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2004.05.02

匿名のかたへの批判・反論はしません

 やや急ごしらえで 匿名のかたと実名のかたへ を公開しましたが、自分自身あまり噛み砕けていなかった部分がありました。あらためて深く考えてみた結果、「私は匿名のかたへの批判・反論はしない」とお断りしておくことにしました。
 わざわざこのようなことを宣言するのは奇妙なことに見えるかもしれません。現在匿名の人と批判や反論を交わす状況にあるとか、過去にあったというわけでないからです。
 しかし、私にはそのような判断が必要な状況になってから判断したくない理由があること、また、このblogはウェブで語る方法論をテーマにしていることから、普通は思っていても口に出さないこのような姿勢を、あえて明らかにしておきます。

匿名・実名をめぐるネット環境の変化
 従来、ネットでのコミュニケーションは、掲示板やメーリングリストなど区切られた場で管理者のもとに行われるのが通例でした。そのような場では、匿名者と実名者は比較的容易に棲み分けたり、一定のルールのもとに共存したりしてきました。
 ところが最近、個人が簡単にサイトを開設できるようになると共に、アクセスログから被リンクに気付く機会が多くなり、また、日記やblogの流行もあって、「場」などまったく関係なく個人サイトどうしで直に対話が進行する場面が増えてきています。つまり、匿名者と実名者を仕切っていた囲いが取り払われてきました。
 また、インターネットにおいて名乗られた氏名が実名か匿名かを判別することは非常に難しいとされてきましたが、ネット人口の増加と多様な主体によるサイト提供によって、特別な立場の人でなくとも実名の証明(厳密ではないにしろ)ができる機会は増えてきています。

実名・匿名は形式的な問題か
 冒頭に述べた「噛み砕けていなかった部分」とは、私が掲げている「固定した仮名を用いて継続的に発言している人を人格として尊重する」という方針のことです。自分で書いておいて何ですが、これは具体的にどういうことなのでしょうか。

 私の考えとして、相手を尊重するからには対等であるべきだと思います。親子・師弟・上司部下のような関係では別ですが、インターネットで知り合った個人どうしの間に上下はないはずです。
 ということは、匿名のかたと実名の私との対話であっても対等に批判し批判される、枠は本人の良識に基づく自己規制だけ、そういう姿が一つの理想として考えられます。
 実際、ネットでの匿名と実名 で集めた色々なかたの意見も、匿名での発言にありがちな無責任さや無礼さを挙げ、匿名者に対して「実名だったらしないような発言はしない」ことを求める立場にほぼ集約されていました。
 つまり、匿名vs実名での議論で問題になるのは、もっぱら匿名側の発言姿勢であり、現に実名を名乗っているかいないかは形式的なことだ、とも言えます。
 果たして本当にそうなのでしょうか?匿名の側が十分に良識的でさえあれば、匿名と実名の間の壁は存在しないのでしょうか?

「匿名者は石ころ」という立場
 そのとき私をはっとさせたのは、三中信宏さん からの「少なくともぼくの場合,〈匿名者は石ころと同じ〉という認識をしています」「〈石〉には〈人〉に対して発言する資格はまったくありません」という御意見でした。(三中さんの言葉を引用した記事
 考えてみれば、これもまた普遍性を持つ立場です。インターネットでのコミュニケーションにあまりなじみのない人たち(人口比で圧倒的多数派)にとっては、名なしさんも固定ハンドルネームも同類でしょう。リアルな社会の誰々さんと特定できない限り、得体が知れないことに変わりはありません。「ネット上での存在感」「継続性」などは、コンテンツを詳細に読む暇がある人にしか判断できないことです。

私はどんな立場を取るか
 匿名の人とも(発言姿勢に問題がなければ)対等に議論をするという立場と、最初からまったく発言を聞かないという立場、どちらもすっきり徹底しています。
 では、私自身はどんなスタンスを取ればいいのでしょうか。
 私は、サラリーマンの立場にある専門家がネット上で専門知識の公開を通じて自己表現することに興味を持っています。サラリーマンが実名を明かしにくいことは理解しますし、一方で、そのようなかたの活動内容にも非常に豊かなものがあります。私は匿名の人のサイトであっても内容を紹介したり、利用したときには謝意を示して来ました。
 また、専門性と関係なく、ネットコミュニケーションやコンピュータ技術に関して意見をお持ちのかた・詳しいかたのコメント・トラックバックから、多くのことを教えていただいています。

 つまり私は匿名のかたたちとも関わっていきたいと思っているのですが、では、関わりを持つ以上、完全に対等に関わっていくのか。この点を深く突き詰めて考えた結果、私にはどうしてもそんな覚悟はできないという結論に達しました。

匿名側の心がけによって解決に近づく問題
 実名の側から見て匿名のかたとの対話に抵抗を感じる点として、一般に下記のようなことが挙げられます。

  • こちらが実社会での位置を示しているのに相手の位置は見えないことによる気味の悪さ

  • 明日には消滅するかもしれないハンドルネームの人格と真剣に相対することへの徒労感

  • 自分に関してはネットでの発言内容以外も批判対象になる可能性があるが、相手にはその可能性がない不公平さ

  • 議論の結果失うかもしれないものの重みの圧倒的な違い

  • 失うものが少ない分、匿名者は過激な発言に走りがちではないかという懸念

 これらは確かに心の負担ですが、いずれも相互の信頼関係があれば解決しそうに思えます。「信頼関係」醸成の鍵を握るのはもっぱら匿名の側です。議論相手にはメールで実名を明かすとか、明日消えるような自分ではないことを態度で示すとか、ネットでの行動以外には言及しないとか、心がけることができます。

実名の側に起因する問題
 ところで、仮に匿名側に軽率さがあって上記のような懸念が現実化したとしても、とことん深刻な事態ではないと私は思います。というのは、いずれも「匿名側が実名側に与える害」だからです。
 掲示板やML内では、こういう害に対処すること自体が大きなコストを生み、迷惑を感じる人も多いでしょうが、私のように特に「場」を提供しているわけでない者なら、自分の不快感だけで済みます。

 私はむしろ、自分が原因となって、自分が招いてしまう事態を恐れます。
 それはどんなことかといえば、自分自身の弱さから、匿名の人と対等に議論を続けられなくなることです。端的に言えば、自分に非があって匿名の人に追い詰められたような場合です。そんな時にも「石ころ扱い」という道に逃げ込まず、「匿名のくせに」という態度にならず、対等の立場を維持できるのか。残念ながら、自分にそれほどの度量があるとは思いません。
 いったん関わりを持って議論を始めた相手に対して、議論の形勢によって違う態度を取るとすれば、それはダブルスタンダードです。ダブルスタンダードは人間どうしの信義としても問題ですが、それ以上に、何らかの事実に対して忠実でない行為です。そういうことを一度でもしてしまったら、私には科学者として消えない悔いが残るでしょう。

匿名の人への批判も反論もしないという方針
 上記のとおり、私の場合、「匿名の人でも人格として尊重する」をすなわち「匿名の人とでも常に対等に議論する」と解釈されてしまうと、実現不可能なきれいごとをお約束したことになってしまうことに考え至りました。
 いえ、何も入り口で拒否しなくても、上記のような最悪の事態に陥る確率は極めて低いことはわかっています。しかし、最悪になりそうかどうかは、議論が進んだ末に見えてくることですし、見えてからでは後戻りできません。これは、匿名の人にまったく非がない場合にも起こりうる、私の資質の問題です。

 ですから、私にとって「匿名の人でも人格として尊重する」は「匿名の人の作り出す豊かなものを評価するが、真剣な議論はしない」という姿勢になります。
 具体的には、匿名の人に対しては批判をしません。また、匿名の人が私を批判した場合、その内容が即座に受け入れられないものであっても、反論はしないこととします。
 なお、「批判」のように見える御意見も、立場の相違等が十分にすり合わされていないために出てきた一時的なネガティブな評価である場合が少なくありません。これまでに書き込まれたコメントはすべてこの範囲内であったと私は考えていますので、「反論しない」対象ではありません。(反論の必要がなかったということです。)

「批判しない」という方針との関係
 ところで、津村のサイトはそもそも 他人を批判しない方針 ではないか、相手が匿名でも実名でも関係なく、批判はしないのでは?と疑問に感じるかたがおられるかもしれません。
 私が「批判しない」方針を掲げているのは、暇がないからです。ですから、暇になれば(あるいは、必要性が高まれば)明日からでもこの方針を放棄する可能性があります。その場合批判対象にするのは実名のかただけで、匿名のかたを批判することは永久にない、そういうことです。

 臆病で煮え切らない態度だとは思いますが、これが匿名のかたに対して私が示せる精一杯の誠実さです。よく言われるような、匿名での発言の責任のなさやマナーの欠如といったものを懸念してのことではなく、私自身の資質に基づくものです。
 今後も、匿名のかたのサイト紹介などは(勝手に)続けていきたいと思っています。

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Comments

はじめまして。
「匿名の者が実名の者に与えるダメージは些少」との事ですが、敢えて疑義を呈して置こうと思います。
かれこれ5年程前、私は実名とハンドルで大幅に活動していました。(このハンドルともう一つ…検索すれば容易に実名と継るでしょう)
しかし、質の悪いネットストーカーにそれを逆手に取られて、匿名や捨てハンドルで実名を使って「キチガイ」「電波」などと誹謗中傷を続けられました。
そして、例の国内最大の匿名掲示板でとある議論にハンドルで参加しました。当然ながら因縁の渦で、「わからんものはわからんから今は保留だ」と事実関係の実証に詰まった時点で白旗を上げて議論から撤退するまで誹謗中傷と挑発に晒されました。
 まぁ、ここまではよくある話としましょう。
 その後、彼(ら?)=匿名のネットストーカーは何を行ったかと言うと、私の実名を挙げてキチガイなどと言うばかりか、私の勤務先のネットワークを荒してネット上にぶちまけました。
 その後どうなったか…結論は自明です。詰腹を切る形で会社を辞めさせられたばかりか、ストーカー対策で周囲から数年間沈黙を強いられました。
 その後、開きなおってハンドルでの発言を再開しましたが、未だに嫌がらせは細々とはなりましたが続いている状況で、相手が匿名Proxyなどを踏台にして嫌がらせすればクレーマーとなって(苦笑)潰すと言う状況です。

これはここ数日の記述を見ていて非常に自分が過去にやられたような事もあるのだ。と言う意味でご持論について一考を願いたいと思ったからです。

ではでは。

Posted by: Artane. | 2004.05.11 at 09:07 PM

 Artaneさん、はじめまして。
 たいへんな思いをなさったんですね!
 Artaneさんのサイトを訪問させていただきました。社会問題も含め、幅広く話題にしてらっしゃるようですね。
 私の場合は、「実名を出すけれど匿名の誰かから特別な執念を持たれそうなことはしない」という姿勢で自衛しようと思っています。ですから、はっきり言ってサイトの内容は固くてつまらないです。
 Artaneさんの御経験をどこかで詳しく語っていただければ、多くの人にとって非常に参考になると思うのですが、事が事だけに、なかなかできることではありませんよね。
 ここに書き込んでくださって、どうもありがとうございます。

Posted by: ここの管理人 | 2004.05.12 at 05:47 AM

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