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February 2006

2006.02.27

実名ブロガーは「匿名による批判へのポリシー」を示しておいてはどうか

 根強く続く匿名vs実名論争。時を経るごとに議論が深まっている部分もあるが、むなしく繰り返される対立の構図もある。むなしい部分を減らすための、シンプルな提案。

議論になりそうな内容を書く実名ブロガーは、目立つところに「匿名で行われる批判に対するポリシー」を示しておいてはどうか。

 設定するポリシーの類型は、主に3通りある。

1.黒木ポリシー
 実名を名乗っていない人であっても、固定的な仮名を名乗り、まとまったネット上の人格を表現している場合は、公開している情報量に応じて、実名の人や他の固定的な仮名の人を批判できる。「黒木ルール」として有名。(「匿名」による批判の禁止ルールについて

2.津村ポリシー
 実名を名乗っていない人を批判しない。実名を名乗っていない人から批判されても反論しない。(匿名のかたへの批判・反論はしません

3.三中ポリシー
 実名を名乗っていない者は石ころと同じ。〈石〉がそこにあっても、あるいは〈石〉が何かものを言っていても知ったことではない。(三中信宏さんの日録 2004年4月15日付

 ネットでのコミュニケーション経験が少ない実名ブロガーへの注意。大多数の匿名ブロガーのデフォルト設定は黒木ポリシーに沿っている。「匿名のくせに実名の自分を批判するのはけしからん」と主張しても、多くの場合、黒木ルールを盾に退けられる。それから、「非実名=匿名ではない」と考える非実名ブロガーが多い。黒木ルールでは、匿名とは「名無しさん」や「通りすがり」であり、内容のあるブログを開設している人は実名を明かさなくても匿名でない。だから、「匿名」という言葉の意味をめぐって混乱する場合がしばしばある。

 匿名vs実名論争で繰り返されるお決まりパターンには、次のようなものがある。
・実名側が「匿名発言は価値が低い」「匿名での発言はマナーの悪いものが多い」と一律に論じる。
・実名側が「批判するなら実名を名乗れ」と要求する。
・実名側が、相手が匿名であるからという理由で礼を尽くさない対応をする。
・実名側が自分の社会的立場や実績を誇示して優位に立とうとする。(実名の側はそこそこ有名人であったり著作物があったりすることが多いのに対し、匿名の側は容易に自分の存在証明をできないことが多い。)
2006/3/18 補足 実名側が社会的立場や実績を誇示するというより、匿名側が先取りして「俺が名乗っても実名かどうかわかならいだろ」と居直るパターンが多い。)

 実名の人に対して思う。こういうことは見苦しいし不毛だからやめるほうがよい。相手が匿名であっても、いったん議論を始めたなら尊重して、議論の内容だけで勝負すべきだと思う。
 非実名の人に対して思う。上記のような態度になる人に遭遇したら、「匿名批判へのポリシー」を示すように要求してはどうか。そのまま議論を続けても不愉快でしょう。実名以外ダメと言われれば、もう関わらなければよい。「匿名者の発言を批判するけれど、自分が匿名者によって批判されたり反論されたりするのは許さない、あるいは匿名者というだけで軽んじる」という条件ではアンフェアすぎる。

 ポリシーは、議論が白熱してから小出しにするよりは、あらかじめ提示して常に一貫させておくのがいいと思う。議論の内容や形勢によってポリシーが変わるようでは、誠実な態度と思えない。

 「匿名批判へのポリシー」の大筋の枠組みは上に挙げた3つになると思うが、規制の強さは運用しだいでけっこう多様になる。黒木ルールで行く場合、「どの程度自分について公開すれば『匿名』でなくなるか」を判断しなければならない。黒木さんは「恥をかけるだけ十分に詳しく」と述べている。最終的にはサイト主の判断による。
 津村ルール、三中ルールの場合は、「どうやって実名であることを確認するか」によって厳密さの違いが生じる。それぞれオリジナルは、三中さんの場合「所属を名乗ること」、私の場合、必ずしも所属を名乗らなくてもよい別法をあれこれ想定している。(匿名と実名を判別する基準 Ver.1

 以下、ここ一年ほどの間に「匿名vs実名」論議でにぎわったサイトのポリシーを示す記事を分類・列挙しておく。「三中流ポリシーを標榜しながら匿名の人(たち)を批判したり反論したりしたサイト」が台風の目になったケースが圧倒的。

黒木ポリシーに近いもの

 「匿名批判の禁止」黒木ルールメモ(ARTIFACT@ハテナ系 2005/12/28)
 人気サイト ARTIFACT 人工事実 のオーナー加野瀬未友さんの立場。
「このルール、基本的に、自分も同感なんだけど、ブログが普及して、ネット上の人格のリセットのコストが下がっているから、厳格な適用が難しい気はする。」
 私のポリシーの中からも部分的に引用されている。

 YomiuriWeeklyの波紋(小倉秀夫の「IT法のTop Front」 2005/4/23)
 ITに関わる法律問題に強い弁護士さん。「発信者の匿名性を制約する方向でシステムを改革していくことが、blog等での発言の自由を守るために必要だといえると思います。」と書かれているから、一見すると実名主義。しかし別のブログでは非実名の人への真剣な反論もしている。たとえば Which is Childish? (Annex de BENLI 2005/12/31)。これは上記の加野瀬さんのブログへのコメントから発生した議論。

 400万円の損害賠償をどう考えるべきか?(週刊!木村剛 2005/10/12)
 モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために 以来、ネットでの匿名について繰り返し取り上げている木村さん。これが一番最近の匿名関連エントリー。実名か非実名かはほとんど問わず、発言姿勢を重視する立場で一貫している。

 今後は更新しません(今井紀明の日常と考え事 2006/2/16)
 今井紀明さんら3名は2年前にイランで人質になった。そのとき、今井さんの自宅には多数の匿名の手紙が寄せられた。今井さんは最近それらの手紙をブログ(向き合いの中から生まれるもの、それは対話 )で公開した。
 これに対して匿名コメントが殺到したようだが、今井さんは基本的に携帯電話で対話する方針のようだ。「批判をされる方はそちらもリスクを背負っていただきたいです」とある。実名を要求してはいないが、ある程度「顔」が見える手段で対話するという姿勢。

 読売新聞「ヒゲ記者」事件で考える匿名と実名の功罪(すちゃらかな日常 松岡美樹 2005/5/16)
 主張内容は黒木ルールとほぼ一致。

津村ポリシーに近いもの

 匿名批判と質問についてのわたくしの考え(柳田充弘の休憩時間2005/4/14)
「もちろんわたくしは、そのような匿名批判に対応をする気はありません。ただ、そのようなコメントが反論もなく、コメント欄に放置されてるのを見てると、不愉快になることは正直あります。消すのはわたくしの感性では、マナー違反になりますので。」
 消すのは抵抗があるが放置も不愉快・・・この感覚は、非常によく理解できる。私の場合、放置の理由「匿名批判には反論しない」を明示しておくという解決策を取っている。

三中ポリシーに近いもの

 フェミニズム 方法論的思考と読解力の欠如 (「牧波」への反論 )(林道義のホームページ H18/1/7)
「仮名での批判は卑怯な精神を肯定し育てるという意味でも、禁止にすべきである。」としながらも、非実名の人のブログ記事に対して「この者の論は、本書で私が指摘したフェミニストの三大欠陥を典型的に示していて、格好の教材になるので、ここで取り上げてみようと思う。」と反論を展開。

 ブログ、実名か虚名か?(ドクター苫米地ブログ 2005/5/10)
 脳機能学者 苫米地英人さんのブログ。タイトルどおりの内容。「実名でブログを公開する勇気のない人は、ただの臆病者か、無責任な人間だと思う」と言い切った。この後、匿名ブログはやめてしまえそれでも、匿名ブログはやめてしまえ実名の意味が分からない子供たちへ と続いたから、反響は大きかったようだ。

 匿名でないと発言できないのは何故か(西正が贈るメディア情報 2006/2/1)
「匿名で日記を書いて、知らない他人に読んでもらいたいという気持ちは全く理解できない。何の意味があるかすら分からない。」

非実名・固定ハンドルネームの人が示しているポリシー
 固定ハンドルの人たちのデフォルトは、先に述べたとおりほぼ黒木ルールと考えてよいが、より詳しく条件設定して、固定(らしき)ハンドルネームの「質」を見極めようとするサイトもけっこうある。

 匿名であること、実名であること。(304 Not Modified 2005/5/17)
 「メルアドまたはサイトアドレスがない人の批判には答えなくても良いと思います」
 5年考えて解けなかった問題いち早く正解 を寄せてくれたまなめさんの立場。

ポリシーよりもブログの内容に着目
 炎上せずに実名ブログをやる3つの方法(元祖しゃちょう日記 2005/10/7)
 2ちゃんねるの管理人ひろゆきさんのブログ。「炎上するようなことを書かない」「炎上しても実生活で困らない」「つまらないので誰も読まないから炎上しない」のどれかに当てはまれば実名ブログを続けられるそうだ。

 (雑感)研究人がネットで実名を名乗るとき(江戸時代研究の休み時間 2005/1/7)
 歴史研究人 高尾善希さんのブログ。「実名か匿名かというよりも、書く内容による」というネット玄人の意見を引用。他人の実名・匿名にどう対応するかについては触れていない。

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2006.02.24

分析屋と統計

 分析化学とその周辺の分野で、「統計」がどのように使われているか、分析屋はどの程度「統計」の知識を身に付けなければならないか、議論する機会があった。けっこう網羅的な話ができたので、まとめておく。

 まず、たいていの定量では検量線を描かなければならない。その検量線の直線性を評価するために、相関係数を求めなければならない。同じ測定を繰り返した場合には、平均値標準偏差を算出する。このあたりはExcelを使って簡単にできるし、統計であることすら意識しないくらいだ。

 分析法バリデーションのためには並行再現性室内再現性を求める。大規模なバリデーションでは室間再現性も求める。検出限界及び定量限界は、シグナル/ノイズ比やブランク値の標準偏差等から求める。範囲も求めなければならない。これらの計算式は単なる標準偏差の算出よりもややこしいが、難しいというほどではない。

 不確かさの見積もりあたりから、少し高度になる。誤差法則の応用。内部精度管理においては、管理図を描き、管理限界を決める。管理試料によって得られるデータはあくまで標本であることを意識して、その数値から母集団(分析系)の状況をモニターする体制の構築。

 さらに外部精度管理となると、同じ分析化学でも分野によって評価基準が様々で混乱する。しかし、おおもとにある概念はどれも同じだ。例えばzスコアHorwitzの式HORRAT値等、次々に新しい評価法、新しい述語が生み出されているが、統計の基本がわかっていれば理解するのは困難でない。

 サンプリングにも統計の知識が必要だ。全数検査するのでない限り、「このサンプリング数でどの程度正確に全体像を把握できるのか?」という問題が付きまとう。目的に照らして合理的なサンプル数はいくつか。どんな方法でサンプリングしたらいいか。最低限のコストで最大の効果を上げるためのツールが統計だ。

 得られた分析値から何かを結論付ける場合もある。公衆の安全確保を目的とした分析であれば、例えばある有害物質について、分析値から摂取量を推定し、健康被害の懸念される摂取量と比較してリスク評価が行われる。また、特定の物質の環境中濃度データから環境動態モデルを導く場合もある。いずれも高度な統計処理が必要だ。

 さらに、量的な分析のためだけでなく質的な分析のためにも統計が使われる。各種スペクトルデータや不純物のクロマトグラムパターンから、農産物の産地を推定したり違法薬物の流通ルート解明を試みたりするケモメトリックスが話題を呼んでいる。

 上記全部にまたがって、研究を行うのであれば実験計画の策定に統計的手法が必要だ。

 分析屋が統計を使う場面はこんなに多様に存在する。専門外の人は、「数値を出すのが仕事の分析屋は当然統計を勉強している」と思うことだろう。ところが実は、大学の化学系できちんと統計の基礎を教えているところは少ない。教養課程の選択授業に入っている程度だ。このページを読んでおられる皆さんの大部分は分析屋だろうが、「統計をちゃんと勉強した」と言える人はあまり多くないのではないか。

 生物系では統計は必須アイテムなのに、なぜ化学系では統計を教えないのか。このことについても面白い話をしたのだが、続きはまた今度。なお、大学で統計を教わらなかった私が自費でした勉強の詳細は、現代統計実務講座を受講して に書いている。統計の知識を使ってドキュメンタリー風に書いてみた小論は、残留農薬スクリーニングの腕前を確かめるには に。

(この記事は 本館 と同時ポストしています。)
(久しぶりなので、沢木さんの 「宇宙怪人しまりす 医療統計を学ぶ」 にトラックバック。)

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