GC-MSかGC/MSか(LC-MSかLC/MSか)(17)日本語論文誌では?
英語で書かれた論文は、「GC-MS」「LC-MS」で分析法も装置も表現したものが多い―これが前記事の調査結果でした。日本国内で発行されている日本語の論文はどうでしょうか?
4年前にはこんな調査はしませんでしたが、今は全国的にステイホーム。私も時間があります。やってみました。
最初に私の立場を書いておきます。
こんなにしつこくハイフンvsスラッシュ問題を取り上げるのは、国際的にほとんど行われていない「ハイフン=装置、スラッシュ=分析法」の使い分けを日本国内だけで推し進めることに疑問を感じるからです。
したがって、英語論文の調査は
「国際的な動向をありのままに読み取る」
姿勢で、できるだけ中立的に結果を解釈しましたが、日本語論文については
「使い分けを推奨している論文誌に対して懐疑的」
な姿勢になります。中立でありません。色々な立場があると思いますが、これが私の本心ですので、最初にお断りしておきます。
■ 調査の方法
国立情報学研究所の CiNii(サイニィ) を使いました。
全論文を対象に「クロマトグラフィー 質量分析」で検索し、ヒットした最新60報の掲載誌を調べ、その投稿規定・執筆要領を見に行きました。
紀要、所内報、研究助成団体などが発行しているもの、それから要旨集は除きました。
■ 全体的な傾向
予想していたことですが、独自に略語の使い方まで決めている学術誌はそれほど多くありませんでした。
用語については特に定めがないか、JIS、文部省「学術用語集」、日本化学会「化学便覧」等に従うよう書かれていました。これらの中で「学術用語集(化学編)」は1986年刊で古書でしか手に入りません。また「化学便覧」は2004年刊、定価5万円以上です。
現実的にはJISを参照する人が多いのではないでしょうか。やはりJISの影響は大きそうだと感じました。
なお、IUPACに従うように書いているものは少数でした。(ただし化合物名はIUPAC準拠が多い。)
■ 明確に使い分けを規定している学術誌
「ハイフン=装置、スラッシュ=分析法」を掲げる用語集を発行している日本質量分析学会の「質量分析」(Journal of the Mass Spectrometry Society of Japan)はどうでしょうか。投稿規程 には「8. 略語の使用について」という項があり、
略語の使用は著者と専門が異なる読者が内容を理解する際の障害となるおそれがありますので,文中に頻出する用語以外での略語の使用はできる限り避け,使用する際は必ず初出時に定義をして下さい.また同じ語句を異なる用語の略語として用いることは認められません.と書かれています。
直接ハイフンとスラッシュの使い分けが書かれているわけではありませんが、「同じ語句を異なる用語の略語として用いる」を禁止しています。
それから日本分析化学会の「分析化学」は、もっと明確に使い分けを要求しています。
投稿 のページに「論文題名に使用できる略語の例」が掲載されています。
論文、および論文タイトルで使用できる略語の例です.これら以外でも一般的と認められる略語は使用することができます.
―列挙されたものから抜粋―
GC-MS(装置)
GC/MS(分析法)
LC-MS(装置)
LC/MS(分析法)
上記の中でカッコ内には英語正式名が書かれていますが、わかりやすくするため装置・分析法と書きました。
以上の通り、日本質量分析学会と日本分析化学会は足並みをそろえて「ハイフン=装置、スラッシュ=分析法」の使い分けを推進しています。
■ ハイフン推しの学術誌
日本食品衛生学会「食品衛生学雑誌」の 編集規定・投稿規定 は非常にユニークです。
「本誌で定義なしで用いることができる略語の例を別表3に示す.なお,表題,ランニングタイトルでは,原則として定義を要する略語は使用しない.―別表3に列挙されたものから抜粋―
GC-MS(装置)
GC-MS/MS(装置;分析法)
LC-MS(装置)
LC-MS/MS(装置;分析法)
これはびっくりです!定義なしで用いることができる略語はハイフンの方だけ。スラッシュを使うこともできますが、その場合は正式名称を書く必要があり、表題とランニングタイトルには使えないというのです。
しかも、タンデム質量分析に関しては「*C-MS/MS」で装置も分析法も兼ねるそうです。
私がこの雑誌に投稿するなら、ハイフンだけを使って「*C-MS:装置、*C-MS法:分析法」と書くでしょう。個人的にはめちゃくちゃ好みに合ってます。国際的に主流になっている使い方ともよく一致しています。
ただし上記は私の推測です。食品衛生学会にはかつてたいへんお世話になりましたが、今は会員でないので掲載論文を読むことができず、残念ながら実際の文章はわかりません。
■ 読者にゆだねている学術誌
略語の使い方を決めている学術誌はそれほど多くありません。その中で「日本プロテオーム学会誌」は 投稿規程 に「別表2 題名,要旨及び本文に用いることのできる略語」が付いています。
この中にはGCもHPLCもLCもMSもあるのに、これらを組み合わせた略語はリストされていません。
私の深読みかもしれませんが、あえて執筆者が自由に選択できる仕組みのようにも思えます。IUPACの勧告は大きな自由度を持たせていますが、それに沿っていると解釈することもできます。
■ 意図がわからない学術誌
日本薬学会「薬学雑誌」の 投稿規定 には略語の項目があり、このように書かれています。
スペルアウトしないで使用できる略語は次のとおりです.―列挙されたものから抜粋―
GC-MS(分析法)
LC/MS(分析法)
これは驚きの使い分けです!どちらも分析法なのにガスクロはハイフン、液クロはスラッシュを使うんですね。私にはこの意図がわかりません。
この投稿規定でもう一つ変わっているのが
MS(mass spectrum)
です。通常は質量分析(分析法)もしくは質量分析計(装置)をMSと定義しますが、なんとマススペクトル(データ)にMSを割り当てています。
日本薬学会は140年の歴史を持つ学会ですから、何か深遠な理由があるのかもしれません。
■ 早いもの勝ち?の学術誌
日本水道協会「水道協会雑誌」の 投稿規定 に「キーワード一覧表」が付いています。
令和元年12月現在までに使用されたキーワードの一覧表です。キーワードの類似を避けるため、なるべく下記の一覧表よりお選びください。―列挙されたものから抜粋―
HS-GC/MS
ガスクロマトグラフ質量分析計(GC/MS)
GC-TOFMS
熱分解GC-MS
PT-GC/MS
LC-MS
LC-MS/MS
これは、各論文に5個まで付けるキーワードを、できる限り統一するためのリストだそうです。このリストに無い語をキーワードにすることもできますが、その場合は「※」を付けて独自の語であることを示すことになっているようです。
並んでいる語の中でGC/MSだけ意味が書かれていますが「装置」です。その他の語が何を意味しているかは書かれていません。ハイフンとスラッシュの両方が使われています。もしかしたら「早いもの勝ち」で、誰かがキーワードとして使用したら、以後の執筆者は既存の中から選ぶのかもしれません。
■ 用語集が高価すぎる学術誌
日本栄養・食糧学会は「日本栄養・食糧学会誌」を発行しています。この学会のサイトに 用語管理 のページがあり、
本学会では学会誌など学会活動で用いる用語を、栄養・食糧学用語辞典〔第2版〕(公益社団法人日本栄養・食糧学会編, 建帛社(2015))により管理しています。
と書かれています。用語辞典の出版後の修正を毎年公開するなど、用語をとても大切にしている姿勢がわかります。しかしこの用語辞典は税込み定価 12,100円だそうで、気軽に買えるようなものでありません。これだけ用語にこだわる学会がハイフンvsスラッシュをどう扱っているか知りたいですが、手が出ません。
■ 特に方針を示していない学術誌
以下の学術誌は検索にヒットした論文が最低1報ありますが、クロマトグラフィーと質量分析の結合を表す略語に関する規定が見つかりませんでした。特に決めていない学術誌が大部分ということでしょう。
医学書院「臨床検査」
環境技術学会「環境技術」
強化プラスチック協会「強化プラスチックス」
国際環境研究協会「地球環境」
室内環境学会「室内環境」
日本アロマ環境協会「アロマテラピー学雑誌」
日本エネルギー学会「日本エネルギー学会誌」
日本化学会「化学と教育」
日本環境測定分析協会「環境と測定技術」
日本空気清浄協会「空気清浄」
日本接着学会「日本接着学会誌」
日本透析医学会「日本透析医学会雑誌」
日本塗装技術協会「塗装工学」
日本乳業技術協会「乳業技術」
日本法科学技術学会「日本法科学技術学会誌」
日本防錆技術協会「防錆管理」
日本水環境学会「水環境学会誌」
日本木材学会「木材学会誌」
日本臨床検査医学会「臨床病理」
日本臨床衛生検査技師会「医学検査」
■ まとめ
今回調査した中で学会としての姿勢が明確なのは3つと思われます。
日本質量分析学会、日本分析化学会
「ハイフン=装置、スラッシュ=分析法」
日本食品衛生学会
「ハイフンのみ使用」
Rapid Communications in Mass Spectrometry (RCM)に追随してスラッシュだけを使用する学術誌が一つくらいはあるのではないかと思っていましたが、見つかりませんでした。
それにしてもクロマトとMSを使う分野は本当に幅広いんですね。あらためて驚きました。多くは、暮らしに身近な環境や製品の分野のようです。
日本の科学技術のあらゆる現場で、技術革新や分析値の質向上に励む人たちがいるんだと実感しました。
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