私がネットで実名を名乗る理由3
今回の話は、私が匿名だったときのこと。
匿名といっても、「名なしさん」や「通りすがり」ではない。固定したハンドルネームを名乗っていた。
blogをする人はたいていハンドルネームを使うから、説明するまでもなくわかってもらえるだろう。リアル世界で口にしたら気恥ずかしくなるような名前であっても、書いたものが増えるほどに、本人にとってはその架空の自称への愛着が深まっていく。
ハンドルネームどうしで火花の散るような応酬をしている人たちを見かけると、経験のない人には、オンラインであんな遊びみたいな名前を呼び合ってどうしてそこまで真剣になれるのかと不思議かもしれない。でもそういうものなのだ。2ちゃんねるのような固定ハンドルの少ない掲示板でさえ、「発言番号5番」とかで名指し批判されて熱くなっている人を見かける。
洗練された議論相手(実名)との出会い
私がハンドルネームを使って何をしていたかというと、ある社会問題に関して、二つの完全にメンバーの異なる掲示板で議論をしていた。匿名を選んだのは、立場上、社会問題に関して実名で発言するのははばかられたからだ。
私が参加していた片方の掲示板で頻繁に書いていた人(実名の男性)は、議論相手として非常に魅力的だった。ネットでありがちな議論パターンに、本筋と関係ないちょっとした表現にこだわって長々反論するとか、相手の発言を逐一引用してコメントしなければ気がすまないとかいうのがあるが、彼は違っていた。基本的に相手への反論でなく完結した自説を述べるスタイルで、それぞれの発言を単独で読んでも読者に有益さを感じさせた。(これは私のblogにもできるだけ取り入れている。)
それから、相手の真意を読み取れずにポイントをはずした応酬をするというのもよく見かけることだが、彼には全くそういうところがなかった。掲示板の中で、私の発言に対して枝葉末節にとらわれた答えを返す人もおり、同じ文章を読んでも人によってこんなに読解力が違うのかと感じた。後にも先にも、この人ほど洗練された議論相手と話したことはない。
前回書いた事件 をきっかけに、実名の人が匿名の相手と真剣に議論する気持ち悪さを私はわかっているつもりでいたから、彼に対してはメールで職場サイト内の自分のURLを示して自己紹介した。
ハンドルネームでの人格を蓄積した一年間
そういうわけで、私は約一年間ほど、その社会問題に関して議論しながら色々と勉強した。二つの掲示板に出入りした理由は、議論相手として面白い彼がいるほうの掲示板はかなりレベルが高くて、私のような初心者は、ひととおり疑問が解決するともうあまり意味のある発言をできなくなったからだ。途中から私は、一般的な話題の多い掲示板に発言の場を移した。
一年経って、一応自分としてはまとまった知識を得られたし、個人的な事情で忙しくなりそうだったので、このテーマでの発言に区切りをつけようと考えた。そこで、レベルの高いほうの掲示板で締めくくりの挨拶をした。色々教えてもらった御礼を述べてきれいに終わるつもりだった。
思いがけない批判の応酬
ところが。
ずっと有意義な議論を続けてこられたと(私としては)思っていた彼が、いきなり厳しい口調で私を批判した。わけがわからなかった。
ここで私が実名であれば、「どうしてそんなことを言うのですか?」と冷静に返していたと思う。しかし、匿名であるという甘えと虚勢から、思い切りこじれる反撃をしてしまった。つまり、「そんなことを言うあなたはおかしい」という人格攻撃をしたのだ。しかも単純に「おかしい」と言うのでなく、レトリックを凝らして何回かの応酬をするという形で。
はたから見ると何のことやらわからないやり取りの末、どうやら、私がもう一つの掲示板でしていた発言に関して彼が単純な読み違いをしていたことが根本原因みたいだとわかった。(私の筆力も乏しかったとは思うが。)
こんなことだったのか、アッハッハ。と普通の会話なら笑って終わるところだが・・・甘いことに、私は一瞬そう期待した。
予想しなかった結末
そうはならなかった。
彼は、今度はもっと根本的な読み間違いをして、自分の主張を貫いた。この読み間違いは、きっかけとなった読み間違いとは異なり、確信的で芝居じみてさえいたと私は思う。
先に書いたとおり、この人は常に議論の的をはずさない洗練された論者だったから、こういう挙に出たのは私には驚きだったし、実名と匿名の間の壁を再び思い知ることになった。
もとは小さな読み違いであっても、私は過ぎた言葉で人格攻撃をしてしまっている。実名も所属も明らかにしている彼が今さら間違いを認めることは、確かにできないだろうと思われた。私も一年間まじめに勉強したり議論したりして、ネット上の人格として十分確立していたつもりでいたが、前回も書いたとおりそれは過去のことでしかなく、ハンドルネームの私はいつでも消えることができた。
結局、私は彼の話に合わせて自分の誤りを認めて最後の発言をし、議論はさっぱりわからない終わり方をした。
こうして私は実名を名乗るようになった
今回の話と前回の話、共通して導かれる教訓は、
匿名の人は、実名の人にまともに相手にしてもらえない場合がある。
あるいは
匿名の人は、実名の人にまともに相手にしてもらえなくなるような行為をしてしまいがちである。
ニワトリと卵のようなもので、どちらが先かはわからない。
どちらが主因であろうと、自分がこういう事態に陥るような性格で、かつ陥るのがいやなら、実名を名乗るのは、最もシンプルな対策だ。
そういうわけで、実名の今、私は発言できる範囲を自らかなり限定しているけれども、気持ちは匿名のときよりもずっと自由でいる。
「匿名・実名」カテゴリの記事
- 「匿名のかたへの批判・反論はしません」宣言が役に立った例(2009.10.15)
- 「だから匿名ブログは」にもう釣られない(2006.03.02)
- 実名ブロガーは「匿名による批判へのポリシー」を示しておいてはどうか(2006.02.27)
- 不気味な匿名よりタチの悪いニセ実名(2004.07.17)
- ただの匿名よりずっと不気味な匿名(2004.07.15)
The comments to this entry are closed.
Comments
> はたから見ると何のことやらわからないやり取りの末、どうやら、私がもう一つの掲示板でしていた発言に関して彼が単純な読み違いをしていたことが根本原因みたいだとわかった。(私の筆力も乏しかったとは思うが。)
この()書きの内容が()書きでは済まなかった可能性も否定できないのではないかと。
上記は下記のように言い換えることもできます。
「どうやら、私がもう一つの掲示板で矛盾する主張をしてしていたことが根本原因みたいだとわかった。」
「彼」がそこでの発言を問題視していたことを最初から話さなかったのであれば、それが誤解である、と説明する機会を遅らせたという問題があると思いますが、この記事から考えられる結論って以下のようにはならないでしょうか?
・引用スタイルを取らなかったことによって、相手のどの主張をどう解釈し、どう問題としたかが通じなかった
・匿名であれば、別の掲示板での主張が問題にされることはなかった(そもそも同一人物と結びつけられないから)
もちろん、実名であるほうが相手が対応に関しては誠実になる可能性が高いのは事実と思っています。
また、自分が実名であるほうが自身の発言への責任(罵倒などの抑制)がいくらかは効く、というのもそうであると思います。
でも、今回のお話の内容が「実名がよい」という結論に結びつく理由足り得るかは疑問です。
実名はもちろん顕名(いわゆる固定ハンドル)であっても、今回のお話のように、その人となりから主張主義が推測(もっと言えば邪推)されてしまい、レッテルが貼られ、レッテルに対して批判する、ということが匿名よりも起こりやすくなるという問題もありますから。
そういうわけで、一般論としては同意なのですが、今回の例に関してだけ言えば、匿名/実名だからというよりは、互いの誠実さ次第であったと私は思います。津村さんは匿名であったため誠実(十分に考察/配慮するという意識)さが欠けてしまったのだと判断されており、それは一因としてあるとは思いますが、少なくとも「彼」の方に関してはそうですよね?
# と言いつつ、自分はもうちょっとしたらアイデンティティがリアルと結びつく所にサイトを移動する予定だったりしますが^^;
Posted by: Shin | 2004.04.14 09:58 AM
Shinさん、こんにちは。ココログから引っ越されるんですか?いつも色々と教えていただいているのに、すごく寂しいです。
ところで申し訳ありません。Shinさんの解釈に真剣に答えるためにはさらに詳しい状況説明をする必要があるのですが、この話については追加情報をいっさい出さないことにさせていただきます。もうずいぶん以前のことですし、関係者がたまたまこのblogを読むことはありえないと思いますが、万一にそなえて、あまり手がかりを増やしたくないのです。
当然ながら、実際の話にはもっと多くの登場人物や付帯状況があるわけでして。上の文章だけ読んだら、たとえば、彼が「さらに根本的な読み間違いをする」という破滅的な戦法に出たのはあまりに不自然ではないか?そんな頭のいい人が、どんな勝算があってそんなことをするのか?といった疑問が湧いて当然です。一つずつの疑問について納得できるように状況を説明していくと、どこで起こったことなのかが具体的に特定されやすくなってしまいます。
このように不十分な情報しか出せない件を材料にして説得力のある主張をするのは無理なことです。なんなら、全部フィクションと考えていただいてもかまいません。私としては、「もし実名だったらもっとましな展開になったと省みるようなできごとを体験した」とだけ言いたいと思っています。
Posted by: ここの管理人 | 2004.04.14 06:39 PM
津村さん、こんにちは。
とても有意義な記事、読ませていただきました。
有り難うございます。
さて、連日イラクの人質問題、心配ですね、、、
私もwebで自分の意見や願いを発信しています。
無事に人質の方がすべて帰ってくること、
戦争が終わることを願っています。
それにつけても、家族の方々への嫌がらせがこの頃、話題になっていますね。
だんだん、すさんで来るのでしょうか?この国は。
津村さんの記事読ませていただいて
匿名と実名との違いは、人格にも次第に影響を及ぼすのかもしれないと、思いました。匿名であるということは、信用、責任、理性の放棄にも繋がるのでしょうか、、、
Posted by: せとともこ | 2004.04.14 07:17 PM
はい。もちろん構いませんですぅ。>これ以上は踏み込まない
実際、直接的かは微妙であっても、匿名だったがゆえである可能性ももちろんありますしねー。
# 引っ越しといっても別に URL が変わる程度の事でして^^;;
# で、ふと、やっぱりココログに契約しているだけで、ココログコミュニティの一員になるんだろうかおいら…みたいな感想を持ってみたり。
Posted by: Shin | 2004.04.14 08:04 PM
せとともこさん、こんにちは。
ホームページ、開設された頃からときどきのぞかせてもらっています。教育への情熱が伝わってくるページですね。
瀬戸さんもですが、お二人とも実名で社会的な問題についても発言しておられて、勇気があるなと思います。
匿名で発言しても理性をなくさない人が大部分だとは思いますが、同一人の行動に着目すれば、匿名よりも実名のほうが自制が働くだろうと考えています。
Posted by: ここの管理人 | 2004.04.15 04:44 AM
Shinさん、どうも。ご理解いただきまして。
さきほど訪問してバックナンバーを見ましたが、Shinさんのココログは、12月2日スタートだったんですね。私みたいに無料だから始めた後入りとは格が違うのに・・・引越しされてもどうぞよろしく。
Posted by: ここの管理人 | 2004.04.15 04:45 AM