「専門家は個人の責任で情報発信するな」について
徳保隆夫さんの「備忘録」に 専門家は個人の責任で情報発信するな 以下、いくつもの記事が続いている。かなりあちこちからリンクされて話題になっているようだ。
私は 組織の中の研究者・技術者がウェブで語るとき という文章の中で、注意点として「専門家としてレベルが低いとみなされそうなことは書かない」を挙げ、「かといって、常に完全無欠な内容だけを書くことは、常人には不可能だ。(中略)未熟ななりにそれを自覚して向上しようとしている姿勢があれば、会社への不信感は持たれないと思う。」と書いている。徳保さんが言うには「いささか甘い」「これを無敵の盾として、恥知らずなプロが無知を平気でさらけ出すケースがどれほど多いことか」とのこと。
これに続く徳保さんの主張は、WWW でプロが専門分野について個人の責任で発言することは、原則として禁止すべきというものだ。勤務先を書くのはダメだし、実名を出すのもダメだし、なんと匿名であってもダメだという。匿名でもダメという理由は、匿名で無知や無能な仕事ぶりをさらけ出すと、業界全体の信用がなくなるからだそうだ。
ここまでのことを言う人がいるとは、正直なところ予想もしていなかった。このような考えに基づけば、およそすべての職業の人がウェブでの発言禁止の対象になる。医者も弁護士も大学教授も芸能人も政治家もクリーニング屋もトラック運転手も、それぞれの業界の一人として職業を営んでいる。クリーニング屋さんが自分のblogで業界の話を書いたりするのもダメということだ。ウェブだけでなく、印刷物や放送も対象になるだろう。
徳保さんが上記のような主張に至った背景には、ウェブデザイン業界においてネット上で問題発言をする人が多いということがあるらしい。具体例が色々書かれているが、
- 自分の勤務先を明かしながら、自分の仕事は「我流」で「いろいろ実験的に試した結果うまくいった、という感覚」と書いたデザイナーがいる。この人の公開しているサイトの技術的な部分が、徳保さんの目から見たら専門家としてレベルが低い
- 業界の中で超有名な会社にかつて勤務していて著作もあるデザイナーが、自サイトのメインの更新を「いじりようのないサービス」でやっている。
- クライアントによって改善させられた自分の作品について、クライアントの実名付きで愚痴を書いたデザイナーがいる。しかも、素人が見ても明らかにクライアントのセンスのほうが正しい。
こういう業界の実態を持ってこられて私の文章を「甘い」と言われても、そんな業界のことは想定外だったと言うしかない。分析化学の業界周辺では、そんなめちゃくちゃなことをウェブで書く人はいない。私の業界の場合は、上記文章程度の注意喚起で十分だと思っている。
(わき道だが、徳保さんが挙げた例の中で「いじりようのないサービス」については、私はむしろ好感を持った。昔から「医者の不養生」「紺屋の白袴」という言葉がある。プロだからこそ、自分のための仕事には色を出したくないとか、手間をかけたくないといった心意気があるような気がする。そのサイトを見ていないし、勝手な解釈かもしれませんが。)
しかし「発言禁止」は極端すぎるのではないか。さすがに徳保さんも、そこまでのことは主張していないようだ。当初から「後付けでいいから、組織のお墨付きを得てほしい」「基本的には公式情報といえるレベルのものに限定した方がいいのではないか」など、あれこれ留保条件があった。昨日の記事では 専門家の情報発信:現実的な提案 として、次のようなことが。
仲のよい同僚にサイトを教えてもあまりプレッシャーになりませんが、それでも秘密にしているよりはマシでしょう。
あるいは、匿名(HN 使用可)になって趣味のサイトという形式を装うことですね。そういう問題回避策もあります。
まあ、よその業界のことだから、当事者で好きなようにやってくださいと言うしかない。(徳保さんって、当事者ではないという立場なんですよね?ウェブデザイナー業界を憂える一般人ですかね。)
ちなみに、私のサイトでは 運用方針 で「1.公開されている情報または周知のことがらのみで構成する----自分自身が書いた論文・報告書の要約や、他の人が書いた文章の引用、公開サイトへのリンク等のみで構成する」と決めている。私のページ内容で自分の仕事に関わる部分は、論文や報告書として発表された段階ですべて組織のチェックが入っているし、論文に関しては投稿先の編集委員会による査読も入っている。
分析化学をはじめとする化学周辺の業界の人たちは、徳保さんの提案は他業界の話だと割り切るほうがいいと思う。個人ページに対して「後付けで組織のお墨付きをとる」なんて、機器分析を行うようなある程度大きな組織にとっては迷惑でしかないだろう。ウェブデザイナー業界では個人サイトも自社の宣伝になるのかもしれないが、化学関連業界でそんなケースはあまり考えられない。西田立樹さんのサイト ほどの内容になれば組織のお墨付きもありげに見えるが、あそこまでのことを(余分な給料がもらえるかわからないのに)やる覚悟があるのか。組織にとってメリットのないこと(自分の趣味)のために組織に手間をかけさせるのはどうかと思う。
上司に自分のサイトを伝えておくというのも、その上司と個人的に仲がいいというなら個人の親切レベルでチェックしてもらってもいいかもしれないが、後で「ちゃんと上司には言ってありました」と言いたい下心があるなら、やめたほうがいい。上司に責任をかぶせることになる。
私の場合、公開されている情報だけで構成するかわりに、それらを取捨選択したり文章にする段階での責任は自分が負っている。この程度のことが自分の責任でできないならば、ウェブサイトを持つのはやめたほうがいい。
ウェブサイトを作る人が多すぎて、過激なことを書かなければ読者を確保できない業界もあるかもしれないが、現段階の分析化学の分野では、活字になっていることをネットに載せるだけで検索に拾われ、リピーターも訪れるサイトになる。なにしろ、ほとんど書き手がいない(しかも読み手はけっこういる)状態だから。
ところで日頃「世間体」を気にかけておくのは、危機管理の一種だと思う。インターネットのように、法律に触れずに個人ができる範囲が広い場では、個人の良識と周囲の目が主な規制枠になる。自分の良識を再確認しておくのはもちろんとして、世間が最大限干渉してきたときにもたじろがずに自分のスタンスを守れるのか、徳保さんみたいな人が自分の業界に現れたとしたら?と考えてみるのは、職業に関わる情報を公開するすべての人にとって有意義だろう。
それから、私のサイトを他業界の人が見に来ることもあるとわかった以上、当該ページには、「これは化学関連業界のかた向けです」といった断りを入れることにする。特に医療関係の情報発信に関しては 日本インターネット医療協議会(JIMA) がかなり長い活動歴を持っている。問題が多発している分野の人たちは、JIMAのやり方も参考にされてはどうか。
徳保さんへのお願い
専門家の責任、プロの責任 の中で
の部分ですが、私は、本人が断りを書くかどうかは問題にしていません。「未熟ななりにそれを自覚して向上しようとしている姿勢」を問題にしています。やたら「未熟だけれども」と文字にする人はむしろ信用できない。この部分は引用が不正確です。正確にしていただきますよう、お願いします。
追記
補足 を書きました。
「世間体」カテゴリの記事
- 小心者の仲間(2004.03.18)
- 仕事と遊びを区別して割り切る(2004.03.18)
- 小心なサラリーマン専門家に何が書けるか(2004.03.14)
- 個人ページ内で自分の所属先を書くことについて(2004.03.14)
- 「うるさいこと」を書く(2004.03.10)
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Comments
FAフォーラムの山本洋三です。
89年から専門家のフォーラムを運営して、問題も管理者としてきちんと管理して、問題は起こしていません。
では、全く技術的に問題のある発言が無かったか?
と言えば、ありました。
工作機械を動かすプログラムの欠陥だらけのをアップされて、「こんなものをアップ・公開するな」と注意したところ「勉強のためです。みんなで育てましょう」
などという他人の機械をぶつけたり、最悪の場合は人が死ぬかもしれない、ということが理解できない人が一人いました。
Webによって、勝手に情報発信できるようになった、ということは禁止では無くて批判するべきでしょう。
禁止つまり隠すとますますトンデモな奴が出てくるのは、説明するまでもなく事実でしょう。
それよりもWebという公開の場であるなら、叩いた方が世の中のためだと思います。
Posted by: 酔うぞ | 2004.03.04 01:35 PM
「批判する」のは重要ですね。
元記事まで辿れていませんが_o_、件の方の思想は尊敬に値する「プロ根性」である、という感想はありますが、それを他人に強制するのは無理筋だなぁ。
なんだか「プロは恥をさらさないために隠れるべき」とも読める話ですが、それでは恥な似非プロが無数にのうのうと過ごす状況=一昔前の状況が正しいと言われているように思えてしまいます。
どんどん露出して、批判されることで似非プロであることが分かったり、或いは当人が成長して本当のプロになれる可能性のある現在の Web のスタイルのほうが公益であると思うんですけどねぇ。
マスコミによる誤報、ミスリードへの批判を目にし易くなってきて、よい状況になってきたなぁと思う人より。
# このコメントは「私以外への批判コメント禁止」には引っかからないだろうか^^;。
Posted by: Shin | 2004.03.04 03:50 PM
酔うぞさん、はじめまして。FAフォーラムって何?と思ったので、訪問してみました。パソコン通信によるフォーラムですね。「ファクトリー・オートメーションの自動化技術や電子回路設計技術をなどを語りあう、プロフェッショナル・フォーラム」ですか。まさしく技術系サラリーマンの世界。
トンデモを攻撃するのは世のためになるのはわかるんですが、そのトンデモが身内だったら困る・・・という話ですね。「身内」と感じる範囲が広い人ほど気になるのかもしれません。
Posted by: ここの管理人 | 2004.03.05 06:17 AM
Shinさん、こんにちは。プロが肩ひじ張らなくても生きられる時代になりつつあるのかもしれませんね。「私以外への批判コメント禁止」にもちゃんと気づいていただいて、ありがとうございます。Shinさんのコメント程度のことは私も書いていますし、大丈夫です。「外かんのできる街で」さんからのトラックバックは、コメントだったら抵触しますねー。TBだからかまわないですが。「外かんのできる街で」さんの記事に、徳保さん本人がコメントを付けにいってらっしゃいますね。徳保さんって、2ちゃんねるに専用スレッドが立っていて、現在10本めだそうです。えらい人に引用されちゃいました。
Posted by: ここの管理人 | 2004.03.05 06:18 AM
FAフォーラムという名実共に専門家フォーラムを運営してみて分かったことは、専門家を公開の場に集めた場合には、自然と公開されていない話題には言及しない。ということです。これは専門家コミュニティは公開の場では成立しないということで、実際に学会のようところでも、二次会で「実はさぁ~」みたいな形で最先端の情報が出てきます。
そういう視点から言うと「公開について注意をする」というのは、いわば幼稚園の「みんなで注意しましょう」という程度のことに感じてしまいます。
わたしが個人的には尊敬している技術者はイギリスの産業革命のころに大勢いて、工作機械のご先祖様と呼ばれる、モーズレーは自分の発明を他人に特許を取られた時には特許料を払っていたそうで、周囲の人が「あんた、自分の発明なんだから」と注意すると「わたしには発明する方が重要なのだ」と取り合わなかったとのことです。
また、日本語では土木と呼ばれる分野は、関係する技術者が数十人集まって自分たちの分野に名前を付けようという会議を開いて「市民のための技術者であろう」ということで「シビル・エンジニア」と名乗ったのが始まりだそうです。
これくらいの、心意気が専門家にはふさわしい。
Posted by: 酔うぞ | 2004.03.05 08:51 AM
それは本当にそうですね。実は私のサイトにも、目立たないように非公開の場への案内が書いてあって、公開であれこれ載せている情報は、同じ専門分野の人たちを集めるための看板という側面があります。あまり大勢来られても困るので、熱心に議論に参加しそうな人だけが見つけられる程度の書き方です。
Posted by: ここの管理人 | 2004.03.07 06:50 AM
問題のサイトを読み直してというか返事を読んでみて愕然としました。
わたしは、専門家が自覚しなければならないことは、専門家業界の常識と世間の常識は一致しない。ということが最優先だと思います。
例えば、青酸性の物質は最近は滅多に見かけませんが、以前は工場の中に幾らでもありました。
これは焼き入れをする時に使います。
猛毒であることは皆知っているので、工員さんですら不必要に話したりしません。
しかし、工場の中では常識です。世間にはそのことを言っていけない、という常識もありました。
世間では青酸性の毒物が工場にあるなんて知りません。
つまり、常識というものが多様であるということを認める時に、専門家と言えるわけです。
お医者さんは薬物を始め、人間にどうやれば致命傷を与えることができるか、皆さん知っているはずです。しかし、それを世間には言わない。
問題のサイトでの発言は、フラットな常識として合格していることが最低限、逆に言えば公表できる情報は共有すべきだと、取れます。
それじゃあまりに危険です。
Posted by: 酔うぞ | 2004.03.07 11:57 AM
酔うぞさん、こんにちは。
専門外の人の目にむやみに触れないほうがいい専門情報というのも、たしかに多いですね。そのへんをどう処理したらいいかについても、いずれ書きたいと思っています。
Posted by: ここの管理人 | 2004.03.10 06:53 AM