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August 2007

2007.08.25

「ニセ科学」関連・最終記事

この記事を読む前に必ず 「ニセ科学」関連・本当の最終記事 を読んでください。

「ニセ科学」を主題とする記事はこれで最後にします。将来分析化学会で何か動きがあればまた書くかもしれませんが。
これまでにいただいたコメントを踏まえて、この記事でできる限り私の立場を説明します。さらに何か疑問点があれば新しい記事は作成せずこの記事のコメント欄でお返事します。

 「ぶんせき」誌投稿への意見をブログに書いたことについて
もともとは私が、柘植さんの投稿への意見である 分析化学会は「ニセ科学」と向き合うか をブログに書いたことに端を発しています。このこと自体は不適切ではないと考えます。分析化学会は公開の掲示板を運用しており、そこに機関誌の内容への意見を書き込むことは問題ないでしょうし、別サイトに書いてリンクを張ることも問題ないと思います。
ただ、学会内だけに向けた文書か一般に公開したものかの区別をはっきりさせておくべきでした。形式は学会内向けでしたが、通常のブログの記事でもあると考えており、位置づけがあいまいでした。

 「懸念」の根拠の説明
私は上記記事で「一般の人が『ニセ科学』を一種のレッテル貼りと誤解する懸念」について述べました。そして「懸念」の根拠が何なのか説明することを迫られているのが今の状況と考えます。

菊池さんから「そのような意図はない。講演でもウェブサイトでもそのような方向性ははっきり否定している」と繰り返しコメントいただきました。
意図(理念)は私も十分納得しています。納得していることを繰り返し強調していただいてもこれ以上納得できないので話が進展しません。

 理念でなく現実の困難さ
これまでにも書いているつもりですが、私が懸念しているのは「ニセ科学批判という情報の送り手がどんな理念を持つか」ではなく「その情報が間違いなく受け手に伝わるか」です。

私が問題性を感じた理由 の中でも、柘植さんの文章をサンプルにして書きました。理念は良いのですが、実際の聴衆の反応とその反応をレポートする姿勢は、現実の困難さを示していると思います。
このような書き方は柘植さん個人を批判しているようで心苦しいですが、「レッテルを貼ってほしい」という一般の人からの熱い期待がある中、専門家としてその期待に応えることに注意が向いてしまうのは人間的に自然なように思います。

 懸念の根拠はウェブサイト群
私が問題性を感じた理由 では、柘植さんの文章はサンプルであり、「懸念」の本当の根拠は「菊池さんのウェブサイト及びそこからリンクされているいくつかのウェブサイト」だと書きました。
ウェブ上での活動は、産総研の一般公開と同様に、「その情報が間違いなく受け手に伝わるか」の試金石でもあるはずです。

これまでの説明で納得していただけないのでしたら、私がどんなウェブサイトを見てどこに懸念を感じるかをさらに詳しく書かなければなりません。それは全然気が進まないことですが、以下に最大限具体的に書きます。これ以上の説明はもうできません。

私が「現実の困難さ」を感じた材料は、菊池さんのウェブログよりもむしろ「ニセ科学批判」を展開するその他の掲示板やブログ群です。それと、菊池さんと柘植さんの氏名で検索すると出てくるページ群です。
内容的に、理念を説くものよりも個別の「ニセ科学」をめぐる論争(あるいは批判される側との確執)を多く目にしました。そして、書き手側の熱の入れ方や記事数の多さは、個別の論争や確執に関わるもののほうが理念的なものよりも勝っていると感じました。

「ニセ科学批判」によって営業的に不利益を受ける人たちが存在する限り、批判に対する大きな反発があるのは当然ですし、反発があればそれへの対応に労力を向けることになるのも自然だと思います。また、インターネットの性質上、論争には読者をひきつける強い力があります。そのような材料を「科学とは何か」を伝える目的に使うことの困難さを感じました。
「被害を防ぐ」目的というならわかります。営業的に不利益を与えるのがすなわち被害を減らすということですから。

 「ニセ科学」に問題がないとは考えていない
ここで明言しておきますが、私が個々の疑似科学的なものを疑似科学的だと考える基準は、多くのニセ科学批判サイトとほとんど同じだと思います。私が見た範囲では、批判されて当然なもののみ批判されていました。

問題なのは批判対象がピックアップされる手続きと考えます。批判されて当然なものが批判されるのはいいとして、批判されるべきなのに運良く対象にならないものが発生するのは不公平でしょう。
個人がボランティアでやっている段階では仕方ないかもしれませんが、多数の科学者の同調を得て進む場合、しかも「被害防止」でなく「科学の啓蒙」が目的であるなら、公平さが求められると思います。

 「ニセ科学」は蔓延しているか
話は変わりますが 田部勝也さんのコメント からは、環境ホルモン問題について深い造詣をお持ちということがよくわかります。私は 5分で伝授できる「ニセ科学」対策 のコメントで「一度だけ『ニセ科学(かもしれないもの)』に対抗してウェブ上で発言した経験があります」と書きました。これはDEHP規制に関して解説ページを作成したことを指していました。つまり私は、環境ホルモン問題自体が疑似科学的だったと思っています。

それはさておき、環境ホルモンとニセ科学の共通点をもう一つ見つけました。

(7) 根拠が確かでない危機感を述べる。

田部さんのコメントには「社会に『ニセ科学』が蔓延する実態とその病理」といった言葉が何回も出てきます。同様の記述は柘植さん、菊池さんのコメントにも見られます。

どうもニセ科学批判の根底に共通して流れているように見えるこの危機感は、どの程度データに裏付けられているのでしょうか?
年々疑似科学的な商品が増えているように見えるのは私も認めます。しかしこれは、例えば経済的な要因も大きくないでしょうか。物質的に充足されている現代日本では、商品の差別化が求められるために増えているにすぎないのかもしれません。また、人口の高齢化で健康不安を抱える人が増えたことや、購買力を持つ層が高年齢側にシフトしていることも要因かもしれません。

これらの要因を取り除いて解析しても、一般国民に「病理」と言えるほど科学的な態度の欠如が増えているのでしょうか?

「学力低下」でさえ基礎データ不足が云々されています。もっと検証しにくいと思われる「科学的な態度の欠如」をどうやって測定して「病理」とまで呼ぶのか、私は知りたいです。

 まとめ
現実の困難さは感じますが、菊池さんが「ニセ科学認定ではない」という意識を強く持っておられることはよくわかりました。このブログにコメント・トラックバックされた皆さんも同様とわかりました。こういうことが話題になるのは菊池さんたちのコミュニティでは何順目かだそうです。たいへんお手間をおかけしました。ニセ科学批判に出会ったとき、誰もが感じる疑問ということでしょうか。

私が書いたニセ科学関連の記事は分析化学会掲示板にURLを書き込んでおきます。学会員がニセ科学について掲示板経由で関心を持ったとき、最初に目にするのがこの一連の記事ということになります。その方たちには菊池さんたちの真意が伝わるものと思います。

最後の記事はこれで終わります。菊池さんとたまたま同じ枠で講演したことで、稀有な勉強の機会を持たせていただきました。どうもありがとうございました。

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2007.08.23

環境ホルモンとニセ科学

この記事を読む前に必ず 「ニセ科学」関連・本当の最終記事 を読んでください。

前の記事で「一群の対象をニセ科学と認定する活動」と書きました。これがどういう意味かわからないと菊池さんからコメントをいただきました。

どういう意味なのか、また、なぜ私がこれほど警戒するのかお話します。できればニセ科学について書くのはそろそろ終わりにしたいと思います。

唐突に思われるかもしれませんが、私にとって「ニセ科学」という言葉が色々な意味で「環境ホルモン」とオーバーラップするのです。

既に忘却の彼方の感もありますけど、いわゆる環境ホルモン問題(内分泌かく乱化学物質問題)とは、「野生生物やヒトに様々な異変が起こっており、それらが一群の人工化学物質の『内分泌かく乱性』によって統一的に説明できる」という仮説です。

仮説を検証するためには、とりあえず何が環境ホルモンに該当するか目星をつけて研究を始めなければなりませんでした。
目星の物質リストは国内外の色々な機関から発表されましたが、日本で最も権威を持ったのは環境庁(当時)から発表されたリストでした。ところが仮説を確認するための候補物質であったはずなのに、あたかも「これが環境ホルモンであり危険な物質」であるかのように一般に受け取られました。
カップめん容器や塩ビ製品が消費者に忌避されて各業界に大きな影響が出たことはみなさんも覚えておられるでしょう。

環境ホルモンが「ニセ科学」と類似していると私が考える理由を挙げます。これは環境ホルモンについての説明なので、「ニセ科学」の場合は「可能性・懸念」などと置き換えられます。

(1) まったく性質の異なる物質あるいは対象を同じ言葉のもとにくくってしまう。
(2) 選定基準が公平または妥当か疑問がある。
(3) 「候補物質」という本来の意味が誤って解釈されて広まった。
(4) いったんレッテルが貼られるとそれを剥がすのは難しい。
(5) 対象とされるものに現在製造・流通中の製品が多く含まれており、ネガティブな宣伝によってダメージを受ける業者が存在する。
(6) ネーミング的に成功しているように見える。

環境ホルモン問題で私がどんな経験をしたか少しお話します。

2000年に厚生省(当時)がフタル酸エステル類の一種DEHPを含有する塩ビ製手袋の食品への使用を避けるよう関係機関に通知しました。これは環境ホルモンが問題化後、リストの物質を行政が規制した初めてのケースでした。

私は当時国立医薬品食品衛生研究所の研究員としてこの根拠となった研究に携わりました。その経過は 食品中のフタル酸エステル類と塩ビ手袋 に書いているので詳しくは説明しませんが、実は塩ビ手袋の規制は環境ホルモンとはまったく無関係なものでした。

それでも世間は「リストの物質=環境ホルモン」と見ますから、研究部のホームページ内に「DEHPの毒性がどの程度のもので、なぜ規制されたか」の解説と共に「規制された理由は環境ホルモン作用によるものではありません」との解説も掲載しました。

本来は毒性の程度のみ説明すればよいはずですが、「DEHPは環境ホルモンではない」というレッテル剥がしの説明も加えたわけです。客観的には馬鹿馬鹿しいことですが、当時は必要な説明でした。
研究部に対して市民から「食事からダイオキシンが見つかったそうですが」との問い合わせがありました。(ダイオキシンも環境ホルモンリストの物質。)また、業者からは「当社の製品が環境ホルモンなど含まないことを証明したい。環境庁のリストに載っている物質をすべて分析してくれるところはないか」という切羽詰った相談がありました。

リストは単に項目を並べれば作成できますが、リストに収載される側には、各製品の売れ行きに生活がかかっている人たちがいます。環境ホルモン問題のようないきさつで生活が脅かされる人が発生するのは社会的に不公正なことだと思います。

以上の経験を通じて私は、包括的で印象の強い言葉のもとに一群の対象をくくってしまう動きには非常に警戒するようになりました。力のない個人が趣味的に行う分には問題がありませんが、社会的な影響力の大きい人が行う場合、また、集団的・組織的におこなわれる場合など、権威が大きそうなときほど警戒します。

菊池さんの真意は色々なものを「ニセ科学」に分類することではなく、(環境ホルモンが候補物質であったように)現代社会の問題点を考えるための教材または実例として取り上げるということのようですが、それが一般市民に誤解なく伝わっていくのか、環境ホルモンのような問題を引き起こさないか懸念するものです。

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2007.08.22

私が問題性を感じた理由

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柘植さん・荒木さん・菊池さんからコメントをいただきましたが、論点が多いので一度に全部はお答えできません。大事なことからお話します。

 私が受けた二つの印象
私が危惧したのは、柘植さんの「ぶんせき」誌への投稿が次のことを主張しているように読めたからです。

1.「ニセ科学」に関して「学会として」何か動きを起こす。(個人でなく集団の活動)

2.一般の人に対して「何がニセ科学か」を選別して示す。(「ニセ科学」の認定と啓蒙)

柘植さんのコメントによれば、1も2も柘植さんの意図するところではないそうです。また、荒木さんと菊池さんによれば、昨年の物理学会のシンポジウムは学会内有志によって企画されたものであり、1に該当するものではないそうです。

そうであれば私の危惧は取り越し苦労ということになりますが、私は菊池さんのウェブサイト及びそこからリンクされているいくつかのウェブサイトを読んで、「科学者が個人としてだけでなく何らかの団体を形成して一群の対象をニセ科学と認定して一般市民への啓蒙を行う活動」との印象を受けました。

そのような印象を持たれることは柘植さんにとっても菊池さんにとっても本意ではないことは理解しました。
本意でないならば、そのような印象を私が持った根拠を説明するのも、今後の「ニセ科学批判」活動に対して有益かもしれません。それを説明しようと思います。

 柘植さんの投稿をサンプルとして
説明の材料として、柘植さんの投稿を引用させていただきます。学会機関誌への投稿であり、思いつきでなくかなり吟味して書かれたものでしょうから適当と思います。
私は個人サイトを開設して以来4年半、「特定の個人及び団体を批判しない」という方針でやってきました。以下の文章は初めての「批判」かもしれません。
ただ、私がしたいのは私が受けた印象への「説明」であって、批判とは少し違うと考えています。また、柘植さんの文章は例として挙げるだけで、私が読んだウェブサイトに散見された類似の表現のサンプルという意味で使わせていただきます。

なお、誰もが全文を読めるほうがよいので、柘植さんには、できれば分析化学会と著作権の問題がないことを確認の上どこかのウェブサイトに全文を掲載していただければと思います。適当な場がなければ私のサイトに掲載してもかまいません。

 投稿の概要
投稿の書誌事項は次のとおりです。
雑誌名:日本分析化学会の機関誌「ぶんせき」
掲載号・頁:2007年2月号103ページ「談話室」欄
著者:柘植明
題名:ニセ科学と「向き合って」みた

内容は大まかに次のとおり。
(1)物理学会の年次大会でシンポジウム「『ニセ科学』とどう向き合っていくか?」が開催された。
(2)著者自身も産総研中部センターの所内公開で「家庭生活とニセ科学-マイナスイオンって、なーに?-」を企画して好評であった。
(3)日本分析化学会においてもニセ科学問題を取り上げていただきたい。

 すばらしい基本理念
投稿内容の半分程度の字数を使って柘植さんが企画した講演の基本理念が書かれています。これはたいへんしっかりしていると思います。一部引用します。

さらに「科学の進み方の真髄は、他の専門家によって検証を受けることにある」という話を中心に据え、そのために「何か新しいことを言い出す者は、追試・反証が可能なだけの詳細な情報を明らかにして、言い出したことの立証をしなくてはならない。それができていないと、科学的にはその新しいことは『無いもの』として扱われる」「他の専門家の検証を受けるために、我々は様々に『正確に表現する』訓練(しつけ)を受ける」という話をすることにした。

このような講演会を大勢の一般の人たちが聴いてくれたのはたいへん有意義なことだったと思います。

 来聴者の反応は?
しかし、来聴者の反応についてはこう記述されています。

ひいき目かも知れないが、会場から一種異様な熱意を感じた。「ニセ科学をニセ科学だときちんと言ってくれる話を聞きにきた。ごまかしたりせずにきちんと話してくれ」という熱意のようなものだ。
「科学者や技術者の仕事の中にニセ科学をあばくようなことは入っていない。そのため、ニセ科学批判は個人としてやらざるを得ず、限界がある。」という話もしたのだが、会場から「ニセ科学をあばくのが仕事にならないからといって、世の中にこれだけ怪しげな話が氾濫するとき、一般の者に自分で見分けろと言うのも無責任ではないか。」という指摘もあった。

この感想を読むと、聴きにきた人たちは「科学的な態度」を修得するよりも「これがニセ科学」という判定を聞きに来たように思われます。前半に書かれている講演の理念と照らし合わせれば、このような感想が出るのは失敗ではないでしょうか。しかし柘植さんは問題性に言及せず肯定的にレポートしています。
感想を読んで私は、一般の人に「レッテル貼りでない疑似科学批判」を伝える難しさを感じました。それと同時に、柘植さんが主催者としてそれでかまわないと考えているように読めました。

 「学会として」の取り組みを示唆する部分

筆者は、物理学会が口火を切ってくれたこの「ニセ科学」の問題を一過性のものとして終わらせるべきではないと思う。また物理学会だけの話でもなく、多くの学会が「科学と社会の関係」という視点できちんと取り上げなくてはならないと考える。

「物理学会が口火を切ってくれた」との記述から、私は物理学会が組織としてある程度位置づけてニセ科学問題を取り上げ始めたのかと思いました。そしてまた、「多くの学会が・・・きちんと取り上げる」という表現からは、分析化学会に対しても主体的に推進することを主張する文章と受け取りました。
この解釈は間違っているそうですが、学会がシンポジウムで取り上げたというだけで外部の人には「学会がある程度の重みを置いている」と映ることを示す例だと考えます。

 「一般の人への啓蒙」に重点を置いていると思われる部分
柘植さんの コメント によれば、柘植さんの投稿は「学会が社会に対して『これはニセ科学』とか表明する様な事ではなくて、もっと内向きな会員内の意識向上の様な活動」をイメージしておられたそうです。しかし、投稿の最後はこのようになっています。

さらに、ニセ科学を取り上げて一般の人に話す準備をした経験は、「科学とは何か?」「自然科学に携わるということはどういうことか?」を考える良い機会であったと思う。「これはニセ科学である」と人に説明するための考証をすることは、逆に科学に対する考えを深める上でとても有効な面がある。一般の人への啓蒙活動という見方ばかりでなく、自己研鑽、あるいは学生教育の一つとしても、「ニセ科学」の問題を検討してみるのも良いかも知れない。ぜひ日本分析化学会においても、ニセ科学問題を取り上げていただければと思う次第である。

この文章を普通に読めば、「一般の人に話すことを通じて専門家自身も勉強する」が中心で「自己研鑽や学生教育」は「そこまでするのが無理なら」という位置づけだと思います。

 まとめ
以上の根拠により私は、柘植さんは「学会として」何か動きを起こすこと、及び一般の人に対して「何がニセ科学か」を選別して示すことを主張しておられると解釈しました。
あくまで私がそう解釈したというだけですからどの程度一般化できるかは不明ですが、表現に相当注意しないと「科学者が団体として一群の対象をニセ科学と認定する活動」と受け取られる危険性(特にニセ科学と認定されそうな当事者から)があると認識しておくほうがよいと思います。

なお、荒木さんが言われたように分析化学会内で意見交換を行うのは有意義だと思います。分析化学会掲示板 はそのための場として最適と思います。

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2007.08.21

柘植明さんのコメントへの返信

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前々記事に対して柘植明さんから コメント をいただきました。

こんにちは、皆さん。

 河合先生にメールで連絡を取ろうかどうか悩んでいる所なんですけどね。
 私なりの考え方を説明しますと、社会的規範と学問的規範というのがあるわけです。でもって、学問というのが社会の中の人の営みである以上、学問的規範は社会的規範の中にあるわけです。
 まず社会的な倫理規範として「定かでないことを定かであるかように喧伝すべきでは無い」という規範があるわけです。そして学問的な規範として「定かでないものがあれば、それを定かにするために努力すべきである」という規範があります。問題は、学問的規範がありそれに従うべきだからといって、社会的な規範をおろそかにして良いわけでは無いという事です。
 本来、この2つの規範は矛盾しません。なぜなら学問的規範から導き出される結論は、「もっと研究しよう」であり「もっと社会に喧伝しよう」でもなければ「社会に喧伝する者を諫めるのは止めよう」でもないからです。ところが、往々にして、ここに2つの規範があり、学問的な規範は社会の倫理規範の下位に存在するということが忘れられてしまう事があるわけです。そうすると「定かでない事柄を定かであるかのように喧伝するものを諫めるようなことをすれば、学問における定かでない事を定かにするという営みをレッテルを貼るかたちになって阻害するから、学問的にはやるべきでない」となってしまうわけです。
 学問は社会の中で行われる営みである事を考えるなら、社会の規範が守られてこそ学問もまた守られる事は明白なのですけどね。

コメントありがとうございます。私の考えを書きます。
その前にお断りしておきますが、これはウェブを利用した非公式な意見交換であって、日本分析化学会内での議論ではありませんよね。柘植さんは中部支部の常任幹事、私は近畿支部の幹事ですが、発言はそれぞれ一会員としての考えを述べているにすぎないと解釈しています。学会の意思決定に結びつくような議論は公式な会議の場で行われるべきと思います。

ただし、もともと「ぶんせき」誌への投稿が契機となった話題ですので、 分析化学会は「ニセ科学」と向き合うか の記事のURLを 分析化学会掲示板 にて告知しています。

「定かでない事柄を定かであるかのように喧伝するものを諫めるようなことをすれば、学問における定かでない事を定かにするという営みをレッテルを貼るかたちになって阻害するから、学問的にはやるべきでない」というのは河合さんのご意見ですね。(正確な要約ではないような気もしますが・・・)

私は環境ホルモン問題で苦労しましたから、むしろ逆の考えを持っています。例えば、「定かでない環境ホルモンの害作用を一般人に喧伝して研究費を獲得する行為は社会を混乱させるから諌めるべきである」と考えます。つまり、学問(学者)の自由よりも社会的な公益優先の発想をする場合があります。

その文脈で、「一群の製品等を『ニセ科学』と分類する動きに学会が関与することが公益にかなうだろうか?」と考えます。

「一般市民の科学リテラシーを高める」目的であれば、既に科学史的に評価の定まったもののみを教材として用いれば良いのではないでしょうか。現在流通しているものをターゲットにすれば関心を引きやすいのは確かですが、「ニセ科学」に分類されてしまう当事者はたまらないでしょう。
公平な基準のもとに標的になるならまだ納得できるかもしれませんが、公平な情報収集には膨大な労力や費用がかかりますから、結局は恣意的な選定になってしまう恐れがあります。

もう一つの観点「ニセ科学による被害を防ぐ」に関して。
個別の事項に対して科学者個人が発言することは本人の見識に基づいて自由に行われるべきですし、優れた活動をしている人も多くいます。ただ、この目的のためなら「ニセ科学」という分類を作り出す必要はなく、個別の対応でよいのではないかと考えます。ましてや学会が「ニセ科学」という分類を推進する必要性はさらに低い(というか有害な可能性もある)と思います。

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2007.08.17

分析化学会は「ニセ科学」と向き合うか

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本来は「ぶんせき」誌に投稿すべき内容だが、同誌は所属併記が原則なのでこちらに書く。

同誌で柘植さんが「ぜひ日本分析化学会においても、ニセ科学問題を取り上げていただければ」と主張したのに対し、このほど河合さんが「似非科学否定は慎重に」と返した。

「ニセ科学」について、私は菊池さんとお会いするまでは「化学」4月号の特集を読んだ程度で、実のところ柘植さんの投稿も読み流していた。これも何かの縁なので、より深く勉強しようとネット情報をざっと眺めてみた。その感想をまとめ、分析化学会はどう対応するべきか、一会員としての希望を述べてみる。
なお、特定の個人・団体は批判していないつもりだが、批判されたと感じた人は連絡をください。当該箇所を削除します。

 「ニセ科学」というネーミング 
「ニセ科学」という名称は非常にインパクトが強く注目を集めやすいが、まだ幅広い人に使われる状況でないように思える。私はあまり考えずに前記事・前々記事でこの語を使ったが、今後はより一般的な「疑似科学」を使うことにする。河合さんが使った「似非科学」も良いと思うが、「えせ」という読みが難しいので。

 何が新しいか
疑似科学批判自体は昔からあるが、「ニセ科学」の語が多用される最近の動きには特徴があるようだ。「ニセ科学というくくりで一群の社会事象をとらえ、それらの傾向や問題点を解析し、啓蒙や科学教育の改善に結びつけることをめざす」活動のように見える。

 「疑似科学的なプロセス」はあるが「対象そのものが疑似科学」ということはない
ここでごく当然のことを確認しておく。例えば「マイナスイオンに効能があるかのような一見科学的な説明によって関連製品が多数発売されて実際に売れた」というプロセスは疑似科学的である。前々記事で私は「マイナスイオン等のニセ科学」と書いたが、それは「疑似科学的なプロセスを経てマイナスイオン製品が大量に販売された社会現象」を指していた。しかし、この書き方では「マイナスイオン自体がニセ科学」と受け取られかねない。もちろんそれは誤っている。マイナスイオンを科学的に研究することは十分可能であろう。

 「疑似科学的か否か」は過去についての評価しかできない
プロセスが問題なのだから、既に行われたことか、または現状として継続的に行われていることしか判断できない。過去にマイナスイオン製品が疑似科学的手法で販売されたからといって、将来の研究もすべて疑似科学的であるとは断言できない。

 ターゲットの収集
安井至さんによるマイナスイオン批判や中西準子さんによる環境ホルモン批判(序盤)は疑似科学批判の一例と考えてよいと思う。マイナスイオンも環境ホルモンも、無視できないほど社会的に広く浸透して国民生活に影響した。
このように個別の課題を対象にする限り、ある程度社会的に無視できないものだけを扱うことになろうが、「ニセ科学」というくくりで進んでいる動きは、むしろ積極的に『疑似科学的なもののコレクション』をする傾向があるように見える。
その結果、予想される問題点が二つある。一つめは、国民生活センターのような公的機関の情報収集と違って個人の活動なので、まんべんない対象から公平に抽出するのは困難(=たまたま発見されたものが標的になる)こと、そして、社会的影響の大きくない中小零細の事業者が標的にされやすい(=当事者にとって痛手が大きい)ことである。

 誤解が生じる懸念
先に述べたように「疑似科学的なプロセス」はあるが「対象そのものが疑似科学」ということはない。ところが一般の人にはなかなか区別が難しい。手っ取り早く「○○は科学、××はニセ科学」とレッテルを貼って分類してもらいたがる人が多いかもしれない。
しかも、いったん「ニセ科学」のレッテルが貼られれば将来もその属性は変わらないと思い込む人もいるかもしれない。(前述のとおり、評価できるのは過去のプロセスのみである。)

これらの傾向と「たまたま発見された中小零細事業者が標的にされる」が複合すると、科学リテラシーを高めるという目標とは裏腹に、けっこう危ないことになる可能性がある。

 所属先との関係
偶然なのかそれとも必然性があるのかわからないが、「ニセ科学」の名で批判を展開しているウェブページは大学の公式サイト内に置かれたものが多いようである。さらに「このような情報発信は大学の社会的責務である」との使命感を表明しているものも多い。

ニセ科学関連で訴訟が起こっているが、その内容は科学論争ではなく、大学のサイト管理責任を問うものである。
言うまでもないが「疑似科学批判」と「専門家のウェブ活動のあり方」は別個の問題である。にもかかわらず、実態として多少なりともリンクしているようである。これは、幅広い立場の人が参加する学会が公式に関わりを持つ際には注意しておくべきことと思う。

 私の考え
科学的なものの見方・考え方を養う努力は重要だ。疑似科学批判は科学教育の教材として役に立つと思う。近畿支部の夏期セミナーで学生たち(化学の専門家の卵たち)は菊池さんの講演を熱心に聴いていた。私にとっても非常に興味深かった。
しかし、分析化学会がより高い位置づけの講演会や、あるいは一般向けの企画で「ニセ科学」を取り上げる場合があるならば、上記の諸点も考慮に入れて慎重に対処してほしいと思う。

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2007.08.13

5分で伝授できる「ニセ科学」対策

この記事を読む前に必ず 「ニセ科学」関連・本当の最終記事 を読んでください。

日本分析化学会の機関誌「ぶんせき」8月号の「談話室」に河合潤さん(京大大学院工学研究科)が「似非科学否定は慎重に」のタイトルで書いている。2月号の同欄に柘植明さん(産総研計測フロンティア研究部門)の「ニセ科学と『向き合って』みた」が掲載されたのを受けての文章だ。

このところ「ニセ科学」はインターネット上を中心に話題を呼んでいる。分析化学会近畿支部の 夏期セミナー で菊池誠さんがこのテーマで講演したことは一昨日書いたとおり。

自ら進んでニセ科学問題に関わっている科学者たちの主張は主に2点あるように見える。一つめは「ニセ科学が簡単に受け入れられてしまうのは国民一般の科学リテラシーが低いからだ。科学教育をもっと充実させるべき」、そして二つめは「それぞれの分野の専門家は、自分の専門に近いニセ科学を放置しないできちんと批判の声を上げるべき」。

私はネット上で特定の個人や団体を批判しないことにしている。柘植さんの文章も河合さんの文章も、掲載された事実だけをここに紹介しておく。自分の分野に近い「ニセ科学」(と思われるもの)の批判もしない。たいていの「ニセ科学」は特定の個人や団体が主導して流布しているから、批判したら私の方針に反してしまう。

ただ、ノウハウとしての個人的な対策を書いてみる。

国民全般の科学リテラシーを高めるのは重要なことだろうけれど、現代人は忙しい。どの情報が正しいかいちいち調べていられない。せっかく専門家が正しい批判を展開してくれていても、どの専門家が正しいか見極めるには手間がかかる。
「そういう手間を惜しんで自分の頭で考えることを放棄する態度が問題なのだ」と承知していても、やっぱり時間がない。

それに、「科学教育の充実を」と主張している人たちがだいたい理科の教師であるという点にも若干のひっかかりを感じる。もっと簡単にできる方法があるのではないか。

そこで私が実践している手間のかからない対策を親父の口癖風に書いてみる。

1.それが本当なら教科書に載る。
2.お上はとりあえず信用しておけ。
3.自分だけ得しよう、優れよう、助かろうと思うな。

 それが本当なら教科書に載る

科学研究に携わる人には常識になっていることが、意外に世間に知られていない。
・学会発表は学会費さえ払えば誰にでもできる。「○○学会で発表した」は全く権威付けにならない。
・論文誌は厳しい審査付きのものから業界の宣伝誌のようなものまである。
・健康や安全や科学の根本原理に関わる重要な事実なら
 多数の論文 → 総説 → 新聞・専門書 → 教科書・一般書
 の経路で常識化する。
 革新的な内容なのにこの経路をたどっていない情報は、革新的であればあるほど眉唾である。

 お上はとりあえず信用しておけ

「お上を信用しないのが賢くてカッコよい態度」と思われがちだが、私はとりあえず信用するようにしている。たとえば健康維持に対して何らかの効果をうたう食品であれば、「トクホ(特定保健用食品)」の認可を受けているか否かを目安にする。
お上がお墨付きをくれる仕組みがあるにもかかわらず認可を受けていない製品には、効果を主張できるだけのデータがないのだろう・・・と考える。

「お上は今までに数々の間違いをおかしたではないか」との意見もある。
しかし、お上は税金を使って専門家を雇って審議している。頭から信用しないよりは、少しでも信頼性が向上するよう注目しておくほうが公的資源の有効利用というものではないか。

 自分だけ得しよう、優れよう、助かろうと思うな

論文誌の格付けなどわからない一般人には、ニセ科学とまともな科学の区別は難しい。疑わしいものであっても、本当に革新的な知識で「教科書」や「お上のお墨付き」に至る前段階なのかもしれない。

しかし、こういう段階で手を出す裏には「少しでも得をしたい」「人より高い能力を身につけたい」「自分は助かりたい」という気持ちが働いていないか。
別に焦らなくても、世間の歩みにそろえればいいじゃないの。


以上の三か条を一番声高に唱えるのは、家人がテレビ番組の影響を受けて特定の食品に固執したとき。それと、自分自身化学・薬学系以外については素人なので、大型家電を買うときなどこのポリシーで選んでいる。

もっとも、ニセ科学的な製品は効果がないかわり無害なものがほとんどなので、だまされたとしても実害はさほど大きくないと大枠で楽観もしている。(実害がなく軽んじられる点も問題と菊池さんは言っておられたが・・・)

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2007.08.11

分析化学会近畿支部夏期セミナー参加記

日本分析化学会近畿支部の夏期セミナー ぶんせき秘帖 巻ノ一 に行ってきた。二泊三日の催しのうち真ん中の一日だけ参加した。参加者は学生中心に約70名と盛況だった。

Place1


午前中は講演が二つ。一つめが私、二つめが大阪大学サイバーメディアセンター 菊池誠さん の「ニセ科学問題」。

「マイナスイオン」や「水からの伝言」等の「ニセ科学」がなぜ広まるのか、何が問題か、科学に携わる者としてどう対処したらいいのか。こういう科学哲学的な話を学生のうちに聞いておくのは重要だと思う。

プログラムは時間的に余裕をもって組まれており、講師への質問がたくさん出た。昼食時間も長く、菊池さんと面白い話ができた。

午後は学生たちのショートプレゼンテーションとポスター発表。電気化学や界面化学の研究室から多く参加しているようだった。

夕食のバーベキューでは紀本支部長が「宴会部長」のはっぴを着て自ら盛り上げ役に。今年の「ぶんせき」誌4月号に「衰退期を迎えた分析化学会」なる衝撃的な巻頭言を書いた支部長が、分析化学会の再興を期して夏期セミナーを発案したのだという。

世間は盆休みの中、都会を離れて緑濃い山腹に広がるセミナーハウスにこもっての夏期セミナー。諸課題に追われる日常から逃れて頭と心をリフレッシュするには最高の場と感じた。

Place2


Poster


Kimoto

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