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May 2004

2004.05.31

2004年5月の記事目次

実名の人たちのゆるいコミュニティがある
「タバコと学校生活」
ネットで実名を名乗るための危機管理
理系BLOG宣言
技術系blogで使えそうな芸風
平林純さん「史上最強科学のムダ知識」を読んだ
ハンドルネームの人は実名の人を批判してはダメなのか
盛況だった第65回分析化学討論会
コメント受け付けのオン/オフ機能
17日までコメント受け付けを停止します
木村さんの訴え方のうまさ2
もう一つあった分析化学のサイト
分析化学に携わるみなさんへ:サイト開設のお誘い
木村さんの訴え方のうまさ
匿名のかたへの批判と反論、そして匿名情報への依拠はしません
分析屋は口が固い
ずっと前から注目しているblog
匿名のかたへの批判・反論はしません

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実名の人たちのゆるいコミュニティがある

 三中信宏さんの日録(5/29付け) に、珍しい姓で実名を名乗る状況を「given として生活をつくっている」とある。日本の姓は計30万もあり、「三中」は多い順の10,000位以内には入っていないそうだ。第10,000位の「広上」姓で、人口約700とのこと。「珍しい姓」という少数派も、合計すればかなりの人口になるのかもしれない。

 blog を始めてからだんだんと、三中さん荒木圭典さん鈴木クニエさん鈴木聡さん のような皆さんが、トラックバックもコメントも介さずに会話してらっしゃるみたいだとわかってきた。専攻分野が近いわけでもないし、ウェブリングのような仕組みを使っているわけでもない。共通の関心や感性で、流れによって自然に繋がるみたい。

 私の blog ではアクセス解析をしていないので、どこかからリンクされていてもわからない。だから気楽に書ける、という一面がある。本館は主要ページで解析をしているから、アクセスが多いところからリンクされるとプレッシャーを感じる。「ログ取ってんだろ?何か反応しろよ」みたいな。
 トラックバックは、送られた瞬間に「相互リンクを受け入れる」という相手の最低限の要求を満たすから、気が楽だ。削除するか残しておくかさえ判断すればいい。(と私は思っているが、トラックバックにも反応するのが礼儀、という考えもある。)
 解析は掛けずに、コメントには必ず反応、トラックバックは基本的に無反応、という今のペースが、私には一番合っている感じがする。

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2004.05.30

「タバコと学校生活」

 友人が個人サイトを開設した。ただ作りたいから作ったというページでなく、訴えたいことが明確で、しかもその主張内容にオリジナリティーがあるので、ここに紹介することにした。「技術系」とも「サラリーマン」とも「分析」とも全然関係ないけれど。

 このサイト タバコと学校生活 の開設者は、中学生の男の子を持つ母親。息子さんがタバコを吸うようになるとともに、学校生活になじめなくなり、「高校に行かない」と言い始めた。母親としてどうしたらいいのか。タバコについてインターネットで調べ、禁煙外来を訪れて、息子さんにタバコをやめさせようとする、現在進行形の記録。

 彼女の悩みを最初にきいたとき私は、「息子さんが、タバコを勧めるような友達との付き合いをやめたり、学校生活への興味を取り戻せば、タバコもやめられるのでは?」と言った。私は教育の専門家でも何でもないので、ただ、自分にとっての常識的な考えを述べただけだ。
 ところが、彼女の発想は逆だった。「タバコへの依存が形成されてしまっているから、学校になじめなくなったのでは?」と言うのだった。
 中学校にしろ高校にしろ、堂々とタバコを吸うことはできない。少なくとも授業時間中は我慢しなければならないし、休み時間に吸うにしても、限られた時間と空間で慌しく吸うしかないだろう。
 大人の喫煙者にとっても最近は結構きびしい環境になっているが、子供の喫煙者にとって中学校や高校の居心地の悪さは、また格別に違いない。

 彼女の話を聞いて私は、なるほどと思った。「学校に不適応を起こした少年が非行化してタバコを吸う」という図式しか思い浮かばなかったが、「タバコをやめられなくなったために学校に不適応を起こす」という因果関係も確かにあるような気がした。
 これは、母親の実感から導かれた仮説に過ぎないかもしれないし、逆に、既に専門家の間では定説となっていることかもしれない。でも、少なくとも私はそういう説を聞いたことがないし、この視点で未成年の喫煙を見直してみるのは問題解決の糸口になりそうな気もする。だから、できるだけ多くの人に、彼女の訴えを読んでみてほしい。

 ところで、tf2さんの タバコをやめて1年 からリンクされている 喫煙者を救え! の岩城保さんは、鈴木クニエさんの 大学時代の知り合い だとか。ひょんなことからネット上で知り合いを見つけるのは、うれしいものですね。

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2004.05.28

ネットで実名を名乗るための危機管理

 ネットで実名を名乗るのはなんとなく怖い・・・と感じる人は多いと思う。
 では、実際、どんな怖いことが起こるのか?私も実名を名乗っているから、この点には興味がある。しかし、意外に「こんな怖いことがあった」の例は、あまり見つからないし、自分自身も経験がない。時おりニュースになる「匿名の中傷メールが多数届いた」等の被害は、ネットで実名を名乗ったからというよりは、リアル社会で実名が知られている人の話ばかりだ。

たとえばこんな危険
 現実に起こったということでなく、頭の中で想像を働かせたらこんなことが思い浮かぶという例をまず。たとえば、Java House メーリングリスト での「匿名かハンドルか」の議論の中で、ハンドルネームの人によって こんな懸念 が書かれている。

・勤務先等に「この人物には問題がある」という趣旨のメールが送られる。
・メールのFrom欄に私のアドレスを記述し、勤務先や個人的に関わりのある人に対して誹謗中傷するメールを送ったり猥褻な画像を送ったりされる。
・同様のメールを送りさらに「意見があればいつもで聞いてやる」というような文言とともに住所や電話番号を併記される。
・同様のメールが個人的に関わりのある人の縁談相手に送られ破談になる。

 この懸念に対する他の参加者(実名)の発言は、
勤務先等に「この人物には問題がある」という趣旨のメールが送られるような投稿は、そもそもすべきでない
住所や電話番号まで晒したらさすがに危険だと思うが、実名を出すだけのことにどれほどの危険があるか
例示のようなリスクを享受してでも本名で堂々とポストしていない発言など、信じるほうがリスクがある
といったものだった。

検索の怖さ
 また、実名をキーとした検索によって自分のネット上の言動がトレースされてしまう危険もある。麻弥さん が、 ネット上で実名を使うことの危険性について で詳しく書いておられる。今後は、Googleでヒットしないような過去のページまでアーカイブされて日本語で検索できるようになる可能性があるとのこと。
 検索に関しては私もかなり注意を払っている。本館のサイト名に氏名を入れているせいか(今では入れなければよかったと思っている)、氏名で検索してくる訪問者が毎日数名はいる。
 週に2回程度自分の氏名で検索を掛けて最初の3ページくらいをチェックしているし、時々は全ページのチェックもする。私の氏名は、平凡なようでいてネット上で同姓同名があまり見つからない。
 こういうチェックの結果、個人情報が掲載されているのを見つけて削除依頼を出したことが2回ある。前の職場の組合のホームページと、以前所属していた音楽サークルのホームページだ。(情報内容はたいしたものでなかったが。)
 麻弥さんは、氏名での検索によって「自分が書いた内容が、あまり知られたくない人に知られてしまう」危険を挙げている。私は、そもそも読まれたくない相手が存在することは書かないようにしている。私の本館サイトを見てメールをくれたり、会ったときに話題にしてくれた同業者は50人以上になる。これだけの人たちが、少なくとも一度は訪問してくれたと意識していると、学会会場で名札を付けているとき程度に自己の言動をコントロールできる。

貴重な体験談
 実名でたいへんな目にあった貴重な体験談が、Artaneさんのコメント で書かれている。ネットストーカーが「勤務先のネットワークを荒してネット上にぶちまけた」「詰腹を切る形で会社を辞めさせられた」「ストーカー対策で周囲から数年間沈黙を強いられた」とのこと。たいへん参考になるお話だ。そういうことまで起こりうる、と知っておくほうがいい。
(「勤務先のネットワークを荒らす」の意味が不明なのはちょっと残念。ハッキングのことか、勤務先の公開掲示板を荒らしたということか。あまり詳しくきいてはいけないような気がするのでききませんでした。)

私が実践している危機管理
 単に「自分の名前がインターネット上にある」という人の数は、激しい勢いで日々増えている。仕事関係ばかりでなく、何かの賞を取ったとか、任意団体の役員をしたとか、寄付をしたとか、果ては懸賞で当選した場合まで、実名が出る機会は今後も限りなく増えるだろう。
 実名がネットに出ること自体が危ないわけでなく、その実名に伴う情報や感情が問題なのだと思う。私自身が注意していることを挙げてみる。

 まず、匿名が主流のコミュニティには参加しない。今や、ほとんどの公開掲示板はハンドルネーム主流になっているから、掲示板には滅多に書き込んでいない。
 それから、批判をしない。特に匿名の人には 反論もしない。これらは、主な理由は別のところにあるのだが(詳しくはそれぞれの記事で書いている)、危機管理の意味もある。
 「特別な執念を持たれる」きっかけは主に「感情的な応酬」にあると思われるから、そういう応酬に至る可能性をできるだけ減らすようにしている。

 何の応酬もしていなくても「偏執的な興味の対象になってしまう」場合があり得る。これは、いったいどんなことがきっかけになるやら、見当もつかない。常識の範囲外の心理から起こることだから。
 まず実践していることとして、性別は非公開。と言ったら笑われてしまいそうな名前だとは思うが、とにかく私の性別は非公開。プロフィール欄には全く書いていない。(どこかで、語るに落ちることは書いているかもしれない。)私の性別を知っている気でいる皆さんは、思い込みでそう考えているだけですから、そのおつもりで。
 それから、身体的なことを連想させる文章は書かない。健康状態すら書いていない。生身の人間というより、情報提供者としてのみ認識されたい。
 家族関係は書かない。女性の場合、一人暮らしとわかるのは少し危ないかもしれないし、家族に女性や子供がいる場合も、描写することによって変な興味を持たれてしまうかもしれない。全然色気のない描写であっても、説明できないのが嗜好というものだから。
 リアルな生活に結びつかないようにする。自宅や職場がどのあたりにあるか推定できることは書かないし、生活時間帯がわかるようなことも書かない。(例えば「一人暮らし女性&帰宅時間が遅い」という情報は、危険を招く可能性がある。)アクセス解析に抵抗を感じるのも、このあたりに一因がある。

危険を避けることにより逃すメリット
 こういう用心を重ねると、ネットで発信できる情報は、あまり面白味のない固いものに限られてしまう。「批判しない」と最初から宣言している書き手なんかに興味が湧くだろうか。また、ある程度の個人情報の開示は、人間味のある自分を表現するために必要だろう。
 私は名前が売れても全然トクにならない(しかも小心な)サラリーマン的立場だから、きわめて用心深い。極端な話、クロマトグラフィーや精度管理に興味のある人しか読まないサイトでもかまわないと思っている。
 上記のことは、幅広い読者を集める人気サイトをめざす書き手にとっては、まったく参考にならない話だったかもしれない。

参考リンク
 Tokyo Forumの blogが全て、はマズイだろ にトラックバックしています。実名・匿名に関係なく、blogで何もかも書いてしまっていいの?という話。

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2004.05.26

理系BLOG宣言

 blog@tsukuba さん経由で、 理系BLOG宣言 というサイトを発見。理念がこのblogと結構似ている。
 バナーは好きでないので貼りませんが、このblogはタイトルが「理系」を宣言してるでしょ。
 と思ったので、「理系BLOG宣言者一覧」に書き込んでみた。バナーを貼らなければ資格なしだったら、お手数ですが削除してください。

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2004.05.23

技術系blogで使えそうな芸風

 読まれるblogを書く秘訣の一つとして「テーマを絞る」というのがあるけれど、書き始めれば色々なことを書きたくなるのが人情というもの。しかし「技術系の専門的なサイト」をめざしている場合は、あまり関係ないことを書くのもなーと二の足を踏んでしまうかもしれない。
 この問題をクリアするだけでなく、blogの魅力にまでしてしまう鮮やかなワザを見つけた。
 技術系サイト カラムのコラム では、HPLCカラムに関する様々な話題が提供されている。ほとんどはテーマに沿った話だが、中には 温泉とシリカ山本直純さんと日本の作曲家のこと のように、あまり関係ない話が混じっている。温泉とか作曲家とかの話の最後に、HPLCカラムへと(ときにはかなり苦しく)つながる仕掛け。
 こういうオチの付け方を極めれば、一つの芸風になるかもしれない。「○○に関する専門情報サイト」を看板にしながら、実は「ハッキング」から「今晩のおかず」までを手広く取り上げ、最後に必ず○○に続くというスタイル。
 水戸黄門やアンパンマンなど、安心して繰り返し楽しめるものには決まったパターンがある。これは技術系blogで一つの型として定着するかもしれない。
 なお、「カラムのコラム」は極めて真面目で有益なサイトです。詳しい紹介は 本館 で書きました。

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2004.05.21

平林純さん「史上最強科学のムダ知識」を読んだ

 もう2ヶ月も前のことになるが、 「役に立たないように見えること」 の記事から多数のアクセスがあって驚いた。いったい何故この日記からこんなに人が来るのかと、前後何週間かぶんを読んでみたが、よくわからなかった。
 先日、書店で「著者・平林純」とある本を見かけ、あ、この人だ、と思ったので買い求めた。カバー絵や内容紹介の雰囲気は、私が普段読んでいる類の本とはかなり違う。( bk1amazon

 一気に読んでしまった。納得した。なぜ平林さんのhirax.netが人気を集めているかを。
 もしかしたら、hirax.netを知らないなんて言ったら、技術系サラリーマンとしてモグリだと言われるほどメジャーなのかも?
 知らなかったのは私だけなのかもしれないが、一応紹介。

>毎日眺めるワイドショーや色んな景色の中に満ちあふれる「さまざまな謎」を強力な(無駄なほどの)科学の馬鹿力で解決する!?色んな話が入った本です。

 これが著者自身による本の説明。そして、本はhirax.netで公開されたものの中から選りすぐりを集めたもの。まったく、「科学の馬鹿力」という言葉がぴったりしている。「さまざまな謎」を、その重みと不釣合いに大仰な法則や公式やコンピュータ技術を使って解明する、アンバランスさが面白い。

 こういう世界には既視観があるなあ・・・と辿ってみると、そう、学生時代だ。私は薬学部だったが、理学部の学生とも関わりがあり、人となりがだいたいわかるくらいの付き合いだった人が20人か30人くらいはいる。そのサンプル数の範囲での印象ではあるが、理学部の学生が複数いると、ほんのくだらないことで小難しい理論を使った議論が始まって、「おおっ、そうか。ここにも○○の法則が成立していると。」「ついに○○論が予測しなかった域にまで人類は達したと。」等々のもっともらしい話へと発展するのだった。(最後に「と。」で終わる話し方も思い出した。当時の流行だったのか。)
 そうか。卒業してもあれを続けている人がいたのか・・・。(しかも学生の戯れ言レベルよりはるかに高度だ。論理構成も投入資源も。)

 そう言えば「物理帝国主義」という言葉も存在した。物理系は、化学系よりも生物系よりも数学系よりも断然態度が大きかった。(これは私の印象にすぎません。)今また再認識した。天体も人体も、「タレントの人気」までも、物理の手法ではモデル化して解析できてしまう。

 一見ムダみたいなことを手間ひまかけてやる人たちがいるなーという感想は学生時代から持っているが、そういうムダみたいなことが社会的に結構評価されることも知っている。ただし誰でも評価されるわけでなく、「ムダだけどすごい、面白い」と感心させるか、「何か飛躍的な発明や発見が生まれる土壌になりそうだ」と期待感を持たせなければならない。つまり、才能がなければ、見向きもされない。
 私にはそういう才能はないので、狭い分野でほんの少し役立つことを積み重ねていく地道な路線を歩んでいる。分析化学に携わるみなさんへ:サイト開設のお誘い みたいな感じで、何らかの専門家であれば誰でもできることを考えている。

 hirax.netの人気のもう一つの秘密として、平林さんの嫌味のない語り口、育ちのよさといったパーソナリティがあると思う。
 しかし、「『史上最強科学のムダ知識』を全部読んだ」と公言するのは、やや恥ずかしかったりする。「育ちのよさ」と「恥ずかしい内容」が両立しているのもまた味がある。(というより、両立させなければ堂々と売れる本にならないのか。)

 とりあえずhirax.netから何か読んでみたい気になった人への私のお奨めは 14ミリグラムの「いろんな気持ち」
だ。一般的には 私と二度めに出会う「水」 の視点のほうがウケそうな気がするが、化学屋のこだわりとして「14ミリグラム」の方が好き。
 リンクするのははばかられるが、力が入っているのはこのあたりという一例は モンロー・ウォークの伝説X 。もっと力の入っているテーマもあるけれど、ちょっとタイトルを書けない。

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2004.05.19

ハンドルネームの人は実名の人を批判してはダメなのか

 麻弥さんメモ(5/11付け) で、私の記事 「匿名か実名か」が意味を持つ条件 に対する質問をいただきました。

たしかに、専門情報のやりとりについては、実名でないと混乱を招くことはあるだろうなあと思います。
ただ、「他人を批判する場合」において、「筆名」ではダメなのでしょうか。私は「筆名」を長年使用していますが、私には批判を行う権利はないでしょうか。

 ご存じない人のために紹介させていただきますと、麻弥さんはネットワークでのセキュリティに関して初心者にもわかりやすい解説を数多く書いておられて、私もいつも参考にさせてもらっています。特に メモ には幅広い最新情報が集積されています。また、最近の 日記 では、【「実名」と「筆名」と「匿名」と。】のタイトルで何回か書いておられます。

 本題ですが、「権利」という言葉でくくれば、言論の自由として許されている範囲は非常に広いと思います。極端な話、民事・刑事での訴訟で違法とされない限りすべて「権利」と考えられるかもしれません。
 でもたぶん、普通のネット市民が関心を持つのはそんな極端な事態ではなく、「マナーや道徳として非難されるような行為かどうか」あたりでしょう。この観点から考えてみます。

 結論から言えば、ハンドルネームの人が、特に権力や名声を持たない実名の人をあまり激しく批判していたら、ちょっとどうかと思います。
 まず、批判されること自体のダメージ。内容をよく読まずに文章の雰囲気だけから悪印象を抱かれる場合も多いでしょう。実名だと友人や仕事の関係者にも批判を読まれる可能性があるのに対して、ハンドルネームの人は安全圏に隠れています。
 また、日本社会では、批判自体がどんなに正しくても、「批判する」という行為自体に何やらマイナスイメージがあります。ネットでは「批判」は人気を博しますが、実生活ではそうじゃないでしょう。実名を出さないということは、実生活においてこのマイナスイメージから逃れていることを意味します。
 さらに、何回か書きましたが、正体のわからない相手から批判されるのは、非常に気持ちの悪いものです。身近に起こらないと実感できないかもしれませんが・・・。

 一方、批判対象が権力者や著名人や大きな組織の場合は、発言主が実名でもハンドルネームでもあまり関係ないと思います。
 また、実名の人が先にハンドルネームの人を批判した場合は、ハンドルネームの人だって反論や反撃をして当然だろうと思います。それができなければフェアじゃありません。それと、いったん議論を始めたなら、途中で「相手が匿名だから」と言い出すのは卑怯だと思います。

 というわけで、何の手も出していない実名の人に対してハンドルネームの人が批判をした場合、実名の人が「相手が実名を明かしていない」ことを理由に無視したとしても正当だと私は考えます。
 ただし、匿名での批判であっても、内容自体は理にかなっている、という場合は少なくありません。批判を無視するとしても、自分の発言内容に問題があったと認識したら自発的に修正するのがよいと思います。
 以上はあくまで私個人の考えで、これが世間一般の常識だとは思っていませんし、他の人に勧めるつもりもありません。

2004/5/20 追記
 匿名の功罪(室井佑月blogより)。-タイのまいにち にトラックバックしました。

2004/7/3 追記
 木村剛さんの 匿名から特名の時代へ にトラックバックしました。「実名 vs ハンドルネーム」の差について、現在の私の考えはこの記事に集約されています。

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2004.05.18

盛況だった第65回分析化学討論会

 5月15・16日の両日、日本分析化学会の第65回分析化学討論会が琉球大学で開催された。沖縄はすっかり真夏の陽気で、大学構内のあちこちに純白のテッポウユリが咲いていた。
 今回は例年を上回る参加があったとのこと。初日夜の懇親会で、現時点の参加者950名と報告された。ポスター発表会場も懇親会場も人がぎっしりで、自由に移動しにくいくらいだった。
 首里駅からのシャトルバス乗り場でも、大学の駐車場から会場までの道でも、学生たちが案内板を掲げて「おはようございます」と来場者に声をかけていたのが印象的だった。手作り感のある学会だった。
 私の聴講内容については詳しく書けないが、一般発表では錯体や呈色反応に関するものに注目して聴講した。

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コメント受け付けのオン/オフ機能

 コメント受け付けを再開しました。
 ところで、コメント受け付けを一斉にオン/オフできる機能って、ないんですね。過去の一つ一つの記事について編集画面を開いて設定しなおさなければなりません。全部オフにするのはたいへんでした。オンに戻したのは最近の記事だけです。コメントできない古い記事へのコメントは コメント・トラックバック専用 にお願いします。
 コメントの受け付けを一斉にオン/オフできる機能がぜひ欲しいと思います。極めて悪意の強い書き込みがあった場合を想定すると、数日間以上メンテナンスできない状態でコメントを受け付けるというのは、怖いです。
 ココログスタッフルームにトラックバックしておきます。適当な記事がないので、 ファイル削除機能をリリースしました にとりあえず。

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2004.05.14

17日までコメント受け付けを停止します

 ちょっと留守にしますので、コメントを受け付けない設定にしました。「最近のコメント」も非表示にしました。過去のコメントを読むことはできます。
 トラックバックは通常どおりできます。

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木村さんの訴え方のうまさ2

 木村さんが新しく書かれた記事は、迫力と読み応えがある。(モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために)。15年間文筆家として活動してこられた経験の重みを感じる。
 木村さんに対して「コミュニティを壊すような行為が許されないことは、実名・匿名とは関係ない」との意見が多数寄せられたわけだが、この記事では匿名の人こそが自重しなければならない特別な理由があることを述べておられる。その理由とは、匿名での発言は、訴訟という究極の事態になった場合の責任を他人に負ってもらっているところにある。(2ちゃんねるのひろゆき氏のように。)匿名の人たちが、このことを忘れた振る舞いを続けると、匿名発言という自由は社会的に抹殺されかねない。
 見事な切り返し方だ。こういう深い背景があって「匿名性というセーフティネットの中で許される言論の自由とは如何なるものであるべきなのか」の問いかけをされたとは、私には思い至らなかった。

 ところで、今回の記事を単独で読めばすこぶる感動的なのだが、これは話の起点とどう結びつくのか。

 もともと、木村さんファンの女性のblogに匿名書き込みがあって場が荒れたという一件だった。(リンクをすべきでないとか議論があったがご本人のHINAさんは名前を隠されるほうがむしろ「ムズ痒い」と書いておられるからリンク:お騒がせしております。
 この一件を木村さんの匿名論で解釈すると、こうなる。(匿名の人をXさんとしておく。)Xさんが捨てハンドルだったとすれば、XさんはHINAさんが100%発言の責任を負う状況下で木村さんを批判または中傷したことになり、そのせいでHINAさんが困られた。HINAさんは木村さんにとって大切なファンだ。自分の周囲の人が自分を原因とすることで困るのは見過ごせず、木村さんは ご批判はできれば直接私に対してお願いしたい と書かれた。

 木村さんは「訴訟を起こされるリスク」があるかないかで「匿名」を区別しておられる。つまり、木村さんの言う「匿名」には、固定ハンドルでblogを開設しているような人は含まれていない。

 ネットでの匿名・実名論に慣れている人なら、ネット上の人格は主に「実名/固定ハンドルネーム/捨てハンドルネーム」の3段階で認識されることをよく知っている。そして、「固定ハンドル/捨てハンドル」の議論は良識的な意見の合唱で収まるが、「実名/固定ハンドル」はしばしば扇情的な激論になることを知っている。
 なぜなら、捨てハンドルの人はどう言われようと自分のアイデンティティーなんかにこだわりがないのに対して、固定ハンドルの人はその名での人格に愛着があるからだ。

 私がここで展開しているのは、「実名/固定ハンドル」の議論だが、木村さんが念頭に置いておられるのは、実は「固定ハンドル/捨てハンドル」のほうだった。となると、匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているのか? の記事は、やはり若干トリッキーだったと考えざるを得ない。固定ハンドルネームの人たちの感情を刺激しやすい「実名/固定ハンドル」論を前置きとして、「固定ハンドル/捨てハンドル」の問題を語られたわけだから。最初にトラックバックを寄せた50人以上のブロガーの多くは、自分も「匿名」の中に入れられたと考えて反応したと思うが、今では木村さんの「匿名」に自分が該当していないと理解して気持ちが和らいだことだろう。

 ただし、木村さんのネット歴を考えると、このような3段階の認識がなく、単に匿名と実名の2つしかないと思っておられる可能性もある。また、木村さんの訴え方のうまさ でも述べたとおり、ネット社会のありかたを多くの人が考え直す機会として有益だったとも思う。今回書かれたような名文も生まれたことだし。

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もう一つあった分析化学のサイト

 前の記事 の一部訂正。分析化学の個人サイトはもう一つあることを思い出した。ただ、紹介していいものやら、少し戸惑うところがあるので、サイト名は書かず、リンクだけ示しておく。
 自己紹介ページ
 サイトそのもの

「液クロ龍の巻」「液クロ彪の巻」の執筆者に名を連ねているかたのホームページとあって、いやがうえにも期待は大きいのだが、残念ながら枠だけで中身がなく、3年間経過しているらしい。
 前の記事で「今ならこの分野で『無記事○○年』の最長記録を作れるポジション(名乗りだけは一番に挙げたという実績)を確保できる」と書いたが、既に3年という記録が樹立されて現在も更新中では、抜くのはかなり難しいと思う。やはり無記事記録は諦めて、普通に更新頻度や記事量で勝負するのがいいかもしれない。

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2004.05.12

分析化学に携わるみなさんへ:サイト開設のお誘い

 本館 からこのblogへも来てくれている同業者は非常に少ないかもしれないけれど、そろそろ一番訴えたいことを書いてみる。「分析化学の個人サイトを開設しませんか」ということを。

専門情報サイトを作る面白さ
 これまでにも繰り返し書いてきたが、「専門知識を文章にしてネットで公開する」ということは、けっこう面白い。コンピュータやインターネット関連の専門知識は既に大量に公開され続けているからオリジナリティーのあるものを作るのは難しいだろうが、それ以外の専門知識は、まだまだ充実しているとは言いがたく、日本語の情報がまったく存在しないものも多い。
 そういう情報(主に活字)を自分なりにまとめて公開するだけで、検索に拾われて誰かの役に立つ。今ではアクセス解析を手軽に利用できて、サイトを訪れた人がどんな業種か、検索語は何か、初回来訪かリピーターか等、閲覧のされ方が簡単にわかる。
 これは知識の産直活動みたいなものだと私は思っている。流通経路としてはメインになり得なくても、「生産者の顔が見える」「消費者と触れ合える」物流が根強く支持されるように、やっている当人にとって嬉しい。また、パーソナリティと結びついた専門知識が公開されることは、世の中の多彩さ・豊かさを増すと思う。
 分析のように、ともすれば黙々と実験室の中でデータを出すだけになりがちな職種にとって、こういう産直活動は仕事の励みになるのではないだろうか。

一人ではリピーター確保が難しい
 サイトを開設していてうれしいのは、やはりリピーターの存在だ。検索でヒットして訪問されても、自分の提供した情報が役立ったのかどうかはわかりにくい。再度来訪してくれる人がいれば、「自分が既に提供している情報」だけでなく「自分がこれから提供するかもしれない情報」つまり自分本人に対して何か期待してくれたみたいだと思うことができる。
 しかし、専門情報をコンスタントに提供し続けるのは難しい。私の場合も、昨年は開設1年目だったから、これまでの研究内容から少しずつ引用することで毎週の更新を続けた。でも、今はそのネタがほぼ尽きて、毎週というのは難しくなった。
 提供したら喜ばれそうな情報自体は山ほどある。(主に書評や文献の要約や総説的なもの。)でも、それらを文章にするのは手間がかかることだから、私の場合は、まあ月に1回程度が限度かなと思っている。
 でも、月に1回の更新では、リピーターは来てくれないだろう。だから、似たようなことをする人が他にも大勢現れたらいいのに・・・と考えることになる。

一群のサイトへのリンク
 似たようなサイトを集めてどうするか。
 分析化学に関連する個人サイトは 私のはてなアンテナ に登録させてもらいたいと思っている。(別に私のアンテナでなくても、誰のものでもかまわない。)こういう自動巡回のリンク集に載っていれば、半年ぶり・一年ぶりの更新でも気付いてもらえる。
 blogの場合は、MyblogList にも加えさせていただきたい。このリストは、サイドバーの中に表示され、新しく更新されるたびに各blog名が上のほうへ移動する。(今のところ私のMyblogListは、分析化学関連だけでは寂しすぎるので、幅を広くして化学関連blogを集めている。ただし開設者がサラリーマンまたはウーマンという限定付き。)

一般向けに書くか専門家向けに書くか
 一般向けサイトか専門家向けサイトかは、開設する人の好みや条件に応じて選べばいいことだ。参考までに、私が専門家向けに作っている理由を挙げると
 ・一般向けにわかる説明を書くのは面倒。
 ・自分の勉強したいことだけ書くとどうしても専門家向けになる。
 ・専門用語が多いほうが検索で拾われやすい。
 ・中途半端な説明になって一般の人に誤解されるのが怖い。
 このように、まったく自分の都合だけで専門家向けにしている。
 付け加えるならば、職場からのアクセス(主に専門家)は所属先の見当がつくが、自宅からのアクセス(主に一般の人)は訪問者層がさっぱりわからない。

blogかHTMLファイル自作か
 目下、blogは急速に広がっている。私がこのblogで公開した文章量が反映しているとおり、ファイルの管理がとても楽だ。ややこしいことが苦手な人は、blogから始めるのがいいと思う。
 でも、記事が増えてくるとインデックスを作りたくなる。また、恒常的に掲載して随時改定していきたい文書とか、大がかりなページ構成や図表配置をしたい文書もできてくるだろう。そうなると、HTMLファイルをいじれるサイトを持ちたいと考えるようになると思う。
 そういうことも見越した上で、とりあえずblogから始めるのは、最も労力が少なくて済む方法だと思う。(結局、HTMLファイルをいじりたいほど多くの文章は書かないかもしれないし・・・)
 なお、HTMLファイルの作成が苦にならないという人も、blogを併用することにはメリットがある。よく言われることだが、blogは相互のリンクが強固なので検索結果で高順位になりやすいし、読者の目に触れるさまざまな機会も用意されているからだ。

個人サイト募集
 そういうわけで、分析化学関連の個人サイトを開設された方は、メール・コメント・トラックバックのいずれかで御連絡をください。また、私が知らないサイトがあれば、教えてください。
 とりあえず、中身がない自己紹介だけのサイトでも面白いと思う。「半年以内には第一回の記事を書きます」とだけ宣言して、それを目標に本や論文を読むとか。結局記事が書けないまま何年も経ってしまうかもしれないが、今ならこの分野で「無記事○○年」の最長記録を作れるポジション(名乗りだけは一番に挙げたという実績)を確保できる。
 学生の頃には当たり前に与えられていた「輪読会」「レポート提出」などの機会だが、社会人になってしまったらほとんど得られない。インターネットを利用すれば、学費を払わなくてもそういう機会を作れる。
 なお、私が現在把握している分析化学関連個人サイトは下記の3つだけです。それぞれに個性がありますから、訪れて参考にしてください。
 丹羽誠さんの「分析化学・薬物動態学ホームページ」
 クロやんさんの「インターネット随想」(注意:音楽が鳴ります。)
 秋月ナルさんと綺羅さんの「秋月日記」

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2004.05.10

木村さんの訴え方のうまさ

 今の時点で、木村さんの記事 へのトラックバックは49届いている。これが50個目になるかも。
 ふだんでもトラックバック30個はざらというすごい人みたいだが、50超というのは、今回の記事がとりわけ注目を集めたということだろう。
 「匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているのか?」という問いかけの形になっているので、「匿名でも実名でもそんな権利があるはずない」と答える人が多いようだ。「過剰反応だ」「有名税だ」「ネットでは耳たこの議論」といった意見も多い。
 そもそもの発端は、木村さんファンの女性のblogへの匿名書き込みを木村さんが不快に感じられたことだ。その被害を訴えて、「こういうことはやめてくれ」と主張するために最も効果的な方法を取られたのだろうと私は思う。単に「コミュニティを壊す行為は慎みましょう」では、50もトラックバックが付くはずない。「コミュニティを壊す行為」と「匿名」を結びつけることで、大勢の善意の匿名の人がムカッとして、「自分はそんなことはしない」と決意表明する。「あんな行為はカッコわるい」という世論を再確認する機会として利用なさったのではないか。
 もちろん、こういう問題の立て方は最初から結論が決まっているので、当たり前のことの再確認にしかならない。でも、ネットコミュニティにおいて時おり再確認されるのも、大事なことだと思う。そして、どんな有名な人でも、不快なことは不快だと訴えるのは正当なことだし、同じブロガーとして水平な関係で対話するならば、その気持ちを真剣に受けとめたいと思う。
 今まで知らなかったのだが、木村さんには大勢の匿名のファンがいらっしゃるようだ。5月6日からファンによる「ゴーログweek」という企画が組まれている。少なくとも私とは「匿名・実名」への態度は全く異なるものにならざるを得ないかただと理解した。専門家というよりもむしろタレントの立場に近いのでは・・・との印象も強くなったのだが、引き続き、専門家としての木村さんに着目していきたいと思う。

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2004.05.08

匿名のかたへの批判と反論、そして匿名情報への依拠はしません

 既に書いたことだが、もう一度短い記事にしておく。というのは、極めて影響力の大きいサイトからリンクされたので、そちらから来られる方に私の現在の立場を簡単に説明しておきたいからだ。

 リンク元は 週刊!木村剛 の5月8日付け記事 匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているのか? だ。木村さんは、このほど毎週土曜日に「BLOG of the Week」を選ぶことになさったそうで、なんと、栄えある第1回にこのblogを選んでくださったらしい。たいへん光栄に思います。ありがとうございます。

 私は一技術者として、自分の楽しみや勉強のために、専門情報を文章にして公開している。余暇活動とはいえ、情報内容には責任を持ちたいので、匿名サイトの情報に依拠して何かを述べたり、そのまま引用することはしないようにしている。このことを 匿名のかたと実名のかたへ で断っている。
 それから、匿名のかたとは真剣に議論しないことにしている。その理由は 匿名のかたへの批判・反論はしません に書いている。
 けれども、匿名のかたたちがインターネット上で表現している人格を尊重したいとも考えている。興味深い匿名サイトを見つけて紹介することもあるし、匿名サイトからヒントを得て何か書いた場合は、敬意を表してリンクしている。

 木村さんの リスク戦略の発想法日経BizPlus)は、特に銀行問題が盛んに論じられていた頃に熟読させていただいた。ときおり「某銀行勤務の銀行員」や「銀行に泣かされる某企業の経営者」など、さまざまな匿名のかたからのメールを転載することで、リアルさを感じさせる文章になっていたと思う。
 自然科学と違って、社会問題においては匿名情報の扱い方も違うようだなと感じる。それゆえに、難しさも多々あるのだろう。
 木村さんは、匿名の人たちとの関わり方について今後どんな姿勢を固めていかれるのだろうか。分野は異なるとはいえ、実名の専門家としてネット上で匿名の人とも関わっている私にとっては、たいへん興味深い。

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分析屋は口が固い

 残念ながら、化学分析の仕事が好きという人ばかりが分析屋になるわけではない。
 学生の頃、友人が「理系だと、とりあえず分析はできることが期待されるんだよなあ」とつぶやいたことがあった。当人は基礎的な生物学を専攻していて、でも、そういう分野での研究が続けられる見込みはあまりなくて・・・という状況下での言葉だった。

 大雑把に言って、未知のものを探究したり、新しいものを生み出す仕事は楽しいだろう。それに対して、決まったことを確実にこなすだけの仕事は面白くないと感じる人が多いと思う。また、決まったことをこなす仕事であっても、顧客との接触があって自分が役立っている実感があったり感謝されたりすれば、それがやりがいにつながるに違いない。
 分析は、正しい分析値を出して当たり前という世界で、成果が評価される機会は非常に少なく、失敗が命取りになる危険は常につきまとう。しかも、たいてい顧客と直接顔を合わせることはなく、検体を受け取ってデータを返すだけになる。
 そのせいかどうかわからないが、あまり強く志望したわけでなく、技術を持っているからとか、他に就職口がなかったからという理由で分析技術者になっている人はけっこういるようだ。

 以前 分析技術者のかた発見 で紹介した齋藤 喬さんのココログ オールインワン日記。齋藤さんは新年度から異動されて分析の仕事から離れたらしい。
 あまり分析がお好きでないことは以前からうかがえたが、 4月1日付けの記事 では

 とはいえ、内心で悩んでいる部分が無きにしも非ず。私がこれまで覆面勤労大学院生などという奇妙な形態で翻訳の勉強を続けてきた、その原動力としては、「こんな仕事、辞めてやる!」という後ろ向きな情念が非常に大きかったわけなのです。負の思考をなるべく有意義なかたちにねじ曲げながら、もう一息で大学院を卒業できそうなところまでたどり着きました。
 しかし今さら仕事が面白くなり、辞めたい気持ちが無くなったら、翻訳の方はどうすればよいのでしょうか。もちろんここまで来た以上、なんとしてでも大学院は卒業しますが、そのあとは……?
 そこまでだったとは。
 齋藤さんの記事をいくつか読むだけで、きっちりとした文章、端正な暮らしぶり、人間関係での誠実さがうかがえる。こういう人にこそ、分析の仕事は向いているように思うのだが・・・。
 いったい、どんなところに不満を持っていたのか、ちらっとでも書いてくれないかなと思いつつ時々のぞいてみたが、一ヶ月経ってもいっさい理由らしきことは書かれていない。分析機関の管理職の人たちには興味のあるところだと思うのだが。

 しかし、ペンネームとはいえ、公開の場で具体的なことは何一つ書かないというのもまた、分析屋らしい心がけだ。
 日本分析化学会の会誌「ぶんせき」2004年2号の巻頭言で、財団法人日本分析センターの高田芳矩さんが述べておられる。

分析技術者は古くから、(1)うそをついてはならない、(2)依頼者の秘密は守る、(3)信頼を失う行為はしない、ことを徹底的に躾けられてきた。その結果、分析技術者には無口の人が多くなった。

 分析屋は口が固いのだ。

2004/5/20 追記
 この記事に関連してクロやんさんが 気まぐれ日誌(5/15付け) で、自分自身はどんないきさつで「好きでもない分析屋」になったのか書かれました。

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2004.05.04

ずっと前から注目しているblog

 私がココログを始めた当初から注目しているblogがある。tf2さんの Do you think for the future? だ。
 中西準子さんや安井至さんのサイトが好きな人なら、間違いなくこのblogも好きになると思う。環境問題を中心に、健康や安全に関する幅広い話題を、独自の切り口で論評していくスタイル。
 tf2さんは「昨年21年間勤めた総合化学会社を辞めて沈思黙考中」のかただけあって、背景となっている知識が広く深いことがいつも感じられる。(特に知財や材料関係。)特定の研究分野や社会的立場に立脚しての論評でなく、一市民の視点からの考察。
 感心するのは、次々と興味深い本(固いものが多い)の書評が書き込まれる点と、インターネット上のさまざまな情報源を探し出して丁寧にリンクが張られ、資料集としても毎回充実している点。相当手間がかかっている感じがする。
 正直なところ最初の頃は、このスタイルでいつまで続くのかなと思っていたのだが、もう5か月目に入っている。個人でこれだけ内容の濃い情報を提供し続けるのは並大抵のことでないと思う。

 最近の記事で私がいいなと思ったのは 「青色発光ダイオード」。中村修二教授と日亜化学の争いで、このほど日亜化学側が出した本に関する論評。(もと)サラリーマン技術者らしいバランス感覚のある論に、私もうなずいた。

 一つだけ、読みにくいと感じている点がある。新聞記事からの引用が多く、しかも長いのだが、それらがblockquoteで指定されているのか、行頭も行末も全部字下げになっていて、私のディスプレイの設定では1行が23文字しかない。だから分量の割に、延々と長いスクロールをしなければならない。実のところ、スクロール疲れで読み飛ばしたことが何度もある。
 ココログのデザインは、ただでさえ一行が短すぎて読みにくく、長文の記事向きでないと思う。長文の多い私は大いに不満を持っている。長文の上、字下げを多用されるtf2さんは、もっと不満ではないだろうか。

 ところで、筆名の由来は

 ニックネームの "tf2" は "think for the future" の略です。自分では「ティエフスクエア」と読むことにしてます。

ということだ。
 最初の記事 では姓を名乗っておられるし、フルネームも変則的な形で公開されているが、手が込んだ公開法だ。気付かない読者も多いのでは。

 以下は、本館の読者が興味を持ちそうな記事(食品と生活安全に関するもの)を拾ってみた。
リスクラーニング
 asahi.comの記事「化学物質の健康リスク判定 産総研がソフトを開発し提供 」を読み、tf2さんが実際にソフトをダウンロードして使用してみた体験談。
BSE:安全性の科学的な根拠ってなんだ?
続:BSE検査の科学的根拠

2004/5/8 追記
 超臨界流体抽出をやっているかたには雑談として面白そうな話題が出たからリンク追加。
超臨界CO2クリーニング

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2004.05.02

匿名のかたへの批判・反論はしません

 やや急ごしらえで 匿名のかたと実名のかたへ を公開しましたが、自分自身あまり噛み砕けていなかった部分がありました。あらためて深く考えてみた結果、「私は匿名のかたへの批判・反論はしない」とお断りしておくことにしました。
 わざわざこのようなことを宣言するのは奇妙なことに見えるかもしれません。現在匿名の人と批判や反論を交わす状況にあるとか、過去にあったというわけでないからです。
 しかし、私にはそのような判断が必要な状況になってから判断したくない理由があること、また、このblogはウェブで語る方法論をテーマにしていることから、普通は思っていても口に出さないこのような姿勢を、あえて明らかにしておきます。

匿名・実名をめぐるネット環境の変化
 従来、ネットでのコミュニケーションは、掲示板やメーリングリストなど区切られた場で管理者のもとに行われるのが通例でした。そのような場では、匿名者と実名者は比較的容易に棲み分けたり、一定のルールのもとに共存したりしてきました。
 ところが最近、個人が簡単にサイトを開設できるようになると共に、アクセスログから被リンクに気付く機会が多くなり、また、日記やblogの流行もあって、「場」などまったく関係なく個人サイトどうしで直に対話が進行する場面が増えてきています。つまり、匿名者と実名者を仕切っていた囲いが取り払われてきました。
 また、インターネットにおいて名乗られた氏名が実名か匿名かを判別することは非常に難しいとされてきましたが、ネット人口の増加と多様な主体によるサイト提供によって、特別な立場の人でなくとも実名の証明(厳密ではないにしろ)ができる機会は増えてきています。

実名・匿名は形式的な問題か
 冒頭に述べた「噛み砕けていなかった部分」とは、私が掲げている「固定した仮名を用いて継続的に発言している人を人格として尊重する」という方針のことです。自分で書いておいて何ですが、これは具体的にどういうことなのでしょうか。

 私の考えとして、相手を尊重するからには対等であるべきだと思います。親子・師弟・上司部下のような関係では別ですが、インターネットで知り合った個人どうしの間に上下はないはずです。
 ということは、匿名のかたと実名の私との対話であっても対等に批判し批判される、枠は本人の良識に基づく自己規制だけ、そういう姿が一つの理想として考えられます。
 実際、ネットでの匿名と実名 で集めた色々なかたの意見も、匿名での発言にありがちな無責任さや無礼さを挙げ、匿名者に対して「実名だったらしないような発言はしない」ことを求める立場にほぼ集約されていました。
 つまり、匿名vs実名での議論で問題になるのは、もっぱら匿名側の発言姿勢であり、現に実名を名乗っているかいないかは形式的なことだ、とも言えます。
 果たして本当にそうなのでしょうか?匿名の側が十分に良識的でさえあれば、匿名と実名の間の壁は存在しないのでしょうか?

「匿名者は石ころ」という立場
 そのとき私をはっとさせたのは、三中信宏さん からの「少なくともぼくの場合,〈匿名者は石ころと同じ〉という認識をしています」「〈石〉には〈人〉に対して発言する資格はまったくありません」という御意見でした。(三中さんの言葉を引用した記事
 考えてみれば、これもまた普遍性を持つ立場です。インターネットでのコミュニケーションにあまりなじみのない人たち(人口比で圧倒的多数派)にとっては、名なしさんも固定ハンドルネームも同類でしょう。リアルな社会の誰々さんと特定できない限り、得体が知れないことに変わりはありません。「ネット上での存在感」「継続性」などは、コンテンツを詳細に読む暇がある人にしか判断できないことです。

私はどんな立場を取るか
 匿名の人とも(発言姿勢に問題がなければ)対等に議論をするという立場と、最初からまったく発言を聞かないという立場、どちらもすっきり徹底しています。
 では、私自身はどんなスタンスを取ればいいのでしょうか。
 私は、サラリーマンの立場にある専門家がネット上で専門知識の公開を通じて自己表現することに興味を持っています。サラリーマンが実名を明かしにくいことは理解しますし、一方で、そのようなかたの活動内容にも非常に豊かなものがあります。私は匿名の人のサイトであっても内容を紹介したり、利用したときには謝意を示して来ました。
 また、専門性と関係なく、ネットコミュニケーションやコンピュータ技術に関して意見をお持ちのかた・詳しいかたのコメント・トラックバックから、多くのことを教えていただいています。

 つまり私は匿名のかたたちとも関わっていきたいと思っているのですが、では、関わりを持つ以上、完全に対等に関わっていくのか。この点を深く突き詰めて考えた結果、私にはどうしてもそんな覚悟はできないという結論に達しました。

匿名側の心がけによって解決に近づく問題
 実名の側から見て匿名のかたとの対話に抵抗を感じる点として、一般に下記のようなことが挙げられます。

  • こちらが実社会での位置を示しているのに相手の位置は見えないことによる気味の悪さ

  • 明日には消滅するかもしれないハンドルネームの人格と真剣に相対することへの徒労感

  • 自分に関してはネットでの発言内容以外も批判対象になる可能性があるが、相手にはその可能性がない不公平さ

  • 議論の結果失うかもしれないものの重みの圧倒的な違い

  • 失うものが少ない分、匿名者は過激な発言に走りがちではないかという懸念

 これらは確かに心の負担ですが、いずれも相互の信頼関係があれば解決しそうに思えます。「信頼関係」醸成の鍵を握るのはもっぱら匿名の側です。議論相手にはメールで実名を明かすとか、明日消えるような自分ではないことを態度で示すとか、ネットでの行動以外には言及しないとか、心がけることができます。

実名の側に起因する問題
 ところで、仮に匿名側に軽率さがあって上記のような懸念が現実化したとしても、とことん深刻な事態ではないと私は思います。というのは、いずれも「匿名側が実名側に与える害」だからです。
 掲示板やML内では、こういう害に対処すること自体が大きなコストを生み、迷惑を感じる人も多いでしょうが、私のように特に「場」を提供しているわけでない者なら、自分の不快感だけで済みます。

 私はむしろ、自分が原因となって、自分が招いてしまう事態を恐れます。
 それはどんなことかといえば、自分自身の弱さから、匿名の人と対等に議論を続けられなくなることです。端的に言えば、自分に非があって匿名の人に追い詰められたような場合です。そんな時にも「石ころ扱い」という道に逃げ込まず、「匿名のくせに」という態度にならず、対等の立場を維持できるのか。残念ながら、自分にそれほどの度量があるとは思いません。
 いったん関わりを持って議論を始めた相手に対して、議論の形勢によって違う態度を取るとすれば、それはダブルスタンダードです。ダブルスタンダードは人間どうしの信義としても問題ですが、それ以上に、何らかの事実に対して忠実でない行為です。そういうことを一度でもしてしまったら、私には科学者として消えない悔いが残るでしょう。

匿名の人への批判も反論もしないという方針
 上記のとおり、私の場合、「匿名の人でも人格として尊重する」をすなわち「匿名の人とでも常に対等に議論する」と解釈されてしまうと、実現不可能なきれいごとをお約束したことになってしまうことに考え至りました。
 いえ、何も入り口で拒否しなくても、上記のような最悪の事態に陥る確率は極めて低いことはわかっています。しかし、最悪になりそうかどうかは、議論が進んだ末に見えてくることですし、見えてからでは後戻りできません。これは、匿名の人にまったく非がない場合にも起こりうる、私の資質の問題です。

 ですから、私にとって「匿名の人でも人格として尊重する」は「匿名の人の作り出す豊かなものを評価するが、真剣な議論はしない」という姿勢になります。
 具体的には、匿名の人に対しては批判をしません。また、匿名の人が私を批判した場合、その内容が即座に受け入れられないものであっても、反論はしないこととします。
 なお、「批判」のように見える御意見も、立場の相違等が十分にすり合わされていないために出てきた一時的なネガティブな評価である場合が少なくありません。これまでに書き込まれたコメントはすべてこの範囲内であったと私は考えていますので、「反論しない」対象ではありません。(反論の必要がなかったということです。)

「批判しない」という方針との関係
 ところで、津村のサイトはそもそも 他人を批判しない方針 ではないか、相手が匿名でも実名でも関係なく、批判はしないのでは?と疑問に感じるかたがおられるかもしれません。
 私が「批判しない」方針を掲げているのは、暇がないからです。ですから、暇になれば(あるいは、必要性が高まれば)明日からでもこの方針を放棄する可能性があります。その場合批判対象にするのは実名のかただけで、匿名のかたを批判することは永久にない、そういうことです。

 臆病で煮え切らない態度だとは思いますが、これが匿名のかたに対して私が示せる精一杯の誠実さです。よく言われるような、匿名での発言の責任のなさやマナーの欠如といったものを懸念してのことではなく、私自身の資質に基づくものです。
 今後も、匿名のかたのサイト紹介などは(勝手に)続けていきたいと思っています。

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