組み[第3版]」で長年の願いをかなえることができました。絵というよりは図で、各分析手法と分析対象の関係を表しているので「分析手法マップ」と名づけました。

本当はネットで公開して批評されたり、いろいろな人が自分の絵を発表するようになれば面白いなと思います。しかし、私のぐちゃぐちゃの下絵は出版社がきれいに仕上げ、図を彩るカラー画像は多くのメーカーに提供していただきました。私が勝手にネットに上げられません。

まだ完成には遠いし、漏れている手法が多いし、不正確な点もあると思いますが、現時点では精一杯、という図になっています。書店でこの本を見かけたら、ぜひ口絵2~3ページの見開きの図を見てみてください。

(この記事冒頭の絵は液クロの川、ガスクロの風、ICP-OESの星です。ChatGPTに描いてもらいました。)

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2025.03.09

「よくわかる分析化学の基本と仕組み」第3版刊行

3rd_edition
「図解入門 よくわかる最新分析化学の基本と仕組み[第3版]」の編集が完了し、印刷所へ入稿されました。発売予定日は3月25日だそうです。たいへん多くの個人・企業・団体の皆さまのお世話になって完成しました。どうもありがとうございました。

ネット書店では予約の受付が始まっています。
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今回、本間善夫先生主宰の ecosci.jp からタンパク質の画像を提供していただきました。この図解入門シリーズの表紙は毎回本文に掲載した画像から何枚かを選んでアクセントのように配置しているのですが、編集部がこのタンパク質画像を選び、私の本の表紙を本間先生に飾っていただくくとになりました。どうもありがとうございます。

また、宮崎県まで取材旅行してこのブログでご紹介した リビングにLC/MS装置がある会社、firoにつき「分析の現場めぐり」としてカラー口絵で掲載しています。

この本をひとことで紹介すると、「分析の実務者向けの入門書」です。概要と章立てはネット書店のサイトで読めます。第2版を持っている方のために、今回の変更点を列挙したファイルを作りました。
 第2版から第3版への変更点(PDF, 452kB)
細かい字で11ページもあるので、全部読む気になれないかもしれません。これらの変更点一つひとつがブログネタでもあるので、追々ここで解説していきます。
なお、このファイルは全然読者フレンドリーに書いていませんが、本は初学者向けで、ブログ記事は初学者より少し勉強が進んだ人向けに書きます。

ファイル冒頭の「変更のあらまし」をコピペしておきます。

 新型コロナウイルス感染症の世界的な流行によってPCR検査と抗原検査が広く普及したことを受け、「DNA分析と抗原検査」の章を新たにもうけた。この章ではDNA型鑑定も解説した。2019年に国際単位系(SI)が大きく改定されたことから、SIの項及び標準とトレーサビリティの項を書き改めた。書籍の実用性を高める観点から、巻頭に各分析手法の関係を描いたオリジナルのカラー図「分析手法マップ」、最終章に「化学分析にかかわる資格」(13の資格を紹介)の項を新設した。さらに、PFAS及びマイクロプラスチックによる環境汚染への関心の高まり、福島第一原子力発電所の処理水放出開始、化学分析による宇宙探査の進展、AIの普及などを受けて新たなコラムを書いた。各分野の分析手法の進歩や、法令・規格の改定に応じて内容を更新した。

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