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2011.10.30

キログラム原器に替わる新標準は?

10月21日にパリ近郊で開かれた第24回国際度量衡総会で、キログラム原器廃止の方針が決議されました。すぐに廃止というわけでなく、第25回総会(2014年)以降になるようです。

何がキログラム原器に替わる質量の新標準になるのでしょう?
この報道をめぐって、朝日新聞と毎日新聞の間に一見食い違いがありました。どちらが正しいのかちょっと調べて、ついでにあれこれ考えました。

 アボガドロ定数かプランク定数か

朝日新聞朝刊(10月22日)の「ニュースがわからん!キログラム原器 なぜ廃止なんじゃ」(Web版)では次のように書かれています。

ホ 質量の新しい定義は、どうするんじゃ?

A 検討されている有力な方法が二つある。一つは、純度の高いケイ素の結晶に含まれる原子の数を正確に数え上げ、一定数をもって1キログラムと定義する方法。ケイ素は半導体材料として研究が進み、純粋で大きな結晶を作りやすいから選ばれた。日本と米国、英国、ドイツなどが協力して研究を進め、原子の数をどれだけ正確に数えられるか精度を競っている。

ア もう一つは?

A 非常に精密なてんびんをつくり、コイルに電流を流した際に生まれる磁場の力と、分銅を正確に釣り合わせる。コイルの動く距離とスピード、電流と電圧を極めて精密に測り、1キログラムを定義する。米英で研究が進められているよ。

これらのうち「原子の数を正確に数え上げ、一定数をもって1キログラムと定義」とは、アボガドロ定数を使うことを意味します。

毎日新聞の紙面は私は読んでいませんが、ウェブでは次の記事が掲載されています。国際質量基準:200年ぶり見直し ゲンキがなくなる キログラム原器ですが…(2011年10月22日 東京朝刊)

質量の単位「キログラム」を定義する国際基準が約200年ぶりに見直される。目安となる人工物を使ってきたが、ミクロの世界を記述する量子論に登場する「プランク定数」をもとに決めるという。21日までパリで開かれていた国際度量衡総会で検討が始まった。

つまり、新しい基準を朝日新聞は「未定」毎日新聞は「プランク定数」と書いています。いったいどっち?

 本家のサイトを読んでみたら

国際度量衡局(BIPM)のサイトを読んでみました。結論的には毎日新聞が正確のようです。
1号決議の中で、新しい定義が次のように提案されています。(2ページの最後のほう、大雑把に意訳しました。)

・まず133Csの放射の周期から秒を定義する。
・次に真空中の光の速さcからメートルを定義する。
・そしてプランク定数hは正確に6.62606… ×10-34 ジュール秒と定義する。(…のところは数桁の数字)

アボガドロ定数は使わないようです。しかし、どうしてこれで質量を定義したことになるのでしょうか?

 プランク定数と質量の関係

ここからの説明は、中央公論新社「<はかる>科学」の中の「第2章 キログラムの再定義」(藤井賢一)を参考にしています。
高校の物理で「エネルギーと質量は等価」と勉強しました。静止質量mの物質のエネルギーE
 E = mc2
と表せるのでしたよね。
この物質と同じエネルギーEを持つ光子を考えると、そのエネルギーは、やはり高校で勉強したとおり、振動数νにプランク定数hをかけたものです。
 E = hν
これら2つの式をνについて解くと
 ν = mc2/h
となります。mが1キログラムならν = c2/hですから、

1キログラムは周波数がc2/hヘルツの光子のエネルギーと等価な質量である。
とも表現できます。定義済みの光速とプランク定数で質量を表せるのですね。

 アボガドロ定数で定義するとどうなる?

化学を専門にしている人にとっては、アボガドロ定数と質量のほうがはるかに直感的に結びつきやすいでしょう。こちらを使えば、例えばこんな定義になるそうです。

1キログラムは、5.018… ×1025個の炭素原子12Cの質量に等しい。(…のところは数桁の数字)

どうしてこちらが採用されなかったのか。先の本では、「相対論的量子論の立場から、あるいは、電圧や電気抵抗などの電気量を物理的に決める際の実用性の立場から、プランク定数による定義を支持する関係者も多い」と書かれています。

私には物理のことはよくわかりませんが、時間の定義で133Csを使う上、さらに別の原子12Cも出てくるのは美しくないかなという感じがします。プランク定数のように、より普遍的なもので定義するほうがきれいでしょう。

 実験的にはアボガドロ定数が先行?

プランク定数で質量を定義できるようになるためには、プランク定数の正確な値を求めなければなりません。既にキログラム原器に基づいて築かれてきた科学的な知見の体系とずれるようなことがあっては、後に修正を迫られたりするかもしれません。

そのために、実験的に求められるプランク定数と、まったく別の実験で求められるアボガドロ定数、この2つが質量またはエネルギーを介して矛盾なく整合するのを確かめる必要があります。

今のところ、理論値との整合性ではアボガドロ定数が先を行っているようです。
国際度量衡局のプレスリリースでは、目標の不確かさは1kgに対して20μg以下だが、現在求められているプランク定数の不確かさは44μgであると述べています。
(2011/11/2追記 このプレスリリースからリンクしている CODATAの定数調整2010の概要 を読んだら、アボガドロ定数の不確かさは30μg相当、プランク定数の不確かさは36μg相当、両者の値が一致していないからどちらの不確かさも44μg相当にしたと書かれています。これらは相互に計算で導くことができるので、不可分のものとして考えるようです。)

プランク定数の求め方は私にはよくわかりませんが、実験的にアボガドロ定数を求める方法は、極めて高純度の28Si結晶から1kgのシリコン球を切り出し、その体積と結晶構造から28Si原子の数を数えるというものです。2004年から始まった国際プロジェクトでは、日本も大きな役割を果たしているそうです。

朝日新聞の報道はよく読むと、新しい定義を裏づける実験の経過を説明しているようです。どうも、「裏づけ」でなく「定義」と書いてしまったために紛らわしくなったのかもしれません。

 モルはアボガドロ定数で定義されることに

今回の総会では、キログラムの定義以外にもいくつかの再定義が提案されました。モルも再定義されることになります。現在の定義では1モルは「0.012kgの12Cの中に存在する原子の数に等しい数の要素粒子を含む系の物質量」ですが、新しい定義では具体的な個数が述べられます。この定義のためにも、アボガドロ定数を実験的に求めることは重要です。

新しい定義が採用されたら、12Cのモル質量は、現在のようにぴったり12 g/molではなくなります。12に極めて近い値ですが、ある不確かさを持った値になります。個人的にはなんだか寂しいです。


 ところで1kgの物質のエネルギーって?

最後に、キログラム原器の替わりに、プランク定数を介してエネルギーとして定義される質量単位、それはどんな大きさでしょうか?
E = mc2m = 1と光速(1秒に30万キロメートル。つまり3 × 108m/s)を代入すると、9 × 1016ジュールです。
私たちが1日に食べる食事がだいたい2000kcalとすると、1 cal = 4.2 J なので、約8.4 × 106ジュール。物質1kgのエネルギーは、私たちの食事の約1010日分、約3000万年分ということになります。
また、あまり使いたくない例えですが、広島型原爆のエネルギーは約5 × 1013ジュールだそうですから、1000個分以上となります。

こんな途方もない大きさのエネルギーが、あの手のひらサイズのかわいい分銅に取って代わるわけですね。直感的には、炭素原子からの定義のほうが親しみが持てたかも…と、やはり化学派の私は若干アボガドロ定数からの定義に未練があるのでした。

<参考文献>
阪上孝、後藤武 編著「<はかる>科学 計・測・量・謀…はかるをめぐる12話 (中公新書)」中央公論新社 (2007) 目次(分析化学のおすすめ本)

無料で読めるPDFファイルなら
日高洋、ぶんせき、2005, 72 「アボガドロ定数はどこまで求まっているか」

(2011/10/31 追記)
プランク定数の単位に「秒」を付け忘れていたので付けました。「原子質量」と書いていましたが「モル質量」に改めました。

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Comments

1㎏の最も精度よく再現性のある方法がアボガドロ数による方法でもプランク定数による方法でもどちらを取るかは時代の技術の問題です。
しかし、質量の特性は力に対する抵抗の度合いですからこの意味で定義すべきです。1㎏の質量は1Nの力を加えたときに加速度が1m/s^2生ずる大きさであるとするものです。
質量の定義にニュートンの運動の法則f=mαを使いましたから、1Nの力の大きさはフックの法則で定義しなおすべきです。現行の力の定義には欠陥があります。これらを正すには力原器が必要です。力原器は想定するだけでよく、実際に作る必要はありません。実際には最も精度よく再現できる方法を時代の変遷とともに選べば良いだけです。

Posted by: Norikazu Hara | 2017.05.07 at 03:23 PM

Haraさん、コメントありがとうございます。
Haraさんのウェブサイトの中の質量と力に関する部分を読ませていただきました。
私には完全には理解できないのですが、7つの基本単位の中のkgをNに置き換えるべきということでしょうか。

私は化学が専門ということもあって、力のように目に見えないものよりも、質量というイメージできるもの(物体を通して)の方が基本であってほしいような気がします。
この時イメージしているのは物体の「動かしにくさ」であって、大きさでも形でもない・・・ということに、ご意見をうかがって初めて気づきました。

もしかしたら、人が「1 kg」を認識する時、既にその認識には「動かしにくさ=力」が含まれている、もしくは等価なのかもしれませんね。

Posted by: 津村ゆかり | 2017.05.07 at 09:59 PM

分析化学で質量は重要な概念でしょうが宇宙開発でもそうです。(最近まで重さと質量は区別しないで済ませて来たのですからひどいものです。)
質量の単位はkgで変更する必要はありません。1㎏の基準をどうするかについても、現在の技術で一番精度よく再現できてコストもかからない方法にすれば良いと思います。ただし、物理的な意味の定義は質量の普遍的な特性であるべきだと思います。現在の技術では加速度を正確に測ることも力を正確に測ることもできませんから、この質量の定義では直接に量を決めることはできません。
(現在の力の定義で直接に力を決めていないのと同じです。)

Posted by: 原宣一 | 2017.05.08 at 09:32 AM

技術的な限界はさておき、物理量がよりシンプルに定義されるというお話には魅力がありますね。

「力原器」がどのようなものか、仮想でいいので教えていただけませんか。
フックの法則を使うということは、仮想的なバネで構成される原器でしょうか?

仮に力も加速度も十分に精密に測定できるとしたら、その原器はどのようなものになるのでしょう?

Posted by: 津村ゆかり | 2017.05.08 at 10:09 PM

そうです。力原器は1Nの力で圧縮すると1m収縮するバネです。実際にこのようなものを作るとするとひょろ長いバネになってしまいますから、1Nの力で引張ると1㎜伸長するばねで我慢することになるでしょう。要点は1Nの力で常に同じ大きさのひずみを生じるばねがあれば良いだけですから、最も精度の高いロードセルを原器と考えるだけです。現在の技術で簡単に作られていますが、精度がせいぜい3,4桁しかでないことです。
加速度は国土地理院も所有している絶対加速度計で重力加速度なら5、6桁の精度で測定できるようです。しかし、物体の加速度を測定して力を決めたことは一度もないにも拘わらず、力の大きさ1Nの定義は1㎏の質量に1m/s^2の加速を与える力であるとしています。
力の定義をフックの法則を使うことにすれば、「重力は力でない」ことは殆ど自明です。(アインシュタイン生涯最高の思い付き)

Posted by: 原 宣一 | 2017.05.09 at 05:26 PM

原さん、ご説明ありがとうございます。

原器自体は自然界に普遍的に存在するものへと置き換えられて来ていますので、バネでなく特定の原子と原子の間に働く力などを使って力を定義することになるかもしれませんね。

その場合、7つの基本単位のうちkgがNに差し替わり、現在は組み立て単位であるNを使って定義されている電流Aが基本単位だけで定義できるようになりますね。
ただし物質量molを定義しているkgが組み立て単位になってしまいますが・・・

Posted by: 津村ゆかり | 2017.05.10 at 06:21 AM

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