「こちら側」と「あちら側」
実名を名乗って、いかにもリアルの自分と同期した活動をしているかのように見える(見えない?)私にとっても、やっぱりネットはパラレルワールドだ。今こうして書いている私はネットの世界「こちら側」にいるし、実生活を「あちら側」として、何やら離れたところにあると感じている。
梅田望夫さん「英語で読むITトレンド」 で、先月 ネット世代とPC世代を分ける「インターネットの隠れた本質」 がupされ、それに対するトラックバックを受けて、インターネット世代論・再び が一昨日付けでupされた。
思いっきり単純化だが、Echoo! のトラックバック大会の最新テーマ ネットの自分 というところに行き着くのかな・・・と考える。「ネットの自分」「ネットの他人」「ネットという世界」に、どれだけ存在感を感じられるか。真剣に対峙できるか。
梅田さんが提示しているのは、物心ついた頃からネットが生活に溶け込んでいた「インターネット世代」と、それ以前の「PC世代」の間には、感覚的な隔絶があるのでは、ということらしい。どんな違いかというと、「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数への信頼の有無」であり、
ネットの向こうに存在する千万単位、億単位の見知らぬ人々(有象無象)やその知やリソースを、当たり前の存在として心から信頼できるのが「インターネット世代」、頭では仮にわかっても心からは信頼できないのが「PC世代」。
とのことだ。トラックバック元では、Programmer's Eye で「インターネットを生活の場としてとらえる事ができるかどうか」や デジモノに埋もれる日々 で「ネット上の対人関係に価値を見出せるかどうか」などとも表現されている。
ハンドルネームを使うのをやめ、実名で専門分野に関する個人サイトを立ち上げた当初、これで私のリアル世界とネット世界はつながったと思っていた。でもだんだんと、そうでもないと思うようになった。
期待していたほどリアル知り合いからの反応はないし、心配していたほど新旧の勤務先からの反応も(全く)ない。ただ、アクセス数や見知らぬ同業者からのメールは期待以上に多い。
そして、当初予想していなかったことに、専門分野がまるで違う多彩な人たちとの、ネット上のみでの交流が広がった。そういう人たちとリアル世界で関わりあう事態はまず考えられないし、たぶんこれからも「こちら側」だけでのお付き合いが続くのだろう。
この意味で、実名の人であっても、私にとってはネットの住人だ。
(ただ、先方は先方でリアル世界と接点があり、私は私でリアル世界とつながっている。このリアルどうしは同じ世界だから、互いが望めばすぐにでも「あちら側」で会えるんだなという親近感はある。それと、ハンドルネームの人は、いつでも「こちら側」で消滅して、また新しい名前で生まれ変わってくるという機会を留保している。実名の人は、少なくとも実名で生まれ変わってくることはないだろう。)
これを、このblogの主題「サラリーマン専門家がウェブで自分の専門分野を語るための方法論」として考えると、こういうことになる。実名で専門サイトを立ち上げて、リアル世界での評価(プラスにしろマイナスにしろ)を期待してもたぶん期待はずれになりますよ。「あちら側」では、ネット住人が思うほど「こちら側」に価値を置いている人は多くない。ネットの世界だけで完結する価値を何か見出さなければ。
IT関連以外では、同業者のみで「ネットな人たち」仲間を十分集めるのは、まだまだ難しいのが現状ではないか。梅田さんが言われるように「インターネット世代」が育っているならば、期待してしまうけれど。
で、あらためて 分析化学に携わるみなさんへ:サイト開設のお誘い を呼びかけます。
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Comments
> これを、このblogの主題
>「サラリーマン専門家がウェブで自分の専門分野を語るための方法論」
>として考えると、こういうことになる。
>実名で専門サイトを立ち上げて、リアル世界での評価(プラスにしろマイナスにしろ)を
>期待してもたぶん期待はずれになりますよ。
>「あちら側」では、ネット住人が思うほど「こちら側」に価値を置いている人は多くない。
>ネットの世界だけで完結する価値を何か見出さなければ。
「こっち」と「あっち」でそんなに違うものでしょうか?
相手と自分という2者関係を「つき合い」の最小単位として見るのは問題ないでしょう。
そうすると、「こっち側のつき合い」と「あっち側のつき合い」「こっち側とあっち側のつき合い」という組み合わせが出来ます。
もし「こっち側とあっち側のつき合い」を取り上げるのであれば、そもそも「つき合い」の能力差がイコールであることを、仮定しないと「あっち、こっち」論は成立しません。
しかし、わたしは「つき合い」能力の個人差は「あっち」でも「こっち」でも非常に大きいものがあると判断しています。
つまりわたしには、「あっち」と「こっち」の間での「つき合い」を取り上げるほど、平均化した議論が出来るものなのか?
さらには、世代論にできるものなのか?大いに疑問があります。
つまりは、個人差の方が大きいと思うのです。
Posted by: 酔うぞ | 2004.06.06 12:17 PM
酔うぞさん、お久しぶりです。
梅田さんが提起されているのは、「インターネットという世界をどう捉えるか」に関することですが、確かに酔うぞさんが言われるように、「付き合いの能力差」によって、ネットでのコミュニケーションとリアルでのコミュニケーションのどちらになじむか、といった差が生じ、それが「ネットという世界に感じる重み」にも影響していると思います。梅田さんの話は、おそらく、「幼少の頃からネットに親しんだ世代ほど、自然に訓練ができてネットでのコミュニケーション能力も高まるであろう」という前提に基づくものと思います。
それから、「世代」という言葉を、梅田さんは「確信犯的に」使っているそうです。上記でリンクした「デジモノに埋もれる日々」でも、次のように書かれています。
> まず本題に入る前に、「世代」という言葉が「年齢による区分」だと勘違いされてしまうと要らぬトラブルを引き起こしそうな気がしますので、その点は念のため注意が必要です。パソコン通信の黎明期から、そういう人種は極小勢力だったとはいえ多く存在していました(NIFTYフォーラムにも、fjにも)。そうした方々は紛れも無いネット世代なのだと思います。
私の上記文章は自分もインターネット世代であるという前提で書いていますし、酔うぞさんの活動範囲の広さと活動歴を拝見するにつけ、酔うぞさんもインターネット世代ではないかと考えます。
Posted by: ここの管理人 | 2004.06.07 06:04 AM
>パソコン通信の黎明期から、そういう人種は極小勢力だったとはいえ多く存在していました
こういう意見に異論は無いのですが、むしろ「インターネット世代」というのが確立しているのか?
ということを問題として見ているのです。
わたしは間違えなくネットワーカー第一世代として、いろいろな事件などを見たり、経験したりしていますが、今になって思うと、わたしのスタンスは十何年か前にはネットワーカーとして特殊であったかも知れせんが「リアルな世界でダメなのはネットでもダメ」で貫いて今に至っています。
これは、現時点は少なくとも言葉の上では通用していますが、おそらくはネットワークユーザーの拡大は、ネットワークを通じてリアルな社会でも通用するスキルを身につけた人もいるし、その逆にインターネットで通用するからリアルな社会性を放棄したよう人もいるでしょう。
そうなると、インターネットは人のつき合い方に対して、方向性を与えたのか?そうではなく中立であり、うまくインターネットを使える人たちだけが、つき合い方を変えることに成功したのではないか?
果たして、これはユーザ総数の増加に対して同じ割合を越えていないのではないか?
であるなら、質的な変化をインターネットをもたらしたとは言えないのではないか?
ならば、人とのつき合い方は何が左右しているのか?
ということが個人的に非常に気になっているのです。
子供たちの「つき合い下手」のようなことばかりが目立ってしまいます。
確かに、選挙の手伝いを募集すると優秀な若い人も大勢いますが、その反対側も少なくない。
全方位に広がってしまったら、方向性についての議論ではなくて、個人の行動を(社会にとって)良いことも悪いことも両方とも加速した。といった解釈の方が正しいように思います。
Posted by: 酔うぞ | 2004.06.07 02:37 PM
梅田さんの話は、本当にほうぼうで話題になっているのですが、「インターネット世代の出現」がいいとか悪いとかの話ではないようです。「そういう世代が出現していることを理解しておかないと、マーケティングなどがうまくできないですよ」という現状認識の話です。
ネットでのやり取りが引き金になったらしき小学生による殺人事件が起こりましたから、人間関係の巧拙という話へとバイアスがかかる状況になってしまっているとは思いますが・・・(梅田さんが話し始めたのは、事件よりずっと以前からです。)
それから、前のコメントで私は、「幼少の頃からネットに親しんだ世代ほど、自然に訓練ができてネットでのコミュニケーション能力も高まるであろう」と書きましたが、これは、「トラブルに至らない」という意味での能力の高まりではないのです。ある一人の中で、ネットでのコミュニケーションとリアルでのコミュニケーション、どちらが得意か(なじんでいるか)を考えた時、若い世代ほどネットの比率が高くなっているだろうな(だから、ネットの世界に入り込みやすいだろう)ということです。
Posted by: ここの管理人 | 2004.06.08 06:14 AM