ネットでのリスク管理

2004.09.07

ネットでどこまで信用されたいか

 自分がネット上で提供している知識や表現している人格をどこまで信用してもらいたいか考えてみる。そして、その程度信用してもらうためにはどんな方法を採るのがいいかも考えてみる。

 酔うぞさんが インターネットで発信者の信用をどう確保するか? で述べられたとおり、「インターネットという一つのバケツの中にあまりに違う情報の入れすぎなのではないか?」と感じている人は多いかもしれない。公的機関や大企業が開設しているページも個人の日記やおしゃべりも、ネットバンキング等の財産に関わる情報も、同じネット内で流通している。フィッシング詐欺のようなことも起きる。

 しかし、いろいろなものが混在していて危なっかしいのは、別にネットだけではない・・・というのも、誰でも考えるところだろう。高い殺傷能力のある自動車が個人で所有できて歩行者と同じ道を走り回っているし、満員電車には痴漢もいるし様々な感染症の媒介スペースになっている。ごちゃ混ぜバケツはいたるところにある。それでもまあまあ平穏に世の中が動いていくのは、便利さと比べればこの程度のリスクは仕方ないという「社会的合意」があり、問題が起これば「ルール」が追加されていくからだ。
 ただ、インターネットは、発展と普及があまりに急速なために、既存のバケツよりも社会的合意やルール作りが遅れがちなのは確かだ。

 そういう発展途上・交通整理が遅れがちなネットの中で、ある程度の信用を得たい情報発信者はどうしたらいいか?個人の場合はネットバンキングほど信用が必要なわけではないが、それでも個々の事情に応じて、「信用してほしいレベル」が存在する。
 私は、
(1)提供する情報内容をある程度区分けする。
(2)区分けしたそれぞれについて、信用してもらいたい分だけ信頼性向上のための努力をする。
(3)期待するほど信用してもらえなくても、それ以上の努力ができないなら諦める。
という方法を採っている。
 具体的には、本館 で提供している専門情報は、私なりの最高の信頼を得たいので、元文献を示したり自分の経歴を公開したり、できる限りのことをしている。これに対して、このブログで書いたいくつかの体験談()は、話として聞いてもらえれば十分で、書いた以上の情報を求められても答えるつもりはない。答えるリスクのほうが、信用してもらえない不都合よりも私にとって大きいからだ。

 ネットは確かにごちゃ混ぜバケツだけど、参加している一人一人の意志で、自分の力の及ぶ範囲内の整理整頓をすることはできる。別の参加者の意識に働きかけることもできる。たとえば「匿名情報など信用できない」「匿名での発言はマナーが悪い」と一律に片付ける意見が幅をきかせそうな場合には、固定ハンドルネームの人たちは反論したほうがいいと思う。ルール作りが遅れがちなインターネットの世界では、そういう個々の参加主体による世論の力はかなり大きいような気がする。
 その一方で、自分の身の安全確保やもろもろの事情から十分なことができず、期待するほどの信用が得られない場合には、いさぎよく諦めるのも精神衛生上よいと思う。

酔うぞさんの記事以外の参考リンク

バカはサイレンで騒ぎ、インターネット利用者は激減する!?
インターネットが怖くてトラックバックが出来るか!
 「週刊!木村剛」より。木村さんは、御自身のビジネスにもネットを最大限生かそうと考えておられるようなので、匿名発言も含むネット情報全般ができるだけ信用される方向を意図した記事が多い。最初の記事に対する続編記事の受けはごく自然。

”別人格”の理由
 「d-mate weblog」より。前回記事で引用した 自サイトで書く の続き。日常生活でも、場面場面でちょっと(または大きく)違う自分を演じるのはよくあることで、それぞれをどうコントロールするか、という考察。
 リンクだけしてトラックバックしないのは失礼だったでしょうか。前回分もトラックバックしておきます。

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2004.09.01

自分の発言ログを管理する目的

 前の記事「自分の足跡を管理する」では、発言ログを管理する「方法」について述べましたが、管理する「目的」には全く触れませんでした。そこへ 酔うぞさんからコメント をいただいて、念頭に置かれている目的が私の想定とはかなり違っていたので、面白いなと思いました。
 酔うぞさんが想定する目的とは、「ネットで別人格を表現する」 あたりにあるようです。なるほど。意識的・無意識的に別人格になっている人って、多いかもしれませんね。たしかに、別人格を演じるならそれなりの注意を払わなければならないでしょう。特に性別や年齢や立場を詐称(までは行かなくても、読者の勝手な想像を誘うような書き方を)している場合などは。
 別人格を演じるのは疲れるし、長続きしませんよ、「自然体」が一番・・・というのが酔うぞさんの御意見です。

 私のブログは方法論だけ書くようにしていて、目的にはあまり触れないようにしています。「目的」は個人個人の価値観と密接に結びついていますから、目的そのものに対していいとか悪いとか評価したら、ネットでは過敏な反応が返る場合もあるからです。それと、他人の「方法」は参考になっても、「目的」はすぐには参考にならないことが多いです。

 けど、今回だけはちょっと口をはさんでみましょう。私は、「別人格を演じる」人がいるのは理解できるし、そういうのもまた楽しいと思います。
 匿名で表現されている人格はすべて、現実にはまったく存在しない可能性があります。大多数の匿名の人は、身元が割れるのを警戒しつつも、リアルの自分に結びつくかもしれないリアルな情報を提供しているでしょう。リアルさがない情報は、書いても読んでも魅力に乏しいものですから。でも、現実としか思えないリアルな人物像でありながら、実は虚構なのかも・・・と想像すると、真剣に読む自分がばかばかしくなったり、これが作り事だとすればすごい筆力だなーと感心したり。
 こんな余地を残しながらコミュニケーションできるのも、ネットの面白さではないでしょうか。「別人格を演じる」目的にも、発言ログ管理の方法論は役に立つと思います。

 ところで、「発言ログを管理する目的」、私の場合を書いておきます。
 「仕事の上で差し支えのある情報」「不正確な情報」「個人情報」を流してしまうのを防ぐため。それと、「発言相互の矛盾(分析屋としての信用に関わる)」を避けるためです。たとえば、過去に書いたことと一見矛盾することを書く場合、なんの説明もせずに書いてしまうことはしたくない。前のときとはどのように観点が違うか述べたり、実際に考えが変わったのであれば、変わった理由を述べたい。過去の記述に認識不足や間違いがあれば、訂正したい。そのために、自分の過去の発言は管理できるところに置いておきたいです。
 この際、前に掲載していた内容を痕跡なく消してしまうのは避けています。取り消し線や追記を使って、どこをどう修正したか示すようにしています。トラックバックいただいた 自サイトで書く (d-mate weblog)で、こういう御意見が書かれています。

もちろん、管理下にあるからといって、むやみに過去に公開したコンテンツを書き換えたり削除したりするのは好ましくないだろう。逆の立場に立ち、自分が言及したコンテンツが突然正反対の意味に書き換えられたりしたら、不快どころではない。
 これはまったくそのとおりだと思います。

 もうひとつ、「自分の発言ログを管理する目的」として読まれたくない相手に見つからないようにしておくためというのもあるかもしれません。たとえば、こっそり書いたつもりでも、あとでそのページへのアクセスが思いがけず増えた場合は削除するとか。
 まあ、そういう目的のためにも発言ログ管理は必要でしょうが、「絶対読まれたくない相手がいる内容は公開の場で書かないほうがよい」と私は思います。

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2004.08.28

自分の足跡を管理する

 ネットでの危機管理の一環として、「自分の発言ログの管理」について考えてみる。

できる限り自サイト内で書く
 コメントとトラックバック、私は圧倒的にトラックバックのほうが好きだ。最大の理由は、自分の発言ログを管理するのが容易だから。
 ブログに限らず個人サイトの開設者が自サイトを広く知ってもらいたいと考える時、「関連のあるサイトをまめに訪問して掲示板に書き込む」のは、非常に有効な手段だ。私も本当は 分析化学のページ を宣伝するために書き込みたいと思う掲示板がいくつもある。しかし、実際にはほとんど書き込んだことがない。
 いったん書き込んだら何か反応があるかも知れず、その後しばらく訪問する必要がある。また、書き込みを削除・訂正したいと考えても自分ではできない掲示板が多い。自分の管理できない場に書くという行為は、かなりストレスを伴うものだと思う。
 何より、広いウェブの世界で自分の足跡があちらこちらに散在していて、どこで何を書いたか自分でも思い出せなくなる・・・という状態が私は怖い。そんなことはちっとも怖くない人もいるかもしれないけれど、とにかく私は落ち着かない。
 ブログを使い始めたとき、「トラックバック」という仕組みに感激した。自分の発言を自己管理できる状態で掲載しながら、他サイトとの関連が付けられる。望んでいたものの一つが得られたと思った。

他サイトの掲示板・コメント欄で書くとき
 そういうわけで私は他サイトに書き込むことは滅多にない。でも、礼儀や社交上、必要を感じたら書き込む。その場合、中身のあることはできるだけ書かないようにしている。(と言ってしまったら、今までに書き込んだサイトのオーナーの皆さんに失礼かもしれませんね。すみません。)議論になりそうなこと・専門的な情報を提供することは自分のサイトでやって、URLだけ書きに行きたいと思う。
 それでもなお中身のあることをよそで書きたい場合はどうしたらいいか?
 三中信宏さん と最初にお話した時に「できる!」と思った。三中さんは 私のブログでコメント すると同時に 自分の日録にコメントを転載 なさった。これは自分の発言ログの管理法として参考になる。

どう名乗るか
 他サイトでどう名乗るかは、ひと悩みしてしまう問題だ。
 以前から、漢字でフルネームを名乗るのはやめようかと考えていた。このほどの 図形問題 で、いよいよもうフルネーム発言はやめることにした。いまGoogleで私の氏名を検索すると1,000件以上(*)ヒットする。この中に、自分自身がいくつかのブログのコメント欄で名乗った氏名が含まれている。仕事の関係者などが私の氏名で検索した場合にどんな印象を受けるか考えると、やはり相当まずいような気がする。
 こういうことになるだろうなと思いつつフルネームを名乗ってきたのは、「なりすまし」を警戒してのことだった。例えば他人がどこかで「分析化学のページの津村です」「技術系サラリーマンの津村です」などと名乗った場合、私には発見のしようがない。常にフルネームを名乗るようにしておけば、そういうことを抑止できるのではと考えた。(検索で発見できるから。)
 しかし、「なりすまし」を監視するためには、よそで書くときは必ず自分のURLを添えるようにして、自サイトでリンク元解析するほうが有効だと思われる。特にココログの場合は 訪問者フレンドリーなアクセス解析 が用意されている。でも、利用できるプランに変更するには月450円かかる。私の場合、そこまでするほど「なりすまし」の恐れがあるとは思えない。今後は「つむらゆかり」とひらがな表記で名乗ろうかなと考えている。
 ハンドルネーム使用の場合も、「検索で他に見つからない名前」にするか「よくある名前」にするかで、自分の足跡管理の方法は違ってくると思う。

アーカイブされていく情報に注意
 いったん書いたことを後で考え直して削除した・・・という場合も、Googleのキャッシュには約1ヶ月間保存される。そして、それが消えても、Internet Archive には残っている可能性がある。
 自分の関係するサイトは(特に何らかの事情で削除した情報があれば)アーカイブ状況をチェックしておくほうがいいと思う。いつの時点のページが保存されているかは、下記のようなインデックスで確かめられる。("Enter Web Address:"窓にURLを入力する。)
本館(分析化学のページ)のアーカイブ
このブログのアーカイブ

 ところで、Googleのキャッシュは1ヶ月で消えるけれど、Googleのイメージ検索 はなかなか消えない。私は前の職場で作成していた自己紹介ページで、深く考えずに自分の写真を公開していた。ページを削除した後も半年間ほど、この写真は私の氏名によるイメージ検索で出てきた。やっと消えた時はほっとしたものだ。
 この写真、Internet Archiveには残っている。今はまだ日本語検索はできないけれど、できるようになったらイヤだなと思う。「イヤ」程度でない画像を公開してしまっている人は、アーカイブされていないかどうか確かめておくほうがよいかもしれない。

まとめると
 私の発言ログの管理法は次のとおり。
 1.できる限り自分のサイト以外では書かない。
 2.他サイトで書く場合、中身のあることはなるべく書かない。
 3.中身の濃い発言は自サイトで書いて、他サイトにはリンクだけ書き込む。
 4.他サイトで中身のある発言をした場合は、自サイトにも転載しておく。
 5.名乗りかたに留意する。
 6.キャッシュ、アーカイブに注意しておく。(テキストだけでなく画像も。)

* 私の氏名を含むページが1,000件もできてしまったのは、ブログでコメントした場合、全ページのサイドバーの中に「最近の発言者名」が表示されることが多いから。これは、新しい発言が増えれば自然にサイドバーから消えて行く。

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2004.07.24

軸足は非公開のネットに置く

 「ネット上で何かを表現したい」という強い欲求を持つ人たち--- ネットな人 ---が、ある程度の比率で存在するらしい。一方で、ウェブで何かを発信すれば大なり小なりリスクを負わなければならない。リスクを支払って欲求の充足を買うのがネットな人たちの日常とも言える。
 どうせ買い物するなら賢く買いたい。マネジメント法について考えてみる。

 リスクを減らすには、主に三つの方法があると思う。
 1.匿名を守り、絶対にリアルな自分と結びつかないよう心がける。
 2.非公開の場で書く。
 3.リスクを招きそうなこと(仕事・個人の情報や他者への批判など)は書かない。

 これらには、それぞれ限界もある。
 1---匿名とはいえ、固定ハンドルネームを長く使うほど、リアルの自分との結びつきを消しておくのは難しくなる。(参考:将来もしかしたら実名を名乗るかもしれないかたへ)2---非公開の場で書くのは、それだけ「表現した自分」が届く範囲を狭めるわけで、欲求の充足という面では不満かも。3---リスクを招きそうなことを避けてばかりいると、実際なにも書けない人も多いと思う。それに、全くリスクを取っていない個人サイトなんて、よほど内容が充実しているとか親しい間柄でなければ、わざわざ読む気にならないのでは。
 結局、ゼロリスクで満足感だけ得ようというのは、かなり虫がいい考えかもしれない。公開の場で書く人の多くは「匿名」という道を選んで、書く内容に関してはある程度リスクを取っている。
 急速に普及してきたソーシャルネットワークは、「非公開の場」でありながら未知の人との出会いも容易らしいから、リスクを減らして満足感はあまり損なわない選択肢として合理的なように見える。(参加していないから本当のところは知りません。)

 以上は一般的な話。
 ここからは、「組織に属する専門家が専門分野について語る」という主題に関して。
 仕事のことを書くのが前提だから、3は最初からかなり限定される。専門性が高ければ高いほど、1も難しい。となると、2しか残っていない。非公開の場で書くこと。
 私について言えば、日頃書いているものの全体量の中で公開の部分はほんの一部だ。このブログを始めてからはかなり公開の比率が増えたが、それでも半分を超えたことはない。

 非公開の部分を書いている場は、いくつかのメールグループと掲示板、何人かのメル友。日記・つぶやき・思いつき は、それらの場で書いている。でも私は、日記・つぶやき・思いつきだけでは飽き足らない。長めの文章でまとまった知識や考えを表現したいこともある。そういうことをするとなると、小さなコミュニティはかえって不自由だ。話の流れというものがあって、独立した長文は読まれにくいし、たぶん迷惑だから。
 私が公開するのは、そのような文章。インターネットで公開すると、まったく知らない人からのコンタクトもあったりして面白い。
 でも、あくまで軸足は非公開の部分のほう。日記・つぶやき・思いつきを書いていくかぎり、たぶんネタは一生尽きない。読んでくれる人がいなくなる心配もない。私だって他のメンバーの日記・つぶやき・思いつきを読んでいるんだから、持ちつ持たれつだ。そういう付き合いができる程度の人数としか交際しない。

 まとめると、私のリスク管理はこんな風になっている。
・自分に「ネットで自己表現したい」欲求があることを認識する。
・表現したいものを「公開」「非公開」に仕分けする。
・公開は実名で。かなり吟味してから。
・非公開のものは、どのコミュニティへ出すかそれぞれ考える。
 (非公開コミュニティを複数持っておく。)
公開するのはネタが尽きやすい部分であることを認識する。
 無理やり公開を続けようとはしない。

 なお、以上の話は、ネットで自己表現しても個人的な満足以外に実益がない人の場合です。
 比較的組織に縛られていない研究者・教育者は組織からの制約というリスクが少ないし、さらに個人事業主・文筆家・タレント・政治家などは、ネットで自己表現することで実益がある場合が多いでしょう。そういう人たちはリスクを多めに取ることができるし、実名で情報発信する動機もあります。
 学生というのは微妙な立場ですね。将来自分がどちらの立場になるか未確定ですからね。> 鈴木聡さん

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2004.07.21

日記・つぶやき・思いつきは書かない

 私が避けている三つの「き」について。

日記は書かない
 リアルタイムで書くと情報管理が難しいから。

つぶやきは書かない
 けっこうリスクも負いながら書いている(つもり)。だから、何かメッセージを含む文章しか公けにしない。

思いつきで書かない
 「自分でも何を言いたいのかよくわからないのですが・・・」といった逃げは打たない。「うまく言えませんが・・・」も極力避ける。

 「書く」ことは私の職能の一部だ。プロとしての能力を天下にさらしながら余暇活動するなんて、よく考えたら大胆な行動だ。
 「固すぎる」「おもしろくない」「文学的でない」と言われるのは全然怖くない。「論理的でない」「不明瞭だ」「見落としがある」は怖い。私が仕事で書くのは論文や報告書だから。
 自分自身の基準に照らして公開する価値のある文章を考え付かなくなったら、更新はしなくなる予定。ネタを探してまで続けることはしない。

参考リンク
 普通の人が考え付けるネタは早々に終わる や「ブロガーの燃え尽き症候群」関連。

blog(無相亭日乗)
「私のような凡人がブログをはじめると、いつネタがつきてしまうか。それがとても恐い。」「いまからネタが尽きたときのことを考えて、毎日ネタ探しをしておいたほうがよいのかなぁ、などと思いはじめた。」とのこと。
 えーと、私が前の記事で言いたかったのは、普通の人は燃え尽きて当然なんだから、潔く燃え尽きましょう、ということです。私も2ヵ月後にはほとんどこのブログを更新しなくなっている予定(未定)です。

ブロガーの燃え尽き症候群(Grace馨子の英国徒然雑記)
 「独白&信条発表型のブログ」と称しながら、「これを言いたいという記事をアップしなければ、という暗黙のプレッシャーを自分で自分にかけてしまい、自縄自縛になっている」とも。
 個人的な好みですが、「100%自分のために書いている」と言い切る書き手よりも、「読み手の目を意識している自分を隠さない書き手」に私は好感を持ちます。

ひたすら「つぶやき」です(瀬戸智子さん)
 教育者や個人商店主や著述業の場合は、色々な方法で自分のパーソナリティを見せるのも仕事のうちではと思います。「つぶやき」ならネタが尽きることはありませんね。

あらきけいすけさんの日記(7/13)
 「ブロガーに『燃え尽き症候群』? 備忘録なら毎日続く。」だそうです。
 えーと、あらきさんも教育者ですね。先生がたは青少年のために積極的な自己開示をして、生き方のお手本を示してくださるよう、期待します。

みんなが好き勝手なことを書いてるとウェブは破綻する(かも)(FlowerLounge)
への反応
有用な情報への到達を妨げているものは何か?(鈴木聡さん)
への反応
情報伝達における価値(ふじさわさん)
への反応
単に書きたいことを書くだけ,何かを伝えたいというモチベーションはない(少なくとも私は)(鈴木聡さん)

 まとめ感想&繰り返しですが、私は「無目的・自分のため・読者の目は意識してない」系の発言よりも、「ネットを全体として使いやすいものに」「有益なものに」「自分はこういう目的を持っている」系の発言に親和性が高いです。完全に好みの問題ですが。

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2004.07.13

普通の人が考え付けるネタは早々に終わる

 Yahoo!ニュース ブロガーに蔓延する「燃え尽き症候群」 を読んだ。米国で、人気が集まりすぎてコメントを管理しきれなくなったり、読者の期待に答える記事を定期的に書き込まなければならないというプレッシャーに耐えられなくなって燃え尽きてしまうブロガーたちがいるという話。ときにブログは大変な労力を要する繰り返しの作業に変わってしまう。
 ココログのサービスが始まって半年ちょっと。日本でも大人気ブログの中に、更新が途絶えたものや書き手の気持ちが落ち込んだらしきものが出てきている。

 私には、子供の頃から繰り返し聞かされてすり込まれてしまっている言葉がある。母の言葉だ。
 母は本好きで、自分も本を出したいという思いをずっと持っている人。ベストセラーになった本はだいたい図書館で借りて読んで
 「誰でも一冊か二冊は何か書けるんやけどなあ。その次のが書けんのよなあ。」
と、つねづね言ってきた。私が 本でなく論文を書く道 に進んだのは、母にすり込まれたこの言葉の影響もあると思う。

 私のブログと分析化学のページに期待してくれている人がどの程度いるかわからないけれど、これまでにも何度か書いているとおり、個人のページは打ち上げ花火か変光星のように、一瞬だけ輝いたり光度が変わったりして当たり前。近い将来、ほとんど更新しなくなる時が来る。特にこのブログはニフティが会員に無料で提供し始めたのをきっかけに開設したもので、テーマも非常に狭く絞っているし、ネタが続くのは2ヶ月くらいかなと思っていた。その後も、あと2ヶ月くらいかなと思い続けて、現在も、あと2ヶ月くらいと思っている。
(ところで、母にはいつか一冊の本を出版させてあげたい。)

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