「ニセ科学」関連・本当の最終記事
この記事は主に、このブログの普段どおりの読者(分析技術者・研究者・アクセス解析に興味のある人・数学の問題を探している人など)に向けて書きます。
「ニセ科学」という言葉をときどき目にしたり聞いたりするようになりました。菊池誠さんの 「ニセ科学」入門 によれば、「見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの」だそうです。
私は、分析化学会近畿支部の夏期セミナーで菊池さんの講演を聴いたこと、そして分析化学会の機関誌に柘植明さんが「ぜひ日本分析化学会においても、ニセ科学問題を取り上げていただければ」と書かれたことをきっかけにニセ科学問題に注意を向けました。「化学」4月号の特集「ニセ科学を見抜くための基礎講座」も読んでいました。
そして、ひとことでは表しにくい複雑な経過をたどって「ニセ科学」というより「ニセ科学批判」についてこのブログで約2週間議論しました。
現時点で私自身の「ニセ科学問題の重要性」に対する認識は 5分で伝授できる「ニセ科学」対策 とほとんど変わっていません。世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題があり、それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいてニセ科学問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません。(注)
ただ、議論を通じて新たに認識したことが何点かあります。
一つめは、「ニセ科学」に相当する新しい言葉が何か必要な状況になっているということです。根拠不明な健康効果をほのめかした商品が店頭に並んだり、テレビ番組でダイエット効果ありとされた食品が異常なほど買われたりするのをよく見かけるようになりました。
かつて「オカルト」や「霊感商法」の言葉が作られたように、これらの現象をさす新しい言葉は必要だと思います。
マイナスイオン批判で有名な安井至さんは「科学的な根拠もないのに科学的と謳ったものが商業主義と結びついて一線を越したもの」を「商業主義的疑似科学」と呼んでいます。(「化学」2007年4月号p.13)
「ニセ科学」は商業主義的なものだけを指すわけではありませんが、「商業主義的疑似科学」よりも短くわかりやすい言葉です。より一般的に使われてきた「疑似科学」の語には「趣味的にウォッチングする対象」「科学史の題材」のイメージがあり、マニアや専門家向けという感じがします。
生活の中で普通に使う名詞として今のところ「ニセ科学」が最もぴったりするように思うので、私も使うことにしました。(将来別の言葉が普及すればそちらを使うかもしれませんが。)
二つめは、個々のニセ科学についてニセ科学だと言ってほしい、なぜニセ科学なのか説明してほしいという一般市民からの強いニーズがあるということです。私自身、自分の専門から離れた分野については同じように思います。特に、価格の張るものを購入する場合や健康不安を抱えた場合などは真剣に情報を探すでしょう。
三つめは、個々のニセ科学について責任を持ってニセ科学だと言うには相当覚悟が必要ということです。約8年間、水関連を中心に怪しい宣伝の批判活動を行ってきた apjさんのコメント では、
> やって(社会的)意味のある批判は、法的紛争に直結していますので、最後は法廷に出て訴訟に対応する覚悟のある人しかやっちゃいけないんです。
と述べられています。
では、このような状況の中、科学の専門家としてはどうすればいいでしょうか。
まず、ニセ科学に加担はしない。これは当然のことでしょう。個々のケースでは色々言い訳があるかもしれませんが、一般論として加担してもよいと考える人はまずいないと思います。
次に、ニセ科学を広げないために何かするか。これは、何かできる条件の有無と共に、ニセ科学蔓延をどの程度深刻なものと考えるかにかかっているでしょう。このブログに書き込まれた皆さんは、相当重く受け止めておられるようです。ニセ科学蔓延そのものが問題というだけでなく、その根底に何か重大な問題があるとのお考えです。(「病理」等の言葉が使われたコメント:菊池さん、柘植さん、田部勝也さん)
私にはそれほどのことと思えません。もともと日本人は(あるいは人間は)そんなに科学的な思考法ばかりで日常生活を送ってきたとは思えません。
ニセ科学が増えた要因としては、「物質的に充足されて商品の差別化が求められるようになった」「人口の高齢化で健康不安を抱える人が増えた」「購買力を持つ層が高年齢側にシフトした」等が考えられると思います。
また、「(ニセ科学に手を貸す)科学者・技術者の倫理意識の低下」はあり得ますが、apjさんのコメント にも述べられたとおり、ニセ科学問題とは別枠と思います。
しかし、「深刻な病理であると考えて個別のニセ科学の批判活動をする科学者たちがいる」、これは私が認識を新たにした点の4つめです。
私自身はその危機感を共有できませんが、このような問題では直感レベルでの皮膚感覚の差のようなものもきいてくるでしょうから、ニセ科学批判活動が世の中にもっと知られれば、同調する人は増えるのかもしれません。
それと、ニセ科学批判活動をする皆さんが人間的に信頼できるかたたちで、真剣に討議を重ね、色々な角度から考察した上でやっておられるということを、今回の議論で感じ取りました。
ところが、畝山さんのコメント で指摘されたとおり、このブログで私が書いたことはニセ科学批判に対してネガティブな印象を与えるものになっています。(注:畝山さんの書き込みの中に「背中から撃つ」という言葉が出てきますが、今回の件以前には菊池さん・柘植さん・apjさんと私との間に接点はありませんでした。)
真面目な活動を妨害するのは全く不本意です。また、私自身も科学でないことが科学のように語られること自体は気分が悪いです。訴訟まで覚悟して個別のニセ科学を批判する科学者に対しては、何か力になりたいと思います。
そこで「5分で伝授できる『ニセ科学』対策」以後の記事の冒頭にリンクを付けて、初めての読者をこの記事へ誘導するようにします。
まだニセ科学及びニセ科学批判についてよく知らないというかたにお知らせします。
私がこのブログで書いたいくつかの記事及びそれらから派生した議論は、ニセ科学問題を知るための入り口として全くおすすめできません。田崎晴明さんの 「水からの伝言」を信じないでください を読まれることをおすすめします。(ブログのサイドバーにもリンクを入れておきます。)
私のニセ科学関連記事を読むかたは、まず 津村による鍵コメント を読んでください。これを読んでおかないと意味すらわかりません。(しかし、繰り返しますがあまり役に立つことは書いていません。)
「私以外への批判コメント禁止」の自己規制にこだわったため、無駄な議論に皆さんの時間を使わせてしまったことを重ねてお詫びします。特に、オフラインでの講演の内容に否定的に言及したのはアンフェアでした。この部分は私が受けた印象を拡大して書いていますので、読まれるかたは注意してください。(しつこく繰り返しますが、読む価値はあまりありません。)
粘り強く丁寧に議論を続けてくださったみなさん、どうもありがとうございました。
付記(主に分析化学会関係者向け)
1.柘植さんが分析化学会の機関誌で呼びかけようとしたことは、柘植さんのコメント によれば「学会が社会に対して『これはニセ科学』とか表明する様な事ではなくて、もっと内向きな会員内の意識向上の様な活動」だそうです。
2.ICEさんのコメント に「『マイナスイオン製品』に関してBBSなどで議論していると、批判派の方から「危ない人」と思われてしまうことがあります」と書かれています。河合さんが機関誌に書かれた意見と共通する観点でしょう。すぐ下に菊池さんからの回答があります。
(注)
これは、「生活者としての私」が「自分の生活を守るために」どんなニュースを読んだり考えたりしたいかという意味です。ふだん接する新聞やテレビや日常会話から伝わってくる危機感が大きいものを並べました。この注を書いた経緯は、この記事のコメント欄をお読みください。全部読むお時間のない方は apjさんのコメント をお読みください。
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Comments
こんにちは、津村さん。私もコメントするのをこれで最後にしようかなと思います。
以前、菊池さんと別なブログで話したことがあるのですが、私は社会の「じわりじわり」とした静かな変化を怖いと思っています。たぶん、人間には社会の急激な変化に対する嫌悪感のようなものがあるのだと思います。特に声高に何かが提示され、それに対して社会が動き始めるとかいうときに「おいおい、それで良いのか、もう少し考えようよ」と声が出る面があると思うわけです。こういう反応そのものは、私の言う「社会の健常な保守性」の一面をなすものだろうと思います。
問題は、こういう声高な牽引力によらない、どちらかという感性に訴えかけるような小さな発言が積み重なることで社会の意識が動いたときに、多くの人が「自分の意識が動かされている」という認識なしに社会全体の意識が「じわりじわり」とシフトしていくこともあるということだろうと思います。そして、そういう社会意識のシフトに気がついた者たちが警告を発し始めるときに、その警告は「声高な牽引力」の形に似たものとなります。そして、声高な牽引力に対して慎重であろうとする保守性がむき出しで現れるように見えるわけです。
別にニセ科学批判に賛同して欲しいとかともに何か活動をして欲しいとか言うことではなくて、「気がついて欲しい」
と考えている面があります。それは、自分たちも含めた社会全体が「合理性を軽視する」という方向に「じわりじわり」と動いているのではないかということです。その影響は自分にも及んでいるということはないか?と考えてみて欲しいのです。
Posted by: 柘植 | 2007.09.03 04:42 AM
気づいてもらうという意味では、少なくとも「名前をつけた」ことで大きな前進になっていると思いますよ。
近畿支部では夏期セミナーという主に内部向けの学習会で取り上げましたから、柘植さんの提言どおり一つ実現したわけです。中部支部でも何か働きかけをされるのでしょうね。
一般市民向けには「ニセ科学をニセ科学と言う」だけでも喜ばれるのに対して、専門家向けには「活動へのコミットを呼びかける論調」をゼロにするか全開にするか半開きか、なかなか難しそうですね。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.03 09:42 PM
>科学の専門家としてはどうすればいいでしょうか。
>まず、ニセ科学に加担はしない。これは当然のことでしょう。
河合潤氏の懸念とも関連すると思うのですが。まず、
A.自分が科学的に正しくないと思うことを、科学的に正しいと扱うべきではない
というのは当然でしょう。これが加担しない。
問題は
B.自分は正しくないと思うが、他人が正しいと思っていて(多分)、その他人が「これは正しい」と発言しているときに、科学者はその発言を非難すべきである
ですが、これはケースバイケースでしょう。ま、通常は非難というよりも、「自分は正しくないと思う」という意見を述べる程度が普通だと思いますが。
いずれにせよ、そういう場合に、「正しくない」と口を出すということは、【判定をする】ということなんですけど。
自分の専門分野について、他の隣接分野の人が間違っているのを見ることは多分、よくあると思うのですけど、いちいち口出ししてたら、喧嘩が絶えないと思います。
Posted by: 比ヤング | 2007.09.04 08:21 AM
たとえば、「水からの伝言を信じないでください」には特別リンクをつけて、「ニセ科学入門」にはつけないというのが、ひとつの態度表明になってしまうわけです。菊池はだめで田崎はよい、ということですよね。
なんていうかな、そういうあたりの無防備さが今回の「無意味で無駄な議論」のもとになっているのだと思います。
「世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題があり、それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいてニセ科学問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません」という表現がどれほどアンフェアであるか、津村さんは理解しておられないでしょう。
この表現は「ニセ科学問題を取り上げている連中は、雇用のことも医療のこともその他の問題のことも真剣に考えていない」という主張なんですよ。それは大人をバカにしすぎだと思いませんか。
しかし、この問題については「優先順位問題」としてとっくに言及していて、「個人的には最優先課題は南北問題だと思うが、そういうことを言っているのではない」と明言しています。コンテクストが違う。
一段上のメタレベルに議論を持ち込んではぐらかすくらいなら、いっそ言及そのものをやめたほうがいい。僕たちは、上のメタレベルでの議論には辟易しています。それはただ単に不毛だからです。
Posted by: きくち | 2007.09.04 01:45 PM
菊池さん、再び書き込まれるとは思っていませんでした。はぐらかすつもりなどありませんので、疑問は何でも出してください。
「菊池はだめで田崎はよい」はあまりに短絡的でしょう。分析化学会掲示板から来る人や私の仕事の関係者を念頭に、ニセ科学問題の入り口は「『水からの伝言』を信じないでください」が良いだろうと思いました。全体的な価値判断はしていないし、するつもりもありません。
入り口として田崎さんのページが良いと考えた理由を説明する必要があるなら説明します。
「ニセ科学問題を取り上げている連中は、雇用のことも医療のこともその他の問題のことも真剣に考えていない」も曲解しすぎだと思います。
個人ごとに関心や専門分野は違いますから、たとえば教育者であるとか、たまたま親戚が怪しげな説を熱心に信じているとか、直感的に重要と思ったとか、色々な要因によって何にどれだけ時間を使うかは違うものでしょう。
私は私にとっての距離感を表明したわけですが、その結果「言及そのものをやめたほうがいい」と言われるなら、もしかしたら「私にとってニセ科学問題は重要である」だけが菊池さんの許容範囲なのでしょうか?
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.04 10:13 PM
横から失礼します。石田と申します。
> 「ニセ科学問題を取り上げている連中は、雇用の
> ことも医療のこともその他の問題のことも真剣に
> 考えていない」も曲解しすぎだと思います。
石田はそうでもないと思います。
津村さんの文章の文脈からは、『世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる...私としてはさほど感じません』は、研究者である津村さんが『5分で伝授できる「ニセ科学」対策』で示した程度のシンプルな言及しかしなかった理由として述べられていると、石田は読み取っています。
津村さんのこのエントリ本文は、『5分で伝授できる「ニセ科学」対策』よりも深く『ニセ科学』に関わっている研究者の方は、『ニセ科学問題を取り上げている連中は、雇用のことも医療のこともその他の問題のことも真剣に考えていない』と、津村さんが主張しているのだと読み取れる状態になっていると、石田は考えます。
研究者である津村さんが、そういう言及のされ方をするくらいなら、『言及そのものをやめたほうがいい』ときくちさんは主張しているのだと、石田には読み取れました。
これらの石田の発言にきくちさんが同意するかは、石田は知りません。念のため。
Posted by: 石田剛 | 2007.09.05 05:30 AM
一点だけ申し上げたく。
津村さんは、「~よりも優先度が低い」などとわざわざ否定的に言及することによって、批判活動そのものやそれを行っている人にいわば唾を吐きかけているのですが、その自覚はおありでしょうか。
Posted by: Iuth | 2007.09.05 09:24 AM
初めまして、
今更なのかもしれませんが、津村さんの
「それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいてニセ科学問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません。」
という文章が、
「それらのニュースを読んだり考えたりすることに、ニセ科学問題を考えるよりも優先して時間をまわしたい。」
と書かれていたら印象も大分違っていたと思います。
「私以外への批判禁止」といった過去のエントリから、津村さんが、blogも公共空間で否定的な言葉には強く反応する方も多い、という認識で書かれていることは承知しています。
Posted by: katsuya | 2007.09.05 08:17 PM
文章全体を読んでいただきたいのですが、私は「ニセ科学批判」について否定的なことばかり書いてはいません。
> ニセ科学批判活動をする皆さんが人間的に信頼できるかたたちで、真剣に討議を重ね、色々な角度から考察した上でやっておられるということを、今回の議論で感じ取りました。
> 訴訟まで覚悟して個別のニセ科学を批判する科学者に対しては、何か力になりたいと思います。
と表明しています。
ただし、柘植さんや菊池さんが感じておられるような危機感は共有できない、ということです。
「雇用や医療や・・・」は社会的な危機感をもたらすものとして比較対象に挙げたまでです。
なぜこの一文だけ取り上げてそこまで問題にされるのかわかりません。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.05 09:55 PM
短絡・曲解・・・・ですか。
ご自身は僕の発言を徹底的に短絡・曲解されてきたわけです。基本的に「私にはこう思えた」ですべて済まそうとされたのですよね。
ではなぜ、僕は「僕にはこう思えた」と言ってはならないのでしょうか。
なぜその一文が問題視されるかわからないのは、津村さんに「想像力」が欠けているからです。
いろいろなかたに伺ってみれば、僕の解釈に同意されるかたも多いことがわかると思いますよ。すでにコメントもありますが。
「メタな議論」の意味がわかっておられないかもしれませんが、「自分にとって、当面できることは何であるか」と「社会で最も大事な問題はなにか」とは議論の階層が違います。
「ほかに大事な問題がある」なんてことは言われなくたって、わかっているわけです。子供じゃないんだから。そんな話はしていないのですよ。
危機感を共有できないのは結構。しかし、それならなぜ沈黙を守らないのか。
「そんなことは大事ではない」とことさらに言うことが、いったいどのような意味を持つか、考えられるとよいのではないでしょうか。
Posted by: きくち | 2007.09.06 01:23 AM
こんにちは。
お元気ですか?
今回のニセ科学批判のテーマ、興味深く拝見しました。
科学の現場から、という意味では意見を書くことは出来ませんが、一市民としての意見としてちょっと書かせてください。
私自身の立場は、津村さんとはこの問題に関しては別の立ち位置です。
私はニセ科学批判について科学の分野で第一線で活躍して下さっている専門家が声を上げて出している状況を心強く思っています。
なるほど、「何がニセで何が真か」と問われればその境界は曖昧かもしれない。またレッテルを貼ることで副次的な被害がでるかもしれない。
しかし、
眉を顰め、目を疑い、耳を疑うような情報がなんの検閲もなく垂れ流されている状況の中で権威ある学会が立ち上がるということは社会的に大きな意味があると考えます。
菊地さんは水伝では、道徳教育への浸透を危惧されています。
私もそうです。
ニセ科学は表面的な罪以上に人から「考えること」を奪う役割を担うものと私は思っています。
白か黒かと言われれば、その選択だけで思考はストップします。
「水にありがとう」と言えば幸せになると言われれば、努力よりも縋ることへと人は走りやすくなります。
私はそう言う意味で、ニセ科学批判を真剣に取り組むことは、一般庶民にとっても、あるいは確信犯的にニセ科学を利用するがわにとっても、閾値が高くなる物と考えています。
「あるある」で踊らされ、「おもいっきり」で煽られ、
細木さんで脅され、、、、
と際限なくお茶の間に垂れ流される情報。
少しでも淘汰していく目を自分自身も養いたいと願いながら菊地さんたちの活動を応援している者です。
では、また。
Posted by: せとともこ | 2007.09.06 03:04 PM
菊池さんの発言を曲解していたことについては重ねてお詫びします。申し訳ありませんでした。
『危機感を共有できないのは結構。しかし、それならなぜ沈黙を守らないのか。』
一般論としては同意しかねますが、私も早く沈黙したいと思っています。分析化学会の機関誌からたまたま始まったことです。それと、私は危機感を共有していないだけで、ニセ科学批判については好意的に述べています。
せとともこさん、こんにちは。ちょうど一年前にお会いして以来ですね。
ともこさんのように、科学者によるニセ科学批判に熱く期待される一般市民も多いだろうと思います。上の私の文章の中でも触れていますが。
ただ、私の身のまわりではもっとさめた見方をする人が多いのです。直接話をする家族・友人、それからリンクすると気の毒なので冒頭のhを抜いて書きますがこのような人とか。
ttp://hplc.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_a561.html
個人の「危機感」の形成には身近な人の考えが強く反映されるでしょうから、ともこさんのように言う人が私の身のまわりに増えれば、私の考えも変わると思います。(かといって、全然知らない「一般市民」の人が多数このブログに同様の書き込みをされたら戸惑うだけになりますが・・・)
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.06 10:36 PM
津村様
このご発言だと「何もしたくない」としか読めません。
人には身の丈ってのがあるんですね。身の丈でできることしかできない。
>世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題
blogでの他の記事から察するに、津村さんがこれについてニュースをたくさん読んで時間をかけて考えても具体的にできることはほとんど無いし、問題解決に役立つことができる可能性は限りなく低いのではないかと思います。
>てニセ科学問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません。
おそらく津村さんは、ニセ科学問題に関わるだけの知識を持っておられ、もし実行すればそれなりに影響力を発揮し、問題解決につながるケースが出てくるはずでは。
私の推測がもし当たっているのなら、津村さんは、考えたり検討したりしても実際の解決に結びつくアクションをとれないテーマについては優先順位を上げたい、自分でアクションを起こせば解決に結びつくかもしれないテーマの優先順位は下げたい、と主張していることになります。
津村さんの意図は別かもしれませんが、文章だけをそのまま読むと、このように読めてしまいます。ですから、何もしたくないならそれはあなたの自由だけど、積極的に足を引っ張るのはやめてほしいといったコメントがついたりしたのではないでしょうか。
もし、津村さんが「雇用や医療や安全保障や地球環境」の問題を現実に解決できる立場にいらっしゃるのであれば、上記の推測は間違いということになりますので、お詫びいたします。
Posted by: apj | 2007.09.06 11:36 PM
津村さんに「ニセ科学批判活動に時間を割け」だの「我々の危機感を共有しろ」と迫っている人は特にいないと思うのですが、なぜに「危機感を共有できない」ことについて、繰り返し繰り返し説明されるのでしょうか。
もちろん何をどうおっしゃろうとご自由なのですが、言った事にはそれなりの反応が返ってくるものです。現在の状況下で、わざわざ例を引っぱりだしてきてまで「ニセ科学の氾濫を大した事だと思ってる人は私の周りにいない」と言う事がどのような反応を惹起するか、想定されていますでしょうか?
率直に言って、前半は事態収拾のためうわべ迎合してみせたに過ぎず、最後の「ただ」以降こそが「言わずにはおられず、ポロリとこぼれた本音」である…という風にしか読めないのですけれども。
Posted by: Iuth | 2007.09.06 11:51 PM
>なぜに「危機感を共有できない」ことについて、繰り返し繰り返し説明されるのでしょうか。
確かにこの部分は謎ですね。
「何故批判しているのか」「何が問題なのか」「具体的にどんな活動をしているのか」「邪魔しないでくれ」といった主旨の書き込みはたくさんありましたけど、「津村さんもニセ科学批判をやるべきだ」と読める書き込みは、一連のエントリのコメントを通して無かったと思いますね。
Posted by: apj | 2007.09.07 01:52 AM
こんにちは皆さん。前にこれで最後と書いたけど、つい一言書きたくなりました。
ニセ科学批判などしていますと同僚から「やめろとか言う気はないけど、自分には君がそういうことに情熱を燃やす事が理解出来ない」みたいな事を言われる事があります。それはそれで、かまわない訳です。別にみんなが情熱的にニセ科学批判なんてやるようだったら、かえって不気味ですからね。
ただ、そういう時に「別に一緒にやってくれとか言う気はないけど、ニセ科学を広めるような事はしないで欲しい。できればでかまわないけど、ニセ科学で盛り上がっているような人がいたら『それはニセ科学だと言っている人もいるよ』くらいのことを言ってくれればうれしい」みたいな事を言います。「もちろん、ニセ科学に荷担する気はないよ」みたいな感じで話しは終わるのですけどね。
なんていうか、ニセ科学の蔓延なんてのは、数人の熱心な普及者だけで蔓延した訳ではなくて、多くの人が「こういうのが有るんだってさ」という気楽な伝搬をすることで蔓延してしまったものですらね。だから蔓延を防ぐということでも、菊地さんみたいに深くて熱心な言い出しっぺだけでなんとか成るものではないんです。もっと気楽に「それはニセ科学だって言っている人がいるよ」みたいな人が増えないとなんともなりはしないのですよ。私はT型の普及なんて言い方をしているのですけどね。少数の深くて熱心な縦棒と多数の気楽な「ニセ科学だってさ」の発言が生じてはじめてなんとかなっていくものだろうと思っています。
私が或る町の観光協会にメールしたのだって「ねぇ、皆さん。観光協会にご意見寄せたって、別に噛みつきかえされたりはしませんよ。やってみたらいかがですか。こんな風にね」という見本のつもりだったんです。だから、それをapjさんのところに書いた時の題名は「横棒活動」なんて事を書いている訳です。その後小波さんが、「産総研の職員がやるから効果がある」みたいなことを書かれた時にも私は噛みついたのだけどね、「そうじゃないんだ、ニセ科学をニセ科学と理解した人が、手近に比較的安全にやれることをやってみて欲しいんだ」みたいにね。
私は「邪魔」と書いた訳です。自分が意図するしないに関わらず、人の邪魔をしてしまう事というのはたぶんあります。私も気が付かずにしている事もあるでしょう。そんなのはやってもしかたの無いことだけどね。それを指摘されても「邪魔し続ける」のなら、私は本気で喧嘩を売ります。受けて頂けますか?
Posted by: 柘植 | 2007.09.07 08:25 AM
コメントが多いので答え切れないかもしれませんが・・・
まず、私が「危機感を共有できない」ことについて繰り返し説明する理由ですね。
自分から好んで説明はしていません。上の記事で説明した動機は、柘植さんとの会話です。
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_05f4.html#comment-15228284
「別に津村さんにとってはニセ科学の蔓延なんてどうでも良いことだろうと思います。だからこそ、内容を深く吟味することなく「品位を疑う」ということになるわけですね。」
「柘植さん、私のニセ科学問題への考えは改めてまとめるつもりです。」
「ご自身で考え方をきちんとまとめて見られるのは良いことだと思います。」
これ以前にも言及していましたが、そのいきさつは、柘植さんと菊池さんと田部さんが「ニセ科学は社会の病理」「社会の機能の何かがおかしくなっている様に思える」等の発言を何度もされたので、「そこまでの危機は私には感じられない」と答えたということです。
私はブログにコメントを寄せられる方には誠実に対応したいと思っています。質問されれば答えるし、自分と異なる意見が表明されれば、私の考えは違うと言います。
それから、apjさんの質問。私の書いた
> 世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題があり、それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいてニセ科学問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません。
これは「「何もしたくない」としか読めない」ということですね。
もしかしたら、この文を「私が実効性のある行動を起こす前提で何をやるか選ぼうとしている」と解釈されたのではないでしょうか。
はっきり言って、そんなことを考えるとしたらとんでもない誇大妄想家ではないでしょうか。雇用や医療や安全保障や地球環境・・・総理大臣並みです。
これは、「生活者としての私」が「自分の生活を守るために」どんなニュースを読んだり考えたりしたいかという意味です。ふだん接する新聞やテレビや日常会話から伝わってくる危機感が大きいものを並べたまでです。
実効性のある行動という意味では後半で書いています。
> では、このような状況の中、科学の専門家としてはどうすればいいでしょうか。
そして、「私自身は危機感を共有できないけれど、もっとこの考えが広まれば同調する人が増えるかもしれないから、リンクするという形で協力します」と述べています。
自分で言うのも何ですが、これは柘植さんの言われる「横棒型」の協力だと思います。
もちろん邪魔をするつもりは全くありません。私は正直に自分の考えを書いているだけです。ここでの質問・意見が出なくなれば返事も書かなくなります。それから、これまでに書いた文章の中で、説明不足のために邪魔になっているというところがあれば説明を書き加えます。嘘は書けませんけれど、本当に邪魔にはなりたくないし、協力もしたいと考えているので、具体的にどうしたらいいのか言ってください。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.07 09:47 PM
「世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題があり、それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいてニセ科学問題にまわす」の主語(主体者)は誰でしょうか?
主語=管理人様の場合
「具体的な対応は多忙の為行いません」で済む話をわざわざ「雇用や医療や安全保障や地球環境」などという【高尚な】キーワードを引っ張り出すことで「そんな低レベルなことはできません」と言っているように見えます。
主語=きくちさん,柘植さん,apjさん・・の場合
「必要性を私としてはさほど感じません」とその行動を否定的に表現しネガティブキャンペーンをしているように見えます。
どちらにしても本文の表現からは「協力もしたいと考えている」とは見えません。
Posted by: pasanto | 2007.09.08 01:13 AM
ふたたび失礼します。
経緯に鑑みれば、「私自身は危機感を共有できないけれど」と“わざわざ”断ってリンクする、これが「協力」である…という感覚が私にはちょっと理解できません。
「早く沈黙したい」「意見・質問がなくなれば」とおっしゃいますが、「私には深刻な問題とは思えない」という「正直な意見」を「敢えて」表明し続ける限り、そうそう意見・質問および批判が途切れる事はないと思います。それは柘植さんのおっしゃるところの「邪魔」に他ならないからです。
たとえば、津村さんが何かにある程度切実な危機感を覚えて、対策を講じるべく活動しているとします。その際に、
「私は別に放っといてもいいと思うんだけれど協力はしたいから、とりあえずリンクしとくよ。ほんとに取り越し苦労だと思うから、正直にそう書いとくけど。だって嘘は書けないもん。じっさい、他に考えたい大事な事はいっぱいあるし、私の周囲も別に騒いでないし…ああほら、このリンク先の人もそう言ってるでしょ」
とか言われたとしたらどうでしょう。
「ああ、正直な人だなぁ」と、ありがたく協力の申し出を受け入れるでしょうか。
Posted by: Iuth | 2007.09.08 02:07 AM
>説明不足のために邪魔になっているというところがあれば説明を書き加えます。
まず、余計な説明をしたため、意図に反して邪魔になっているところがあります。以前、優先順位問題ということで、菊地さんもコメントしていましたが、邪魔というなら
「 世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題があり、それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいてニセ科学問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません。」が決定的に邪魔です。
津村さんは生活者としての意見を表明なさっただけかもしれません。しかし、私は、例えば「水なんかよりももっと重大な環境問題を取り上げるべき」「原発の問題を取り上げるべき」といった横やりを入れられてきています。で、往々にしてそういう人達は、「自分が考えている問題の方が重要で高尚」だと思っていたりします。私は、こういう意見に対しては「私にできることから始めている」と言い返したりしてるわけです。津村さんの主張が公開されたということは、私が「できることからやればいいじゃないですか」といろんな人に言っていることを、(多分、意図せずに)邪魔する効果をもたらすと考えます。
「私には深刻な問題とは思えない」ような対象(=ニセ科学批判)について、よく調べもしないでわざわざ意見を公表したから、いろいろ議論になってように思います。なぜそういう「余計なこと」を敢えてしたのか、その本当の理由は何なのか(「確執」が云々、という表面的なことじゃなく、本当は何を嫌がってそうしたのか)ご自分の本心と向き合っていただければと思います。
Posted by: apj | 2007.09.08 12:06 PM
apjさん、具体的な指摘をありがとうございます。
それでは、当該部分を削除して(注)を入れ、文末に「注」として削除した文言及び「削除理由はコメント欄の議論参照」と書くということではどうでしょう?
この文面に基づいて議論が行われているので、完全に削除してしまうのは問題かと思います。
「ニセ科学は社会の病理」の議論の続きでこの部分を書きましたが、この記事は初めての読者が読むよう誘導している記事でもあり、そのような読者はニセ科学問題がいきなり雇用や医療や・・・と比較されたら確かに違和感を持つかもしれません。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.08 09:12 PM
私は削除も編集も不要だと思います。
追加の説明
>これは、「生活者としての私」が「自分の生活を守るために」どんなニュースを読んだり考えたりしたいかという意味です。ふだん接する新聞やテレビや日常会話から伝わってくる危機感が大きいものを並べたまでです。
については了解しました。その了解をした上であれば、問題の部分は次のように読めます。
自力では解決できない問題から自分の生活を守ることの優先順位を上げ、そのことで忙しいため、手持ちの知識で解決につながることについては優先順位を下げる、と。
自分の生活優先なのは誰でも同じですから、責められるようなことではありませんし、悪いことでも何でもありません。また、その帰結として、津村さんは、5分で伝授できる「ニセ科学」対策を公開し、たざきさんのページへのリンクをするということを行い、それ以上の深入りはしない、という予定のようで、設定した優先順位とも合致しています。
多分、このニセ科学の話にいろいろコメントがついたのは、
・コメントの最初がニセ科学批判に対する誤解に基づいていた
・単純に表現の問題で、余計な誤解やツッコミを誘発した
・付加的な要因として、批判の相手をはっきりさせないというこのblogの運営方針が、情報の特定を妨げて議論を錯綜させる結果になった
といったことが原因かと思います。
もし、上記の表現による誤解を防ぐのであれば、表現はそのままにし、注あるいは追記として、あくまでも津村さん個人の生活における優先順位であるということを明示していただければと思います。おそらく、一般論として、雇用や医療などの問題とニセ科学の問題を比較している、と読まれてしまったことが、このエントリの後の方の議論の原因になったのではないかと考えます。
Posted by: apj | 2007.09.09 11:42 PM
僕はapjさんには同意しません。
Posted by: きくち | 2007.09.10 12:40 PM
菊池さんのお考えを具体的に書いていただけませんか。
お二人の考えが違っているならば、菊池さんのお考えをより尊重したいと思います。
というのは、私が「危機感を共有できない」と言ったのは「ニセ科学は社会の病理」「社会の機能の何かがおかしくなっている様に思える」等の部分であって、個別のニセ科学の害は認めていますし、それに対する批判活動の意義も認めているからです。
apjさんはこのブログへの書き込みの中で、個別のニセ科学の害にのみ言及してこられました。ですから、私が否定形で述べたものの中にapjさんの発言や個別の批判活動は含まれていません。
結果的にapjさんにとってもご迷惑になっていることは理解しましたが、折り合いが付かないようであれば、ニセ科学の包括的な害について述べてこられた方たちの意見のほうに従いたいと思います。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.10 09:12 PM
私は、apjさんのご意見に賛成です。くだんの一行コメントを本当にきくちさんが書かれたのかどうか判断つきません(むしろ、らしくないなぁと言う気もします)が、ともあれ津村さんが「したくないこと」を「したくないように」することはないと思います。
失礼ながらむしろ、この打診でさらに墓穴を掘っているというか薮をつついているように思えるのですが…。なぜに「津村さんがどうするか」で、きくちさんとapjさんとが折り合いをつけなければならないのでしょうか?
あと無責任な感想ですが(私のコメントは全てそうかも知れませんが)、今回の一件で、理系の研究職にある津村さんのような方が、あのサイトの様な低レベルの煽動にまんまと乗せられてしまったのは少なからぬ衝撃でした。
Posted by: Iuth | 2007.09.10 11:50 PM
>くだんの一行コメントを本当にきくちさんが書かれたのかどうか
ヒント。ふまの成り済まし
Posted by: 匿名 | 2007.09.11 05:46 AM
IPアドレスを確認しましたが過去の菊池さんのコメントと一致しています。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.11 06:02 AM
あらきけいすけさんが、下記のような重要な論点を提起しています
>>ニセ科学問題は、科学的専門的に認められていないにも拘わらず、科学的であると看做される知識、についての議論ですよね。
>いいえ。現在の「ニセ科学」の対象は、これに加えて「人を傷つける要素を持つもの」という要素も含めて考えておかねばならないと思います。この要素が判断に加わっていることは、apjさんのブログにおける「温泉はニセ科学か」に対する「ニセ科学には入らないだろう」という結論からわかります。(ひょっとしたらきくちさんは違うとおっしゃるかもしれませんが。)
http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20070911/p1
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=6151
Posted by: 大坂 | 2007.09.12 09:41 AM
ああ、荒木さん、ずいぶん心配してくださってるんですね。どうもありがとうございます。
私はこのブログの表現で他の人の邪魔をするのは心外です。指摘があればできる限りご希望通りしたいと思っています。菊池さんからの詳しい説明がないので、とりあえずapjさんのご意見のとおり(注)を付けました。
菊池さんから別のご意見があれば、そのときまた対応を考えます。
荒木さんは私が環境ホルモン問題を非常に重視していると思われたようですが、そういうつもりはありません。
まず、ニセ科学と環境ホルモンの類似点を挙げたことは不適切でした。KENさんの指摘に答えて早い段階で認めています。
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_431f.html#comment-15168532
それから、「環境ホルモン問題はニセ科学」と私が述べた件ですが、
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_60e8.html
> 安井至さんによるマイナスイオン批判や中西準子さんによる環境ホルモン批判(序盤)は疑似科学批判の一例と考えてよいと思う。
(序盤)という限定が入っていることにご注意ください。当初、科学ミステリーとして出版された「奪われし未来」が科学のように一般市民に受け取られて、色々な製品が忌避されたり逆に代替製品が売れたりしました。世間で認識されている環境ホルモン問題は、あの最も騒がれた頃の姿でしょう。私がニセ科学かもしれないと思うのは、あれらの社会現象です。
環境ホルモン問題全体としては、一貫して科学的手続きのもとに評価が行われてきました。哺乳動物への危害で最も長く議論が続いたのはvon Saalらによる低用量効果でしょうが、世界の第一線科学者を集めたピアレビュー会議が開催されるなど、普通の論文誌の査読とは比較にならない入念な吟味が行われました。社会的にも、行政がリスク評価やリスクコミュニケーションを重視するきっかけとなりました。
そういうわけで、ニセ科学(と私が思うもの)に接した経験談として環境ホルモンの話題を出しましたが、これがニセ科学のモデルとか典型例とか考えたわけでは全然ありません。
それにしても、好意的に解釈しようと骨を折ってくださっている感じが伝わってきます。私も皆さんに納得の得られる形を早く見つけたいです。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.12 11:57 PM
こんにちは、津村さん。私には私のなりの立場のようなものもありますから、厳しいことを書きます。
「未必の故意」という法律系の用語があります。「それなりの判断力のある者が、結果が容易に予見できる事柄をなした場合、その結果に対して『起こってもかまわないという故意』を持っていたものとみなす」という意味です。説明に使う事例としては、「歩行者天国で自動車を暴走させて人を死傷された者に、業務上過失致死罪ではなく殺人罪が適用された」ことなどを上げたりします。
>私はこのブログの表現で他の人の邪魔をするのは心外です。
未必の故意が成立するかどうかは、「結果が容易に予見できるか」ということが重要です。私の見るところ、津村さんの書き込みは「これを書けばニセ科学を批判している者を貶め、その活動の邪魔をすることになる」ことが、普通の判断力(想像力)で容易に予見できる表現が散見しているように見えます。津村さんにそのような意図があろうがなかろうが、普通の判断力で容易に予見できることをなせば、それは故意に行ったのと同じです。それゆえ、私は「邪魔をする」と書きました。しかし今なお、「自分が意図したのではない」ことにこだわっておられるように見えます。きくちさんが何度も書かれている「大人なんだから」「子供じゃないのだから」という表現をもう少しきちんと理解して欲しいと思います。
大人の判断力というのは、まず自分の意図と切り離して自分の書いたものを見直し、さまざまな人がその書いたものから「どのような印象あるいは認識をもつであろうか?」と考えることです。もうすでに、菊池さんは「それができない人」という判断を下されているから、一行書き込みになっているだけのことです。
正直な話、私もそうしたいわけですが、分析化学会の中の「ニセ科学批判」の言いだしっぺの立場がありますのでね。
Posted by: 柘植 | 2007.09.13 05:25 AM
柘植さんが言われる「ニセ科学を批判している者を貶め、その活動の邪魔をすることになる表現」は「散見」と書かれていますから複数あるのですね?
一つは「世の中には雇用や医療や・・・」の部分で、もう一つは「私にはそれほどのことと思えません。もともと日本人は(あるいは人間は)そんなに科学的な思考法ばかりで日常生活を送ってきたとは思えません。」のあたりでしょうか?
柘植さんたちによる「ニセ科学は社会の病理」「社会の機能の何かがおかしくなっている様に思える」等の主張を受けて「個別のニセ科学の害以上の得体の知れない危機が主張されている」と感じた私が「その危機感は共有できません」と書いたわけですが、「得体の知れない危機」だけでなく「個別のニセ科学の害」まで否定しているように見えるということですか?
これだけでは単純すぎるような気もしますが、こういうことであればもっと明確にわかるように言葉を補うことにします。
なお、私は個別のニセ科学批判については一貫して意義を認めています。「運良く標的にならないものが発生して不公平」とは書きましたが。
上の記事でも「個々のニセ科学についてニセ科学だと言ってほしい、なぜニセ科学なのか説明してほしいという一般市民からの強いニーズがある」「訴訟まで覚悟して個別のニセ科学を批判する科学者に対しては、何か力になりたい」と書いています。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.13 11:00 PM
こんにちは、津村さん。来週は徳島の年会ですね。私は7月8月を仕事場の一般公開の準備に費やしてしまったので、ずいぶん内容の薄いポスターを抱えて行くことになりそうです。そのポスターすら、まだでき上がっていないのすけどね(笑)。
なんて言いますか、個々のまずい表現はあるのですが、その表現の裏にある意識の様な部分に問題を感じている訳です。それをお考えいただきたいと思っています。私自身は表だってニセ科学批判をし始めたのは1年ほど前からですが、それ以前もずっといろんな情報収集はしていたし、いろいろ考えてもいた訳です。菊地さんあたりはそれこそ何年もやってきた訳ですし、色んな人といろんな検討を経ている訳ですね。私は「たぶん、菊地さんは24時間ぶっ続けで話してもまだ時間が足りないくらいの蘊蓄をニセ科学に対して持っているだろう」なんて言いますけどね。つまり1時間の講演を聴いたときに、その1時間の話が水面に浮かんだ氷山の一角を見ているという認識をするかどうかなんです。
変なたとえ話になるけど、学会のポスター会場で若い学生君が、どこかの装置を借りて測ったようなスペクトルを元に発表していたとして、そのスペクトルにちょっと変なところがあったりすると、私は「こういう所に気を付けて測りましたか?」みたいな質問をしたりもすると思います。割と初歩的な留意点であっても聞いてみたりするわけですね。でもね、それがその分光法で何年も研究している先生の発表だと、そうそう初歩的な留意点を聞く前に「ちょっとまてよ、この先生がそんな初歩的な部分をいい加減にはしないだろう」とまず思ってしまう訳です。その上でやはりその溜意点をおろそかにしたときに現れそうなスペクトルだつたら、できるだけ失礼にならないようにお聞きしたりする事を考えます。人を見て態度を変えるのが良いことかどうかという話はあるかも知れないけどね。でもって「気が付きましたか、実は事情があってその操作はやっていません。ここにその影響があらわれていまます。でも、今回の発表の主旨にはこの部分は影響しないので」なんて事で納まるわけです。
なんて言うかな「周回遅れ」なんて言葉もどこかで出てきたけど、別に周回遅れであることを責めている訳ではないのね。その何周か先に走っている人間は、その何周かの間に「いろいろと努力して思索を深めていたに違いない」みたいな認識をきちんと持って欲しいということなんです、「今並んで走っているのだから、この人が集めた情報量やそれに対する思索は自分と大差ないだろう」なんて認識から発言すべきじゃないわけです。それは、何周か先を走っている人に対してとても失礼なことなんですね。
さらに言うと、学会のオーラルとかで、その道で長年やっている先生が初歩的な留意点の部分に言及しなかったからといって、「その操作はやらなかったのだろう」なんて意見を述べると、周りの専門家は「あの質問者は変な奴だな、あの先生がそんな初歩的な事を見落とすハズがないじゃないか」と質問者の方の評価を下げる訳ですけどね。それは学会という場が専門家ばかりで構成されていて、その指摘事項がどれほど初歩的な事かというのを理解するからね。ただ、学会とかじゃない一般の人が多数聴いている会場とかでそれをやると、分かる人は質問者の評価を下げるけど、分からない人は先生の方の評価を下げる可能性があるよね。そうなると、分かる人は、聴衆への意識もあって「先生がそんな初歩的な事を見落とすハズないじゃないですか」みたいな事を言わなくてはならなくなるかも知れませんね。そういう、場の違いみたいなことも考えてみて欲しいわけです。
なんていうか、津村さんには少し不幸な面があってね。きくちさんが近畿支部の会で講演して、講演を聴いた他の人がもっとブログとかで感想を沢山述べていたりしてくれると、津村さんが多少変なこと言ったって紛れてしまったと思うのだけどね。今のところ私のアンテナなんかでも引っかかっている反応は津村さんだけなんです。別に津村さんが聴いた聴衆を代表する訳でも無いのだけど、「自分は一所懸命に話したのに、反応はアレかい」みたいに菊地さんが落ちこむのは、私にとっても辛い訳ですよ。
Posted by: 柘植 | 2007.09.14 10:08 AM
初めてコメントいたします。IT系企業でネットワーク機器管理等に係わっております文科系社会人です。
ここで議論をされているどの方とも面識も係わりも持ちませんが、「ニセ科学」的なモノの蔓延が「雇用や医療や安全保障や地球環境」を含めたあらゆる問題の大きな原因になっているのではないかと、日々感じています。
あえて単純化しますと、「ちゃんと調べない、知ろうとしない、考えようとしない」という態度が「ニセ科学」(に限らず、楽ちんな価値観)の流布を産んでいる根底にあると思っておりまして、それは「じわりじわり」とした「社会的病理」であると日々の生活の中でひしひしと感じさせられることが多いのです。
津村さんの本blogは以前から時折拝見させていただいておりまして、「なるほど」と思わせられることも多かっただけに、今回「ニセ科学」の蔓延に危機感を持たれていないということが非常に意外に思えた次第です。
単なる感想ですのでご返事無用でございます。
Posted by: taoy | 2007.09.14 04:18 PM
柘植さん、ご発言の最後のほうは菊池さんへの名誉毀損になりそうな気がします。
「自分は一所懸命に話したのに、反応はアレかい」から「危機感を共有できないのは結構。しかし、それならなぜ沈黙を守らないのか」となり、「僕はapjさんには同意しません」の一行発言で終わったと解釈されるのでしょうか。
匿名コメントなら即削除するところですが、実名で書き込んでおられるので、そんな推測をしてもいいのかどうか、どうぞもう一度慎重にお考えください。
「周回遅れ」の件ですが、私がニセ科学批判についてどの程度知っているかは記事の冒頭で説明しています。菊池さんの講演を聴き、「化学」4月号の特集を読み、2週間議論したと書いています。これで私がニセ科学に詳しいと考える読者はあまりいないでしょう。
そういう私が「危機感を共有できない」と言っても、反応としては「それはまだニセ科学をよく知らないからですよ」くらいが普通ではないでしょうか。
ところで、柘植さんはこの記事への最初のコメントで
> コメントするのをこれで最後にしようかなと思います。
と書かれました。つまり、私の記事に強い引っかかりは感じておられなかったのですよね。
しかし菊池さん・apjさんが問題点を主張されたら、柘植さんも再び出ていらっしゃったのです。
今も菊池さんの心情を代弁(推測?)する形で発言しておられますが、柘植さん自身はどう思っておられるのですか?
で、残念ながら分析化学会の年会には行きません。私は主に支部活動にだけ参加していますので・・・
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.14 10:00 PM
あのですね。自分が軽く言ったことだから、軽く受け止められねばならない…なんて道理はありません。軽く言ったことのわりにはいつまでも執着されてるのが不思議でなりませんが、ともかくどういう理由で問題視されたのかはこれまでさんざん説明されているにもかかわらず、カケラも汲み取る気がないのですね?「あなた方の誤解/曲解/過剰反応だ」から、一歩たりとも動くつもりがないのですね?
今回の「名誉毀損」云々についても(正直、柘植さんの書かれた事のどこをどう読めばきくちさんの名誉を毀損することになるのか、さっぱりわかりませんけれど)、まさしく柘植さんが直上でおっしゃっていたように、自分の了見で批判に飛びつく前に「この人はそんな軽率な真似をする人かどうか」ということを少しは考えてみられてはいかがでしょうか。
なお、柘植さんが冒頭で「最後にしようと思う」と書かれたのは、(大人の判断力を持つ相手に対して)言うべきことは言ったから、それでしばらく「考えてみてほしい」と思ってのことでしょう…普通に読めば。
Posted by: Iuth | 2007.09.15 12:57 AM
ここにあったSSFSさんの書き込みは私以外への激しい批判が書かれているので削除しようと思ったのですが、真剣に書き込まれたものと思われますから移動しました。
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2004/01/post_3.html#comment-15474216
ただしこれ以上の書き込みはご遠慮ください。どうしても書かれたいことがあるなら、田部さんのように別の場所に書いてリンクだけここに貼ってください。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.15 06:17 AM
なかさん>
>「軽い問題」であっても問題である以上は強く批判して構わないということですね。
「軽く言った」とは書きましたが、「軽い問題」とは書いてません。
これらが=で結ばれるのならば、柳沢前厚労相だの久間元防衛相だの…の、あれだけ軽い発言が問題になることはなかったはずです。
Posted by: Iuth | 2007.09.15 11:01 AM
>柘植さん、ご発言の最後のほうは菊池さんへの名誉毀損になりそうな気がします。
名誉毀損というのは、「公然と」出された内容によって、「社会的評価の変動」が起きないと成立しません。ここは誰でも見ることができますから、「公然」は成り立ちます。で、
>「自分は一所懸命に話したのに、反応はアレかい」みたいに菊地さんが落ちこむのは、私にとっても辛い訳ですよ。
が、きくちさんの社会的評価を変動させるかというと、そんなことはないでしょう。これは柘植さんの感想ですし、きくちさんを侮辱するものでも何でもない、普通に読めばきくちさんを気遣う発言ですよね。(個人に対しての話なので公益性云々は省略)
津村さんに念のために言っておくと、柘植さんは悪徳商法批判かラニセ科学批判にシフトしてこられた方で、名誉毀損だ営業妨害だという脅しには散々向き合って、何をすれば名誉毀損や営業妨害といえるかについては熟知しておられますよ。
一方、津村さんの書き込みからは、どんな場合に名誉毀損になるのかという初歩の初歩もわかっておられない、ということがはっきりわかります。
ニセ科学批判については、最近気付いたばかりなので「周回遅れ」の認識なのは仕方ないとしても、「法律に完全に無知」な状態で名誉毀損かどうかについて述べるというのは、もっとまずいです。
Posted by: apj | 2007.09.15 01:24 PM
追加です。
SSFSさんへの対応について。
kikulogで相手にされなくなり、私のところの掲示板も出入り禁止にしたら、削除された内容を他の掲示板等に書き込むぞ、という脅しとも荒しの予告ともつかない捨て台詞を残していかれました。私の方ではそれも削除しました。
また、SSFSさんは、「主張したいことがあるならご自分でサイトを作ってやってください」と何度も言われています。しかし、なぜかそれをせずに他人が管理する掲示板等に書き込むことだけに執着しています。
以上、批判ではなく事実の報告です。後はご自由に判断してください。
Posted by: apj | 2007.09.15 01:29 PM
ハンドルネーム「マルチ商法君」「大坂」「なか」「匿名」「anvy」「 偽法律マニア 」は同じIPアドレスから書き込まれています。
私が関連コメントを書き込んだ「大坂」での書き込みを除いて移動させました。今後マルチハンドルはおやめください。
なお、比ヤングさんのIPアドレスとは地理的に遠く離れています。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.15 09:31 PM
apjさん、ありがとうございます。柘植さんが菊池さんを気遣って書かれたことなら問題ないですね。「菊池さんが実際にそのように言った」と受け取られかねないと思ったので、焦ってしまいました。
「名誉毀損」という法律用語がまずかったなら「名誉を傷つけかねない」と言い換えますが、とにかくそのような内容が私のブログに書き込まれるのは困ります。
さて、気遣うにしても、柘植さんが書かれたような気遣いは科学者である菊池さんには無用だと思います。
菊池さんは講演でオウム真理教の事件に言及して「個別のニセ科学の害にとどまらない根深い問題への危機感」を語られました。私がその危機感を感じないとブログに書いたからといって、「危機感を共有できないのは結構。しかし、それならなぜ沈黙を守らないのか。」と沈黙を強いるのは、どう考えても尋常でありません。私にはわからないですが、何か深いお考えがあったのでしょう。ところが実は「自分は一所懸命に話したのに、反応はアレかい」だったなんてことになると、表現者として甘すぎます。
それから、その「危機感」の根拠は明らかに論証できるような性質のものでないことも菊池さんはよくご存知のはずです。
あまり深入りしたくなかったので書きませんでしたが、ニセ科学が増えている原因として私は、記事の中に書いたこと以外に「むしろ世の中に科学が浸透して科学との関係抜きではものごとを語りにくくなったからではないか」とも考えています。
一昔あるいは二昔前のテレビの娯楽番組では、超能力、UFO、心霊現象、予言などが普通に放映されていました。しかしオカルト専門家を科学の立場から笑いものする番組がひとしきり流行し、最近はなかなか「素朴なオカルト」では売れなくなっています。その枠を埋めたのが、オカルト並にわかりやすい健康情報や裏ワザ番組ではと思います。
宗教でさえこのごろは科学との関係を語らざるを得なくなっています。人生哲学、人間関係ノウハウ、日常生活のハウツーもの・・・色々な思想やTIPSが、科学との関連も何か述べないと売れにくくなっているように思います。このようにして怪しげな科学っぽい説明が増えたのではないでしょうか。
別に、私のこの考えに説得力があるとは思っていませんが、要するにどんな解釈もできる状況だということです。ましてや、きちんとデータを示して「人々の意識のこの部分がこのように、この程度の規模でおかしくなっている」と言えるようなものでもないわけです。あくまで直感レベルでの危機感でしかない。
1時間程度の講演でこういうものを提示されて即座に共感するようでは、むしろ科学者としての資質に疑いがあるかもしれません。そういうことは菊池さんもよくわかっておられるはずです。講演を聴いた私が危機感を持たなかったからといって「落ちこむ」必要はないでしょう。
さらに、です。
菊池さんは科学の専門家ではありますが、社会問題の専門家ではないでしょう。「ニセ科学による危機」というのは社会問題で、菊池さんはアマチュアとしてやっておられる。
菊池さんがプロとして「ニセ科学による危機」を話して聴衆を共感させられなかったらそれなりに恥かもしれません。しかし、あくまでアマチュアとしての活動ですから、科学者としての評価にはまったく影響しません。
以上の理由により、菊池さんの講演を聴いた私が「危機感」に共感しなかったからといっても、柘植さんが気遣うような重大なこととは思えないのです。
それから、これはニセ科学批判に詳しくもなんともない私の印象ですが、「危機感」にこだわりすぎることが逆に「個別のニセ科学の問題性」を伝わりにくくするように思えます。科学者の専門性を発揮できるのは「個別のニセ科学を科学でないと言うこと」までのはずです。それらからより次元の大きな社会問題を抽出することに関しては素人でしょう。
「危機感」をくっつけなければ世間を注目させられない、個別のニセ科学の問題性だけではダメだ、という発想がもしあるとすれば、apjさんや田崎さんのようにそれぞれのテーマで批判活動をしておられる人たちに失礼です。(そういう発想があると言っているわけではないです。「もしあれば」ですよ。)
思うに、その「危機感」は個別のニセ科学を数多く、また、深く知るにつれて次第に肌で感じるものではないでしょうか。また、個人差も大いにありそうです。最初から共感できる人もできない人もいるでしょう。
ただし、「危機感」に共感しない人も、個別のニセ科学が生み出している経済的・社会的損失について説明されれば納得すると思います。批判活動の意味も自ずと理解されるでしょう。だからこそ、「危機感」を持つかどうかで門前払いしてしまう雰囲気を作るのは、活動の広がりを妨げるように思います。
私はこのように考えているので、「危機感を共有できない」について菊池さんがなぜこだわられるのか全くわかりません。しかも柘植さんのお気遣いによって「講演を聴いた津村が危機感を共有できないとネットで公言したから落ち込んだ」という解釈が唯一の説として挙げられてしまいました。
もともとこの最終記事は「ニセ科学批判をする科学者たちの力になりたい」との気持ちで作成したものです。そんな説だけが書かれてしまっては、私は非常に困ります。今すぐとは言いませんが、この説を否定する何か別の理由を出していただければと思います。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.16 12:06 AM
まず、技術的なことについて一点だけお伝えします。
>なお、比ヤングさんのIPアドレスとは地理的に遠く離れています。
世の中には公開プロキシサーバというものがありまして、それを通して書き込むと、書き込み元のIPアドレスを騙ることが簡単にできます。また、そんなことをされては困る人達(たとえば2ちゃんねるなど)は、公開プロキシのリストを作って一般も提供しています。比ヤングさんは頻繁に海外の公開プロキシを利用していたので、私が直接ソースコードを触れるblogや掲示板については、公開プロキシのリストをチェックし、そこからのアクセスであれば無条件に却下するという運用をしています。
ここは、niftyの管理するblogですから、nifty側で公開プロキシからの書き込みを却下するような設定が行われていなければ、遠く離れたIPから、(比ヤングさんでなくても)同一人物が書き込むことが可能となります。
Posted by: apj | 2007.09.16 05:37 PM
はじめまして。
津村さんにひとつお聞きしたいのですが、津村さんがニセ科学について「これは危機である」と実感するとしたら、どのような状態になったときでしょうか。
例えば、地下鉄サリンのような事件が実際に起きた時とか、水伝授業を行う教師が全国で100人ぐらい出たらなど、個人的な印象で結構ですので、お答えいただければと思います。
Posted by: A-WING | 2007.09.16 06:30 PM
apjさん、どうもありがとうございます。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.16 07:56 PM
昨日の書き込みの最後のほうを訂正します。
柘植さんが菊池さんを気遣って書かれたことを責める形になってしまい、思いやりに欠ける態度だったと反省しました。
「この説を否定する何か別の理由を出していただければ」は、かえってややこしくなりそうなので取り消します。
「自分の立場にのみ言及するようにしてください」とお願いしておきます。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.16 07:58 PM
A-WINGさんのご質問ですが、このコメント欄での議論はできるだけ早く終わらせたいと思っているのでこみ入った話ならご遠慮ください。
とりあえずお答えしておくと、マスメディアが「ニセ科学」(または相当する名称)として問題性を報道し始めたときだと思います。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.16 07:59 PM
ご解答いただき、ありがとうございました。
>マスメディアが「ニセ科学」(または相当する名称)として問題性を報道し始めたときだと思います。
では、既にいくつかのメディアでは取り上げられていますので、ぜひとも危機感をもっていただきたいと思います。
例えば毎日放送のVOICEや、毎日新聞などでも連載記事がありましたし、昨日の私の地元のニュース番組では、そのまま「ニセ科学」という言葉が放送されました。芸能人にも、自身の番組中で取り上げた方が幾人かいらっしゃいます。それらの情報はネット上で確認することが出来るので、ぜひ危機を実感していただきたく思います。
また、メディアで取りあげられると言うことは、世間ではある程度話題になっているということです。だれも見向きもしないような番組を企画したって、スポンサーがつきませんから。
最後に一つ。
風邪をひいてから医者行くのは当然ですが、風邪をひかないように普段から気をつけることも、賢いやり方だと私は思います。
Posted by: A-WING | 2007.09.16 08:54 PM
そうですね。今のところ「社会の病理」というほどの危機報道は見かけませんが、注意しておきます。
大坂さんのコメントを移動させました。
マルチハンドル・短い挑発的な内容等の特徴が比ヤングさんと類似していますので、同じ扱いにさせていただきます。今後は「コメント・トラックバック専用」に書いてください。
SSFSさんのコメントは私以外への強い批判を含んでいたので削除させていただきました。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.17 08:54 PM
新しい記事(2007分析展)を書きました。
これでニセ科学の話は終わるという意味ではなく、菊池さん・柘植さんからの書き込みをこれからもずっとお待ちします。
科学の専門家どうしの話し合いですから、お互いに問題点を出し合って、「これについては一致できる」「これについては一致できない」と明確にするところまでは行きたいと思っていました。「問題がある」と表明されるだけで、具体的な内容について示していただけなかったのは残念です。
「態度」とか「意識」とかは結局主観的に判断するしかないものです。それを本人でなく代理人が主張して話を続けようというのはさすがに不毛すぎる気がして、正直苛立ちました。9月16日の私の書き込みでは、少々芝居じみた論法でしたが、まとまった考えを述べさせていただきました。
これからも『「水からの伝言」を信じないでください 』へのリンクは私のブログの全てのページに表示されます。微力ながらニセ科学批判に関心を持つ人を増やすお役に立てると思います。
『「水からの伝言」を信じないでください 』をリンクしたときには、当該ページを隅々まで読むと共に、書籍「水からの伝言」vol.1~vol.3も書店で全ページを繰って確認しました。
手に取るまではもっと小ぶりな絵本のようなものをイメージしていました。実際には、オールカラーでずしりと重く、多数の結晶写真や解説が収録された迫力のある本ですね。
この本を読んで感じたのは、この内容を信じている人たちにとっては、これは神聖で冒してはならないものではないかということです。私のブログは、面白い数学の問題を探している人なども訪れますが、そういう人たちの中に「水からの伝言」を信じている人がいれば、いきなり「信じないでください」のリンクが目に入って不快になるでしょう。
縁あって読みに来てくれる人の何%かわかりませんが、そんな嫌な思いをさせてもいいのか。リンクを入れるには覚悟が必要でした。
単にリンクをするだけでも心理的な障壁があります。このページを作成したり、作成のための議論をしたりする過程では、皆さんの様々なご苦労があったものと思います。
「水からの伝言」の内容自体については、科学のニセモノというよりは、神秘的な思想が科学実験に似た手段を採り入れていると感じました。
私は、どんなに科学が進歩しても、科学の枠外のものを信じたい気持ちを持つ人は少なからず存在し続けると思います。このこと自体は昔から続いてきたことでしょう。
ただ、これが学校教育に持ち込まれたのは大きな問題だと思います。
「持ち込まれた過程」には、関わった人たちの精神の不合理性とか、何か根深い問題があるのかもしれません。あるいは単に、神秘的な思想が科学に似た外観を持つという新しい事態に不慣れだっただけかもしれません。
「ニセ科学の蔓延」がどの程度社会の深層の問題と関わっているのか、今後だんだん明らかにされていくことでしょう。今の時点ではっきりしていることとして、ニセ科学という言葉が菊池さんによって時代に合った定義を与えられて世の中に普及していく現場を見させていただけたのは、たいへん幸運でした。
それから、瀬戸智子さんには久しぶりにネット上でお会いしたのにちょっと素っ気なかったかもしれませんね。『ニセ科学は表面的な罪以上に人から「考えること」を奪う役割を担うもの』という智子さんの危機感を否定したように感じられたかもしれません。もちろんそんなつもりはありません。
身のまわりに忍び寄る危機を感じ取る能力は、科学の専門家であろうと一般市民であろうとあまり違わないと思いますよ。子供たちに理科実験の楽しさを教えている智子さんは、考える機会も人一倍多いと思います。これからもその感受性を大切にしていってください。
Posted by: ここの管理人 | 2007.09.23 07:53 PM
ここの管理人さんの言われる【やって(社会的)意味のある批判は、法的紛争に直結していますので、最後は法廷に出て訴訟に対応する覚悟のある人しかやっちゃいけないんです。― 中略 ―
私自身も科学でないことが科学のように語られること自体は気分が悪いです。訴訟まで覚悟して個別のニセ科学を批判する科学者に対しては、何か力になりたいと思います。】には私も同感です。
援護射撃は出来ても、科学者の良心だけで矢面に立つのは困難であると思います。この種の問題は『失うもの』も甚大で、その後の生活の保証さえないのですから。
以下は、体験的自己糾弾ですが、差し障りがありますので、私の名前、会社の名称、商品名の3点は秘匿させて頂きます。秘匿以外は真実です。
私は十数年前、『マイナスイオン』をセールストークとする商品を製造販売する会社の仕事に加担していました。私のミッションは、社内的には『マイナスイオン』に関する物理・化学な解釈を明確にすること。社外的には、『マイナスイオン』製品の特許を出願し、商品のセールストークのシナリオを考えることでした。
『プラスイオン』『マイナスイオン』は教科書にも載っているれっきとした学術用語ですが、私自身一人歩きしている『マイナスイオン』という言葉に強い嫌悪感を抱いていました。
私は会社経営に関わる立場になく、自分の物理・化学の知識に矛盾しない説明を考えるだけでした。そこで、『マイナスイオン』の発生メカニズムに関する論文、および『マイナスイオン』の効果に関する論文を引用し、「当社の製品は既報と同等の発生機構を有する。よって既報に謳われた効果を有するはずである」という論法でシナリオを作りました。
営業マンが実際にこのシナリオを使う現場には立ち会っておりませんが、このシナリオが営業マンによってアレンジされて、消費者の購買欲を誘うために使用されることは承知していました。
この商品が社会的問題となった場合に私の責任がどうなるかについて考えました。
責任回避の口実:
[1]消費者の『商品を買うか否かの選択権』を侵害しないための必要条件は、商品説明に嘘・偽りがないことである。
嘘を創作することは絶対に避けよう。→ 学術論文に近い既報を探して引用しよう。
[2]マイナスイオンをセールストークとする商品は他にもたくさんある。
[3]この商品は「発火・爆発する」とか「病気や怪我をする」などの財産や健康に関する被害は発生させないはずだから、社会的問題となるとしても、クレームの大半は「効果がない」だろう。
「効果があった」という人が一人でもいれば、責任を問われることはなく、せいぜい『ぶら下がり健康機』程度の非難で済むだろう。
[4]死語になったけれども『アルカリ性食品』などという愚語の定義を力説する著名な学者もいたことだし・・・・
「自分の報酬もこの商品の利益に依存している」と思うと、良心は曇ってしまったのです。
以上、【(ニセ科学に手を貸す)科学者・技術者の倫理意識の低下】の一例です。
Posted by: 匿名希望 | 2007.11.03 12:07 PM
匿名希望さん、こんにちは。
[1]~[4]の考察から、苦悩されたご様子がうかがえます。
安井至さんのマイナスイオン批判は【(ニセ科学に手を貸す)科学者・技術者の倫理意識の低下】を主に問題にしていました。
もちろん悪いことを悪いと知りつつ行うのは悪いことですが、個々の事例でなぜ科学者・技術者が実際に手を貸してしまったのかを解明することが構造的な問題の解決に結びつくのでしょうね。
そのような情報はなかなか表に出てきませんが、今回書き込まれたコメントのような内省が人目に触れることで、解決できる立場の人たちの手がかりになったり、後輩科学者・技術者たちへの教訓になったりすることと思います。
Posted by: ここの管理人 | 2007.11.04 08:01 AM
こんにちは、津村さん、そして皆さん。
>柘植さんからの書き込みをこれからもずっとお待ちします。
とのことなので、少し書かせてください。私は国の産業がうまく行くようにするというミッションの研究所の職員です。私が大手の家電まで巻き込んだマイナスイオンなどの批判をすることに違和感を感じられる面もあると思います。でも、私は心の底から「日本の産業よ、きちんとうまく行ってくれ」と思っているのです。
マイナスイオンの様なニセ科学の蔓延は産業の発展を損ねます。それは、大手家電各社がマイナスイオン製品を出してもなんら「差別化」に寄与しなかった事からも明らかです(つけていないものとの差別化はおきましたけどね)。つまり、ノズルのプラスチックにトルマリンを練り込んでも「マイナスイオン」、ちょっとした放電機構を組み込んでも「マイナスイオン」、静電気が起きやすい材質を使いましたでも「マイナスイオン」、これでは消費者になんら技術力の差など分からないでしょう。私はノーベル経済学賞をとった「情報の非対称性」という経済学の理論における「レモン市場」と同じ事が、こういう家電の「付加機能市場」についても起こることを懸念しています。つまり、きちんとした差別化のできない市場では「全体の平均相場」による価格決定が支配的となります。そうするときちんと開発費をかけた付加機能もキャッチフレーズだけの付加機能も平均相場でしか取引されなくなり、きちんと開発費をかけた付加機能は元がとれずに撤退していくことになり、平均相場はさらに下がる事になり、最後はキャッチフレーズのみの製品が市場に残ることになります。つまり、マイナスイオン製品の様なイメージものを出し続けるなら、「まともな開発をしてきちんと効果のある付加機能」も、キャッチフレーズだけの付加機能となんら区別して貰えなくなるということです。
さらにいうとPL法における「立証責任」の問題もあります。私はあくまでジョークとして「マイナスイオンドライヤーを使い続けたら禿げた。マイナスイオンのためだと思われるので賠償せよ」という訴訟が起きたらなんて話をします。マイナスイオンなるものの正体がはっきりしており、それの作用メカニズムが分かっているなら、この因果関係が無いという立証は可能です。しかし、現時点ではそのような立証はできません。しかし、「マイナスイオンで髪が良くまとまります」などの広告は「作用を表現している」ととれますから、何らかの副作用の疑念が生じたときに因果関係が無いという立証ができなければ賠償に応じることになります。実際に活性水発生器を養魚場に導入してヒラメが死んだという事件では、PL法に基づいて活性水発生器販売業者に850万円の損害賠償が命じられています(徳島地裁判決)。
さらに米国に輸出した場合には、「懲罰的賠償訴訟」の心配もあります。もともとイオン製品というのは米国でFDAから「効果無し」と言われているものですから、メーカーが宣伝に使わなくても日本などの流行が口コミで広がった場合に、「イオン製品の再来」として厳しい警告が発生する可能性があります。そういう警告に連動して起こる懲罰的賠償請求は、相手が大きな企業であるほど巨額となります。私の予想では、日本の大手各社クラスだと数百億円レベルではないかと思います。
私は心の底から日本の産業の事を心配しているのですよ。
Posted by: 柘植 | 2007.12.07 10:33 AM
柘植さん、おひさしぶりです。
一度もお会いしたことはありませんが、柘植さんがたいへん真面目に考えておられることはどの文面からもよくわかります。
産業面からの論点はいずれも具体的で納得しやすいですね。
金曜日に近畿支部の幹事会がありましたが、提案公募型セミナーがいずれも好評だそうです。今年度は計5回開催される予定です。中部支部に同様の枠があるのかどうか知りませんが、お書きのような問題提起はセミナーのテーマとして関心を集めやすいのではないかと思いました。
「ぶんせき」誌11月号に茨城高専の富田さんの水商売関連の文章が掲載されましたね。色々な立場からの誌上討論が続いて行きそうですから、注意して読ませていただきます。
Posted by: ここの管理人 | 2007.12.09 07:53 AM
昨日、今日と比ヤングさん及びSSFSさんがここに書きこまれましたが削除させていただきました。
Posted by: ここの管理人 | 2007.12.11 06:30 AM
こんにちは、津村さん。
>お書きのような問題提起はセミナーのテーマとして関心を集めやすいのではないかと思いました。
まあ、具体的な活動としてはぼちぼちやるしかないのだろうと思います。前にも少し書きましたが、我々自然科学に携わる者が「ニセ科学の蔓延」ということにぶち当たるのは、眼科医のところに糖尿病網膜症の患者さんが来たようなものだろうと思います。確かに症状は目に現れているのだけど、目に対する対処療法を幾らしたって失明します。「糖尿病をなんとかしないと」と内科医と連携して対処しないとならないわけです。眼科医の場合は内科と連携するのが当然となっている訳ですけどね。ニセ科学に関しては「これはどうも自分の範疇では無い」という意識が先に立つ面がありそうですよね。
「マイナスイオンなんて人はそんなに信じている訳じゃない、それを優良なイメージ喚起に使ったところで、そう目くじらたてるほどの事じゃない」という話なんかは、上で書いた様な経済学的な観点からの解析が無ければ、自然科学にのみいくら詳しくても「そんなものかな」となってしまうでしょう。
津村さんも幾分心配された「名誉毀損」とか「業務妨害」ということなんかも、本来、法学的な知識をきちんと持っていないと、「いたずらに不安になる」ことなんですね(別に責める気はありません。私みたいにフラフラと法令集や判決文を読みあさるような者より、真面目に自然科学に向き合って来られた結果ですからね)。例えば景品表示法一つをとっても、公取の審決文(裁判の判決文の様なものです)を幾つか読むと、いかに企業というものが「疑義のあるイメージを消費者に与えてはならない」という義務を負わされているかがわかります。一例を挙げると「ラジウム温泉の元」を入れた大浴場を持つホテルが「ラジウム温泉大浴場」と宣伝したのも「いけない」と言われる世界なんです。「温泉」という表記が消費者に「天然に地下から湧いたもの」というイメージを与えるからというのが審決の判断ですね。そういう視点で大手のマイナスイオン商品の広告を見ると、いつ「景品表示法違反で排除命令」となってもおかしくないくらいのイメージ提供はあるのですよ。
少し横道にそれてしまったけど、自然科学に携わる者にとってニセ科学の蔓延というのは「自分の専門知識だけでは手に余る」面はあるのです。あくまで自然科学に関する専門家に過ぎないから、「イメージ広告に頼ることの市場への悪影響」とか「イメージ広告の法律に許される範囲」みたいなのは専門ではないし、そしてその問題に持ち込まれそうであれば、不安が先にたって沈黙したくなるのが当然なんです。でもね、実は経済学とか法学とか人文学的知識のある人にとっては、自然科学の方から「おかしい」とか「嘘だ」とか言ってくれないと、なんとも動けないものでもあるわけです。そういう全体像をどうやって説明したら良いのか悩んだりする訳ですね。
Posted by: 柘植 | 2007.12.11 11:58 AM
企業へのコンサルティングのようなアプローチでしたら、現状で情報が不足しているのであれば、需要は強くあると思います。
私は行政に深く関わる研究機関で仕事をしていましたが、別の仕事に移って個人サイトを開いて以来、残留農薬関連で驚くほど多くの方からコンタクトをいただきました。
単純な質問だけでなく、取材、執筆依頼、講演依頼、転職要請、果ては共同起業の誘いかけまでありました。単純な質問以外は全部断るか現役の方を紹介しましたが。
どんな分野にしろ、自然科学の知識だけでなく法規制や社会情勢もからめた総合的な助言を求める事業者は多いと思います。柘植さんが考えておられる分野の状況は私にはよくわかりませんが、事業者に気づかれていないリスクが存在するなら、そのリスクをわかりやすい形で説明するだけでも大きな関心を集めることと思います。
Posted by: ここの管理人 | 2007.12.12 06:25 AM
こんにちは、津村さん。
なかなか上手く表現出来ないのですが、私は学会などの研究者集団が社会から負わされている役割に変化が生じているのではないかと考えているのです。「社会の健常な保守性」なんて事を考えているうちにたどり着いてしまったのですけどね。
なんていうか、社会というのは「新規な事柄」に対して昔は今よりももっと保守的な拒絶反応を示していたような気がするわけです。あくまでたとえ話ですが「東京-大阪を3時間で結ぶ列車は可能である」なんて言っても、社会は「嘘だよ、夢見てるんじゃないよ」なんて拒絶があるイメージです。「線形の良い線路、強力なモーター、空気抵抗の少ない車体」とか言っても「そんな小難しい事言われたって、分からないからダメダメ」なんて拒絶される社会がまずあって、その中で学会というか技術者集団には「新規な事柄を根拠も聞かずに拒絶しない」という規範を持っていたのではと思うわけです。そして、そこで根拠をきちんと吟味することで、研究者の集団が「夢みたいに見えても実際できそうだぞ」と言い始めることで、社会の保守的な拒絶反応を抑える働きをして、新規な事柄が世に出て行くというイメージです。
ところが、マイナスイオンにしろゲルマニウムにしろ、そういう社会の拒絶反応なしに社会に広まった訳ですね。もちろん学会というところはバイパスされているわけです。つまり、社会がもともと持っていた保守性に大きな変化が生じている訳です。ところが、研究者の集団は従来の役割に縛られて、「自分たちのところに根拠が提示されないのだから放っておく」という態度をとり続けた訳です。津村さんが、ニセ科学批判に最初に接触された時に感じられた「研究者がそんなレッテル貼りをして良いのだろうか」という感想などもそういう過去に蓄積された「学会の役割」から生じた規範が大きく働いているように考えています(私自身なやみましたのでね)。ぶんせき誌への投稿に関する反応にも同じ部分があります。
ニセ科学の講演をやると、聴衆である一般の人から「学者がおかしいものはおかしいと言ってくれ」という意見なども大きいのですが、私自身、「学会の社会における役割」というのに、従来に無い別な側面が生じている様な気がする訳です。それは、「学会をバイパスして社会に広まり始めた新規な事柄に対して、なんらかのチェック機能を果たしてくれ」といった事です。これは、従来、我々がしつけられてきた「何事もよく吟味するまでは否定しない」といった規範とはどうしても矛盾する面があるわけですね。
まだ、私はこの「学者に社会が要請している新たな機能」といった面を考え切れている訳ではありません。どの程度の役割を負わなければ成らないのかとか、それが一時的なものなのか、それともこれから先、ずとなのかも分かりません。津村さんは、私のこういう考え方をどういう風にお考えでしょうか?
Posted by: 柘植 | 2007.12.12 09:25 AM
ああ、産業向けから一般市民向けに視点が変わりましたね。
前半の、社会全体の意識みたいな話は判断のしようがないので何とも言えませんが、学会・学者の役割については以前菊池さんが書いておられたとおりでよいと思います。
(以下引用です。)
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_0298.html#comment-15120092
多くのかたが誤解されているのですが、物理学会でシンポジウムを行なったこと自体は、別に「学会としてニセ科学対策に取り組んでいる」という話でもなんでもありません。あれはごく普通の手順を踏んだシンポジウムであって、学会員が提案し、それが採択されただけです。
学会が組織として何をするかということと、研究者個人が何をするかということとはまったく別です。
学会が「ニセ科学」を認定するのか、という点について言うなら、一般論としてはやめたほうがいい。少なくとも、「あれはニセ、これはニセ、これはグレー」とかいう「ニセ科学分類装置」として学会が機能するべきではありません。
しかし、それを絶対視して、「ニセ科学かどうかについて、学会としては決して発言しない」という極端な態度も社会的に容認されないでしょう。あまりに問題が深刻なら、学会としての声明が必要となる場合もあります。
Posted by: ここの管理人 | 2007.12.13 09:13 PM
こんにちは、津村さん。
>産業向けから一般市民向けに視点が変わりましたね。
あまり一般市民向けに書いているというつもりはありません。むしろ経済とかに言及した前のコメントの方が一般市民の人に読んで貰いたい意識があります。物事には短期視点による評価と長期視点による評価があり、時にその評価は相反します。
学会について書いたコメントは、学会に参加しておられる一人の研究者である津村さんに向けて書くという形で、同じような研究者の人に読んで貰えて、考えていただければ良いというくらいのつもりです。
我々は、自分の研究成果を学会の出版しているジャーナルに投稿する事で「世に出そう」としていますよね。なぜ?学会のジャーナルなのでしょうね。まあ、私などのように工業材料の分析法などいう開発は、一般向きの書籍にかける訳ではありませんが、一般市民の注目を得ることができるような研究なら、一般向き書籍を書いた方が、学会のジャーナルよりも遙かに広く「世に出せる」面があるわけですよ。そこまで行かなくても、プレス発表でもして工業系の新聞の記事になっただけでも、学会のジャーナルに載るよりも遙かに大きな反響が生じる様です(私はそういう経験がないので、あくまで同僚からの聞きかじりですけどね)。
>学会が組織として何をするかということと、研究者個人が何をするかということとはまったく別です。
「学会が組織として何をするか」なんて考える以前に、「我々研究者にとって学会とはどういう役割のものなのだろうか?」「社会にとって学会とはとはどういう役割のものなのだろうか?」といったことを考えてみる必要があるのだろうと思っています。それがきちんとしなければ、「何をする」なんて話はできないのではありませんか?
Posted by: 柘植 | 2007.12.14 08:56 AM
私自身の経験からは、学会の比重は第一に来るようなものでないと思います。
これまでにも書きましたが、国立研究所に勤務していた頃、まさしく「学会というところをバイパスして世に広まった一見科学のような仮説」について一般市民に説明しました。
なぜ説明することになったかというと、私たちの研究部の調査研究の結果に基づいて規制されることになった物質について、その仮説では「人類存亡の危機」とまで述べていたからです。
当時、行政にはまだリスクコミュニケーションという枠組みがなくて、規制に際して発表された文書はわかりにくいものばかりでした。一般の人たちが「あの説で危ないと言われているからこの物質が規制されるんだ」と受けとめやすい状況でした。たとえば妊娠中にその物質を摂取した妊婦さんなどは無用の不安を抱くかもしれませんでした。
私たちの研究部では、できるだけ一般にもわかりやすい表現を選んで「そうではない」と説明する文章を作り、研究所のサイト内に掲載しました。
今はどうなっているか知りませんが、当時の研究所サイトは各部が部長判断で内容を作成してよいことになっており、研究部としての判断だけでこれを行いました。
このように第一に取り組むことが期待されるのは「その問題に関連する研究に携わる研究者グループ」ではないでしょうか。情報をたくさん持っており、また、グループ内での議論を経るのでより質の高い情報提供ができるからです。すでに研究チームとして動いているので対応も速やかです。
さらに、単なるグループよりできる限り公的な組織(○○研究所とか○○研究部とか○○研究班とか)の名で行えたら望ましいと思います。
第二に動けるのは個人かと思います。情報の信頼性という点では劣りますが、その分、自由な表現ができるし動きも速いです。私は所属の研究支所が廃止に向けて整理され始めたときに仕事を変わりました。研究部の作った解説ページも閉鎖されたので、その内容を編集しなおして自分の個人サイトで公開を続けました。
そういうわけで、学会は第三でしたね。私の上司があちこちで執筆したり講演したりしていました。私も計3回講演しています。特にこちらから学会を利用して発表しようとか考えたわけではなかったのですが、呼ばれたので話しに行きました。いずれも学会内での情報交換の範疇でした。
「学会をバイパスして世に広まった科学のようなもの」に学会として発言することがあるとすれば、「うちがバイパスされた」と考える学会が行うのでしょうね。しかし学会内での合意作りは、一般論としてはかなりたいへんそうに思います。
ところで、お互い科学の専門家として話しているので、どう考えるかという話よりも、自分が何をしてきたか、相手が何をしてきたかという話のほうがずっと面白いと思います。
柘植さんは個人サイトを持っておられないのでしょうか。探しても見つからないのですが・・・
私が知っているのは、産総研中部センターの所内公開でマイナスイオンに関する講演を企画されたということだけです。この企画の内容も含め、実際どんな活動をしてこられたのかもっとよく知りたいのですが。(ニセ科学批判及び本業の研究について。)特に分析化学会方面から来る読者には関心があると思います。
上で書いた話は古いことなので読んでいただく必要は全くありませんが、詳細はこちらです。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~ytsumura/phindex.html
Posted by: ここの管理人 | 2007.12.15 10:00 AM
補足です。
研究者のみなさんには説明するまでもないことですが、「上司や私が学会で講演した」というのは学会での一般発表のことではなくシンポジウム等のことです。
この件では当然普通の学会発表や論文発表も行っています。そういう普通の発表では、世の中に広まった誤解に詳しく言及する余地はほとんどないのです。
Posted by: ここの管理人 | 2007.12.17 09:52 PM