GC-MSかGC/MSか(LC-MSかLC/MSか)(20)IUPAC勧告2013「先取り」の経緯
あくまで個人の感想ですが、略語を作るならハイフンが普通でスラッシュは特殊だと思います。ましてや両方を使い分けて装置と分析法の意味にするなんてややこし過ぎます。
そのややこしい、IUPAC勧告2013が採用しなかったルールを、日本質量分析学会(MS学会)は2009年に「先取り」したわけですが、どんな経緯があったのか気になります。今回は、その頃の経緯を示す文書を読み込んでみます。
紹介するのは内藤康秀さん(光産業創成大学院大学)の3つの文書です。この方はIUPACのプロジェクトの7人のメンバーの一人だったそうです。
■ 日本質量分析学会会誌:2006
内藤康秀「Letter to the Editor: 国際純正・応用化学連合委託プロジェクト「質量分析関連用語の標準定義」について」J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., 54, 25-31 (2006)
(プロジェクトは)Louisiana State University (USA)のKermit K. Murrayを代表とする作業グループが遂行している.作業グループの他のメンバーはRobert K. Boyd (Institute for National Measurement Standards, Canada), Marcos N. Eberlin (State University of Campinas, Brazil), G. John Langley (University ofSouthampton, UK), Liang Li (University of Alberta,Canada), Jean Claude Tabet (Universite Pierre et Marie Curie, France), 内藤康秀(光産業創成大学院大学)である.
最終的な IUPAC勧告2013 の著者は6名です。Jean Claude Tabetさんの名前が無くなっています。
以下に,原稿第2案で提案されている用語(見出し語)の一覧を示す.
1.2 Acronyms
―列挙されたものから抜粋―
GC-MS
えっ、これだけ!?
GC/MSもLC-MSもLC/MSもありません。GC-MSの正式名称もありません。
2006年度は「マススペクトロメトリー関係用語集」の全面改訂を行うので,本資料を題材にして用語集改訂に関する議論が活発に行われることを切に願う.
「本資料」とは「原稿第2案」ですが、原文はIUPACのサイトでリンク切れになっていて読むことができません。この時点ではMS学会の用語集の改訂を2006年に行うことになっていたようです。実際に改訂されたのは2009年ですから、おそらく3年程度はIUPACの勧告を待ったのですね。
■ 日本分析化学会会誌:2007
内藤康秀「話題:IUPAC委託プロジェクトによる質量分析の標準用語の改訂」ぶんせき, 2007, 362-363 (2007)
質量分析用語についての新しい勧告は,IUPACのオフィシャルジャーナルPure and Applied Chemistry誌の掲載記事として公表される。その原稿は作業部会によって約3年かけて準備され,投稿された原稿は世界各国の約30名の査読員によって審査される。2006年12月現在では,査読意見に基づく改訂稿の準備が行われている段階である。
ここまで来ればあと一歩で勧告が出せると誰でも思いますよね。まさかここからさらに7年もかかるとは…
この解説にはIUPACの組織や活動についてやや詳しく書かれているので、IUPACがどういうものか基礎知識を得たい方には一読の価値があります。ただしMS用語そのものについては一覧でなく抜粋だけが載っています。一覧は次に紹介する解説に載っています。
■ 日本質量分析学会会誌:2007
内藤康秀「COMMENTARRY: 質量分析関連用語の基礎知識 」J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., 55,149-156 (2007)
国内ではIUPAC委託プロジェクトの動向を反映しながら用語集の改訂を進めており、IUPAC勧告後に速やかに新用語集が発行される予定である.日本側は準備を整えてIUPAC勧告の正式決定を待っていたようです。
不思議なことに、用語の一覧の中にはGC-MS, GC/MS, LC-MS, LC/MSの略号も正式名称もいっさい入っていません。この時点の勧告原稿でどう扱われていたのかわかりません。
しかし内藤さんのこの解説ではハイフンとスラッシュについて詳しく書かれています。長くなりますが引用します。
2.10 ハイフン“-”とスラッシュ“/”の使い分けについて
ハイフネーテッドマススペクトロメトリー hyphenated mass spectrometry という言葉があるにもかかわらず,複合技法の略語における区切り記号の意味のハイフン(-)は使用されなくなりつつある.その代わりスラッシュ(/)で区切るのがより一般的になっている.
複合技法の区切り記号にはスラッシュを用い,異なる装置間の接続を意味する記号にはハイフンを用いる使い分けが提唱されている18).例えば,液体クロマトグラフィー質量分析 liquid chromatography/mass spectrometry (LC/MS) の場合はスラッシュ,液体クロマトグラフ質量分析計 liquid chromatograph-mass spectrometer (LC-MS) の場合はハイフンとする.また,(複合技法ではない)単一の分析法の略語にはスラッシュやハイフンを用いない.例えば,飛行時間型質量分析 time-of-flight mass spectrometry の略語表記はTOFMSとする.一方,MS を質量分析計 mass spectrometer の略語として用いる場合,飛行時間型質量分析計 time-of-flight mass spectrometer の略語は TOF-MS とする.さらに,イオン化法の略語の後ろにはスペース(空白)を入れる.例えば,エレクトロスプレーイオン化飛行時間型質量分析計 electrospray ionization time-of-flight mass spectrometry の略語は ESI TOFMS,電子イオン化飛行時間型質量分析計 electron ionization time-of-flight mass spectrometer の略語は EI TOF-MS とする.この表記ルールはIUPACによって正式に採用されたものではないが,用語を略語にする場合に統一性をもたせるのに有益な見解である.
なお,現行のIUPACでは略語 GC/MS と LC/MS を,それぞれガスクロマトグラフィー質量分析 gas chromatography / mass spectrometry と液体クロマトグラフィー質量分析 liquid chromatography/mass spectrometry の意味の正式な用語として認めているが,次回のIUPAC勧告ではこのような特例はなくなり,他の略語と同様に扱われる予定である.
まず赤字のところにびっくり!2013年以前は、IUPACはGC/MSとLC/MSを正式な用語にしていたんですね! 知りませんでした。
最初のほうの太字のところ「ハイフン(-)は使用されなくなりつつある.その代わりスラッシュ(/)で区切るのがより一般的になっている」は、私が英語論文の現状を調査した限りでは事実でありませんが、2007年ごろにはそうだったのかもしれません。何しろ当時はIUPACがスラッシュの方だけを正式な用語にしていたらしいので。
それから下線のところ「IUPACによって正式に採用されたものではない」とありますが、では何なのかといえば、引用文献18番、David Sparkmanの本「Mass Spectrometry Desk Reference」で書かれているルールですね。
以上3つの解説からわかることは、
1 IUPAC勧告の原稿に「ハイフン:装置、スラッシュ:分析法」のルールが書かれていたかどうかは不明
2 使い分けを含むSparkmanのルールを「有益な見解」と紹介する文章が用語集編纂時期のMS学会の会誌に掲載された
ということです。
これだけを見ると、MS学会はIUPACの態度があいまいなのでSparkmanに従うことにしたと思われるのですが、IUPAC勧告の当時の原稿を読めないのでよくわかりません。
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