「ニセ科学」関連・最終記事
この記事を読む前に必ず 「ニセ科学」関連・本当の最終記事 を読んでください。
「ニセ科学」を主題とする記事はこれで最後にします。将来分析化学会で何か動きがあればまた書くかもしれませんが。
これまでにいただいたコメントを踏まえて、この記事でできる限り私の立場を説明します。さらに何か疑問点があれば新しい記事は作成せずこの記事のコメント欄でお返事します。
■ 「ぶんせき」誌投稿への意見をブログに書いたことについて
もともとは私が、柘植さんの投稿への意見である 分析化学会は「ニセ科学」と向き合うか をブログに書いたことに端を発しています。このこと自体は不適切ではないと考えます。分析化学会は公開の掲示板を運用しており、そこに機関誌の内容への意見を書き込むことは問題ないでしょうし、別サイトに書いてリンクを張ることも問題ないと思います。
ただ、学会内だけに向けた文書か一般に公開したものかの区別をはっきりさせておくべきでした。形式は学会内向けでしたが、通常のブログの記事でもあると考えており、位置づけがあいまいでした。
■ 「懸念」の根拠の説明
私は上記記事で「一般の人が『ニセ科学』を一種のレッテル貼りと誤解する懸念」について述べました。そして「懸念」の根拠が何なのか説明することを迫られているのが今の状況と考えます。
菊池さんから「そのような意図はない。講演でもウェブサイトでもそのような方向性ははっきり否定している」と繰り返しコメントいただきました。
意図(理念)は私も十分納得しています。納得していることを繰り返し強調していただいてもこれ以上納得できないので話が進展しません。
■ 理念でなく現実の困難さ
これまでにも書いているつもりですが、私が懸念しているのは「ニセ科学批判という情報の送り手がどんな理念を持つか」ではなく「その情報が間違いなく受け手に伝わるか」です。
私が問題性を感じた理由 の中でも、柘植さんの文章をサンプルにして書きました。理念は良いのですが、実際の聴衆の反応とその反応をレポートする姿勢は、現実の困難さを示していると思います。
このような書き方は柘植さん個人を批判しているようで心苦しいですが、「レッテルを貼ってほしい」という一般の人からの熱い期待がある中、専門家としてその期待に応えることに注意が向いてしまうのは人間的に自然なように思います。
■ 懸念の根拠はウェブサイト群
私が問題性を感じた理由 では、柘植さんの文章はサンプルであり、「懸念」の本当の根拠は「菊池さんのウェブサイト及びそこからリンクされているいくつかのウェブサイト」だと書きました。
ウェブ上での活動は、産総研の一般公開と同様に、「その情報が間違いなく受け手に伝わるか」の試金石でもあるはずです。
これまでの説明で納得していただけないのでしたら、私がどんなウェブサイトを見てどこに懸念を感じるかをさらに詳しく書かなければなりません。それは全然気が進まないことですが、以下に最大限具体的に書きます。これ以上の説明はもうできません。
私が「現実の困難さ」を感じた材料は、菊池さんのウェブログよりもむしろ「ニセ科学批判」を展開するその他の掲示板やブログ群です。それと、菊池さんと柘植さんの氏名で検索すると出てくるページ群です。
内容的に、理念を説くものよりも個別の「ニセ科学」をめぐる論争(あるいは批判される側との確執)を多く目にしました。そして、書き手側の熱の入れ方や記事数の多さは、個別の論争や確執に関わるもののほうが理念的なものよりも勝っていると感じました。
「ニセ科学批判」によって営業的に不利益を受ける人たちが存在する限り、批判に対する大きな反発があるのは当然ですし、反発があればそれへの対応に労力を向けることになるのも自然だと思います。また、インターネットの性質上、論争には読者をひきつける強い力があります。そのような材料を「科学とは何か」を伝える目的に使うことの困難さを感じました。
「被害を防ぐ」目的というならわかります。営業的に不利益を与えるのがすなわち被害を減らすということですから。
■ 「ニセ科学」に問題がないとは考えていない
ここで明言しておきますが、私が個々の疑似科学的なものを疑似科学的だと考える基準は、多くのニセ科学批判サイトとほとんど同じだと思います。私が見た範囲では、批判されて当然なもののみ批判されていました。
問題なのは批判対象がピックアップされる手続きと考えます。批判されて当然なものが批判されるのはいいとして、批判されるべきなのに運良く対象にならないものが発生するのは不公平でしょう。
個人がボランティアでやっている段階では仕方ないかもしれませんが、多数の科学者の同調を得て進む場合、しかも「被害防止」でなく「科学の啓蒙」が目的であるなら、公平さが求められると思います。
■ 「ニセ科学」は蔓延しているか
話は変わりますが 田部勝也さんのコメント からは、環境ホルモン問題について深い造詣をお持ちということがよくわかります。私は 5分で伝授できる「ニセ科学」対策 のコメントで「一度だけ『ニセ科学(かもしれないもの)』に対抗してウェブ上で発言した経験があります」と書きました。これはDEHP規制に関して解説ページを作成したことを指していました。つまり私は、環境ホルモン問題自体が疑似科学的だったと思っています。
それはさておき、環境ホルモンとニセ科学の共通点をもう一つ見つけました。
(7) 根拠が確かでない危機感を述べる。
田部さんのコメントには「社会に『ニセ科学』が蔓延する実態とその病理」といった言葉が何回も出てきます。同様の記述は柘植さん、菊池さんのコメントにも見られます。
どうもニセ科学批判の根底に共通して流れているように見えるこの危機感は、どの程度データに裏付けられているのでしょうか?
年々疑似科学的な商品が増えているように見えるのは私も認めます。しかしこれは、例えば経済的な要因も大きくないでしょうか。物質的に充足されている現代日本では、商品の差別化が求められるために増えているにすぎないのかもしれません。また、人口の高齢化で健康不安を抱える人が増えたことや、購買力を持つ層が高年齢側にシフトしていることも要因かもしれません。
これらの要因を取り除いて解析しても、一般国民に「病理」と言えるほど科学的な態度の欠如が増えているのでしょうか?
「学力低下」でさえ基礎データ不足が云々されています。もっと検証しにくいと思われる「科学的な態度の欠如」をどうやって測定して「病理」とまで呼ぶのか、私は知りたいです。
■ まとめ
現実の困難さは感じますが、菊池さんが「ニセ科学認定ではない」という意識を強く持っておられることはよくわかりました。このブログにコメント・トラックバックされた皆さんも同様とわかりました。こういうことが話題になるのは菊池さんたちのコミュニティでは何順目かだそうです。たいへんお手間をおかけしました。ニセ科学批判に出会ったとき、誰もが感じる疑問ということでしょうか。
私が書いたニセ科学関連の記事は分析化学会掲示板にURLを書き込んでおきます。学会員がニセ科学について掲示板経由で関心を持ったとき、最初に目にするのがこの一連の記事ということになります。その方たちには菊池さんたちの真意が伝わるものと思います。
最後の記事はこれで終わります。菊池さんとたまたま同じ枠で講演したことで、稀有な勉強の機会を持たせていただきました。どうもありがとうございました。





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