日記・コラム・つぶやき

2024.10.20

国立衛研創立150周年&旧庁舎跡地

1501

厚生労働省の研究機関である国立医薬品食品衛生研究所は、明治7年(1874年)に「東京司薬場」として発足しました。日本で最も古い国立試験研究機関だそうです。今年は創立150周年に当たるため、いくつかの行事が催され、10月18日に締めくくりのシンポジウム・記念式典・祝賀会が開かれました。公式サイトはこちらです。

創立150周年記念特設サイト

私は1987年から2003年まで国立衛研大阪支所に勤務したOBとして、10/18の一連の行事に参加しました。記念式典と祝賀会は非公開だったのでここに書くのは控え、シンポジウムについてのみ書きます。

記念シンポジウム「創立150周年を迎えた国立衛研のレギュラトリーサイエンス 最新動向と展望」はライブ配信されました。アーカイブ動画は引き続きYouTubeで公開されています。

創立150周年を迎えた国立衛研のレギュラトリーサイエンス 最新動向と展望(YouTube)

シンポジウムの構成は、①川西徹名誉所長による150年間の歴史紹介、②本間所長による研究所の現状紹介、③室長4名による最新研究の紹介、というものでした。

川西名誉所長の講演によれば「レギュラトリーサイエンス」の語は元々海外にあったそうですが、日本国内で現在のように使われた初出は、なんと労働組合の機関紙だったそうです。1987年に、後の内山充所長(第21代)が「衛試支部ニュース」紙上で提唱されたそうです。
このことも含めてシンポジウムでは「レギュラトリーサイエンス」について多く語られ、改めてこの概念が現在の国立衛研の指針になっているのだなと感じました。

国立衛研が社会的に注目された最近の事件といえば、紅麹含有サプリメントによる健康被害の原因究明です。これについては本間所長の講演で取り上げられました。上記リンクの動画の中で、国立衛研の取り組みのまとめは1:37:27から2分間程度、詳しい分担状況は各部紹介の中で、1:14:50付近から約16分間述べられています。

健康被害の原因物質究明・プベルル酸の大量合成・動物実験・既存文献の調査など、化学分析も有機合成も毒性試験も情報部門もそろっている研究所だから迅速に連携して対処できたことがわかりました。

国立衛研は2017年に世田谷区から川崎市へ移転しましたが、旧庁舎の正門脇にはメタセコイアの木がありました。かつて大阪支所にもメタセコイアの木があり、それは本所のメタセコイアの予備だと言われていました。なぜそんなにメタセコイアが大事にされるのか不思議でしたが、実は創立100周年の記念に常陸宮ご夫妻により植樹された木だったと、初めて知りました。

そのメタセコイアは落雷のために腐食し、川崎への移植は断念されたそうですが、労働組合支部(旧)の残資によって幹の一部がモニュメントとして残されたそうです。それはエントランスに置かれていました。また、同様に切り出された木材から作られたメモスタンドが、記念式典参加者に記念品として配られました。

1502

1503

その旧庁舎跡地についても書いておきます。私が2019年に旧庁舎を訪ねたときにはまだ建物や樹木はそのまま残っていました。
東京へ転勤&国立衛研旧庁舎(2019.05.12)

今回のシンポジウムが始まる前にまた行ってみました。建物も樹木もすっかり取り払われてフェンスで囲まれていました。現在は東側擁壁撤去解体作業中だそうです。見た目はほぼ更地ですが、シンポジウムでの本間所長の講演によれば、まだ埋蔵物(文化遺産ではない)の撤去があるため、工事完了は令和9年の見込みだそうです。
その後に何ができるかについては、お話はありませんでした。

工事車両が大きなゲートを出入りしていました。

1504

工事期間を知らせる看板。
1505

ほとんど更地に見えますが、辺縁部の樹木は少し残されている?(南側より)
1506

完全な平地ではなく、少し高低差があるようです。(西側より)
1507

郵政創業150年(2021)、鉄道開業150年(2022)、気象業務150周年(2025)など、明治1桁から150年に当たるここ数年は○○150年が続きます。数えればきりがないでしょうが、その一つの祝賀行事に参加して、西洋式の近代化に尽力した先人へと、私も思いを致すことができました。

| | Comments (0)

2021.10.30

元同僚の中村優美子さんがエッセイ集を出版

Photo_20211030183901
中村優美子さんは、私が国立医薬品食品衛生研究所大阪支所に勤務していた時代の同僚です。多数の論文で共著者になっています。大阪支所は2005年に廃止され、中村さんは廃止前に大阪府内の地方自治体へ技術職として転職されました。その後も私たちはずっと連絡を取り合っています。

このほど、その中村さんがエッセイ集を出版されました。中村優実子というペンネーム、タイトルは「記憶の残像」です。自費出版ですがオンラインで購入可能です。

 Amazonの書籍ページ
 楽天の書籍ページ
 紀伊国屋書店の書籍ページ

私は発売前にいただき、読み終えましたので、内容をご紹介します。とても興味深かったです。

題材は中村さんの子供時代、職歴と仕事内容、両親の介護と看取り、各年代で起こった災害や事件の記録などです。

ということが目次でわかりますので、正直なところ最初は、誰でも一冊は書ける、個人的な記録と満足のための出版であろうという想定で読み始めました。

けれども、ありふれているはずの素材が、なかなかの味を出しています。中村さんが見た夢や占いのことが多数織り込まれているのが大きな特徴です。

と紹介すると、ありふれている上に夢とか占いとか!?とさらに興味減退かもしれません。
しかし、両親の介護と看取りといった人生の大変な時期を淡々と描写する合間に夢の話を入れることで、著者の心情が間接照明のように伝わるという、独特の味わいがあるのです。

しかも、それだけでは現実味のない記述になってしまうかもしれないところ、仕事の話では科学技術や行政の用語が多用されて、著者が実社会での役割も果たしてきたことが理解でき、本全体として絶妙なバランスになっています。

私はかつて、大阪支所勤務時代の上司だった外海泰秀さんの退官記念誌もウェブで紹介しました。(外海泰秀さんの退官記念誌)大阪支所は無くなってしまいましたが、中村さんが本を出されたことによって、形のあるものがまた一つ残ったこと自体がうれしいです。

興味を持たれた方は、ぜひお求めください。
なお、仕事の話は概要解説のみですから、分析業務上の具体的なエピソードが書かれているわけではありません。

| | Comments (0)

2019.09.29

巾着田のヒガンバナ

東京勤務半年。日本で最も有名かもしれないヒガンバナの群生地が埼玉県にあると聞いて行ってきました。


Kinchaku1

日高市の巾着田です。
ヒガンバナの見ごろはソメイヨシノよりも短いと思いますが、ちゃんと見ごろに行けるかな?と心配していました。
運よく今年は開花が遅かったらしく、週末では昨日・今日が見ごろだったようです。
昨日(9/28、土曜日)は七分咲きから満開といった感じで、最盛期は月曜か火曜かもしれません。
巾着田にはヒガンバナがこれでもかというくらい咲いていました。500万本あるそうです。こんなに多くを一度に見たのは初めてです。
それよりも圧倒されたのが観光客の多さ。そして迎える側の準備が整っていること。
ヒガンバナといえば、毒があるのでモグラ除けとして田の畔に植えられたという説もありますが、私の子供の頃の記憶では、大人たちが積極的に大事にしている様子はありませんでした。
本当に真剣にモグラを遠ざけたいなら畔全体にヒガンバナが生えていてもよさそうなものですが、あくまで田園風景のそこここに点在するもので、雑草の一つという認識でした。
ヒガンバナはそういう取るに足らない花で、夏の草刈りの時期に葉がないから切られずに済んでいるだけと考えていました。
そのヒガンバナが積極的に守られるばかりか、駅から群生地までの道端や民家の庭先にも、そこかしこに咲いていました。
そして群生地に隣接する広場には特設ステージが設置され、何十も屋台が並んでいました。民家が開店したにわかショップも多く、いなり寿司や手作り小物や野菜などを販売していました。
人出はこの時期だけで30万人だそうです。
取るに足らない秋の田のアクセントでしかないと思っていたヒガンバナがこれだけもてはやされる場所があるとは、カルチャーショックでした。


Kinchaku2 Kinchaku3

私はヒガンバナが好きで、過去に何回かこのブログで観察記を書いたことがあります。
巾着田のヒガンバナは花自体も人の営みも想像以上のものでした。人が多すぎてゆっくり味わうどころでありませんでしたが、河原が広がる地形や木製の美しい橋が良かったです。
ヒガンバナの葉が茂る冬の景色も見たくなりました。冬なら静かに散策を楽しめるでしょう。

過去記事


| | Comments (0)

2019.05.12

東京へ転勤&国立衛研旧庁舎

4月から東京で勤務しています。このブログで「〇〇へ転勤」のパターンの記事を書くのは4回目です。

せっかくの東京暮らし、休日に行ってみたい名所旧跡が多数あります。生活に必要な店や公共施設はだいたい押さえた今、さてどこから行こうか・・・と考えて、ふらっと足が向いた先はここでした。

1

現在は川崎市へ移転した国立医薬品食品衛生研究所の旧庁舎です。
かつて就職活動は夏から始まりました。将来への期待と不安を抱いてこの門をくぐりました。

2

逆光になってしまいましたが門を入ってすぐ左手にある守衛さんの建物です。外来者はここに備え付けられた記録簿に氏名や来訪先を記入することになっていましたが、採用後は「大阪支所からです」と言って通過していました。

敷地外周に沿って歩いてみました。歴史を表すうっそうとした木立に囲まれています。

3

4

都市計画局による見取り図の表示がありました。用務先以外には行ったことがありませんが、実はずいぶん広いようです。

5

門の右手には「衛生材料廠跡」の碑があります。かつてはそのような名の施設があったのでしょう。いずれは「国立医薬品食品衛生研究所跡」の碑が並ぶのかも?

6

旧庁舎の所在地は世田谷区上用賀、最寄り駅は東急田園都市線の桜新町。サザエさんの町として知られる場所で、駅前にはこんな像があります。

7

実は私は国立衛研の大阪支所が廃止されて敷地に草が生い茂り、解体されて更地になるまでの写真を掲載したページを作っています。
一種の廃墟マニアかもしれません。和歌山薬用植物栽培試験場の閉鎖直前の様子も記事にしています。

世田谷区の旧庁舎が更地になった頃に、また訪れるかもしれません。

| | Comments (0)

2017.10.09

もし「元素学校」があったら

Ice_skate_man

冬季オリンピックをひかえてフィギュアスケートのニュースが増えてきました。来月開催されるNHK杯に向けて羽生結弦選手のコメントが放映されていました。
「一つ一つのエレメンツを丁寧にやりながら優勝をめざしてがんばって行きます」

ここで"elements"の語にピクッとしてしまった化学系の人もいるのではないでしょうか?私だけでしょうか・・・

日本語では「元素」といえば元素という意味だけですが、英語のelementには様々な意味があって日常的に使われています。要素、成分、構成部分といった意味です。形容詞形で"elementary school"といえば「小学校」です。

もし化学英語だけを勉強した人が"elementary school"と聞いたら「元素学校」のことだと思うのだろうか?どんな学校だろう?国語とか算数とかでなく、ハロゲンとかアルカリ土類とかが科目だったりして・・・?
などと妄想しました。

西洋の科学知識が大量に導入された時代に「元素」という訳語も作られたのでしょう。明確に「元素」を意味する言葉を持っている私たちは幸運だな・・・と思い、でももしかしたら「元素」だけを意味する英単語があるかも?と考えてWikipediaの 元素 を開きました。この英語版は Chemical element です。なるほど。単語ではなく"chemical element"で「元素」のみを表すのですね。

羽生選手の一言から広がった知識でした。

余談ですが日本語版のWikipediaの 元素 の中で、「元素」の語の使い方に混同や説明不足がある例として某シリーズの元素本が挙げられています。私は同じシリーズから分析化学本を出版しているのでドキッとしました。本を出すというのは勇気がいるものです。

フィギュアスケートのイラストはフリー素材の いらすとや より。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.06.29

麦ごはんに変えた理由

Mugirice_2
少し前からごはんに必ず大麦を入れて炊くようになりました。

メディアで大麦(特にもち麦)の健康効果をよく聞きますが、私は「○○は体に良い」という話をいっさい信じたことがありません。
一つ(または少数)の種類の食品だけにそんな万能な効果があるとは思えないからです。

しかし先日、大麦普及の大御所の方とお話しする機会があり、簡単に白米に混ぜて炊ける「米粒麦」というものがあることを知りました。スーパーで手ごろな値段で売られているので買ってきて、白米に3割ほど混ぜて炊いてみました。

おいしいです。私はもともと麦ごはんが好きです。
そしてハッ気がつきました。

「白米は体に良いという話は全く聞いたことがないのに、私は疑いもなく毎日食べ続けてきた!?」

そうなのでした。知らず知らずのうちに「○○を食べ続ける」という生活をしていました。物ごころもつかない幼いころから。

とはいえ、白米って手軽ですよね。どこでも手に入るし、専用の炊飯器があって自動的に炊き上がるし、価格も安いとは言えませんが高いというほどでもない、特売も多い、外食で出されるのもほぼ白飯。白米を食べる習慣を変えるとなると手間や費用がかかりそうです。

しかし「米粒麦」は白米とほどよく混ざり合って手間なくおいしく炊くことができます。これは商品名ではなく、大麦の粒を半分に切断して作られる製品全般のことです。
それから人気の「もち麦」は価格が高めですが、もち麦でない麦(うるち麦)でも効果はあるそうです。

価格は高くない、手間はかからない、味も(私は)好き、それなら「白米を食べ続ける」から「白米と大麦を食べ続ける」に変えるほうが合理的かも?

つまり「白米だけを食べ続ける理由が無いことに気づいた」、それが私が麦ごはんに変えた理由です。

2017/6/30 追記
「大麦普及の大御所」とは、大麦食品推進協議会の会長で大妻女子大学名誉教授の池上幸江さんです。
池上さんは1963年から3年間、国立衛生試験所大阪支所で勤務しておられた大先輩です。先日、支所の最後のOB会でお会いしました。
ご了解を得てお名前を書かせていただきました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2016.07.15

大阪へ転勤

昨年 名古屋へ転勤 のお知らせをしたところですが、今月からまた大阪勤務になりました。
名古屋勤務は予想外に短かったため、あまり街の詳細を知ることなく離れてしまったのが少し残念です。

住んでいた場所は千種区でした。道路が広くて街路樹などよく整備されており、毎朝気持ちよくスロージョギングをしました。大きな公園があって、ある朝、きれいな虹を見ることができました。

Rainbow

虹はどこでも見えるもののようにも思えますが、広い場所が身近にあることで、これまで見たことのない細部まで観察できました。
二重の虹の間には「アレキサンダーの暗帯」という暗い部分があります。自分の目ではっきりと見たのはこれが初めてでした。

大阪ではめったに積もらない雪。

Yuki

こういう感じで雪雲が日本海側から流れてきて雪を降らせるらしい。高い山がないので愛知県や三重県は太平洋側なのに雪が多いようです。

Kumo

名古屋城の桜もきれいでした。個人の住宅も四季折々の花がよく手入れされていて楽しめました。

Sakura

あまりあちこち行けませんでしたが、信長生誕の地の候補の一つ、勝幡城跡へ行きました。これは駅前の商業施設のフードコートで売られている「信長かぶと」というクレープです。そば生地でできているそうです。写真写りはいま一つのような気がしますが、実物は立体的で存在感があり、何より、おいしかったです。

Nobunaga

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2015.05.04

名古屋へ転勤

一年ぶりの更新です。
昨年は私の携わる分野で大きな社会問題が起こったため、その対応に追われました。現在は沈静化してきているようですが、まだ気は抜けません。

ところで、この4月から名古屋で勤務しています。
私は岐阜県出身なので名古屋は幼いころから憧れの大都会。親に連れて来てもらったのはテレビ塔と東山動物園くらいでしたが、この機会に色々なところへ行ってみようと思っています。

記憶の中のテレビ塔はもっと高くて鳩がたくさんいました。

Photo_3

名古屋港ワイルドフラワーガーデン。春の花がたくさん咲いています。

1_2

小川が流れる園内、心が落ち着きます。

2_2

名古屋城にも行ってみたい。まだここまでしか近づいていません。

Photo_4

| | Comments (2) | TrackBack (0)

2013.04.02

水銀で冥界への鏡を表現した映画

Birth04今日は 分析化学のページ 開設10周年の日です。

記念に何かふさわしいことを書きたいと一日考えましたが、何も浮かばなかったので、最近読んだ本から面白い動画を一つ。
ヒュー オールダシー=ウィリアムズ著「元素をめぐる美と驚き:周期表に秘められた物語」(早川書房、2012)で、ジャン・コクトーの映画「オルフェ」の一場面が紹介されています。
それは、0.5トンもの水銀を使って、この世と冥界を隔てる鏡を表現しているのだとか。

詩人オルフェが妻ユリディスを追って鏡をくぐり抜ける場面では、鏡そのものでありながら触れれば液体という水銀の特性が生かされているのだそうです。
1950年の映画(本には1945年と書かれている)、現代のようにCGなどない時代、水銀を使うとは!
それに、鏡のように大きな水銀の水面(水銀面?)に触れたらどうなるの?知りたい!

と思って検索しました。ありました。

1分41秒の動画です。ちょっとCMが入ります。
Orphée - La traversée du Miroir - Cocteau

なるほど。こんな感じですか。細かく波立って、モノクロながら、水とは違う固そうな質感がわかります。
オルフェは手袋をはめて鏡をくぐります。これは神秘的な雰囲気を高めていますが、実は俳優の健康に配慮して水銀に直接触れないようにするためだったそうです。
それから、鏡をくぐる直前と直後にカメラアングルが切り替わって錯覚を起こさせますが、実際の水銀の面はもちろん縦でなく水平だったのです。

フリー素材:リコー クリップアートファクトリー

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.08.18

(旧)和歌山薬用植物栽培試験場にお別れ

1

私が勤務していたころ、国立医薬品食品衛生研究所のパンフレットやホームページには日本地図が掲載され、7つの所在地が示されていました。東京の本所、大阪支所、5つの薬用植物栽培試験場でした。

現在では大阪支所は廃止され、薬用植物栽培試験場は独立行政法人医薬基盤研究所に移管されています。
5場のうち伊豆試験場は、移管前の2002年に既に廃止されていました。そして和歌山試験場が今年の3月に閉鎖されました。今日、元場長の野口衛さんら(野口薬膳研究会)の主催で「和歌山試験場報恩会」が開催されましたので、久しぶりにこの地を訪れました。

報恩会の会場は、試験場近くの「ふれあいセンター藤井」。企画内容はノートルダム清心女子大学 大西孝司教授の講演「レーダーグラフ法を用いた薬膳の効能効果の実証について」と、薬膳カレーの昼食会でした。薬用植物と薬膳と郷土を愛する地元の方が集まられて、この試験場が地元の期待を受けてきたことを感じました。
地元の方から「むかし、各地でケシを植えてみて、一番よくはえたところに試験場ができたと聞いている」「戦争中はここで作られたアヘンが陸軍に納められていたそうだ」といった話が出ました。

簡単に和歌山試験場の歴史を紹介し、最後の写真を披露します。貴重な植物の移植はほぼ終わっていました。現在も管理はされていますが、それも9月いっぱいで終了するとのことでした。

1939年10月 大阪衛生試験所薬用植物栽培試験部の圃場として誕生
1956年4月 国立衛生試験所和歌山薬用植物栽培試験場に改名
1998年3月 最後の専任場長が退任
2005年4月 (独)医薬基盤研究所薬用植物資源研究センター和歌山研究部に
        その後和歌山研究部は廃止され、筑波研究部圃場となる
2012年3月 閉鎖決定
(以上、報恩会資料より)

JR紀勢線 道成寺駅から徒歩5分ほどのところです。
2

道路から見ると、かなり奥行きがあって、むこうに庁舎が見えます。
3

庁舎の玄関
4

元は分教場だった建物だそうです。かつて職員室や保健室だった部屋で薬用植物の研究が行われました。
5

大きな井戸らしきものがあります。
6

この棟は分教場の雰囲気がよく残っていますね。
7

こちらも・・・
8

デイゴが咲いていました。
9

大阪支所にもデイゴがありました。もしかしたら株分けされた?
10

植物には名称のプレートが添えられています。
11

百葉箱も・・・
12

この花、名前をきいたけれど忘れました。
13

少しもの悲しい、花の終わりの桔梗
14

参考リンク
国立医薬品食品衛生研究所 沿革
(独)医薬基盤研究所薬用植物資源研究センター

| | Comments (4) | TrackBack (0)

より以前の記事一覧