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2004.06.20

科学者よりも作家になりたかった頃

 科学者よりも作家になりたいかもしれないと、漠然と思っていた頃があった。物質や現象について客観的に述べるより、人間を描くほうが創造的なような気がしていた。
 既に亡くなられているが、私の郷里に、地方では有名な女性作家がいた。学生の頃、ファンとしてそのかたの自宅を訪ねたことがある。とりとめない話の中で「ヒッカ」について特に熱心に語られたのを、今も覚えている。
 「ヒッカ」とは何のことか最初わからなかったが、「筆禍」だった。「舌禍」に対して「筆禍」もあることを、そのとき初めて知った。要するに、自分が書いたことが原因になって、他人との間でトラブルが起こること。
 当時既に高齢だったその女性作家は、自分自身や親族をモデルにして、ほとんど実話に近い自伝的小説を書いていた。郷土の作家と言われる人には、そういうスタイルをとる人が多いらしかった。どうも、作家仲間の中に、訴訟を起こされてたいへんな目に遭っている人がいるようだった。
 私が会った女性作家本人は訴訟は抱えていなかったが、筆禍を避けながら文学することの難しさを強く意識しておられる様子が私の印象に残った。

 実話とまで行かなくても、リアルな人物像を描こうとすると、どうしても身近に知っている人格を投影してしまうものかもしれない。
 人生は、ほとんどのできごとが忘却の彼方へ去っていくからこそ生きていける・・・という側面がある。忘れたいできごとや過去の自分が、意に反して消えていかず、それどころか大勢の目にさらされたならば、大半の人は傷つくだろう。訴訟までは起こさないにしても。
 それでも書いておきたい、書かねばならない、という強い気持ちがあって、人間を描く人たちがいるのだろう。

 結局私は「体験」や「伝聞」でなく「実験」や「文献」によって新しいものを生み出す道に進んだ。はっきり言って、文学するよりもずっと気楽で、遠慮なく公開できる産物が多い。

 インターネットでものを書く層が広がるに連れて、実在するらしき個人をネタにした文章もずいぶん増えていると感じる。文学風のものから実録、日記、おしゃべり、あるいは愚痴までさまざまだ。他では読めない価値の高いものもあり、益があるやら疑問なものもある。いずれにしても、書き手はそれぞれに覚悟して、書いておく意義と、書くことによって傷つくかもしれない人のことまで考えた上で書いているのだろう。(と願う。)
 私には覚悟がない。私と私の周囲の人々は、消したいものが消えていく生活でありますように。データはきちんと記録して、報告書や論文にしますから。

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