「ネットな人」仮説
これはまったく見当はずれな思い違いかもしれないし、あるいは逆に、ネットコミュニケーション論の専門家にとっては自明のことだったりするかもしれない。ネット歴長めの一ユーザーとしての限られた経験から、感じたままを書いてみる。
もとは梅田望夫さんの インターネット世代論 から考え始めたことだが、だんだんと私の自説の部分が大きくなった。
「ネットな人仮説」と名付けてみようか。「ネット人仮説」でもよい。
1.世の中には、ネットへの親和性が高い人と、そうでない人がいるようだ。
2.ネットへの親和性の高さは、先天的な要素と後天的な要素で決まるらしい。先天的に資質を持つ人たちが後天的にネット体験を積むと、ネット人になるらしい。
3.ネット人の行動原理は、「ネットで自分を表現したい」という根源的な欲求。
「ネットな人」の特徴や生態については、過去記事 1、2、3 にあれこれ書いたし、梅田さんの記事やそのリンク先にも描写されている。
この仮説を認めるとしたら、どんなことが導かれるか。
「ネットな人」本人にとっては、自分の行動原理を知ることで、自分の行動をよりうまく制御できるようになるかもしれない。「うまく」というのは、自分の深い部分での価値観や長期的な利害と合致するように、ということ。「あとで後悔しないように」とも言える。食欲や性欲や物欲や名誉欲や独占欲を制御するように、「ネットで表現したい欲求」を制御する。
自己を表現する方法は、ネット以外にいくらでもある。おしゃべりやファッションやスポーツや舞踏や音楽や模型製作などなど。それらに充当することもできる時間や労力をネットに向ける人たちは、別の表現方法よりもネットでの表現というスタイルが合っているのだろう。
でも、インターネット上での表現は、音楽やファッションによる表現と比べたら、格段にリスクが大きい。自分がそういうリスクと引き換えに表現欲求を満たしていると認識すれば、「別の表現方法に振り向けたほうがいい部分もあるのでは?」とか「表現する場の公開/非公開の比率はこれでいいか?」とか「実名・匿名、どちらを選ぶか?」とか、「どうせ表現するなら、よりよい表現をしたい。どうすればいい?」とか、考えやすくなる。
それから、世の中の多数派は、自分のような行動原理では動いていないと認識できる。ネットの世界にいると、ネットな人ばかり世の中にいるような錯覚に陥ってしまうけれど、そんなことはない。
あとは、梅田さんのように、若い世代ほど「ネットな人」の比率は高まり、いずれ無視できない勢力になると予測してマーケティングに生かす・・・というのもある。
ただ、私の直感でしかないけれど、ネットな人の存在確率はそんなに高くなくて、今後めいっぱい顕在化したとしても、全人口の1割よりは少ないと思う。サイレントな1割でなく表現する1割だから、これでもすごい影響力を持ちそうだけど。(ネットな人が全員インターネットに出てくるわけでなく、たぶん非公開のコミュニティでネット人になる人が多い。)
トラックバック先
インターネットコミュニティは「村」段階(Unforgettable Days)
インターネットコミュニティが進化・発展していくという観点から、現時点でどのへんか、という分析をされています。
自由に意見を述べられる場の限界(philosophical)
上記記事へのコメント。Shinさん、お引越し、おめでとうございます。(新築お祝いみたいな感覚で。)
「ネットな人」カテゴリの記事
- 井亀あおい「アルゴノオト」より(2004.07.23)
- 「インターネット世代」をかいま見た?(2004.07.07)
- 「なぜウェブログを書き続けるのか」モデル(2004.07.03)
- 科学に「将来予測」を期待する(2004.06.30)
- 「ネットな人」仮説(2004.06.26)
The comments to this entry are closed.
Comments
>世の中には、ネットへの親和性が高い人と、そうでない人がいるようだ。
うちの嫁さんなんかはネットよりもテレビ/学校のような権威っぽいものを圧倒的に重視する人のようです。ぃや、ネットを異常に軽視しているのかな。自分がどっぷり漬からないとネット上で信頼に足る情報があると思うことはできなさげですねぇ。
或いは自分の判断力に自信がない場合は、自力で見分けなければならないネットより、何の根拠も無くても批判が見えにくい「権威っぽいもの」を信用したくなるのかもしれません。
ところで、3は微妙だなぁと思います。もちろん多くいるとは思いますが、より多くの人は「自分を表現したい」よりは「安易に安心させて欲しい」といった気持ちの方が強いだろう、と。そのあたりは梅田さん曰くの「ネットを信頼できるメディアと捉える人」というほうがすっきりするかなと。
根源的には、人は自分で判断するのが億劫である、と仮説を立ててみたいです:p。
Posted by: Shin | 2004.07.01 11:40 AM
はっ! cookie に古いサイトの情報が入ったままだった-_-。
お祝いいただき、ありがとうございますぅ^^;;。
# 移転したおかげで、すっきり訪問される方が減りまして(ココログなかなかやるな、と)気楽さは増しましたです^^;。
Posted by: Shin | 2004.07.01 11:43 AM
Shin さん、おひさしぶりです。
「自分を表現したい」か・・・
「安易に安心させて欲しい」か・・・
それは結構むずかしいです。というのは、私は今のところ「ネットな人」とは、自分でも何か発言する人だと思っているのです。公開の発言だけでなく、メール等まで含めるとして。
自分では全く発言せず、ネットをうろうろするだけの人(も多いでしょう)を「ネットな人」と考えていいのか。考えるとすれば、そういう人と、テレビや活字の世界をうろうろする人との違いって、何になるんでしょう。
このへんの整理がついていないので、とりあえず「発言する人」を念頭に置いています。梅田さんは「うろうろするだけの人」も含めておられる感じがします。
ココログを集合住宅とすれば、自宅サーバーでのblogは一戸建てみたいなものでしょうか。たしかに気楽というか、解放感がありそうですね。
Posted by: ここの管理人 | 2004.07.02 06:24 AM
>そういう人と、テレビや活字の世界をうろうろする人との違いって、何になるんでしょう。
違いはないですね。そしてそれが多数派。
後はネットの情報をテレビや活字と同程度に信頼しているか否か。ふむふむ、行動様式と信頼の度合いはベクトルが違いますねぇ。
梅田さん定義とは違う切り口での「ネットな人」定義だったということですね~。双方の切り口をマトリクスにすれば4分類になりますねぇ^^;。
Posted by: Shin | 2004.07.02 04:12 PM
梅田さんの話は、「インターネット世代でない世代」に「インターネット世代」を理解させようというのが主目的ですから、「でない世代」が最も驚きそうなところに一番の力点を置かれているのでしょう。「不特定膨大多数への信頼感」とか「匿名の他者と対話できるか」とか。私は、自分がネットな人であるという前提で書いていますから、行動のほうへ目が行きます。
Posted by: ここの管理人 | 2004.07.03 05:43 AM