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2007.08.22

私が問題性を感じた理由

この記事を読む前に必ず 「ニセ科学」関連・本当の最終記事 を読んでください。

柘植さん・荒木さん・菊池さんからコメントをいただきましたが、論点が多いので一度に全部はお答えできません。大事なことからお話します。

 私が受けた二つの印象
私が危惧したのは、柘植さんの「ぶんせき」誌への投稿が次のことを主張しているように読めたからです。

1.「ニセ科学」に関して「学会として」何か動きを起こす。(個人でなく集団の活動)

2.一般の人に対して「何がニセ科学か」を選別して示す。(「ニセ科学」の認定と啓蒙)

柘植さんのコメントによれば、1も2も柘植さんの意図するところではないそうです。また、荒木さんと菊池さんによれば、昨年の物理学会のシンポジウムは学会内有志によって企画されたものであり、1に該当するものではないそうです。

そうであれば私の危惧は取り越し苦労ということになりますが、私は菊池さんのウェブサイト及びそこからリンクされているいくつかのウェブサイトを読んで、「科学者が個人としてだけでなく何らかの団体を形成して一群の対象をニセ科学と認定して一般市民への啓蒙を行う活動」との印象を受けました。

そのような印象を持たれることは柘植さんにとっても菊池さんにとっても本意ではないことは理解しました。
本意でないならば、そのような印象を私が持った根拠を説明するのも、今後の「ニセ科学批判」活動に対して有益かもしれません。それを説明しようと思います。

 柘植さんの投稿をサンプルとして
説明の材料として、柘植さんの投稿を引用させていただきます。学会機関誌への投稿であり、思いつきでなくかなり吟味して書かれたものでしょうから適当と思います。
私は個人サイトを開設して以来4年半、「特定の個人及び団体を批判しない」という方針でやってきました。以下の文章は初めての「批判」かもしれません。
ただ、私がしたいのは私が受けた印象への「説明」であって、批判とは少し違うと考えています。また、柘植さんの文章は例として挙げるだけで、私が読んだウェブサイトに散見された類似の表現のサンプルという意味で使わせていただきます。

なお、誰もが全文を読めるほうがよいので、柘植さんには、できれば分析化学会と著作権の問題がないことを確認の上どこかのウェブサイトに全文を掲載していただければと思います。適当な場がなければ私のサイトに掲載してもかまいません。

 投稿の概要
投稿の書誌事項は次のとおりです。
雑誌名:日本分析化学会の機関誌「ぶんせき」
掲載号・頁:2007年2月号103ページ「談話室」欄
著者:柘植明
題名:ニセ科学と「向き合って」みた

内容は大まかに次のとおり。
(1)物理学会の年次大会でシンポジウム「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」が開催された。
(2)著者自身も産総研中部センターの所内公開で「家庭生活とニセ科学-マイナスイオンって、なーに?-」を企画して好評であった。
(3)日本分析化学会においてもニセ科学問題を取り上げていただきたい。

 すばらしい基本理念
投稿内容の半分程度の字数を使って柘植さんが企画した講演の基本理念が書かれています。これはたいへんしっかりしていると思います。一部引用します。

さらに「科学の進み方の真髄は、他の専門家によって検証を受けることにある」という話を中心に据え、そのために「何か新しいことを言い出す者は、追試・反証が可能なだけの詳細な情報を明らかにして、言い出したことの立証をしなくてはならない。それができていないと、科学的にはその新しいことは『無いもの』として扱われる」「他の専門家の検証を受けるために、我々は様々に『正確に表現する』訓練(しつけ)を受ける」という話をすることにした。

このような講演会を大勢の一般の人たちが聴いてくれたのはたいへん有意義なことだったと思います。

 来聴者の反応は?
しかし、来聴者の反応についてはこう記述されています。

ひいき目かも知れないが、会場から一種異様な熱意を感じた。「ニセ科学をニセ科学だときちんと言ってくれる話を聞きにきた。ごまかしたりせずにきちんと話してくれ」という熱意のようなものだ。
「科学者や技術者の仕事の中にニセ科学をあばくようなことは入っていない。そのため、ニセ科学批判は個人としてやらざるを得ず、限界がある。」という話もしたのだが、会場から「ニセ科学をあばくのが仕事にならないからといって、世の中にこれだけ怪しげな話が氾濫するとき、一般の者に自分で見分けろと言うのも無責任ではないか。」という指摘もあった。

この感想を読むと、聴きにきた人たちは「科学的な態度」を修得するよりも「これがニセ科学」という判定を聞きに来たように思われます。前半に書かれている講演の理念と照らし合わせれば、このような感想が出るのは失敗ではないでしょうか。しかし柘植さんは問題性に言及せず肯定的にレポートしています。
感想を読んで私は、一般の人に「レッテル貼りでない疑似科学批判」を伝える難しさを感じました。それと同時に、柘植さんが主催者としてそれでかまわないと考えているように読めました。

 「学会として」の取り組みを示唆する部分

筆者は、物理学会が口火を切ってくれたこの「ニセ科学」の問題を一過性のものとして終わらせるべきではないと思う。また物理学会だけの話でもなく、多くの学会が「科学と社会の関係」という視点できちんと取り上げなくてはならないと考える。

「物理学会が口火を切ってくれた」との記述から、私は物理学会が組織としてある程度位置づけてニセ科学問題を取り上げ始めたのかと思いました。そしてまた、「多くの学会が・・・きちんと取り上げる」という表現からは、分析化学会に対しても主体的に推進することを主張する文章と受け取りました。
この解釈は間違っているそうですが、学会がシンポジウムで取り上げたというだけで外部の人には「学会がある程度の重みを置いている」と映ることを示す例だと考えます。

 「一般の人への啓蒙」に重点を置いていると思われる部分
柘植さんの コメント によれば、柘植さんの投稿は「学会が社会に対して『これはニセ科学』とか表明する様な事ではなくて、もっと内向きな会員内の意識向上の様な活動」をイメージしておられたそうです。しかし、投稿の最後はこのようになっています。

さらに、ニセ科学を取り上げて一般の人に話す準備をした経験は、「科学とは何か?」「自然科学に携わるということはどういうことか?」を考える良い機会であったと思う。「これはニセ科学である」と人に説明するための考証をすることは、逆に科学に対する考えを深める上でとても有効な面がある。一般の人への啓蒙活動という見方ばかりでなく、自己研鑽、あるいは学生教育の一つとしても、「ニセ科学」の問題を検討してみるのも良いかも知れない。ぜひ日本分析化学会においても、ニセ科学問題を取り上げていただければと思う次第である。

この文章を普通に読めば、「一般の人に話すことを通じて専門家自身も勉強する」が中心で「自己研鑽や学生教育」は「そこまでするのが無理なら」という位置づけだと思います。

 まとめ
以上の根拠により私は、柘植さんは「学会として」何か動きを起こすこと、及び一般の人に対して「何がニセ科学か」を選別して示すことを主張しておられると解釈しました。
あくまで私がそう解釈したというだけですからどの程度一般化できるかは不明ですが、表現に相当注意しないと「科学者が団体として一群の対象をニセ科学と認定する活動」と受け取られる危険性(特にニセ科学と認定されそうな当事者から)があると認識しておくほうがよいと思います。

なお、荒木さんが言われたように分析化学会内で意見交換を行うのは有意義だと思います。分析化学会掲示板 はそのための場として最適と思います。

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Comments

僕のブログを見て「科学者が個人としてだけでなく何らかの団体を形成して一群の対象をニセ科学と認定して一般市民への啓蒙を行う活動」と誤解されたとのこと。
 
まず第一に「何らかの団体を形成」と「既存の学会で何かをする」とはまったく別の話ですよね。前者はあくまでも「有志」の取り組みですから。その二者をごっちゃにすることは、問題を複雑にします。
  
僕は特にそういうつもりはないですが、ニセ科学問題に取り組むために科学者有志による団体を作りたいという人がいれば、それは別に悪いことではないと思います。ニセ科学よりも広い範囲でいうと、Japan Skepticsという団体がすでにあります。

Posted by: きくち | 2007.08.22 11:45 PM

「学会」と「なんらかの団体」の違いはもう一度強調しておきます。ニセ科学批判が学会の主たる「目的」でないことは明らかです。研究発表や研究者間の交流のためにあるわけですから。「学会としてどうこう」という話にならないのは、そもそもそういう目的で集まったわけではない人たちの合意がとれるはずはないからです。
いっぽうで、有志による「なんらかの団体」は、その目的のために集まるのですから、問題となるところはありません。方向性に疑問があるなら参加しなければいいだけです。そのような団体まで否定する理由はどこにもありません。
そのために、学会員に呼びかけることがあっても、それもまた否定されることではないはずです。
 
「一群の対象をニセ科学と認定して一般市民への啓蒙を行う活動」という話はいまいちよくわかりませんが(「一群の対象」というのが何を指すのかわからない。それはアドホックに決まるものではないはずです)、少なくとも、あらゆるものを「あれはニセ、これはニセじゃない」と分類しようとしているわけではないありません。もちろん、そんなことはできないし、してもしかたがない。「認定」というのもどういうニュアンスか難しいですが、なんらかの権威が「ニセ科学のお墨付きを与える」ということではないです。僕は(あるいは僕たちは)、自分たちが「おかしい」と思うものを調べて、どの点がなぜおかしいかを主張するだけです。
 
啓蒙という言葉の是非はともかく、「ニセ科学というものがある」ことを一般の人に知って貰いたいというのは、目的としてあります。それは当然で、単に自分が「おかしいと感じる」だけなら、外向きに発言する理由はどこにもないわけです。外向きに発言している以上、それをいろいろな人に伝えようとしているのです。
ただし、それ以上に「科学」に対する誤解を解くことが大事だろうと思います。
以下は、先日の夏の学校でもはっきり言ったと思うのですが繰り返しておきます。僕は若い研究者に「ニセ科学批判をしなさい」というつもりは毛頭ありません。それよりも科学そのものを伝えるほうがよい。ただし、その伝え方は重要で、もし科学を魔法のように伝えるなら、科学とニセ科学の区別がつかなくなり、それはニセ科学蔓延の片棒をかつぐことになるのだ、ということです。魔法のように伝えるなら、科学よりもニセ科学のほうが魔法ですから、ニセ科学に勝てるはずがないわけ。

Posted by: きくち | 2007.08.23 01:25 AM

こんにちは、皆さん。

 ご指摘の部分はまさにごもっともです。言い訳をさせてもらえるなら、掲載は2月号でしたが原稿を編集委員の先生に送ったのは8月でして(「講演が終わったらすぐにも書きます」とお約束してしまったものですからね)、正直、「学会で取り上げて欲しい」の内容の吟味が不足していたのは事実です。なんと言いますか、聴衆の熱意に驚いてしまった部分があり、その驚きを伝えたいといった意識もその時にはありました。菊池先生のブログにも「世の中にはニセ科学をニセ科学と言ってくれる人に飢えている人がいる」なんてことを事を書いて、小波先生からやんわりと注意されたりもしたのですけどね。

 実は所内公開の講演会ということで、所内の人の多くは別な催しに駆り出されていて「聞けなかった。聞きたかった」なんて話が出まして、労働組合の機関紙の方に顛末とか考えたことを書いたらA4で20ページくらいになってしまいました。そのくらいの分量の頭の中に渦巻いている考えを談話室の字数に収めこむ中で「とにかく何らかの動きするべきだ」みたいな面を前に出してしまったので、「ニセ科学の判定をしてそれを一般の人に示す」と取られても仕方のない文になってしまったわけです。ただ、私自身は「ニセ科学暴きでは解決しない問題」という意識はそのときも持っていましたし、今も持っています。それが書ききれないのはまさに私の筆力が足りないとしか言いようは無いのですけどね。

 なんていいますか、実際にこの種の講演をやってみると「ニセ科学暴き」に対する期待というのが聴衆からは伝わってくるわけですね。でもって自分の中には「ニセ科学暴きで終わっては何にもならない」という意識があるわけです。その整合がうまくできないうちに書いてしまった面があります。

 明後日はまたうちの研究所の一般公開です。昨年の私の立場は実行委員の一人でしたが、今年は実行の責任者みたいな立場になっています(出世した?:笑)。そんな中でいろんな体験ブースの企画者に「体験とかは『おもしろさ優先』でかまわない。でも、ブースの説明パネルはきちんとした科学の内容を書こうよ。お土産にプリントでも渡すなら、難しくなってもかまわないから科学の奥深さを示すことを書いておこうよ」なんてひたすら言っています。実のところ、そういう考え方と同じ面もあると思っています。

Posted by: 柘植 | 2007.08.23 04:25 AM

柘植さん、丁寧な状況説明ありがとうございます。もともと「ニセ科学の判定」がご真意でないことは理解していましたが、一層よくわかりました。

菊池さん、「有志によるなんらかの団体」にも内容に応じて危惧を持ちます。分析化学会近畿支部のセミナーでお会いして以後の私の印象の変化をお話しておきます。

ブログの記事「分析化学会近畿支部夏期セミナー参加記」及び「5分で伝授できる『ニセ科学』対策」を書いた頃までは、立派な活動をしておられると感じて、好意的に軽い文章だけ書きました。

しかし、菊池さんのサイト及び関連サイトを見せていただいて「ちょっとまずかったかな」と思い直したのです。
その理由は、菊池さんたちの形成しておられるネット上のコミュニティが以下のような構造に見えるからです。

・何かを指して「ニセ科学」と呼ぶ複数の専門家が集まっている。
・「何か」の内容は個々の専門家によって違う。
・その内容をピアレビューする仕組みがあるのか不明。
・にもかかわらず「何か」が「ニセ科学」であることを集団的に認定しているかのように見える。
・その認定を聞きたいという大勢の非専門家も集まっている。
・非専門家も認定活動に協力することで何らかの社会正義を実行したとの充足感を得ているようである。

このような構造(特にピアレビュー体制)の団体があるとすれば、私自身は何らかの関係があるように思われたくありません。そこで立場を明確にする意味で「分析化学会は『ニセ科学』と向き合うか」を書きました。近畿支部は他の支部に率先して勉強会でこの問題を取り上げたのですから、その印象を学会内で伝えるという公的な意味もあります。

「一群の対象をニセ科学と認定」の意味はまたあらためて書きます。

比ヤングさんのコメントは多すぎます。レスが付いていないコメントは別の場所へ移しました。
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2004/01/post_3.html

比ヤングさんのコメントについては、今後は1記事につき1つまでにしてください。2つめ以降は削除させていただきます。

Posted by: ここの管理人 | 2007.08.23 06:48 AM

うーん、「私自身は何らかの関係があるように思われたくありません」はもちろんかまわないのですが、それよりも、「関係があるように思われる」という心配をなさる理由がよくわかりません。それは取り越し苦労でしょう。
第1にそのような団体は存在しないし、第2に仮にあるとしても、津村さんがご自分で主体的に関わろうとしない限り、関係があると思われることはないのでは? 
 
もちろん、「分析化学会がそのような団体になっては困る」ということであればわかりますが、分析化学会の中身のことは学会員が決めればいいわけです。分析化学会が自分たちをどういう方向へ進めようとされるのか、学会員でない僕にはわからないし、なんの興味も関係もない話ですから、僕の名前を出されてもどうしようもないです。その件については、学会員である柘植さんと学会員ではない僕とではまったく立場が違います。
 
夏の学校で僕が話したことをきっかけに現状認識を新たにされたということでしたら、 Positive であれ Negative であれ、何かが伝わったのはよいことなのかなとは思います。僕が講演を引き受けたのは、自分の問題意識を伝えるためですから、それはそれで意味はあったのでしょう。あんなものなら関わらないほうがいい、とその場のみなさんが思われたなら、それはそれでひとつの結果です。実際、長い期間にわたって多くの科学者が「疑似科学は放置」という方針をとってきたわけですから、短期間で万人が意見を変えるとは期待も予想もしていませんし、僕の問題提起がNegativeに捉えられるのはむしろ自然かもしれません。それについては、まあそういうものです。


さて、団体は存在しませんが、コミュニティは存在します。誰がそのコミュニティを作ったかとか誰がその構成員かなどということは考えても無意味ですが、少なくともネットやリアルライフでさまざまな議論を積み重ねてきていますから、その意味でのコミュニティが自然に形成されてきたことはたしかでしょう。議論をする空間がなければ、それこそ単なる独善になりますから、その意味でのコミュニティがないのはむしろ不健全だと思います。それをあたかもなんらかの「団体」であるかのように言われると困りますが。そんなものはないので。
 
長くなったので、具体的な話はまた

Posted by: きくち | 2007.08.23 10:05 AM

菊池さん、こんな踏み込んだお話をするのはもともとあまり気が進んでいません。柘植さんは分析化学会に対して「内部向けの勉強会」の呼びかけをしただけだったとわかりましたから、私自身にはこれ以上発言する理由はありません。

ただ、菊池さんの活動の理念には共感しますし、何かの参考になればと、私が感じた素直な印象をお話しています。このような印象の記述が活動の障害になると思われるなら菊池さん関係について述べた部分は削除します。

菊池さんたちのコミュニティが何らの団体でもないことは理解しています。
それでも個人を超えて専門家集団のような権威というか力というかそんなものを形成しているように感じます。

その理由は、掲示板で非常に活発に意見が交わさ、また参加者どうしが親密そうであることから、いかにも相互チェックが働いているように見えるからかもしれません。実際、掲示板での議論は投稿論文の査読よりずっと実のある場合も多いでしょうが、やはり科学の作法に基づくピアレビューとは違います。

どんなに権威があっても単なる科学者の知的サロンなら結構だと私は思うのですが・・・「ニセ科学認定」についての懸念は「環境ホルモンとニセ科学」の記事に書きました。

http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_431f.html

この懸念が払拭されない限り、私は「ニセ科学批判」の普及に関わるのを躊躇する(ブログに好意的に書く程度でも)ということです。

Posted by: ここの管理人 | 2007.08.23 11:36 PM

少しずつきちんと書こうと考えていたのだけど、ちょっときりがない気もしてきたので、とりあえず少し厳しいことを書きます。
 
津村さんは、僕たちが「相当素朴に」やっていると思いこまれたわけです。しかし、それなりの期間をそうそう素朴にやり続けることなどできません。いろいろ考えるし、議論も積み重ねているわけ。ニセ科学のレッテルを貼ってまわればいいとt考えるほど、僕たちは素朴にはやっていないわけです。大人ですから。大人なら、そうはしないでしょう(^^;

有り体に言うなら、みなさんがその場で思いつく程度の疑問なら、とっくの昔に議論されていると思っていただいてまず間違いないです。河合さんのご主張なども、正直、素朴に過ぎます。
もちろん、そういうことをどこにもまとめて書いていないのも事実ですから(膨大なblogを読み解けば、どこかには書かれていますが、それは要求できません)、分からんと言われればそれはそうで、言いたいのはそういうことではありません。
「その程度の議論もせずにニセ科学批判をしている」と思われているという点が情けないわけね。「大人なんだから、この程度のことは考えているのではないか」と想像していただけると、話はもっと簡単なんですよ。
 
ご質問があれば説明はいくらでもしますが、もう少し「相手は大人である」と思ってくれてもいいのではないかと思うわけですね。

Posted by: きくち | 2007.08.23 11:48 PM

入れ違いになりましたが、それについてはのちほど。

Posted by: きくち | 2007.08.23 11:51 PM

「ニセ科学批判の普及に躊躇する」と敢えて書かれる必要性がまったく理解できません。「普及に協力せよ」とは誰にも言われていないのではないですか?
 
夏の学校でも、「すべての科学者はニセ科学批判に関わるべきだなどと言うつもりはない」と明言したはずです。それよりも科学そのものを伝える努力をしてほしいと。
また、『化学』の記事は、「批判活動をすべきだとは言わない。ただし、ニセ科学に荷担するようなことはしないでね」という趣旨の文で結んだはずです。
 
関わりになりたくない人は関わらなければいいだけですよ。敢えて宣言までされることはない。
また、別種の批判活動をされたいなら、されればいいわけです。
僕のやっていることを批判するならわかります。やめてしまえとおっしゃるなら、それはそれで理解しやすい。「普及に躊躇する」という宣言はそうではないですよね。
 
ところで、掲示板(ではないですが)がピアレビューではないのは当然のことです。前のエントリーではピアレビューでニセ科学を判定するような団体は嫌だと書いておられたと思ったのですが、それはさておき、僕たちは「ニセ科学判定装置」の役割をするつもりはありませんよ。
 
さまざまなところで話をすると、「なにがニセ科学でなにがニセ科学でないか教えて欲しい」という要望を受けます。社会的には求められているのですが、僕は「残念ながらそれはできないし、それをしてもしかたがない」と言っています。それではだめなんですよ。この話も夏の学校でしたはずです。
社会の「科学リテラシー」が向上しなければ、根本的な解決にはならない。それはとんでもなく長い道のりですが、即効性のある解決策などないのです。
 
「ニセ科学批判とはニセ科学を判定してレッテルを貼っていくことだ」とお思いでしたら、それはいくらなんでも素朴に過ぎます。それで済むなら話は簡単ですよ。誰も何も悩まずに済みます。しかし、「そんな単純な話ではないのだ」ということも夏の学校で話したはずです。
正直に書きますが、僕の話を聞いた結果のアウトプットが「5分で伝授できる・・・」だったことに、僕は落胆したのです。
たぶん、僕は話が下手なのでしょう

Posted by: きくち | 2007.08.24 02:11 AM

津村さん

比ヤングです。これに関しては、こちらで書かせて頂きます。

>ブログの記事「分析化学会近畿支部夏期セミナー参加記」及び「5分で伝授できる『ニセ科学』対策」を書いた頃までは、立派な活動をしておられると感じて、好意的に軽い文章だけ書きました。

この部分の説明をもう少しして下さいませんか。
おそらく菊池さんの講演を聴いての印象の話だと思いますが、津村さんから見て、その講演の【内容】はどういうものだったのか?そして、その講演から【菊池さん達の活動】がどういうものであると思ったのか?
津村さんが講演から想像した内容と違っていたことが行き違いの原因だと思いますので、その説明を欠いたままでは津村さんの真意は伝わり難いのではないでしょうか。

Posted by: 比ヤング | 2007.08.24 08:41 PM

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