分析屋と「格差社会」
昨年は「格差」という言葉がことさら意識されるようになった年だった。「格差社会」の語は ユーキャン新語・流行語大賞 のトップテンに選ばれた。
正社員と非正社員との格差、規制緩和による勝ち組・負け組の出現、貧富の差が親から子へ継承される傾向等が主に問題視されている。
私はウェブ上で社会問題を扱わないようにしているので上記の論点にはあえて触れない。ただ、化学分析に携わる人が考えてみてもよい/考えたほうがよい視点が一つあると思うので、年頭にあたって書いてみる。
■仕事の二極化
私が気になるのは、「働く人々の仕事の内容が高度なものと単純なものの二極に分離していく傾向があり、それによって問題が起きている」との説だ。
山田昌弘「希望格差社会」(筑摩書房、2004年刊)には、次のようなことが書かれている。
モノ作りを中心とした大量生産、大量消費の時代には、多くの企業が労働者を自社の生産システムに合うように教育して長期間抱え込むことが合理的だった。労働者は単純な仕事から始めて徐々に仕事能力をつけ、管理職や専門職に昇進していった。
しかし現代はモノよりもサービスが優勢になり、消費者が求める多様な商品をより安く供給しなければならない圧力が加わり続ける社会になった。この産業形態は1990年頃から顕著になっており、企業はクリエイティブな能力や専門知識を持つ労働者とマニュアル通りに働く単純労働者の二極の労働者を必要とするようになった。採用の段階で中核的・専門的労働者候補が選別される。選ばれなかった者は単純労働に従事し、そこから抜け出す機会は少ない。
企業でなくカタカナ職業等を志向する者も多いが、そのような道で成功できるのは少数であり、アシスタントとして働くか、それだけでは食べていけずに他のアルバイト収入が必要な場合もある。
その結果、雇用情勢変化の影響を真っ先に受ける若い世代を中心として、不本意な仕事をしながら自分の理想的な仕事を夢見る労働者が多数出現していると著者は述べている。
フリーター問題の核心は、使い捨て単純労働(もしくはアシスタント)という自分が現に仕方なしに行っている仕事と、自分が就きたい仕事、ステイタスのギャップにある。そして著者は、このことが若者の意識にも影響するとしている。
だれも、二極した職業のうち、下位の職について、負け組にはなりたくない。男女とも、企業社会に必要とされ収入が高い中核的専門労働者、それが無理なら、男性ならせめて、それなりの収入と将来保証が得られる公務員などのオールドエコノミーの職、そして、女性なら、そのような男性の妻になりたいと思うだろう。
フリーターをしながら「自分の理想的仕事や立場」に就くまで待っている状態が、フリーターの真の姿なのである。私が生命保険文化センターの調査に加わって行った結果をみても、10年後までもフリーターで居続けていることを希望している若者はたいへん少ない。
いつか、自分の理想的な仕事や立場に就けるはず、と思いながら、単純労働者である自分の姿を心理的に正当化するのが、フリーターの抱く夢の本質ではないだろうか。
(「希望格差社会」p.124)
近代社会では、仕事は、「社会の中で役に立っている」「自分が社会の中で必要とされている」という「アイデンティティ(=社会の中で自分が存在してよい理由=生き甲斐)」の感覚を与えるモノとしての役割が与えられた。宗教が衰退した近代社会では、「自分が社会の中で必要とされない」と思うことほど、つらい状態はない。さらに、アイデンティティを脅かされた人々が多数発生することによる社会の不安定化への懸念が論じられる。
(中略)
従って、現在日本社会で生じている失業やフリーターの増大は、単に経済的生活問題だけではなく、職を失った人や定職に就けない人々のアイデンティティを脅かす要因となっている。
(「希望格差社会」p.102)
■分析業界の場合
著者は単純労働の例としてパソコンにデータを入力し続ける派遣社員、ネット接続業者のスターターセットを駅前で配る人、ファストフードやコンビニでマニュアルどおりに働くアルバイト等を挙げている。文脈によってはコンビニ店長や現場管理者あたりまで「中核になれない労働者」として二極化の下のほうに分類されている。
分析業界ではどうだろうか。私はこんなことが気になる。
(1) 高度な仕事と単純な仕事の二極化は起こっているか?
(2) 単純な仕事をする人が経験を積んで高度な仕事に就く道は狭められているか?
(3) 単純な仕事をする人が充実感や希望を持ちながら働ける状況か?
(4) 充実感や希望が持てない状況であったとして、それが業務に何か悪影響をもたらすか?
もちろん賃金や雇用形態の問題抜きに語れるものではないが、そのようなテーマはアクティブなサイトが他にいくらでもあるので、私は自分のページで追求してきた「分析という仕事への愛着」という側面からこの問題を考えてみたい。
(1)に関しては他の業種よりも急速に進んでいると言える。信頼性保証への要求が高まり続けており、すべての手順は文書化され、その実行は完全に文書に従うことがますます求められている。また、分析機器のブラックボックス化・自動化の進展も(1)の流れに拍車をかける。
(2)については、私の知る限り分析業界でも正規雇用が減って派遣やパートが増える傾向にあると感じる。だからといって(3)が現実か否かはわからないが、仮に現実であるならば(4)の悪影響は他業種より潜在的で深刻なものとなる可能性がある。分析業務を行う人が何か不満を持つことにより集中力や丹念さを欠くことになるかもしれず、そうなった場合、接客業やデータ入力のような業種よりもミスや不具合を発見しにくいからだ。
仮に(1)から(4)の懸念が現実にあるとして、どんな解決方法があるか。くどいようだが労働条件や雇用形態の改善といった制度的なことでなく、あくまで個人の意識の持ち方の範囲内での解決方法。
現在の私は単純な仕事だけする立場というわけではないが、雇用流動化の昨今、その立場が永続的に保証されているわけではない。また雇用形態とは別の仕事内容の話なので、ルーチン分析に携わる人すべてに多少なりとも当てはまるとも言える。だから自分の問題として考えてみる。
■分析屋が「格差」に対処する心構え
「創造的で裁量権が多く定型的でない仕事」と「決められた手順で決められたことを繰り返す仕事」とに分析の仕事が二極化しているとして、前者を希望しながら実際には後者に従事する人が仕事に誇りを持ちインセンティブを高めるための発想法。
その1 ルーチンワークあってこその分析
どんな職種にも言えることだが、最前線で実働する人なしには何もできない。頭がいくら大きくても手足が無くては役に立たない。そのことを考えれば誇りは必ず持てる。
その2 ルーチンワークの中からアイデアが生まれる
分析にとって「高度」な仕事とは新しい機器の導入や試験操作手順の改良などだが、実際に操作を行っている人にしか発想できないことがいくらでもある。そのような発想を得る努力ができるし、得た場合にしかるべきところに伝える努力もできる。
その3 分析自体が請負的な仕事
ほとんどすべての分析は他の機関や他の部署からの要請に応じて行われる。ゆえに、分析業務の中で二極化しているといっても、もっと大きな構図で見ればさらに上位の事業や政策が存在する。よく考えれば自由で裁量権の大きい職に就く人の比率は極めて少ないことがわかる。
その4 分析屋が集められるスキルのパーツは多い
分析業務に関連する技能・資格は多数あり、これらを一つずつ修得することも自己研鑽の励みになる。例えば環境計量士、公害防止管理者、危険物取扱者、特別管理産業廃棄物管理責任者といった資格、技能検定(化学分析)、各種機器の操作、統計や語学など。チャレンジする対象には事欠かない。
その5 プライドの高いいい加減な分析屋より淡々とした几帳面な分析屋のほうがよい
説明不要。
■「仕事内容の格差=仕事の価値の格差」にしない
「格差」に関連してさまざまな論議が展開されている。収入や労働時間、雇用の安定性等の話では大多数の人が価値観を共有できるだろう。一方、仕事の重要性ややりがいの話を一律に「単純な労働=価値が低い」として進められると私は抵抗を感じる。とはいえかんたんに「職業に貴賎なし」と唱えれば済むものではなく、「職業上の誇り」の内容は各業種それぞれの実情に応じて考えるものという気がする。
■トラックバック先
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● 派遣社員@食品業界 派遣社員として大手食品メーカーで微生物検査メインの品質管理をしている女性のブログ。派遣という立場での日記にときどき強い職業意識がのぞく。最近の記事では「もちもの」の中の爪切りを常に持ち歩いている話など。
●迎春ちゃんのちくちく日記 分析試験室の日常が人物描写まで含めてリアルに書かれている。詳細な写真入なのでかなり臨場感がある。残留農薬分析(1)、残留農薬分析(2)、残留農薬分析(3)など。
●モジモジ日記 環境計量士試験の予備校の講師をしている男性のブログ。試験に受かる生徒☆彡、試験に受かる生徒(続き)が面白い。
■続き
分析屋と「格差社会」2
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Comments
あけましておめでとうございます。
トラックバックありがとうございます。
派遣社員やっていると二極化は肌で感じます。
私は食品会社で検査ばかりしていますが、検査自体は契約社員や派遣社員がやればいいような気がします。
その場合の非正社員の教育は重要ですが。
現在の派遣先の正社員は働き詰めで、これ以上働いたら死ぬのではないだろうかと本気で心配しています。
正社員は責任を負う立場にあるのでしょうが、それが単純に高度な仕事なのかは話が別な気がします。
つめきりを持ち歩くようになったのは職業意識ではなくて、はっきり言ってなし崩しです。
持ち歩かなくても、家でつめ切ればいいだけの話なんです。
Posted by: mira | 2007.01.02 03:45 AM
あけましておめでとうございます☆
トラックバックありがとうございます。
実は私は環境計量士の予備校講師ではありません。
環境計量士や公害防止管理者等の等の講師は学生時代(当然資格は当時から持っておりました・・・なんかいやみっぽいですね☆すみません)に自分が通っていた学校でやらせていただいておりました。その後社会人になりなんかの縁で副業の形で公務員試験予備校(法律系)の講師をやっておりました関係上以下のように感じていました。文系(法律・経済)資格は予備校特有のテクニック等非常に恵まれた環境があります。それに比べて理系の国家資格はその難易度にもかかわらず試験突破のためのテクニック等が非常に立ち遅れており受験者が情報を集める努力を必要とする事(こういった資格は社会人が取るため出来得る限り少ない努力で実務により研鑽を積むことがベストと考えているため)に疑問を感じておりました。
そのため私のブログで少ない経験を少しでも受験者の方に役立てていただきたいと思い。予備校テクニックを理系(環境計量士等)に応用させた形で書いた次第です。まぁオナニー的(自己満足)なところもありますが面白いといっていただいてありがとうございます。
Posted by: モジ② | 2007.01.03 05:47 PM
>miraさん
コメントありがとうございます。
ブログの記事(1月3日)も読ませていただきました。
> 食品業界なら、「創造的で裁量権が多く定型的でない仕事」は強いて言えば開発の方ではないでしょうか。
まさにそのとおりです。だからしょせん「分析自体が請負的な仕事」なわけですが、それでも新しい対象物の分析法開発とか新しい機器の導入とか、定型的でない仕事をする人は必ず必要です。そして定型的な仕事をパートや派遣の人に任せるスタイルはずっと以前からありました。
でも、私が知る限り、そういう人たちはあくまで一時的に分析の職場に来ている感じでした。(子供が手を離れたからパートに出たとか、希望の就職先が見つかるまでのつなぎとか・・・)
ところが最近は、分析の職場でエンドレスに定型的な仕事を続ける見込みの人たちがかなりの数存在するようになったのではないかと感じ、この記事を書きました。miraさん(分析とはちょっと違いますが)のブログから仕事に対する真面目な姿勢を読み取ったことも一つのきっかけになりました。
>モジ②さん
コメントありがとうございます。
予備校講師ではなかったんですね。失礼しました。
ブログから、副業で予備校講師をしておられると思いましたが、それは過去形ということですね。
私は分析屋さんのブログを探してリンクさせていただいていますが、環境計量士関係のサイトはけっこう見かけますね。受験勉強ネタは職場と無関係に書けますから扱いやすいのでしょう。モジ②さんのように教える立場から書かれているのはめずらしいですが。受験する人たちにはたいへん参考になると思います。
Posted by: ここの管理人 | 2007.01.04 10:29 PM