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March 2006

2006.03.26

農家が検査機関の信頼性を判断するには?

 農薬ネット を主宰する西田立樹さんから、ブログに 質問コメント をいただいた。

ポジ制がらみで残留農薬検査結果の確からしさに注目が集まっていますが、検査機関の信頼性を農家などはどのようにして判断すればいいのでしょうか。また、検査機関は信頼性を高めるためにどのような事をすればいいのでしょうか。

 むずかしい質問だ。「農家などが」・・・つまり、化学分析の専門知識を持たない人が検査機関の信頼性を判断する・・・いったい、どうすればいいのだろうか。

国が運用している制度

 最初にチェックすべきは、食品衛生法に基づく検査機関として登録されているか否かだろう。登録されている機関は、国が定期的に査察を行って信頼性を確認している。(この制度の概要や登録機関リストは、厚生労働省ホームページ 食品衛生法上の登録検査機関について 参照。)

 しかし、登録検査機関は多数ある。また、現時点でこの制度の対象になっている分析は個別の農薬の命令検査であり、多成分スクリーニングではない。さらに、参入制限があるため(化学会社を親会社に持つと条件が厳しい等)、実績のある検査機関が登録されていなかったりする。

 では、登録制度以外にどんなことを目安に検査機関を選べばいいのか。私自身は現在農薬分析をしていないが、現役で農薬分析に携わっておられるかたがたにきいてみた。

検査機関が検査機関を選ぶ場合

 まず答えてくれたのが、大手検査機関で統括的な立場にあるかた。いきなり高度な要求が出た。

検査機関の信頼性は自分の目で判断する以外にはありません。
私どもも、自社でオーバフローした業務を他の分析機関に委託することを行っていますが、事前に、既に残留が判明している検体を送って確認しています。さらに、機器の管理、手順書、職員の訓練などを確認した上でないととても安心して分析を委ねることができません。

 さすがに、専門機関が専門機関を選定する基準だから厳しい。「残留量既知の検体」をまず分析させてみる・・・本来、そうすべきだ。しかし、農家がそんな検体を用意するのは難しいのではないか。「機器の管理や手順書を確認」・・・これも専門知識がなければ無理ではないか。

3点セット

 次に答えてくれたのは、私のページにたびたび登場していただいているベテランUさん。(ポジティブリスト制への対応策試験室三原則分析化学のページ公開の経緯

農薬検査依頼者は検査成績書の他に次の物を添付して貰いましょう。
1.GLP制度上の信頼性確保部門の直近の査察結果
2.直近3回の外部精度管理結果
3.検査と並行してやられているはずの添加回収試験結果(内部精度管理結果)

 添付してもらうだけなら、専門知識がなくてもできる。特に検査機関ごとに差が出るのが2番の「外部精度管理」だろう。「残留量既知の検体を事前に分析させてみる」を第三者機関がやってくれて、その結果を公的に証明してくれるのが外部精度管理だ。こういう仕組みがあるということを知っているかいないかは、検査機関選びに大きく影響しそうだ。特に、このホームページでもたびたび紹介している FAPASR は、実際の残留分析に近い枠組みで行われている。FAPASRに参加していて結果を見せてくれる機関は、相当自信があるところだと思う。(中身を理解できなくても、出せる機関か出せない機関かということ自体が判断材料になる。)

3つの質問

 最後に答えてくれたのは、検査機関の信頼性を評価する道のプロ。(所属は伏せておく。)次の3つの質問をしてみるのがいいそうだ。

1.どうやって分析の質を確保しているか。内部精度管理や外部精度管理がどうなっているか。
2.一日あたりの受託件数と、分析に当たっているスタッフの人数(無理がない数かどうか)。
3.食品衛生法に基づく命令検査の受託実績(件数が多いところは経験を積んでいる)。

 このうち1番のような質問を専門外の人ができるのか?検査機関が答えたとしても、それを判断できるのか?このプロが言うには「農家の人にもわかるように説明できる検査機関はホンモノです。真に自分のものになっていなければ、一般の人にわかるように話せません。私たちが接する検査機関の中にも、やたらに専門用語を並べるだけで実はわかっていないのではないかと疑いたくなるところが若干あります」とのことだった。なるほど。

 また、件数とスタッフの人数の比にしても、どのくらいなら無理がないかを判断することは難しいが、数字そのものよりも、回答するときの態度によって、そういうことをきちんと考えているかどうかがわかるそうだ。

農薬分析に意味があるのか

 ところで、そもそも農薬残留検査にどの程度意味があるのか?という疑問がある。検査にかかる莫大な費用、分析の限界、サンプリングした作物の検査結果で正確に全体の実態をとらえられるのか・・・といったことを考え合わせれば、やはりあくまで栽培段階での管理を中心に据えるのが合理的だろう。

 いっそ、残留農薬を分析すること自体をやめてはどうなのか。と、上記のプロにきいてみた。すると「でも、栽培段階での管理だけを100%信用して頼るわけにも行きませんよね。やはりどうしても確認のための分析はある程度必要だと思います」とのことだった。

 検査機関の側としては、検査の限界を認識しつつも、検査というものの重要性に自負を持って、技術や説明責任の面で社会的要請に答える努力を続けていくのが大切だと思う。

補足:なお、検査機関の国際規格ISO17025(JISQ17025)もあるが、これを農薬分析で取得している国内機関は現時点では非常に少ない。

(この記事は 本館 と同時ポストです。)

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2006.03.15

経産省部長の「炎上」ブログ続報(朝日新聞)

 経済産業省の谷みどり消費経済部長のブログが約3週間で閉鎖に追い込まれた件について、朝日新聞夕刊2006年3月14日付け科学欄(記者席)にコメントが掲載された。科学医療部次長 高橋真理子「専門家の発信、生かせる環境に」という署名記事。筆者の主張が述べられている部分を引用しておく。

 だが、そもそもPSE法の広報は経産省の仕事であり、それが不十分だったことは当の経産省も認めている。足らざるを補う努力がなぜ職務でないのか、不思議である。
 情報の自由な流通を可能にしたインターネットは、一方で無法地帯といわれてきた。管理する者はどこにもおらず、悪意の情報もいくらでも流せる。善意の書き込みが思わぬハレーションを起こすこともある。
 だから、インターネットとの付き合いは慎重を期した方がいい。ただ、忙しい専門家が発信するのにこれほど便利なメディアもない。自らの知識と経験をもとに、社会の関心事をわかりやすく語る。使命感に基づくそんな活動が自由にできない環境は、何とも情けない。

 私は、個人サイトで所属組織の政策の広報をすることは「職務」でないと思う。
 その組織内でブログを広報に利用することを決め、担当者を選んで任せたなら「職務」だ。しかし、個人の判断で開いたブログが「職務」になり、勤務時間中に堂々と更新されるとしたら、ちょっと待ってくれと言いたい。
 そのようにして発信された情報の責任はどこにあるのか。突き詰めれば個人の判断でしかないものが、組織のお墨付きを受けたものであるかのように受け取られるのではないか。

 この問題については2年以上前にウェブ上で一大議論になり、相当多くの人たちが意見を述べた。火元になった徳保隆夫さんは、まとめページ 専門家の情報発信 を作っている。
 私の意見は 「専門家は個人の責任で情報発信するな」について:補足 に集約されている。組織のお墨付きでやるなら、企画として提案し、手続きを踏んで決裁を受けるべきだ。お墨付きを取るのが面倒なら、徹底的に個人の責任で(個人の時間とお金で)やるべきだ。どちらなのか見分けのつかない情報が飛び交うのは、納税者として納得いかないし、生活者として安心できない。

 今回の「炎上」事件に関して私が注目したいのは、谷部長が勤務時間中の更新をとがめられて「職務専念義務違反」としてだけ注意を受けた点である。
 「組織の人のblog」過去ログ で書いたとおり、組織の人が個人的に情報発信すること自体が問題視される可能性もあると思ってきた。しかし、少なくとも経産省は、私が上記記事に書いたようなもろもろの懸念は表立って問題にしていないようだ。このことは、「組織の人のブログ」史上、画期的だと思う。

この記事のトラックバック先

谷みどり嬢、ブログ「谷みどりの消費者情報」問題で大臣官房から注意を受けていた(Garbagenews.com)

珍しく国会や役所のことに胸を痛めたこと(境真良(実名登録)の日々是雑感)

役人の情報公開は支援する方向で (事象の地平線)

谷みどりさんとPSE法(END_OF_SCAN)

公務中に個人ブログ更新~経産省キャリア(閑人斎の一刀両断)

ブログという場について考える(tata日記)

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2006.03.12

化学と統計のよそよそしい関係

 前回、「大学の化学系できちんと統計の基礎を教えているところは少ない」と書いた。その理由を考えてみる。

 その前に、私が上記のように認識している根拠を述べる。本当に化学系ではあまり統計を教えていないのか。

 一つは、私自身が大学(薬学部)及び大学院修士課程(薬学研究科・有機化学専攻)で履修した内容。統計に関する講義が開かれていたのかどうかすら覚えていないが、受講しなくても卒業できたから、必修でなかったことは確かだ。まわりの学生が統計の講義を取っているという話も聞いたことがなかった。研究室で小規模に教えられることもなかった。

 二つめ。社会人になってから現在まで、同業者で統計の知識がある人が非常に少ないと感じる。

 三つめ。現在日本薬学会から示されている 薬学教育モデル・コアカリキュラム において、生物統計に関しては、パラメトリック検定とノンパラメトリック検定、t-検定、Mann-Whitney U 検定等の述語を挙げて詳細に到達目標が設定されている。保健統計に関しても、生物統計ほど専門的な内容でないが、独立した項が設けられている。これに対して化学分野では、「化学物質の検出と定量-定量の基礎」の一項目として「実験値を用いた計算および統計処理ができる(技能)」と書かれているのみである。(この書き方なら、平均と標準偏差を計算できて検量線を引けるだけでも目標を達成したことになりそうだ。)

 四つめ。統計の入門的な書籍は、生物系の学生向けのものは非常に多いが、化学系の学生向けのものはほとんどない。(これらの本は大学での講義・実習内容を反映すると思われる。)

 自分の周囲の人たち(主に薬学部卒と理学部卒)にもきいてみた。数学の講義の単元に「確率・統計」があったという人がいたが、技能としての統計処理を教えられたという人はいなかった。

 で、最初の問題に戻る。なぜ化学系では生物系ほど統計を教えないのか。

 私の考えた結論を思い切って単純に表現すれば、「統計は、生物系では攻めの武器、化学系では守りの道具だ」となる。

 生物系で最もよく統計が使われる場面は、新薬の開発や病因の発見や品種改良のように、新しいものを発見しようとするとき、すなわち研究の段階だ。それに対して化学系では、新しい合成法の開発や分析原理の発見に大きな n 数は求められず、むしろ n=1 や 3 程度で、パラメータをいろいろと変化させて検討を重ねる。化学系で統計が使われるのは、研究が終了して実用に供された後、主に品質管理サンプリングの段階だ。

 こうなるのはそれぞれが扱う対象の違いによる。生物には必ず個体差がある一方、化学物質は構造式が同じであれば(理論的には)完全に同じはずである。統計は、ばらつくものに対して使うものであって、ばらつかない(あるいは問題にならない程度のばらつきである)場合は、使う必要がない。

 生物系にとっては、ばらつくものほど腕の見せどころ。様々な検定法が編み出され、研究者たちはそれらを駆使して何とか有意差を出そうとする。統計は武器である。化学系にとって、ばらつくのは困る。自分が使っている合成法、自分が持っている分析機器で、常に均一な製品や分析値が生み出されてほしい。統計は均一さを証明するために渋々使わざるを得ない道具である。

 そして、日本における大学教育は、長らく研究志向で行われてきたという事情がある。化学系の教員が本格的に統計を使う機会は少なかったろうし、学生に教えようと考える動機もあまり無かったと考えられる。

 しかし化学系の学生も、大学を卒業して社会に出れば、n=1 や 3 ですまされない色々なもの、繰り返しごとにばらつくもの、あるいは不均質なものに出会うはずである。そんなとき、「このばらつきは統計的手法を使って解析すべきでは?」と考えて、適切な統計法を選ぶ、そういうセンスと基礎知識は必要と思われる。

 大学も生き残りの時代となり、即戦力になる人材を送り出すことが求められている。化学系の学部・学科で、もう少し統計を教えるようになってもいいのではないかと思う。

【付記】
1.この記事は 本館 と同時ポストです。
2.前記事に対して、 あらきけいすけさんの研究日誌(2006/2/28) で言及されていましたので、引用します。

分析屋と統計[技術系サラリーマンの交差点]に曰く、 「生物系では統計は必須アイテムなのに、なぜ化学系では統計を教えないのか。このことについても面白い話をしたのだが、続きはまた今度。」 続きをゆっくりと待とうと思う。 「統計を教えない」ことに興味があるからである。 その背後には、 自分自身が「統計を取れ」と積極的に指導された記憶が無いことと、 岡山理科大学には化学系、 生物系の学科が多いが、 統計関係の数学を教える人が学内にほとんどいないという事態を とても奇妙だと感じるからである。

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2006.03.10

国家公務員の実名ブログ

 実名・所属を明らかにして業務に密着したことを書き、毎日更新して、1年半も続いているブログがある。3週間で閉鎖に追い込まれたブログ が話題になったのをきっかけに書いておく。

 はてなダイアリーで開設されている 食品安全情報blog。国立医薬品食品衛生研究所安全情報部主任研究官の 畝山智香子さん がやっている。

 安全情報部は、ヒトの健康に関わる情報を収集して厚生労働省の政策に生かしたり国民に情報提供することが業務だ。畝山さんは、業務の中で集まった情報の一部をこのブログで個人的に公開している。情報の範囲は食品の安全に関わる様々な事項(ダイオキシン、重金属、天然成分、食習慣、etc.)、情報源は、主に海外の論文、政府系サイトなど。膨大な記事が毎日発信される。

 私が 分析化学のページ でこのブログを紹介したのは、開設されて間もない頃、2004年10月だった。その後2005年1月に、日経BPのコラム 松永和紀のアグリ話 でも、 食品安全関係者必見!お役立ちブログ として紹介された。

 これだけ息長く続くとは、失礼ながら一年半前には思ってもいなかった。掛け値なしにすごい。
 このブログが関連業界の人たちにとってどれほど有用かは、松永さんの上記記事に詳しく書かれているので繰り返さない。私は、このブログのスタイルについてちょっと書いておく。

  • 公開情報の引用のみで構成
  • ブログ開設者の主観はあまり書かない
  • コメント欄はあるが目立たない(畝山さんはこまめに返信している。)
  • フルネームと所属はブログには書かれていない
  • 一見するとどういうサイトかわからない

 こういった特徴が、公務員の立場でも支障を起こさず、「炎上」などとは無縁に続いている秘訣だと思う。このブログを読む人の多くは、検索でアクセスする人たちだろう。「食」についてちょっと不安なニュースを聞いた時、日本語で検索して英語の情報源と簡単な解説がヒットする。これは非常にありがたいことだ。そういう一般消費者の人たちは、このブログがどんな素性のものかは知らないまま読み、去っていくのだろう。

 一方で、畝山さんの所属や業務内容を知った上で付いている固定読者もいる。それは、松永さんや私の紹介文を読んでこのブログを知った一部の人たちであり、業界の玄人たちだ。

 本来、国の機関が情報発信するとなると(たとえ単なる引用でも)正確さの精査のためにかなりの時間と労力が費やされるが、個人の情報発信ではそれほどのコストがかからない。もし畝山さんが公開しなければ、収集されるだけで広範囲の人の目には決して触れないであろう情報群が、ブログによって日の目を見ている。

 国家公務員の情報発信、こういうスタイルもあるということを紹介してみた。

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2006.03.08

小心でないサラリーマンのブログ

経産省部長ブログ「炎上」 PSE法巡り書き込み殺到 (asahi.com)

 本日(2006年3月8日)付けの朝日新聞夕刊に載った記事。既に多数のブックマークが付いている。これから多数のブログで言及されるに違いない。(はてなブックマーク 経産省部長ブログ「炎上」

 経済産業省の現役部長が役職と氏名を明示して開設したブログ「谷みどりの消費者情報」が炎上して閉鎖に追い込まれたという記事。谷さんは「公務中の更新を巡り、国民の非難を浴びた」として国家公務員法の職務専念義務違反で注意を受けたとのこと。

 私のブログで扱っているテーマの一つが 小心なサラリーマン専門家に何が書けるか を探ること。今回のは大胆すぎて守備範囲外だが、ネット事件簿に特記されそうな事例なので書き留めておく。

(私のブログでの関連カテゴリ:組織の人世間体

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2006.03.02

「だから匿名ブログは」にもう釣られない

 今さら感が強く漂う匿名vs実名ネタ。それでも、ちょっとメジャーな実名ブロガーが「匿名ブログなど無価値」「批判するなら本名を名乗れ」とやれば、今でも30や40はコメントが付くらしい。(実例多数を 前記事 からリンク。)

 このパターンには辟易していて、口をはさむ気には全然ならない。ほぼ99%平行線をたどるのが最初から見えている。

 そういうわけで、新しい切り口が見つからない限り、もう匿名vs実名ネタを書くのはやめようと思う。
 最後に、前記事で紹介した「匿名者は石ころ」ポリシーの 三中信宏さん(自作HTML、掲示板なし、コメント欄なし、トラックバック先なしの日録を続けておられる)の 2006年3月1日付け から、そっくり引用。

“三中ポリシー”とは「匿名者は石ころと同じ」という見解です(→参照:日録2004年4月15日).「石ころ」が路傍にたくさん転がっているからといって,目くじらたてて怒る人はいないでしょう.ひょっとしたらすごく役に立つ「石ころ」があって,感謝の念を抱くことさえあるかもしれません.逆に,蹴つまずいたり,飛んできたりして害を及ぼす「石ころ」には,腹を立てることだってあるでしょう.でも,そういう感謝や文句を「石ころ」に言ったところでしかたがないとぼくは思います.「ひと」と「石ころ」の間にはもともと越えがたいギャップがあるのだから,「石ころ」相手に対話をしようとか議論をしようなどということを考えること自体,ぼくにはアンビリーバブルなのです.「匿名者」とはしょせんそういう存在にすぎないということです.誤解してほしくないのは,ぼくは匿名者とか匿名掲示板あるいは匿名ブログの存在を否定しようと考えているわけではないということです.それらは存在していてもまったく問題ないんじゃないですか.どうせぼくには関係ないんだし.

(三中さんも 本録 はブログでやっておられるそうなので、BlogPeople のリストに入れさせていただきました。)

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