5分で伝授できる「ニセ科学」対策
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日本分析化学会の機関誌「ぶんせき」8月号の「談話室」に河合潤さん(京大大学院工学研究科)が「似非科学否定は慎重に」のタイトルで書いている。2月号の同欄に柘植明さん(産総研計測フロンティア研究部門)の「ニセ科学と『向き合って』みた」が掲載されたのを受けての文章だ。
このところ「ニセ科学」はインターネット上を中心に話題を呼んでいる。分析化学会近畿支部の 夏期セミナー で菊池誠さんがこのテーマで講演したことは一昨日書いたとおり。
自ら進んでニセ科学問題に関わっている科学者たちの主張は主に2点あるように見える。一つめは「ニセ科学が簡単に受け入れられてしまうのは国民一般の科学リテラシーが低いからだ。科学教育をもっと充実させるべき」、そして二つめは「それぞれの分野の専門家は、自分の専門に近いニセ科学を放置しないできちんと批判の声を上げるべき」。
私はネット上で特定の個人や団体を批判しないことにしている。柘植さんの文章も河合さんの文章も、掲載された事実だけをここに紹介しておく。自分の分野に近い「ニセ科学」(と思われるもの)の批判もしない。たいていの「ニセ科学」は特定の個人や団体が主導して流布しているから、批判したら私の方針に反してしまう。
ただ、ノウハウとしての個人的な対策を書いてみる。
国民全般の科学リテラシーを高めるのは重要なことだろうけれど、現代人は忙しい。どの情報が正しいかいちいち調べていられない。せっかく専門家が正しい批判を展開してくれていても、どの専門家が正しいか見極めるには手間がかかる。
「そういう手間を惜しんで自分の頭で考えることを放棄する態度が問題なのだ」と承知していても、やっぱり時間がない。
それに、「科学教育の充実を」と主張している人たちがだいたい理科の教師であるという点にも若干のひっかかりを感じる。もっと簡単にできる方法があるのではないか。
そこで私が実践している手間のかからない対策を親父の口癖風に書いてみる。
1.それが本当なら教科書に載る。
2.お上はとりあえず信用しておけ。
3.自分だけ得しよう、優れよう、助かろうと思うな。
■ それが本当なら教科書に載る
科学研究に携わる人には常識になっていることが、意外に世間に知られていない。
・学会発表は学会費さえ払えば誰にでもできる。「○○学会で発表した」は全く権威付けにならない。
・論文誌は厳しい審査付きのものから業界の宣伝誌のようなものまである。
・健康や安全や科学の根本原理に関わる重要な事実なら
多数の論文 → 総説 → 新聞・専門書 → 教科書・一般書
の経路で常識化する。
革新的な内容なのにこの経路をたどっていない情報は、革新的であればあるほど眉唾である。
■ お上はとりあえず信用しておけ
「お上を信用しないのが賢くてカッコよい態度」と思われがちだが、私はとりあえず信用するようにしている。たとえば健康維持に対して何らかの効果をうたう食品であれば、「トクホ(特定保健用食品)」の認可を受けているか否かを目安にする。
お上がお墨付きをくれる仕組みがあるにもかかわらず認可を受けていない製品には、効果を主張できるだけのデータがないのだろう・・・と考える。
「お上は今までに数々の間違いをおかしたではないか」との意見もある。
しかし、お上は税金を使って専門家を雇って審議している。頭から信用しないよりは、少しでも信頼性が向上するよう注目しておくほうが公的資源の有効利用というものではないか。
■ 自分だけ得しよう、優れよう、助かろうと思うな
論文誌の格付けなどわからない一般人には、ニセ科学とまともな科学の区別は難しい。疑わしいものであっても、本当に革新的な知識で「教科書」や「お上のお墨付き」に至る前段階なのかもしれない。
しかし、こういう段階で手を出す裏には「少しでも得をしたい」「人より高い能力を身につけたい」「自分は助かりたい」という気持ちが働いていないか。
別に焦らなくても、世間の歩みにそろえればいいじゃないの。
以上の三か条を一番声高に唱えるのは、家人がテレビ番組の影響を受けて特定の食品に固執したとき。それと、自分自身化学・薬学系以外については素人なので、大型家電を買うときなどこのポリシーで選んでいる。
もっとも、ニセ科学的な製品は効果がないかわり無害なものがほとんどなので、だまされたとしても実害はさほど大きくないと大枠で楽観もしている。(実害がなく軽んじられる点も問題と菊池さんは言っておられたが・・・)
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Comments
賛成です。生兵法は怪我の元
教科書以外で科学に興味を持つことは、そういう怪我をするリスクを負うことでもあると思う。だから、万人に勧められない、というのが私の考え。それでも、科学に興味を持ちたい人はご自由に、どうぞ。大した害のないように付き合うことはいくらでも出来るしね。
Posted by: 比ヤング | 2007.08.14 01:00 AM
3番目が重要なんでしょうね。
Posted by: Sekizuka | 2007.08.14 01:26 AM
比ヤングさん、はじめまして。
科学に興味を持つことも勉強することも、正しく行えばリスクを増やすことはないと思うのですが・・・
先入観を持ってネット上で偏った情報を集めるような行動にはリスクがあるかもしれません。
Sekizuka さん、こんにちは。
3番目も「マイナスイオン」ほどメジャーになったものには適用が難しいですね。1番目も「水からの伝言」が小学校の道徳の教材になったという話があると頼りになりませんし。
まあ、その程度の処世訓です。
Posted by: ここの管理人 | 2007.08.14 09:56 PM
ある新規な主張が正しいかどうかを判断する力を付けることはコストが掛かるし、その過程で失敗をするリスクも引き受けないとなかなか難しい。さらに、ある分野でその能力を身に着けたからと言って、他の分野も、また同じような過程を繰り返さないと難しいでしょう。
そんな努力が必要なのは、各分野の専門家予備軍だけなんじゃないかと思います。
という訳で、新規な主張はそれが認められて、教科書化するまでは、自分の生活にはあまり関係がないもの、とするのが吉。
一部の専門家以外には正しいかどうかなんてどうせ判断できやしないよ、という無関心が有効だと思うのです。
Posted by: 比ヤング | 2007.08.14 11:23 PM
菊池です。セミナーでは面白いお話をありがとうございました。ああいう現場の話はめったに聴けないので、実に興味深いです。合成ドラッグが若者に蔓延しつつあるのは、由々しき事態ですね。がんばってください。
ところで、上の比ヤングは黒木掲示板時代から暴れてる(最近は、うまとかふまとかいう名前を使うことが多い)「荒らし」の人なので、適当にあしらったほうがいいですよ。
Posted by: きくち | 2007.08.14 11:58 PM
>菊池誠先生
ご紹介頂き、ありがとうございます。身元保証人ですね
津村さんご提案の対策に関して、ニセ科学批判で有名な菊池先生のご意見は如何ですか。
Posted by: 比ヤング | 2007.08.15 12:13 AM
こんにちは。
「それが本当なら教科書に載る」に関してですが、矛盾するようでも「しかし、教科書に載っていることが正しいとは限らない」という一文も加えておいた方が、より科学的な態度であると思うのですが、いかがでしょうか。
Posted by: 虚無僧 | 2007.08.15 09:35 PM
私はよく本当に効果があるなら保険がきく、といっております。
Posted by: takahashi` | 2007.08.15 09:57 PM
菊池さん、ありがとうございます。ものぐさな私ですが、一度だけ「ニセ科学(かもしれないもの)」に対抗してウェブ上で発言した経験があります。そのことをいずれ書くかもしれません。
比ヤングさん、そんなに長い間固定ハンドルネームで活動しておられるんですか。なかなかできないことですね。
このブログは「私以外への批判コメントは禁止(批判を含むコメントは全文削除)」「匿名のかたへの反論はしません」の方針でやっています。
私のこの一文は、科学リテラシーを高める努力の放棄を勧めるものではなく、科学リテラシー向上という手間のかかること以外にも対策ポイントがあると言いたいのです。
Posted by: ここの管理人 | 2007.08.15 10:12 PM
虚無僧さん、はじめまして。
「それが本当なら教科書に載る」と「教科書に載っていることが正しいとは限らない」は矛盾していないので、言い添えてもいいですね。
ただ、私の文章の主旨は「科学的な態度の追求」ではなく「手っ取り早い対策」なので、そういう留保条件はカットすることになりそうです。ある頻度で結果的に誤ってしまうことを許容した上で。
takahashiさん、はじめまして。
「本当に効果があるなら保険がきく」は健康保険のことですね。医療(的)行為に関してはまさにそうですね。ニセ科学対策ひとこと集を編纂したら面白そうです。
Posted by: ここの管理人 | 2007.08.15 10:13 PM
こんにちは、皆さん。
河合先生にメールで連絡を取ろうかどうか悩んでいる所なんですけどね。
私なりの考え方を説明しますと、社会的規範と学問的規範というのがあるわけです。でもって、学問というのが社会の中の人の営みである以上、学問的規範は社会的規範の中にあるわけです。
まず社会的な倫理規範として「定かでないことを定かであるかように喧伝すべきでは無い」という規範があるわけです。そして学問的な規範として「定かでないものがあれば、それを定かにするために努力すべきである」という規範があります。問題は、学問的規範がありそれに従うべきだからといって、社会的な規範をおろそかにして良いわけでは無いという事です。
本来、この2つの規範は矛盾しません。なぜなら学問的規範から導き出される結論は、「もっと研究しよう」であり「もっと社会に喧伝しよう」でもなければ「社会に喧伝する者を諫めるのは止めよう」でもないからです。ところが、往々にして、ここに2つの規範があり、学問的な規範は社会の倫理規範の下位に存在するということが忘れられてしまう事があるわけです。そうすると「定かでない事柄を定かであるかのように喧伝するものを諫めるようなことをすれば、学問における定かでない事を定かにするという営みをレッテルを貼るかたちになって阻害するから、学問的にはやるべきでない」となってしまうわけです。
学問は社会の中で行われる営みである事を考えるなら、社会の規範が守られてこそ学問もまた守られる事は明白なのですけどね。
Posted by: 柘植 | 2007.08.21 01:03 PM
柘植さん、コメントありがとうございます。新規記事としてお返事を書きました。
Posted by: ここの管理人 | 2007.08.21 09:12 PM