「化学分析場」という名の建物
大阪城公園の北西側に大きな赤レンガの建物があります。門にも玄関にも施設名の表示はなく、地図を見てもその名称はわかりません。
私がこの建物に注意をひかれたのは、「化学」「分析」のキーワードでヒットするいろいろなブログの記事で、たびたびこの建物について書かれているからです。どの記事も内容は化学や分析に関係がなく、建物が話題の中心です。どうもここは「旧大阪陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)化学分析場」というようです。
「化学分析場」・・・いったいどんな分析をしていたのだろう? 中を見ることはできないのだろうか?
そう思っていたところ、5月10日に産経新聞サイトで「大阪城公園の国有地 近畿財務局、借り主1年超見つからず」という記事を読みました。
ここは国有地で、国は大阪市に対して公園として整備するよう求めているものの、大阪市は財政難を理由に応じておらず、一時的な借り手も見つかっていないとのことです。
財務局などによると、この国有地は1919(大正8)年建築の「旧大阪陸軍造兵廠(ぞうへいしよう)化学分析場」の跡地。国の特別史跡「大阪城跡」の一部に含まれ、大阪城公園と一体で都市計画法上の公園計画区域にも指定されている。旧陸軍施設は、94年まで自衛隊大阪地方連絡部が使用。現在も赤れんが造り2階建ての建物が廃虚となって残っているが、戦争遺跡として文化財的価値がある可能性があり、取り壊すことができないという。
耐震工事には多額の費用がかかるためいずれ取り壊されてしまうのか、それとも保存されるのか、決まっていないそうです。94年まで自衛隊の施設として利用されていたということは、中に入って見学できたとしても、「化学分析場」と呼ばれていた当時をしのばせる装置や設備はあまり残っていないのでしょう。
すぐそばに面白いものがありました。この大きな水盤は、製鉄用の炉の底に溜まる銅や鉛などの不純物(鉄よりも重い)を含む塊で、「サラマンダー」と呼ばれるものだそうです。付近には何も説明が表示されておらず、知らなければ大きな岩かと思います。
最近とある縁で鉄鋼の分析に関心を持っているため、さわったり叩いたりして念入りに観察しました。手触りはひんやりしていて、バッグの留め金の磁石を近づけても吸いつきませんでした。
現在の大阪城公園の場所にはかつて大阪砲兵工廠があり、大規模に兵器等が生産されていたそうです。その形跡はたぶんあちこちに残っているのでしょう。
訪ねてみたいと思われた方は、この地図を参考にしてください。「現在地」の矢印の右上に写っている長方形が化学分析場の位置です。最寄駅は京阪電車の天満橋駅です。冒頭の写真は寝屋川をはさんだ対岸から撮りました。水盤は分析場の南東にあります。
関連リンク
● 大阪城公園の国有地 近畿財務局、借り主1年超見つからず(産経ニュース)
● 大阪砲兵工廠のサラマンダー 0013(精神医学から見た性同一性障害 【発達障害と統合失調症】)
サラマンダーについて詳細に説明されています。
● 大阪砲兵工廠って?(十三のいま昔を歩こう)
大阪砲兵工廠について解説。貴重な古い写真多数掲載。
● 大阪砲兵工廠本館の取り壊し(十三のいま昔を歩こう)
1981年に大阪砲兵工廠本館が取り壊された時の新聞記事が掲載されています。化学分析場の建物を安易に壊せない事情が少しわかるような気がします。
● 大阪砲兵工廠と京阪電車(モデラーな日々)
1939年の京阪電車の背景に写っている写真があります。
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