はまり込むきっかけ
古今東西の「名作」と呼ばれる文学作品や芸術作品がある。国内国外、多数の「名所」がある。テレビや新聞で報道されるニュース、ドキュメンタリー、ドラマから、数々の「名場面」が生まれる。
かつての貧しかった時代とは違って、娯楽も情報も大量に存在し、すぐ手の届くところにあふれている。ある程度の評価を得ているものは全部見てやろうと思ったら、映画とテレビ番組の上映時間を合わせるだけで、人生の総時間数を超えてしまうかもしれない。
難問とか良問と言われる問題も多数存在するけれど、その全部に挑戦する暇がある人はあまりいない。
それでも、たった一つの作品、たった一つの問題を、密度高く観た、深く考えた、咀嚼した、という経験がある人生は、(出会う作品や問題の総数は少なくなるけれど、)多数の作品・問題を効率よくこなしていく人生より豊かな人生だと思う。
「たった一つ」を選んで密度高い時間を持つきっかけは、どんなところにあるのだろう?
たぶん学校では、「教材」として与えられたというのが最大・最多の理由になる。
学校の外では、多くの場合「人」が媒介するような気がする。友人、家族、上司、同僚、テレビに登場するタレント、その他、ひょんな縁で出会う人たちが話題にしたもの。そして、何か響いてくる「物語」を感じること。条件がそろえば、学校で「教材」として与えられたのと同じくらい(あるいはそれ以上)真剣に取り組んでしまっている自分を発見する。
そんな時間を時々持ちたい。そんな出会いの機会があれば、逃がさないようにしたい。
*「フランクリンの凧」と呼ばれる問題は灘中の1972年入試問題だったそうです。コメント欄で exedexes さんから情報をいただきました。
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