実名を名乗っていてうれしいこと
三中信宏さんの日録 の 4月15日分 で、私がネットで実名を名乗る理由3 へのコメントをいただきました。
実名で書いている私としては、これだけさっぱり言い切る意見を読むと、とてもうれしいです。私自身にはとても言えませんけど・・・。ココログで書いていて、コメントもトラックバックも受け付けてますから、怖いです。それに実際、友好的に情報交換するぶんには、相手が匿名のかたでも私はあまり気になりません。
でも、個人サイトを立ち上げて以来、実名でネットに現れている自分を認めてもらえてうれしい、と感じたことは何度もあります。最初にそう感じさせてくださったのは 竹中明夫さん でした。(実名だからまともに相手していただいたと考えたのは私の勝手な解釈で、竹中さんは区別しておられないかもしれませんが。)
あまり大きな声で言う人・言う場合は少ないですが、実名の人は、相手が実名か匿名かで違う付き合い方をするものではないでしょうか。少なくとも私はそうです。気にしていないとは言っても、少しは(場合によっては大いに)付き合い方が変わります。
議論していて理性をなくしたり、自分の発言に責任を取らないという態度は、実名か匿名かよりも当人のパーソナリティによる部分のほうが大きい、ということには私も同意します。ところが、そのパーソナリティというのが、自分自身は知っているつもりでも、周囲には簡単にわからない、すなわち情報の非対称性が存在します。
こういう場合、「自分の行為によって自分が失うかもしれないもの」を明示的に示すことは、コミュニケーションに要するコストを下げる働きがあると思います。
理屈は置いておいて、実名でネット上に現れるのは思ったほど怖いことではなく、それに対して、うれしいことはたくさんあります。これは実名を名乗るようになって初めて知りました。
三中さんの言葉を、以下に引用します。ココログでここまで書くと抵抗がありそうなのは予測しますが、私以外への批判コメント禁止 のルールに基づいて、私のblog内での批判コメントは御遠慮ください。「引用した私」への批判も、まぎらわしいですから御遠慮ください。
―― ですから,私がいま運営しているメーリングリストでは,発言に際しては必ず「実名と所属」を名乗ってもらうことを義務づけています.あえて匿名またはハンドルネームで参加したいという希望者はときどき出現します.その際には,「投稿を読んだり過去ログを検索したりするのはかまいませんが,議論には参加しないでください」とクギを刺しています.匿名であったとしてもリード・オンリーの会員としてその「場」にいることそれ自体はとくに問題ないですね.道端に〈石〉が転がっていても誰も気に留めないのと同じことです.しかし,〈石〉には〈人〉に対して発言する資格はまったくありません.ですから,〈人〉どうしの議論に〈石〉が混ざるのは御法度なのです.
―― メーリングリストでの〈匿名会員〉に関する上のような方針を公開したところ,とある別メーリングリストの管理者氏から,参考にしたいので転載を許可してもらいたいという依頼を受けたこともあります.場合によっては,こういう指針が有効であるケースもあるのかもしれません.
―― もうひとつ,「匿名の人は,実名の人にまともに相手にしてもらえなくなるような行為をしてしまいがちである」という津村さんのコメントについては,どれくらい一般的に成り立つのかな.〈実名の人〉であってもそういう行為をしてしまう例は少なくないので,最終的にはパーソナリティ(あるいはエキセントリシティ)の問題かとも思えます.もちろん,匿名であるがために心理的ハードルが低くなっているということは十分にあり得ますがね.
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